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芥川賞読書会 「abさんご」黒田夏子

 

日時:2月24日

ホスト:日居

参加者:イコ、小野寺那仁、崎本智(6)、あんな、うさぎ


日居月諸: では、芥川賞読書会を始めましょう。対象作品は第148回受賞の黒田夏子「abさんご」です。
日居月諸: まず、皆さんに一読した限りの感想をおおまかにうかがおうと思います。
日居月諸: 最初に、うさぎさんに訊いてみましょうか。「abさんご」を読んで、どのような感想を抱きましたか?
うさぎ: 正直、読みづらかったです。ネットの感想にもありますが、固有名詞や代名詞がないところ。ひらがなで書かれていて意味がとりづらいところがあって、苦労しました。

日居月諸: 読みづらい文章を読みとおす中で、物語の内容は把握できましたか? また、それについての感想もお願いします。
うさぎ: 内容の方は読んだ人の感想などを補助線にして、なんとか自分なりには把握したつもりですが、内容より文体が気になってしまっていて。
うさぎ: 内容は、ぼんやりとした感覚です。結局、うまく理解できてないのかも……。
日居月諸: なるほど、文体に気を取られて物語の内容は読みとれなかった、と。ありがとうございます。
日居月諸: では、次に小野寺さんにうかがいましょう。「abさんご」を読んで、どのような感想を抱きましたか?
小野寺: a、bのふたつというのが気になりました。ふたつの世界のどちらにも属せない、という感覚があるように思えました。
小野寺: だが、あんまり自信ないです。
小野寺: 前半はヌーヴォーロマンのようにかっきりとした描写とわがまま勝手な感想が入り組んでいるけれども、けっこう手堅く書いています。それでいて人物の意思は弱い。
小野寺: だが、後半になると死などの観念、時間や年齢の観念がやたら出てきて人生論めいてきて、これまた別のヌーヴォーロマンのような味わいがあると思いました。
小野寺: こちらのほうが人物の意思が堅固でひとかどの意見も備えているけど、文章的には描写の力が弱まっているようにも思えました。
小野寺: ただ、いずれにしてもそれほど徹底された「文学」という印象はしなかったです
小野寺: で、具体的なストーリーについてとらえられなかった、というのが正直な感想です
日居月諸: 作品の中で文章の方向性が変化していく印象を受けていらっしゃいますね。わかりました、ありがとうございます。
日居月諸: では、続いてイコさん、「abさんご」を読んで抱いた感想を教えてください。
*** イコがabさんご読解メモ.docxを送信しました ***

abさんご読解メモ(イコ).pdf
PDFファイル 152.1 KB

 

日居月諸: 「者」というキーワードをもとにまとめていらっしゃいますね
イコ: 上のレジュメは、読み解きの参考にしていただければと思います。こうして読んでいくことで、「何が書かれているのか」は、ほぼ100パーセントつかめるかと思います。
小野寺: なるほど。こんなに多くの人物が出ていたんだ
イコ: 「一読の感想」ですが、ものすごくいじわるな冒頭に、多くの人のつまずく理由が分かるような気がしました。なぜなら、その先を読んでいなければ、誰のことを示しているのか分からないような主語(主格)が頻出するからです。自分も、はじめはよく分からないままに読んでいました。
ところが、徐々にリズムをつかんでくると徐々に視界が開け、前に立ち戻り、「ああこういうことか」と納得し、どんどんおもしろくなってきました。
イコ: 堀江敏幸が、ひらがなのもつある種の暴力性について述べていました。ところが自分は、この作品はひらがなによって、とことんまで暴力性を排された文章だととらえました。
イコ: やさしく、ゆるやかで、さびしい、うしなわれていった者たちの記憶が、ひらがなによって、はじめはあいまいなかたちだったのが、じょじょに、明確な輪郭となって、うかんできました。

イコ: 方法意識冴えわたるこの小説のなかで、一点、これは暴力的だ、と感じた方法があります。それは、ひらがなではなく、漢字の使い方でした。
イコ: 「者」とされることで、非常に客観的な視線が出ます。
イコ: さらに、「家事がかり」にあてられた「者」を見ると分かるのですが、家事がかりは他の人物にくらべて、漢字で、バサッと書かれていることが、とても多いのです。
イコ: 逆に、「子」や「あとから死んだほうの親」は、非常に具体的な「者」として述べられていることが多いです。家事がかりに対して、語り手はある種の暴力的行為をおこなっていると感じました。
小野寺: 金銭配分人、死病者、衰弱者なんて冷たい言い方ですね
イコ: はい、自分も、この漢字の使い方に、非常に温度の低いものを感じました。これは、ひらがなを多用することによって生まれる効果だと思います。
イコ: 死が濃厚になってきた片親は、「死病者」「臨死者」など冷たい述べ方で、明確に死を意識させられます。
イコ: まとめると、すさまじいまでの徹底された方法意識で、家族の様子と「喪失」を愛惜たっぷりに描いている、屈指の名編である、という感想をもちました。(ろくにまとまっちゃいませんが、すでに長くなっているので)
イコ: とりあえず以上です。
日居月諸: 具体的な所にまで踏み入った感想、ありがとうございました。
日居月諸: それではあんなさん、「abさんご」を読んでどのような感想を抱かれましたか?
annaendo: 感想がうまくまとめられないんですが、やはりこの掴もうとするとすり抜けるような文体にどのように読んでいけばいいのか悩みながら、でもそれが少し気持ちいいような感じでした。やはり死がテーマになっているのだろうな、ということは思いました。職人のように徹底された書き方で言葉を操り異世界を作り上げていることに驚きましたし、本当に小説だけでしか成り立たない世界を作り上げるとこうなるのだな、という感想です。
日居月諸: 文体の心地良さをあげていらっしゃいますが、それは、ひらがなを用いていることに起因しているとみていいでしょうか? それとも、ひらがなをある程度漢字に直しても、心地よさは維持されると思いますか?
annaendo: ひらがなでなければこうはならないでしょうね。敢えて言うなら、ひらがなと漢字の配分も大きく関係しているように思います。あとは固有名詞がないということでしょうか。ぎりぎりのところで成り立つように設定されていると感じました。
日居月諸: 卓越したバランス感覚にもとづいて成り立っているという印象を抱いたのですね、ありがとうございます。
日居月諸: 6さんにうかがいます。「abさんご」を読んで、どのような感想を抱いたでしょうか?
6: 宵闇のすずしさのような、新鮮でいてなつかしい感触。そのような感情がながれました。
6: ひとりの固有の記憶から小説がたちあがっていくところがみごとで、それが凡百の私小説とは決定的に差異をもって描かれている。
6: もちろんその差異は、描き方だと思います。そんな感じでしょうか。
日居月諸: 凡百な私小説とおっしゃいましたが、そのような小説はどういう描き方をしているのでしょうか。固有な記憶ありきで「小説」としての展開がないがしろにされている、と受け取ってもよろしいでしょうか?
6: 固有な記憶ありきだとはおもわないのです。すごく重要な要因かなと思います。すみません、まにあうとおもっていなかったので、あまり大した感想を準備できていないのですが。
6: 描き方の点で言うならば、この小説が特異なのは、そうした固有名詞を使わないで一般化されたことばたちをつかいながらも、決して一般化され得ないようなすごく個人的な記憶について書かれているとおもっています。
6: 一般化されていくと言うのは黒田さんが受賞会見、なぜひらがななのかと言う質問に対して意味を限定したくなくて、語源に遡るという気持ちをこめて書かれたことにつながる。
6: ことばはそうした広い意味をもってつぎつぎとあらわれていくのに、
6: 語源まで遡ったことばが(なぜか?)連なるほど、すごく固有な匂いをおびて描写されていきます。そこが僕は一番はっとしたところかなと。
6: つまり叙述方法と叙述内容がすごくかけはなれたものであるのに、それを仲人している書き手(黒田さん)のコーディネイト力がはんぱなくて、
6: そのちからにおどろいておどろいてしまったような感じでしょうか。
日居月諸: ありがとうございます。一通りの感想が出揃いましたので、まとめようと思います。

 うさぎさん
・固有名詞、代名詞がなく、全体を通してひらがなで書かれているため読みづらい。

 小野寺さん
・「a」と「b」、そのどちらにも属せない感覚が描かれているのではないか?
・前半はヌーヴォーロマンを思わせる描写とわがまま勝手な描写が入り組んでいるものの、手堅く書かれている。人物の意思は弱い。
・後半は死や時間の観念が出てきて味わいが出てくる。人物の意思が堅固になってくるはものの、描写の力は弱まっているのではないか?
・徹底された「文学」という印象はない。

 イコさん
・共通している「者」に着目すれば、物語の展開は読みとることが出来る。
・冒頭の<受像者>はつまずきの石となっているが、読み進めていくにしたがい、この断章が読解のカギとなっていく
・ひらがなの暴力性を排した文章。うしなわれていった者たちの記憶が、はじめはあいまいなかたちで、後に明確な輪郭となって浮かんでくる。
・一方、漢字には暴力性がある。特に「者」。「家事がかり」が顕著で、客観的に、バッサリと描いている。
・また「衰弱者」「死病者」「臨死者」など、非常に冷たい印象を抱かせる。
・ひらがなと漢字が対比されることによって、一方の温かさと、もう一方の冷たさが、分明になっていく。
・家族の在り様、それが「喪失」されていく過程を、徹底された方法意識と愛惜にもとづいて描いた、屈指の名編。

 あんなさん
・ひらがなと漢字がうまくかけあわされて心地よさを覚える。
・「死」がテーマになっているのではないか?
・言葉にもとづいて異世界をおりなしていく、小説だけにしかできない書き方。

 6さん
・宵闇のすずしさのような、新鮮でいてなつかしい感触。
・凡百の私小説とはちがって、ひとりの固有の記憶から小説が立ちあがっていく。
・一般化された言葉を用いながらも決して一般化されない固有の記憶が描かれている。
・(黒田の受賞会見から)ひらがなを用いることで語源をさかのぼっていき、いつしか固有の匂いを立ち上らせることが出来ている

 いくつか共通した感想
・特徴的な文体、変遷していく文章の方向性、固有名詞を排した叙述などに気を取られてしまって物語の内容までは把握しきれない。

日居月諸: 最後に私が、これまで出てこなかった意見を補う形で感想を述べたいと思います。
日居月諸: 奇抜な印象を抱かせる外面と裏腹に、非常に巧みな散文家であるという印象を覚えました。たとえば「天からふるものをしのぐどうぐが、」で始まる<暗い買いもの>の断章。
日居月諸: 雨をしのぐのに用いる傘の概念を拡張して、家屋の話題に移る。また、幾重にも並べられた中から一つだけの傘を選びとる難しさから、その選択権さえ失われた 引っ越しの話題へと移る。こうした共通要素を上手くかけ合わせながら、過去の淡い記憶と現在の不如意な状況を描き取って、物語を展開させていくところは、読者を飽きさせない技術を熟知している。
日居月諸: 一方でこれはともすると古い手法と言われても仕方ないものです。奇抜な構想と極めてオーソドックスな技術、この分裂にも似た構成は、物語を読みとく上でもキーポイントになる気がします。
イコ: たしかに奇抜なのは見せかけだけで、物語の展開のさせ方は、これまでの日本文学を読んでいる印象と、なんらかわることがなかったです。
イコ: ひとついいでしょうか?
イコ: この作品の<受像者>の章は、とてもいじわるだと思うんです。
イコ: 「いなくなるはずの者」が、家事がかりを指すとは、この時点では絶対に分からないからです。文章も他にくらべるとあいまいで、自分は一発で意味がのみこめなくて、苦しかった。
イコ: ところが、次の<しるべ>に行くと、急にややこしさを増す「者」が減り、「盆提灯」について書かれているのがはっきりするので、とにかく読めるのです。
イコ: さてそれぞれの章につけられたサブタイトルを読むと、<受像者><しるべ>……というように半角の、<>によって物語が区切られています。1、2、3、……という、よくあるやり方ではありません。
イコ: このことから推測できるのは、<受像者>の章が、「冒頭」としての性格を、黒田さんによって意図的に剥ぎ取られた、ニセ冒頭なんじゃないかというものです。
イコ: <受像者>は、たしかにゆめのなかにただよっていく子どものすがたを明らかにし、次章からのおさない記憶を出すための展望となる章ですが、それにしては、読者ライクではありません。
イコ: 1、2、3……と書かなかったのは、この作品は、どこから読んでもいいんだ、自分の読みやすいところから読み進めてみては? という、黒田さんなりの、ささやかなアドバイスなのではないでしょうか? それは同時に、「ふつうの小説の読み方」への、ささやかな抵抗かと思います。
イコ: もちろん<受像者>の章は、aとb、えらばれなかった道の枝、という重要な表現が出るからして、理解の重要拠点になる箇所だと思います。だからこそトップに据えられている。ただし、そこから読め、とは誰も言ってない。
6: そうですね。うん、どこから読んでもいい。それは凄く感じますね。いま冒頭を読んだのですがやっぱり何かすごく切なくなる。
日居月諸: どこかのインタビューで黒田さんは早稲田文学の規定に合わせるために、応募された原稿よりも多く分量を書いていたにも関わらず、ばっさりとそぎ落としてしまった、という話をききました(間違いがあったら訂正してください)。
小野寺: 長尺版もあるようですね。
イコ: 自分もそう聞きました。
日居月諸: その過程で、実は断章の並びさえも滅茶苦茶になった可能性もあります(単行本になった形では、ひとまず物語内容に沿って順序良く並んでいるようにも見えますが)。
6: 〈受像者〉……。
6: 親やきょうだいがいなくなってからはじめてみるようになったゆめが
6: この文章を書いている人がなんだかすごく孤独をあたりまえにしていて
6: そのあたりの手つきに、何だか悲しさともいいえぬような
6: なにかが……。
annaendo: 確かに一章一章で完結している風にも読めますね。
日居月諸: 章が変わった時の語り出しは、時間があっちこっちに飛びますね。エピソードが現在へと戻っていくにしたがい、年齢が出てきて、あぁ、やっぱり一応続いている んだ、とわかるけれど、それぞれの断章の冒頭を読んだ限りでは独立した断章を読んでいる感覚に陥る。
イコ: 後半が親の死に向かっていくので、ひとまず物語が展開しているようになっていますから、「ふつう」に前から読むことを、受け入れてるとは思うんですけどね。
イコ: 蚊帳や盆提灯、草の生えた道、庭など、さまざまなものにまつわる記憶が、それぞれの時間で描かれていますね。はじめはいちいち、これはいつのことだ? と確認しなければならないのですが、読者はここでとにかく立ち止まって、真剣に考えようとします。積極的に「読む」ことをうながす方法のひとつだと思います。
日居月諸: そもそもさまざまなものは、ことごとく消えているものですよね。意識にのぼることすらなく、記憶として回想して、ようやくその重要性がわかるというような、意識以前の(作中にある言葉をつかえば)「所有感」。
イコ: そうなんです、キーワードは所有感と、うしなわれたものだというところだと思います。
日居月諸: とくに庭が「家事がかり」に手入れされたせいで殺伐としたものになっていく草ごろし>。ここは作者の意図があまりにむき出しになっていて怨念を感じます。
イコ: ここに語られている「子」の人生はとにかく、「自分でえらべなかった感覚」と、えらべなかったことによって「うしなわれていくもの」にいろどられていると思うんです。
日居月諸: 抑制がきいていたというか、それまで読みづらい文章によって捉え難いものだったはずのものが、ここで意図が明確になっていく。
小野寺: みんなの言ってることに関連してるのかどうかは疑問ですが、気になった点は単行本の60ページ後半で、半だーすのきょうだいでそだった者は、庭だろうと親だろうとかかわりを維持するためには相応の努力、はた目にもわかるかたちの努力をしつづけなければいけないとおしえこまれてきた、とあるのですが、ちょうど自分の親世代の黒田さんの庶民感覚、人物はたくさん出てくるのだけれども記号化されてしまった感覚は、自分の親にも感じられます。そして「物質」に対する 執着もまた戦後のもの不足の影響からか、感じられます(草ごろし)
 イコ: <草ごろし>はおそろしい章ですね。怨念剥き出しです。
日居月諸: この怨念は、通常ならキズとなってもおかしくない。
イコ: ですが、小野寺さんのおっしゃることにも関連しますが、家事がかりの過去と独自の倫理が、ちらっと語られる唯一の箇所でもあります。
日居月諸: そう。しかも家事がかりを通して、社会的なものにまで拡張されていく。
イコ: ただの悪役になりかねない家事がかりを、ここでかろうじて、立体的にしていると思います。(それでも語り手の怨念はやまないのですが)。
日居月諸: 川上弘美が芥川賞の選評で「家事がかりにたいする親子の態度が無批判ではないか」と言っていたけれど、滅茶苦茶批判してますよね、抵抗はしていない一方で。
イコ: 批判していますね。それに抵抗できなかった人間たちを描くことで、かえって批判的な言い方になっている(もちろん、そう読めるというだけであって、黒田さんが、そう読め、と言っているわけではない)。
日居月諸: そもそも「家事がかり」は家に入りこんできた段階で、批判されています。家が生活をするためのスペースと化してしまって、切り詰まっていく。
イコ: はい、家事がかりは後半にも、「法的資格希望者」などと、おそろしく冷たい漢字表記をされます。
日居月諸: このあたり、単に固有化された記憶にとどまらない、人間一般(とまでいっていいかはわからないけど)に向けられた、冷徹な視線を感じます。この小説はひらがなの温かみに反して、実に冷酷すぎる。
イコ: のっけから、「おもいちがいをしている者」ですからね。>家事がかり
日居月諸: こうみてくるとひらがなを用いたのも、露骨なリアリズムを避けるための手法かと見えてくる。この小説に隠れている業は深いですよ。
イコ: 業といえば、この小説では家事がかりの領土侵犯が描かれながら、古くからある人と人の密接なコミュニケーションや風習、愛着のある道具が捨て去られていく。これは古いものへの愛惜と、現代文明批判がないまぜになった作品だと思います。
イコ: 「ひらがな」だって、その日本的な「古いものへの愛惜」に通じますし。
イコ: 「かよいじ」とか「まろぶ」とか、古典を意識した言葉もある。
日居月諸: となると、時折まぜこまれてくる堅苦しい漢字の単語は、現代文明の暗喩となってきますか
イコ: そう読めますね
イコ: 死に瀕した親がやたらと漢字を背負わされるのは家事がかり(死神=現代文明の具体化した存在)によって、すっかり侵犯されてしまったゆえとも思える。(子どもは自分が死神だと思っているけれども、それは作者の皮肉かと)
日居月諸: 小野寺さんのご指摘にもあった「a」と「b」のどちらにも属することができない、が透けて見えてきましたね
日居月諸: じゃあそろそろこの人にお出ましを願おうか……。
 
「個性」といえば決まって「豊かな」と応じてしまう日本語の慣習への侮りも隠そうとしない作品だった。「豊かな個性」とは、語義矛盾もはなはだしく、そんな言葉を間違っても口にしてはならぬ。「豊か」さからは思いきり遠いきわめつけの「貧しさ」こそが「個性」にほかならぬ。「abさんご」は、一行ごとにそういっているかに見える。作者の黒田夏子は、「きわめつけの貧しさ」だけで勝負する、優れて「個性」的な作家だといわねばなるまい。(早稲田文学新人賞選 評・蓮實重彦)

日居月諸: 失われたものたちと、決して同化できないものたちの間で書き続ける黒田さんの「個性」を、よく捉えた選評ですね。
イコ: 6さんのおっしゃる、固有の感覚、につながるかと思います。
日居月諸: おおよそ語りつくした感じでしょうか、皆様。まだ何かあれば、遠慮なくどうぞ。
イコ: まだ2つほど。片方は、まだ分析しきれておらず、片方は、推測があります。
イコ: 「者」に注目していくと、びっくりしたことがあったんです。
イコ: ほとんどの章が、たっぷり「者」を使っているのに対して、 <しるべ>と<やわらかい檻>はなぜか、ほぼ「者」がなかった。
イコ: なぜだろう!? って思ったのが一点。
イコ: もうひとつは、「者」の有効性について。
イコ: 自分は常々、一人称や二人称のもつ暴力性について、思いをはせていました。それで長編を一本書いたくらい。
イコ: 「わたし」と、自分のことを言うことで、誰かの考える「わたし」が、字面から立ち上がってしまう
イコ: 「おれ」といえば、かっこつけた感じ。「ぼく」といえば、ちょっとなよっとした感じ
イコ: ところがこの小説に、そうした読者のイメージに委ねるような人称はありません。 同じ人物が、「~~の者」「~~の者」と繰り返し、色んな言い方で書かれることで、その人がステロタイプに陥らず、読者の勝手なイメージから離れた、非常にゆたかな人間になっていくと思うのです。自分はそこが、とてもいいな、と思いました。
イコ: ありきたりな人称のレッテルを剥がされることで、固有の感じに近づいていく。6さんの言葉に近づけるなら、そういうことです。
6: そうですね。語りなおされることで、いちいちはじめての登場人物のように読むことができました。
日居月諸: 通常三人称を用いるだけで客観的な見方が保てるように思われていますが、「abさんご」の場合は語り手の視線が「~者」に加えられていきますね。一人称と三人称の間の、主観性と客観性の間の、ギリギリの視点が設けられている。
6: 〈やわらかい檻〉……ぼくも祖母の家に小学校の頃かえったころは、よく蚊帳をつってもらって、その非日常感にわくわくしました。そのような子供の頃のたわいないよろこびも、この章からは感じ取ることができた。
6: また蚊帳をつりたいな。
イコ: すてきな章でしたね。親子がもつれあって、脚をばたばたさせているところや、蚊が一匹入ってしまうのも遊びになってしまうところなんて、ほんとうによくうかんできて。
6: ええ、つまさきで天のかやをさわろうとしていたなんていうのは、情景がほとんど短い言葉でしか書かれていないのにどういう態勢かすぐわかる。
イコ: 蚊帳のまわりにおかれた家具たちに、小さな闇がうずくまっているところも、あああーーー、日本!日本!って、勝手に涙をこぼしそうになりました。陰影を書ける人なんだなって。
6: 主観性と客観性のぎりぎりというのは、たしかにそうですね。あやうい感じがこの小説からはいつもする。
6: なかなか「ゆいつ」とか「ゆきき」とかは書けないもの。
イコ: 主観というのは、作者の主観ですかね。
6: 見えない縛りによって、抑制されてしまっている。文法なんてつまらないものに……。
日居月諸: いや、語り手の視点(主観)に見事になりきっていると思います。
イコ: 語り手の主観ってことですか、ナルホド、子ですかね(語り手)
6: 関係と言うのはどこかにその関係をみている視点人物がいるので。
6: そういう主観性ですよね。
6: ぼくも、ちいさいころに大叔母さんたちを〈小さいおばさん〉〈タロウ(犬の名前)とこのおばさん〉とか言う名前でおしえてもらい、いまだに使っていますね。
日居月諸: 地元独特の呼び方ってありますよね。「八百屋」で通じたり、地名で通じたりする。
イコ: 視点人物の主観か、なるほど。その外側にきちんと作者が存在しえている。
6: でもそれが主観で終わらずに、一応の時間軸をもって描かれた小説の中でつかわれるから、ああ、あの人とこの人は同一人物ねというふうに客観性もまだ保たれてい ると言う……。ほんとうに読み飛ばすとかななめ読みとかがまったくできない。小説でしっかりと一語一語をつかんでいくことになる。

イコ: 読み飛ばすとか、ななめ読みするとか、そういう小説ではありませんね。字面だけ追って、ひらがなのやわらかさを楽しむことはできるかもしれませんが。
6: 漢字だと表意文字だからひとめで意味がわかってしまうけど、ひらがなは意味のきれめを読むという行為でしっかりとみつけていかないといけないから。
6: でも、カンマの位置とかはすごく考えられているとおもいます。
イコ: そうですね、絶妙でした。決して突き放されている感じはしないのです。「ほら、一文長いぞ!さあ読め!」みたいな、サディスティックな感じがしない。
イコ: 「じっくり読んでね。おねがいね」って、えがおのおばあちゃんにいわれているような。
6: そう、昨日の雑談に繋がるかもしれないけど、決して独りよがりな小説ではなく、いっけん読みにくい小説の中にしっかりとした世界がつくられていて、何だか熟練という感じがします。
annaendo: 笑顔のおばあちゃん、浮かんだ。
6: あんなさんとの読書会でも出たけど、この書き手はぜったいにドヤ顔をしていない……。
イコ: はいはい、そうですね!
6: 慣れた手つきで描いている。さもふつうのように。
イコ: 書いて、責任を読者に押しつけるような感じがしません。
イコ: 慣れてますよね、ものすごく。でも、一文一文はものすごく、考えこまれていると思う。
annaendo: 意図的にやっていないからでしょうね。
6: でもサディスティックな感じはときどき受けるかな……。
イコ: あ、受けましたかw
6: 鎌があればふりおろしますよ、みたいな怖さはあったかも。
イコ: 自分はもう、えがおのおばあちゃんと対話してる気分で……ただただ多幸感……
annaendo: 自信みたいなものは、すごい感じましたね。
 イコ: ばあちゃん、えがおのうらで鎌もってたのか、こえー
annaendo: こえー
日居月諸: 自足も感じますね。自分の創り上げた世界だけで事足りている。それが独りよがりにならないんだから凄いものです。
イコ: 山田詠美だったかな、自意識がクサいって選評で言ったの。
日居月諸: 「トッポイ」でしたねw
イコ: そうそうトッポいwww
イコ: はじめは自分も、クサそうな小説だと思ったんですけどね……w
6: 変な話をするけど、一個人的な感覚として蓮實重彦の文章は逡巡することを愉しんでいるけど、黒田さんの文章は逡巡しながらもしっかりと目的地をみさだめていて決して? 蝋燭をにぎられている方じゃなくて、蝋燭をにぎりながら「待たせて」いるような気がする。
日居月諸: (「家事がかり」をクソミソに罵倒する描写は蓮實節を思わせるものがあったな)
イコ: 鹿島田さんもそうだったけど、けっこうちかごろの文学作品には、敵っぽい人が出るなぁ……
6: 敵っぽいっていうのは?
イコ: 「家事がかり」のように親子を引き離す方向に動いたり、鹿島田さんの作品(冥土めぐり)でいえば弟みたいな、主人公にとって障害として意識される人物のことです。
6: なるほど……やなやつがでてくる小説と言うのは魅力的です。
イコ: かれらはもちろん独自の倫理感や論理があって、動いているんですけどね。語り手は、そこまで内側に入り込んでやらないんですよ。だから、敵っぽく見えるんです。
日居月諸: 内側に入りこんでいくとフォークナーにおけるサトペンや、ドストエフスキーにおけるスヴィドリガイロフが出来上がるんだろうけど。
イコ: そうですね、とくに外から見ている人物の、主観がまじってますからね、今回の作品は。なのであやうい、というのは分かりますねえ。
イコ: 家事がかりがかわいそうだなって、思わなくもないですw
日居月諸: あえて(上から目線で)課題を上げるなら、語り手と敵との境界を明確に設けているゆえに、単純な構図になりかねない、といったところですか。
イコ: そうですね、まあこれくらい単純じゃないと、まずしかけに気づいてもらえないっていうのはあるかもしれませんね。
日居月諸: 課題と言ったけれど黒田さんはあと何作くらい書いてくださるんだろうか……森敦は「月山」を出してからも傑作を出しまくったけど。
イコ: 10年に1作とおっしゃっていましたからね。むしろ今まで書かれてきたのを次々に出版していただきたいですねw
6: そうですね。
6: るいせいたいめいじゃく、このまえアマゾンで8000円ぐらいしていました。
イコ: るいせいたいめいじゃく、小説なんですね。さいきんしりました。
6: (累成体明寂こう言う字だったかな)
イコ: 自分が見たときは、もっと安かったw>るいせいたい
annaendo: 毬読まれた方いますか?
イコ: 「毬」「タミエの花」「虹」のタミエ3部作、最高でした。あんなさん読まれたんですか。
annaendo: 単行本買うか迷う。図書館ではしばらく貸し出し中が続きそうだし……
イコ: 25、6歳の黒田さんは、すでにやばかったです。とくにタミエの花が……
annaendo: ほぅ……
イコ: とりあえず、ひらがなじゃなくて、漢字が多いです。
annaendo: そうなんだ……
イコ: なんか難しい漢字をいっぱい使っています。
イコ: 志賀直哉とか、そのへんの、近代文学の短編読んでる気分でした。
annaendo: 気になる!! ひらがなありきじゃない、っていうのが証明されてるんですね。
イコ: そうですね。とにかく字面へのこだわりはものすごいと思います。
6: 文章が、すでにめちゃ上手いですね。
イコ: なんでそこに漢字使うの? って言ったら、えがおで答えてくれそうです。
annaendo: えがおw
イコ: めちゃ上手いです。同人誌でああいう作品をひとつでも見つけたら、目がハートです。
annaendo: 若い時にそれだけの完成度ってすごいですね。
イコ: ですねえ……
annaendo: 才能……
イコ: 才能はもちろんありますが、小説書くために仕事を決めたりする人ですからね。やっぱり相当の努力もあったんでしょうね。
annaendo: そうですよね、ひたすら努力ですね。最近書けないので愚痴ってしまいました、すみません。

イコ: 黒田さんの見てから、自分の読むと、ハァッてなりますよw
イコ: 一文一文、丁寧にやらにゃいけんなぁと思います。
annaendo: 純度がすごいですよね、もちろんそういう書き方だからですけど。
イコ: ええ、余計なものがなくて、おしたりひいたりできない、必然性のある文章だと思います。
日居月諸: ひとまず、一通り語り終えた感じでしょうか
イコ: たくさん語らせていただき、ありがとうございました。
6: ありがとうございました。
日居月諸: 非常に充実した読書会だったと思います。それではこれにて、芥川賞読書会を閉会と致します
annaendo: お疲れ様です。
日居月諸: 皆さん、お疲れさまでした。
イコ: おつかれさまでした!
うさぎ: お疲れさまでした。