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氷片:イコぴょん

アイスピックをにぎりしめた彼女がテーブルの上の氷を割る

ひとりの彼女の手に余る巨大な氷のかたまりが、ゆっくりその身をさしだす

氷のかけらがテーブルにちらばる

彼女の割る氷塊の大きさをきわだたせるように、ちらちらとかがやく

氷塊から氷片が生まれ落ちるのではなく

もとより六十もの、八十もの、百もの氷片がかたまりついてできているかのような

ひとつの個体の運命的な集合と離散を感じさせるちらばりかたで

窓からの光をもらいうけ、ちらちらとかがやいているのだ

 

いつからか夏が

腕組みをして立っている

夏は光に目を細め、あごをもちあげ、軽い笑みを浮かべながらしゃべりはじめる

 

「紫陽花の咲くお寺の石畳が歩くにつれてかんかん鳴った

 君のヒールは敷かれた石から外れてしまわないように必死だった

 昨日降った雨は紫陽花の花を薫らせ、いっそう夢見にさそったけれど

 ひとたび近くの水たまりに落ちると、たちまち帰って来られなくなる気がした

 映画館に行ったり

 パフェを食べたり

 メールアドレスを交換したり

 ぞわっとしたり

 ひやっとしたり

 ふわっとしたり

 とろんとしたりする

 あの人の呼吸を近くで聞く日々が、たちまち消えてしまうと思った

 だから君は石畳を慎重に、かんかん鳴らしつづけた

 ぬかるみにはまってから、君はようやく夏の暑さに気がつく」

 

アイスピックをふりおろす手をとめて

彼女が夏の気配にふりむくと

夏がさっきの夏に向かって大きくうなずいている

新たにあらわれた夏の、ひとりごとのような語りがはじまる

 

「斜め前の席だったからいつも目配せできた

 君は黒板の文字じゃなくて黒板を見ている背中を見ていた

 背中の表情ばかり目に焼きついて

 まっすぐ前から見たら男の子がどんな顔をしているかなんて知らなかった

 ふりむいてくれたら嬉しいのに、ふりむいてもらっちゃ困る君は

 背筋から人間を作った

 シャツの洗濯じわ、ラケットを握る焦げた腕、外にはねたクセっ毛

 君は男の子の後ろすがたを作る、ひとつぶひとつぶから

 男の子のすべてを知ろうとしていた

 ミトコンドリアを描くノートの描線に

 君の表情がうつっていた」

 

雨しずくが落下する

彼女はいつも雨の気配を、少しむくれた肌で知る

テーブルの上に雨水が漏るのも分かっていて、落下点に夏が置かれているのも

誰かの手によって置かれているのではなく、あらかじめ、置いているのだ

目の前で雨水をためる夏の色を、彼女はとてもうっとうしく思う

あの夏や、この夏は、一滴に、たちまち消されてしまう

 

「君はトイレであっけなく怪物を産む

 欲望に身を焦がし、もてあましながら

 誰も教えてくれないけれど、誰からともなく伝わってくる

 身体じゅうが揺動して、自分という人間の原始的な、動物の部分のうごめきを知る

 はじめてそれが来る前の

 家族の立てる足音が、気に障ってしょうがなかったのや

 無邪気な笑顔も、ひとつのテクニックだという確信や

 誰かが輪から弾かれたときの安心感が

 はじめてそれが来たときに

 すべて君の心と無意識につながった

 君は女で、否応なく血を流す存在で

 トイレのなかは出来損なった怪物の腐臭に満ちる

 君はもちろんそれを抱えながら

 日々を笑顔で乗り切っているけれど」

 

地の底から夏が、彼女を凝視している

彼女がスリッパをはいて立っている清潔なフローリングの下には

無数の虫の、地面をこすった痕がついている

アイスピックは氷のようにとけてなくなってしまった

彼女は氷を削るのに、アイスピックなど使ったことはなく

そもそも氷を削ったことすらないからだ

彼女がちらばらせたいくつもの氷のかけらは

きらきらとかがやくけれどすぐに水の粒に変わる

一瞬は、連続するたくましい時間の流れのなかでは

ただのみこまれて消えるしかない

今ではもう彼女は地の底からわきあがる夏を知っている

知っていることを認め、その上で生きている

 

「コンビニの窓にはりつく虫の、青い光に焼きつくされる音

 置き場にさしていたはずの傘を盗んでいった人

 マグカップについた口紅のいやらしさ

 あの人の不意の勃起、理科室の机にこすりつけられた下半身

 窓をしめるかわいい女の子が窓の桟で擦り殺したカメムシ

 君は右と言い、左へ連れて行った

 落とした者を顧みることもなく

 また手を洗って部屋を涼しくするのだ

 今日は彼の好きなサッカーの中継をやる予定で

 彼もバイトが終わればすぐに帰ってくるから

 一緒に見られるはずだけれど

 オムライスを作りながら

 君は自分の無理を知っているのだ

 サッカー中継に興味はない

 彼がいてもその横で、ただあくびを噛み殺し続けるだろう

 審判の吹く終わりの笛を、君はどうとも思わない」

 

涼しい部屋であくびを噛み殺すような瞬間が、彼女の生を連続している

しかばねを葬る先も見つからないまま

だから彼女はアイスピックをにぎりしめ

いつしかそこにあったはずの

夏を

いくつもの夏を呼んでいるのだ

息をのんで

身を乗り出して

ただよろこびをじっとこらえ、がまんしていた

あの夏を見つけるために

 

そうして刃先を指へ向け

氷を血に染めているのだ