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第1回「道化師の蝶」

芥川賞読書会 第1回 円城塔「道化師の蝶」

 

日時 平成24620

場所 Skypeチャット

ホスト 神崎 

参加者 小野寺、緑川、6(途中参加)

 

 

緑川:始めますか?

小野寺:そうですね

神崎:そうですね。始めましょう

緑川:では、論点の提示をお願いします。切り口と言ってもいいですけど

神崎:この作品の論点は難しいですよねえ。えっとまずこの作品にはメタフィクションの構造が含まれていると思います

緑川:と言いますと?

神崎:Ⅰ~Ⅴ章に分けられていますが、そのどれもがいわば螺旋構造になって重なり合っています。でも、どこかちょっと位相がずれたような感覚がある。

神崎:そのことの効果なども考えながら読書会を行おうと思います。

緑川:なるほど

小野寺:正直言ってこの作品はよく分からない。イコさんに参加して欲しかった

緑川:ですねえ。まあ、仕方がないです

緑川:えっと、各章はとりあえず別々の話しなんでしょうか?

小野寺:いえ、一応つながりあると思いますね

神崎:エイブラム氏とゆかいな仲間たちといった様相ですが、当のエイブラム氏は亡くなっています。

緑川:ふむ

小野寺:友幸友幸っていうのもいますね

緑川:まずは、登場人物に絞ってみるのもいいかも。各章の登場人物を抜き出してみるとか。そこから何らかの読みが引き出せるかも・・・分からないけど

緑川:ちょっと今、整理できませんかね

小野寺:けっこう出てくる人物は多いです

神崎:Ⅰエイブラム氏とわたし。わたしはエイブラム氏と飛行機で同乗する。

神崎:わたしは乗り物の中では本を読めないと話す。それは着想が逃げていくからであり、エイブラム氏は逃げた着想を捕まえる。銀で編まれた捕虫網を手に着想を捕まえる。

小野寺:エイブラム氏は「○○で読むに限る」シリーズの著者で捕虫網を持っているんですね

神崎:エイブラム氏は架空の蝶を捕まえる。

小野寺:アルルカン

神崎:はい。第Ⅱ章ではⅠ章が「わたし」が友幸友幸の無活用ラテン語で書かれた「猫の上で読むに限る」を訳したものだと明かされます

神崎:この作品では わたし がたくさん登場しますが 決して同一人物とは限らない

小野寺:そうですね。って、今やっと分かったという感じ

緑川:こんな感じで整理してみます

 

~緑川が、章毎に分類した表を提示。中身はほとんど空欄~

 

小野寺:友幸友幸はエイブラム配下に追われて人工言語無活用ラテン語の世界に逃げ込み、その直後にエイブラム氏は死んだ

緑川:女性っぽい「わたし」もいますね

神崎:はい。います。

緑川:面倒なようですけど、その表を埋めることで何か発見はないかなと

神崎:では埋めましょう。小野寺さんもそれでよろしいですか?

緑川:共通する要素と、そうでない要素を見出すことで、各章相互の関係が見いだせないかと

緑川:まあ、まさに、神崎さんの言われるメタフィクションな作品なので、そんな作業を試みたくなるのですが

神崎:ところでエイブラム氏は読むに限るシリーズを出版しているだけで、著者ではないような気がするのですが。

緑川:なるほど。テキストが手元にないので、書き換え、お願いします

小野寺:書いているのは、わたし=友幸なんですね

緑川:それは、何章の「わたし」ですか、小野寺さん

小野寺:それはⅠです

小野寺:Ⅱのわたしは作者らしいな

緑川:つまり、Ⅰの「わたし」=友幸で、読むに限るシリーズを書いていると?

神崎:ふむ、Ⅰは友幸氏の作品「猫の上で読むに限る」の登場人物のわたしです。Ⅱは友幸氏の無活用ラテン語で書かれた猫~を訳した人間であるわたしです。小野寺さんがどうしてそう呼んだのかが気になります。

小野寺:あ、なるほどそうか。全て明らかにしないと判断できませんね

緑川:えっと……、推測は後からでも。

緑川 :とりあえず、ストイックに、与えられた情報だけを頼りに読み進めた方がよろしいかと

緑川:まあ、作中に書かれていることのみをまずは受け取ると

小野寺:Ⅲはおばあさんにフェズ刺繍を教わっている女性っぽい私です

緑川:ですね。なんか雰囲気が違う

緑川:Ⅲは、どこかではっきりと「女性」って書かれてますでしょうか? あるいは、「わたし」が女性であることが「明示」されているとか

緑川:無いような気もするのですが……。女性っぽいのは間違いないのですけどね

 

~神崎が、先ほど緑川が提示した章毎の表を提示~

 

神崎:取りあえずⅠを埋めてみました。

小野寺:これはなかなかすごいまとめだ

緑川:ですね。神崎さん、仕事早い!

神崎:いやいや。取りあえず順々に表を埋めていきましょう。

緑川:お願いします。それから、まずは先に登場人物を埋めて欲しい

緑川:あと、属性も、神崎さんが書かれているように、極力解釈は抜きにして、作中の言葉通りに入れていく方がよろしいかと

緑川:なぜって、こういうメタフィクショナルな作品は、読者に勝手に解釈させて、ミスリードを誘うってこともあり得るので

神崎:Ⅱ章 主人公。 私 友幸友幸の猫の下で読むに限るを全訳。前章は猫~の全訳と明かす

緑川:Ⅱ章の「わたし」は、友幸友幸の作品の翻訳者ですか

神崎:のようです。異常に友幸氏に執着しています。

神崎:このような感じでよろしいでしょうか。

小野寺:いいと思います

緑川:「翻訳した」と書かれているのであれば、そうなのでしょう

小野寺:Ⅲ章 わたし

緑川:はい

小野寺:婆さんに刺繍をならっている

緑川:ですね

小野寺:女性と断定すべき箇所は特に見当たらず

緑川:かな、やっぱり

緑川:ⅠとⅡの「わたし」が女性であるという可能性はありますかね

小野寺 だいたいエイブラムは子宮がんで死んでますね

緑川:あ、そうだったんだ

神崎:ちなみにエイブラム氏は確実に女性です

緑川:なるほど

緑川:登場人物の性別も、明示されてなければ、どちらかに早急に決めてしまうわけにはいかないのかも。あるいは、中性のままにとどめておくしかないと

神崎:そうですね。

緑川:こういう作品は、雰囲気で解釈して「こういうことですね」と作者に迫っても、「そんなこと、どこにも書いてないし」って言われて、逃げられそうな感じがするんですよ

小野寺:Ⅳのわたしは、Ⅱ+Ⅲのわたしのように思えます

緑川:よく読んでみると、たしかに書かれてないとかで

緑川:と、言いますと? ふたつの要素が混ざった人物だということでしょうか?

小野寺:友幸友幸を捜索している

緑川:Ⅱのわたしも、Ⅲのわたしも、探してますか?

小野寺:いや、別なんだ。Ⅲはしていない。訂正します

緑川:Ⅱは探してますか?

小野寺:一応別と言うことですね。Ⅱは捜索してないです

神崎:執着こそしていますが確定的には探していません。

緑川:Ⅳに至って、探し始めるということでしょうか?

神崎:そうですね。

小野寺:そうです

緑川:ふむふむ

神崎:おそらく同一人物と思われますが、断定はできる材料がない?のですかね。

緑川:明示されてない以上、とりあえずは保留しておくしかないかなと

緑川:この作品、非常に理系的な作品でして

小野寺:私が翻訳したといってますよ

神崎:Ⅳでですか?

小野寺:だからⅡとⅣは同じと考えていいと思います

緑川:えっと……、

小野寺:ええ、神崎さん

緑川:その「わたし」が嘘をついている可能性はないですかね

緑川:ん~、疑い過ぎかな……

神崎:一応そこは原稿通りでいいと思います。

緑川:ちなみに、この作品、作中の翻訳者は一人でしょうか?

小野寺:と思いますが。無活用ラテン語を翻訳できるのはあまりいないと書いているし

緑川:いえ、同じ文章を、二人の人間が別個に翻訳してる可能性はないのかなと思って

神崎:議論があちゃこちゃいっている。

緑川:ん、この件に関しては、もう黙ります

小野寺:Ⅴの私はⅢに似ている

小野寺:手芸の名人

神崎:取りあえずⅡ章から順々に埋めましょう

小野寺:分かった

小野寺 Ⅱ=Ⅳ=男

 

~神崎が、さらに表を埋めて提示~

 

緑川:しかし、そろそろ1時間半経ちますが

神崎 なかなか進みませんね

緑川:このペースだと、明日の朝までかかりそう

神崎:いっそ表を埋めるところまでしてから翌日に持ち越しとか。それはダメか

緑川:日を改めて続きをやってもいいですけど

小野寺:人物は分かったと思うんですよ

緑川:他のメンツも加えて

小野寺:どうやらⅡ=Ⅳ=男 Ⅲ=Ⅴ=女という図式

緑川:ふむふむ、そして、そこから何が分かるのか、が問題ですね

小野寺:一応ストーリーラインはわかると思うんですよ

小野寺:記念館に認められれば何かいいことありそうなんですよね

緑川:なるほど、それが小野寺さんの「読み」ですね

小野寺:とにかくこの表の完成で半ば以上は目標達成でしょう

小野寺:ただそうまで苦労して何が得られるかといえばそれは全く期待してはならない

緑川:まあ、とりあえず今日最後に、この作品は非常に理系的な作品かと

小野寺:私はそうは思わなかったですよ

緑川:情緒的ですか?

神崎:twibunらしくはない。

小野寺:いえ小説論的だと思いました

緑川:あぁ、そこが私の言ってる理系的っていう意味です

緑川:物語的な面白さとか、情緒的に堪能できるとかではなくて

神崎:なるほど。

緑川:理系的な頭を使って書かれてて、同じく、理系的に読む作品かなと

小野寺:論理って理系も文系もあると思うので。でも、蝶や手芸という言葉が理系に通じるだろうか

緑川:つまり、論理的な作品、って言えば良かったっていうことですかね

緑川:理系的と言った方が分かりやすいかと思ったのですが

小野寺:構造はそうかもしれません

緑川:蝶や手芸といったアイテムを指して、私が理系的って言ってるのではないってことは、お分かり頂いてるかと

小野寺:それは分かります

緑川:で、読む側にも、その

小野寺:つまり構造が読み解かれることの満足という意味での理系的ですね

緑川:理系的という言葉が不適切なら、論理的と言ってもいいですけど。まあ、それで、まずは構造を読み取ることで

小野寺:文系では満足できないものがあると

緑川:ていうか、読み方の問題でして、読む方としても、理系的な方法が必要かと思ったんですよ

緑川:それで、「表」を提案したんです

緑川:で、その記入の仕方も、主観を交えずに、作中に書かれたことのみを主眼に書くと

小野寺:いろいろな読みではなくてひとつの読みしか許さないってことですか

緑川:いえ、解釈の前に、書かれている言葉そのものに忠実に読むということです

緑川:神崎さん、分かるかな

神崎:分かりますよ

緑川:理系の実習の観察とか、主観を交えずにやりますよね

神崎:やります。実験の値に忠実に。考察もそれに忠実に。

緑川:顕微鏡での観察をスケッチするのにも、その形に忠実に。こっちの方が美的だからという理由で、主観を交えて描いたりはしない

神崎:この作品の場合、まず最初にその作業をしないとうまく見えてこない。その作業の後、主観を交えていく。

神崎:そのほうが確実かつ堅実な読み方である。と。

緑川:この作品は論理的にいろんな仕掛けを張り巡らせている

小野寺:これハードだな

緑川:だから、たやすくミスリードされてしまう危険性がある

 

~6 途中参加~

 

6:こんばんは! イコさんは参加されなかったのですね。

小野寺:泣きが入っています

緑川:だから、解釈に入る前に、何が書かれているかをきちんと見極める必要があると

緑川:こんばんは、6さん

神崎:こんばんは

小野寺:確かに人物を把握するだけでも大変だけど、それだけじゃ終わらないように思います

緑川:ふつうの、というか、いわゆる小説のテンプレートを当てはめて考えようとすると上手くいかないと思う

緑川:この作品世界独自のものがありそうですし。ていうか、現代文学ってそういうのが多いですけど

神崎:そこで表をまとめるという作業に入るのですね。実はこの表まとめていると楽しいし、いろいろと見えなかったものが見えてきます。

緑川:そう言っていただけると嬉しいです

緑川:しかし、読みに入る前に、終わってしまいそうですね(^^;

緑川 タイトルからしてそうですけど、謎ばかりが残ってます(笑

神崎:そうですね。問題作ともいえる作品であるので一度締めて、表の作成を宿題にして、後日再開したい気分です(汗)

緑川:では、またの機会に続きやりますか

小野寺:でも芥川賞の読書会って軽くできないですかねえ

緑川:ですねぇ >小野寺さん。作品が作品でしたから

小野寺:もちろん意義はあると思いますが毎回こうだと先が思いやられます

神崎:今回ばかしは仕方ない気がします(汗)

小野寺:くそお円城

緑川:その表ですね、埋めると各章のズレが見えてくる気がするんですよ

緑川:メタフィクショナルな構造

神崎:そう。僕は最初に言いましたが位相のずれですね。勝手な解釈では視点が違うことによる認識の相違

小野寺:表の作成は価値あると思う

緑川:ですね >神崎さん

6:多和田葉子の言葉遊びって「何か」が届くのですよ。でも円城さんの言葉遊びって何も届かないんですよね。宙づりのようにどこかにストックされる? いや分散してしまうイメージでしょうか。

小野寺:(表を指して)新潮社の付録にしたいくらい

緑川:読者の主観の押し付けではなくて、作品そのものから読み取る

6:多和田さんの言葉は身体をノックされるような印象。円城さんは脳のなかのマニアックな機関をフル回転させるイメージだ。

緑川:なるほど、他の作家の作品との比較というのも面白いですね

緑川:あぶり出しのように、そこから見えてくるものもたしかにあると思います

神崎:やり始めたらキリがなくなるのが怖いのですが。

小野寺:暇ならいいけど自分の作品も書かねばならないし

緑川:似た舞台設定の作品同士を読み比べてみるのもありですよ >神崎さん

神崎: そうですねえ

緑川:漱石の「三四郎」と、三田誠広の「僕って何」とか

小野寺:言葉遊びって感じはしないんですけどね

神崎:ほうほう。緑川さんはこの作品は言葉遊びが含まれてると読みましたか?

6:いや。僕が言ったのかな

緑川:私に振りますか? ってなぜ

神崎:あ、6さんと小野寺さんだった

緑川:銀河帝国とかは、ありましたけど

小野寺:わたしを特定できればストーリーラインは見えてきます

緑川:この作品では感じなかったですね

小野寺:アルルカンや蝶を言葉遊びととらえるかですね

緑川:後藤さんにもあったかな

6:今回、準備していないから何も論理的なことは言えないけど、この作品って言葉をストレートに届けるのではなく何か迂回するような印象を読んだのですよ。それってものすごくM的な志向が入った文体の実験だったのではないかと思います。見た目がすごく言葉遊びチックじゃなかったかもしれないけど、小説全体から「何かへの読みとれない試み」を感じたのです。

緑川:なるほど、それが6さんの読みですね

緑川:「迂回」かあ

神崎:なんというか、曇りガラス越しに複数視点から写真を撮ったよう。と、最初は考えてました。迂回と言う言葉でも足りないかもしれない。結局はゴールなどない気もする。

小野寺:私はさまざまな作品を出版社に出し続ける作者の苦労の心情吐露の寓意的表現かと思ってましたよ

緑川:ゴールはない、って、現代作家の作品に時々言われる言葉ですね。延々とパス回しをしてるとか

緑川:(小野寺の発言を受けて)なるほど、この作品はメタフィクショナルな私小説だったのか。それが、小野寺さん流の「切り口」ですよね。そこから、いろんな箇所が読み解けるのかもしれない

6:そうですねーこの小説においてはとらえがたいことそのものが魅力なんですが、そうしたパスまわしなどの比喩をいくら積み重ねても、この作品について核心的な部分に触れられない気がしますね

緑川:そうそう。6さんの言われる通り。そこは前提なので。しかし、核心的な部分って本当にあるのか

緑川:けっこう、手間暇かけて読み取る作業が必要になるかと思われます

6:うーん……、この作品をとらえきる評論などがあれば、それは不可視のものに輪郭を与えるような神がったような仕事だと思う。

緑川:まあ、やれる範囲で。それで、私は、理系的な作業を提案したんですよ

6:でもこう語っているとすごい面白い作品であるような気がしました。

緑川:まずは、章毎に「表」を作ってみると

小野寺:表は分担制の宿題にしませんか

6:これって単純に答えが出るような方程式的な数学ではなくて、円周率が永遠に続くような数学の魅力だと思うんですよね。フェルマーの最終定理とか、解けないことそのものが美しいという美学……。絶対に答えが出るという数学の論理じゃないと思います。

小野寺:私も円周率を感じました

緑川:数学的な答えは最初から期待してないので、ただ、近付く作業も面白いのではないかと

6:そうですね……、その作業を批判するつもりはないんですよ。

緑川:まあ、どんな文学作品も、数学的な答えが出せるわけではないですからね

小野寺:ただ緑川さんが言われるように、表くらいは作らないと分からないつまらんで終わる作品になるんですよ

緑川:分担してやりますか?

小野寺:分担ならひとりひとつでできますよね

小野寺:神崎さんはオッケーです

緑川:では、割り振って下さいな

神崎:大丈夫だけど勝手にOK出された(笑)

緑川:とりあえずⅤ章やります

小野寺:ⅠとⅡやってもらったから。やらなくてもいいって意味のOKってことだね

神崎:やりたい章をやる感じで。余り物いただきます

6:僕はすいません、正直ちょっとこの作業をしている時間は取りにくいです、

小野寺:じゃあやりますから神崎さんやりますか

緑川:出来次第、ここに貼るってことで

神崎:はい。お願いします

緑川:しかし、そろそろ二時間半ですね

小野寺:っていうか私めちゃくちゃ文学的に忙しいんですけどね()