2015年
11月
08日
日
11/7 部員の皆様、今月最初の土曜日がやって参りました!
作品は何か書き上がっておりますでしょうか?
もしくは、企画のアイデアは浮かびましたでしょうか?
ブログと言いながら、結局直球どストレートしか放れない男です。
そろそろ新たな動きを……なんて言いながら、結局忙殺される毎日。
最高じゃねーの。と言えば前向きになれるよ。なんてことが、
そういえば先日Twitterに流れていました。
今のこんな状況も、口を揃えて言えばいい。
最高じゃねーの!!
結局これもバックアップ対策のための更新に過ぎません。
それでも、望みを繋ごうとする。この愚直さに「いいね!」
してください。……嘘です無視してください。
それでも、どうにか前に進もうやという意思、姿勢がまたどこかで
見つかったら。見つかったのなら。その時は口を揃えて叫ぶのです。
せーので、叫びます。
最ッ高じゃねーの!!
なーんて。
2014年
9月
08日
月
金曜日夜八時すぎの地下鉄。仕事のやり直しをくらって帰宅が二時間延びた男は不機嫌だった。中央駅で地下鉄を降りると私鉄の改札へと向かった。
地下街の店舗で新しい石鹸を売り出していた。近くまでいくとその匂いがはっきりと分かった。男には匂いで思い出す女がいた。学生時代に好きだった一つ年上の女だった。
女は大学四年の時に中国へ留学した。男は女とSNSで連絡を取り合っていた。男は女の帰国を待った。迎えに行こうと帰国の日時を訊いた。しかし、その返事はなかった。それから何年もの時が流れていた。
地下街を抜けて私鉄の改札を通りホームへ向かった。行き交う人の中で男は一人の女に気がついた。それはさっき思い出した女だった。通り過ぎる時、男は視線を動かさなかった。男の横顔を見ていた女は男の背中に「あっ」と声を上げた。二人の周りにこの様子を見ていた者がいれば、容易に久しぶりに知り合いを見つけて声を上げた女と、それに気付かずに通り去っていく男の関係を、見て取れたことだろう。
男はホームに来た電車に乗り込んだ。夜の車窓で女に見られた自分の姿を確認した。もしかしてメッセージを送ってきてないかと、久しく使っていないSNSをスマホで開いてみた。しかし、何も来てはいなかった。
あの時は男のメッセージに女が返事をしなかった。男はずっと無視されている立場だった。今日それまでの立場が入れ替わった。声をかけて無視されているのは女のほうになった。これで男は女を無視している立場を得た。相手に渡せたのは無視のバトンだった。もしまた女が男を見つけて声をかけても、それに男が応じなければ、一生この立場は入れ替わらない。今日の仕事のこともあって男は嬉しさを覚えていた。
男は帰宅するとそのまま風呂に入った。湯船の中で思い出していた。女は声をかけてどうするつもりだったのだろう。しばらく考えていたが、あそこで女に返事をしたとしても、自分がしただろう行動は、アでも、ハでもない、鼻から息の抜いた音を吐いて、あからさまに気のない様子で「久しぶり」と答えるだけだ。あの後の展開はなかったのだ。展開はないのだから、やはり展開のないにも関わらず、行動した女が悪かった。男は自分の正しさを感じた。
久しぶりに思い出された恋は、展開のないまま一抹の虚しさと共に終わった。風呂の窓からは中秋の月が見えた。男は自分の正しさを共有できる相手が欲しいと思った。
2014年
8月
08日
金
白の制服を着た女の子が二人、腕を組み合って道を歩いていた。片方が笑って相手に身を預ければ、もう片方も笑って身を傾けた。校則ぎりぎりに合わした二つの短いスカートが跳ね、声が響く。気付けばこういう女子高校生も少なくなった。
うちを出た女は歩きはじめたが、足はどこへ向かっているのか定かでなかった。鞄を持たずに出歩く女は珍しい。ラッシュは過ぎて、通りの流れも落ち着きを取り戻していた。いつもと違う道を歩いていいと、頭はそれに気付いている。無意識に足は習慣をなぞる。今までも決めていたわけでないのに、毎日同じように歩いていた道。途中、道を渡って反対側の歩道を歩いた。逆の歩道から自分の歩いてきたほうを見た。
いつもと同じ道をなぞったために毎日利用していた駅に着いた。足に任せて向かえばここかと、幾らか女は自分にがっかりした。今日は定期券を持っていなかった。行きたい先もない。改札の前を通り過ぎて、奥の出口から外に出た。
小さな商店街、この街に引っ越してきてから、こちらにはあまり来たことがなかった。左手には赤いくすんだ提灯の居酒屋が、右手には開店前の小さなパチンコ屋があった。夜の遅い店はどこもまだ眠っていた。左手奥の八百屋が軒先に野菜を並べていたが、人の姿は見えなかった。朝の家事をやっつけて、急ぎ足でおそらく電車に乗ってパートに向かうおばさんが駅のほうへ歩いていった。両脇に並ぶくすんだ店。少し左へ蛇行しつつ、駅へと向かう一本道のシャッター街が、川の姿に重なった。
ペルシャ湾に注ぐユーフラテス川、始まりはメソポタミアから起きた、川沿いに並ぶ古い営み——。
——自分の頭のどこからこんな言葉は浮かんできたのだろう。いつもと違うところに足を踏み込んだためか。女は自分のらしくない思考を不思議に思った。
先に見える黒壁の店のドアが鳴って開いた。深い皺の顔の女で、櫛を通していない金色の髪をカチューシャで押さえ、体には長く着た黒のドレス、薄い唇に煙草を挟んでいた。両手で持ち上げた、白地に黒の大きく店の名前の書かれた内側の光る看板を出し、そして営みをなぞるようにして箒で塵を掃き始めた。自分と違うところに生きてきた女だった。嫌悪感は抱かなかった。おそらく自分の母親と同じ年頃だ。
商店街の真ん中に立ったまま、周りを見た。その女の他は何も動いていなかった。遠くのほうでホームの電車の出発を告げる音が鳴っていた。
2014年
7月
09日
水
紙屑の見当たらない小奇麗な、花壇と、幅のあるブロックの道は、緩い下り坂となって伸びていた。視線が掴みえるその先には、駅と隣にある踏切と、踏切の上を渡る歩道橋があった。僕の居場所は、梅雨明けの、踏切まで続く、向こうへ行くだけの交わらない道の上。伸びる空は帯のようで、綿を丸めた雲が糊でとめられたように浮いていた。
母親に見えない程若い笑顔の、横顔を見せる女が、僕の前の道の上で三児の子供を連れて歩いていた。一人で生んで、育てゆく三つの子供達。駆け降りても駅は近づかなかった。空も、そのままに動かなかった。
風の如く。駆け下りる速さの、とどまる手前で、勢いのままに、その女を後ろから、強く抱きしめた。突然のことに、芯は硬直していたが、腕の中で締め付けられた彼女の体は、柔らかかった。
以後彼女は一人じゃない、僕も子育てを手伝った。彼女の夫と、子供達の父親の二役。それがその時からの僕の人生だった。
走り回る子供達。この道の上で、僕達夫婦は二人で、写真を撮ったことがなかった。道沿いに並ぶ店を覗いても、窓ガラスに映るのは子供達だけ。ガラスは僕達二人を映さなかった。何も僕達の姿を映すことはできなかった。
ここまで歩んできた人生は、僕のほうが短かった。若い僕が先導した。奏でる右手と左手のメロディライン。リストの途切れることなく、次へ、次へと。
僕より彼女が訊いてきた。これまでどんな人と付き合ってきたの、と。蟠(わだかま)るような過去はなかったから、「無い」が答えだった。
成長した子供達は、別々に自分の道を歩んでいった。二人の間で時は流れず、僕達は歳を取らなかった。お互いの、何も変わらない顔と、愛。
この道の伸びつく最後。近づいてきた歩道橋と踏切。駅では電車が出発を待っていた。
子供達が巣立った今、その裁断を受けようか。
木の葉の舞う、駅の隣にある喫茶店。甕(かめ)の縁まで達した水面、風がさざなみを起こしている。木目を基調とした店内。シンプルで白い、四枚の羽が回っている。本棚には辞書と時刻表。これまでここで何人が開いて見たのだろう。言葉は意味を慎重に、これからの目的地を探そうか。店内に流れる、サロン調のピアノの曲は、愛の夢。
二人向かい合って、珈琲を一つ口にした。それから僕は云った。
「これからも、愛したい限り、愛せばいいさ」
女は答えた。
「愛したい限り愛しても、そんなには、続かないものよ」
2014年
5月
25日
日
何でもグーグルマップより頻繁に更新する、市街の新築や建て直しを即時に反映させるインターネット上の地図アプリがあるそうじゃないか。隣家の蔦がこちらまで這い寄ってきているので、これはもう堪らないと、まるでそれが導火線であったかのように憎悪に火が点いて、築七年の家を家族で飛び出したというその空き地が見える。隣家は三方むき出したことのない漆喰の薄汚れた壁を見せて、彼らが気にしていた北側の家の蔦はこう見るとそれほどでもなく、空き地にはすでにヒメジョオンが人の背丈も超えるかというくらい生長していて、夕方に蝙蝠が飛び交うだかしかしそこはちょっと前に家があったのを自分は全く見ていなかったのか? こうしてアプリの画面で確認するまで、取り壊しや(この家と自分の家は思いのほか近い)瓦礫の取り除きや、黄色と黒の張り巡らされた杭とビニール紐や何かを、今まで実際に自分の目で確認していなかったというのが信じられない。何でもこの画像は最近建てられた高層建築物の頂上からの高解像度パノラマ展望カメラを元にして構成されているそうだ。西の空は晴れて、東の空は暗雲垂れ込め雷が轟く異次元めいた昨日の空模様が今日反映されているというのは、ハンドメイドならではのフットワークの軽さだ。こういう市民的努力が大企業のサービスを超えるのを見ると胸がすくような思いだが、近々これも買収されてしまうようだ。だから、祭り状態になって頻繁にサーバーダウンしているこのサイトを見納めと思って眺めているわけだが、それにしても自分の観察眼の不確かさ、隣家の言い争いの声を内容まで把握しながら聞いていたにもかかわらずその現場を目にしていないという浅はかさ、思慮足らず、堅忍不抜さを恨む思いが急にわき上がってくる。こんな状態では、私の通っていた小学校が、市町村合併による廃校や統合ですでになくなっていた、なんてこともあるいはあり得るのではないか、そう思って今度はその方を見てみるとそんなことはなかった。グーグルストリートビューも結局は道路上で撮影した幾枚かの写真の組み合わせでしかなく、そのあいだを粗雑な、疾走感をいっさい生み出さないズームが埋め合わせている様をあなた方は見たことがあるだろうか? 小学校の廊下はさすがにリノリウムのままではなく新素材を使っていて、天井のアスベストもクリーンな新素材に差し変わっていたがそれ以外は何の変化もなかった。校舎から体育館に向けて渡されているコンクリート打ちっ放しの通路と屋根。ここに実際に入るわけには行かないが家に居ながらにして見られるという現代の技術に感服する。
(中断)