Ⅰ
冷蔵庫を漁ると、牛乳があった。コップに注いで飲み干す。腹が痛くなることはないだろう。特に味に異常はない。セックスの後喉が渇いて冷蔵庫を開くと木の皮のようなものが入っていた。なにかのハーブの類だろうか。あまり香りは強くはない。コップを手に部屋に戻ると女が爪を切っていた。この女はよく爪を切っている印象がある。
ぱちん。ぱちん。
部屋に爪を切る音が響いている。
ぱちん。ぱちん。
爪が爪切りの中に入って溢れそうになっているのをチラシの上に落として次の指にかかっていく。
ぱちん。ぱちん。
私は女の乳首をみつめる。
ぱちん。ぱちん。
地黒の女の乳首はこげ茶かかっている。これを口に含んでいたのかと思うと少しがっかりしてしまう。
ぱちん。ぱちん。
乳首を口に含みながら、歯に力を籠めたらどうなるだろうか。女は叫んで逃げようとするだろう。そのまま力を籠め続ければ
ぱちん。ぱちん。
いつの間にか女の視線が俺の股間に注がれていた。似たようなことを考えていたのかもしれない。
ぱちん。ぱちん。
「爪伸びているよ」
女が爪切りを手渡してくる。私は受け取って指を見る。爪が確かに伸びていた。爪を切る。溜まった爪をチラシの上に捨てる。その動作を続ける。
女は私の手を眺めていた。爪を切り終わると女はチラシを包んでベッドの脇に置いた。女は横になると眠いと呟く。私はその隣で横になって、朝を迎える。
小さな箱に昨日切った爪を収める。すでにあと二回ほど爪を収めれば箱がいっぱいになるだろう。桜の下に死体があるのならば仙人掌の土に爪を混ぜればどのような花が咲くだろうか。考えても答えは浮かばない。そのうちこの仙人掌が答えを示してくれると考えている。箱のふたを閉じる。軽く振ると乾いた音がしてマラカスのようだ。そろそろ男が起きだす頃だろう。私と彼はどうなるのだろう。セルヴィーロ通りで一通り揃えたというスーツが彼の現状を表している。お金と時間が作ろうと思えばいくらでも作れる状態。果ては良家のお嬢様と表向きはお見合い結婚実際のところは政略結婚をするだろう。
子ができれば両家の絆が確固たるものとなって、さらに会社の規模が大きくなるだろうか。なんて乾いた関係だろうか。私との関係もきっと一時的なもので、女遊びの一つでしかないのだろう。仕方がないと言えばそうなのだろうが。
私は服を着て朝食の準備をする。一度顔を洗うため鏡の前に立つと顔にキスマークが付けられていたので絆創膏を用意しておこう。男は和食よりも洋食のほうが好きらしい。以前怠けてシリアルを出したときは宇宙食でも見たかのように物珍しそうにしていた。バターロールに軽く焦げ目を入れるためトースターにいれその間にレタスをちぎりフライパンに油をひいてハムを焼く。バターロールを取り出して切れ目を入れ、レタスとハムを挟み込んだ。
男を起こして服を投げつける。朝食を皿に盛り付け空のカップに少し苦い紅茶を注ぐ。男が寝ぼけ眼でテーブルに着く。
いただきます。
Ⅱ
@misaki89 うちには縁切柳と近所から言われている柳がある。縁切榎みたいに皮を煎じて飲ませれば男女の縁をきれるって。
@hikun @misaki89 何それ気になる。
@misaki89 @hikun 結構大きな柳の木で皮も分厚い。刃物で傷をつけたような跡も残っているよ。
@hikun @misaki89 今度の休み見に行こう。
博はtwitterの画面を消した。そのままskypeの画面を開くと美咲のアカウントがオンラインとなっていたので発信してみる。すぐに相手が応答したので、そのまま、縁切柳を見たい。との話を煮詰めて相手が拒否しにくいようにする魂胆である。美咲は押しに弱い女であるからしつこく言えば認められるだろう。縁切柳そのものよりもその迷信を信じてあるいは半信半疑でもそれを頼る人間がどのような姿で、どのような表情で皮を剥ぐのかが大いに気になっていたのだ。幸いなことに彼女の実家は隣の県であるので簡単に行き来できる。ましてや東京の縁切榎のもとに行くことに比べれば近所に散歩に行くようなものだ。
次の三連休に美咲の家に泊まり込むことになった。付き合い始めなので親に紹介することも含めればよいじゃないか。と何度かしつこく迫ると美咲は渋々に了承した。
車で一時間ほどの場所に美咲の家があった。あまり大きくはない。直前になって家には泊まらせることができないから車の中で寝るように言われた。何この野郎と思い手を出そうかと思ったが、そのようなことをすれば縁切柳の事がすべてなかったことになりそうだ。仕方がなくそのまま放ることにした。結局は体よく里帰りのアシに使われただけなのかもしれないのだが。幸いまだひどく暑い季節ではないため車の中で過ごすことも可能だ。
しばらくすると美咲が車の窓をノックした。いつの間にか眠っていたようで日が落ち西の空が真っ赤になっていた。移動を開始する。柳の前に来たころには既にかなり薄暗くなっていた。あたりを見るのに明かりがいる。柳にむけヘッドライトを向けると、ゆがんだ影がその後方にできて無気味であった。ところどころに皮の剥がれた跡があった。
その中に一つだけ真新しい切り傷があった。樹液がぬらぬらと光っていた。その日美咲に渡された茶は苦く、アクが強かった。
Ⅲ
仙人掌が蕾を付けた。まだ花の色はわからない。人の爪を食って生きた仙人掌はどのような色の花が咲くのだろうか。箱の中に仕舞った爪を植木鉢に入れ土をかぶせる。男の会社はうまくいっているのか最近は株価が上がり続けているらしい。男が金を置いて去っていった。手切れ金のつもりだろうか。
苦い茶をすする。この茶は私の思い通りの効果を与えてくれなかった。男は私の持っていないものを持っていたから、私との関係はいつまでたっても遊びだった。
〈了〉