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「斜面のようになだらかな暮らし」 崎本智(6)

あの日から連絡がとだえて久しくなる、とあなたは予感のように考えていた。

勤めているK市の中心から帰宅して衣類をハンガーにかけ、部屋着に着替えると矢継ぎ早に湯を沸かす。錫製のちろりと、とっくりを鉛のような色をした水のなかに沈めて燗酒をつくる。ときどき冷蔵庫から漬物やつくだ煮をだしてつまむため、そのたびに台所に白いひかりがひろがる。食器棚のあたりに気配を感じた。そこにいたのか、とあなたはパスピエをみつめる。パスピエはストリングチーズを噛みさいて繊維のような細さにしてから食べている。パスピエに、きょう電話は鳴らなかったか、と尋ねようかと考えたがパスピエはそっぽをむいてしまった。しばらくしてあなたはわたしに携帯の番号しか教えていなかったことに気が付く。てきとうにつまんでいるうちに腹はふくれてもうつまみなどはいらないから酒を飲んで寝てしまおうと思った。冷蔵庫のそばでパスピエはちいさくふるえている。あたためられた酒はワングリ型の器にそそがれる。あまやかな匂いが湯気にのって鼻にからがる。雪国でつくられたきめ細かい優しい口当たりの酒があなたの好み。つまみがなくても酒は旨かったし、それだけで連絡がないことをあたまの片隅におしやれるような気がした。あなたはオーディオの電源を入れる。温まった酒を飲みながら午前二時までドビュッシーを聴くのがいつのまにかできた日課だった。あわただしい職場から解放されても興奮はさめることはなくあたまは熱に浮かされていた。それでも時間の経過とともに燗酒は癒し惑わすように眠りへといざなった。

 

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斜面のようになだらかな暮らし.pdf
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