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読書会 澤西祐典「フラミンゴの村」

 

 

 

 

 

 

 

 

澤西祐典「フラミンゴの村」

(「すばる」2011年11月号初出)

 

イコ: 女たちはフラミンゴに変身したようだ

イコ: これおもろかった?

F.Hilbert: 最近「変身」に縁がアルナァ。面白かったですよー。だけどもなんとなく展開で押し切ってる感じがして、次回作はどうだか……ってのが正直な感想ですな。

イコ: たしかになー

イコ: めくるめく展開でぎりぎり読ませるんだよな

F.Hilbert: うん、かなりの勢いは感じたけど、それが売りなのかなぁ……と。

イコ: 物語って感じだよね

F.Hilbert: そんな感じでした。

イコ: 読ませるんだけど、ともすれば荒唐無稽の、文学じゃないものに変わってしまいそうな危険も感じたな

F.Hilbert: もうちょっとギリギリの状態の人間を書いて欲しかったとも思う。なんとなく薄かった。軽い読み物、って感じだったなぁ。

イコ: だったなあ。この作者、自分でハードルをあげすぎたんじゃないかね

F.Hilbert: というのは?

イコ: ベルギーの1900年代初頭という設定

イコ: 女がフラミンゴに変わるという設定

イコ: さらに宗教を絡めている

F.Hilbert: ふむふむ。確かに。

F.Hilbert: 別に舞台はベルギーである必要はないように思った(ってかベルギーと設定した理由が見えない)

イコ: そうそう! ずーーっと考えてるんだ。なんでベルギーなの?

F.Hilbert: ベルギー感ない。

イコ: ベルギーに旅行にいった身としては納得いかないんだよ。あの、肌に触れたベルギー感が、どこにもないんだよ・・・

F.Hilbert: この作者はベルギーに行ってないのかな?(作品以外の情報は一切みてないのでわからんのですが)やっぱりリョサも言ってたけど「経験」が深化して小説はできるのだと思うのです。

イコ: うん

F.Hilbert: やっぱ経験はでかいですよね。ベルギーに行ったとか羨ましい。

イコ: たとえ行っていたとしても1900年代を想像するのは難しかったんだろうなあ。

F.Hilbert: あぁ、そうか。

イコ: 羨ましい? ツアーで組めば、他の国と同じ値段でいけるのです。

F.Hilbert: ツアーはあんまり趣味じゃないなぁ(汗)

イコ: まあなかなか行かないだろうけどねw フランツなら語学力生かして、行けるはず。

F.Hilbert: 1900年代のヨーロッパの田舎全般って感じの書き方だった、そこが惜しい<フラミンゴ

イコ: そうねえ

F.Hilbert: そうすれば自然とキリスト教もでてくるわけだし。

イコ: でもヨーロッパって、もっと複雑だと思うんだよ

イコ: なにしろカトリックとプロテスタントに分かれている

F.Hilbert: それに国境も接してるしなぁ。

イコ: ベルギーはカトリックな国で、わりと食事も豪華だったりするんだけど、フラミンゴの村は、そういう生活風景が、ほとーんど描かれないんだよな

F.Hilbert: なかったな。だからベルギー感がでない。

イコ: そうそう。たぶんこの作者にとって、ベルギーはオランダでもよかったんじゃないか。

イコ: オランダは新教の国で、まったく違うんだけどね

F.Hilbert: たぶん冒頭のベルギーに深い意味はないと思うな、作者的にも。

イコ: 物語っていうのは、嘘ついてもぜんぜんオッケーだと思うし、それをハッタリで信じこませりゃ勝ち、ってとこあるけど、この話は、どうにもベルギーってのが、嘘が透けすぎてて。たとえば日本のクソ田舎を描写した方が、説得力は出ると思う。

F.Hilbert: 日本家屋にフラミンゴか、そりゃいいなw

イコ: でも、ベルギーってした方が、興味そそるかな?

F.Hilbert: インパクトはベルギーのほうがあるかもしれない。あとは「遠くのある場所について聞いた話なんだけど~」っていう書き方をするなら、日本にするよりはベルギーだろうなぁ。

イコ: うん、この書き方ね・・・

イコ: 手記から想像膨らませてるって設定なんだよね

F.Hilbert: そうですね。そう考えれば日常が描かれていないという点もまぁ、一応説明はつくと思うんだけど、それゆえに説得力がない

イコ: はじめから嘘くさいんだな

F.Hilbert: もしかしたら、手記からの「想像」は間違っているかもしれない、とか考え始めてしまう。でもそこを疑ったら小説としてかなり微妙に……。

イコ: たしかに。まあこの話を疑うか信じるかは別として、もっと書かれている事象の中身について考えてみようって話なんだろうね

イコ: そもそもふつうに考えれば、フラミンゴなんぞに、なりゃしないわけだから、それ疑っちゃ始まらないんだよな、たぶん

F.Hilbert: そうだな。それ疑うとベルギーの裏組織ださないといかんくなるしな<エンタメ化w

イコ: w

イコ: フラミンゴを、何らかのメタファーとして読みとることはできると思う

F.Hilbert: ふむ

イコ: 女のフラミンゴ化、というのを、奇病の暗喩、と考えることもできる

F.Hilbert: そういう読み方はしなかったな

イコ: 医学の発達していなかった当時の寒村では、そのように、村が災厄に見舞われ、翻弄されることというのは、大いにありえたことだろう

イコ: これは現代を舞台にするより、ずっと説得力をもつんじゃないかなあ

F.Hilbert: あぁ、説明のつかない事象は現代よりも昔にしたほうが説得力は出るなー。

イコ: うん

F.Hilbert: 俺的には「村社会の閉塞性」を描きたかったのかな、と思った。

イコ: つながってくると思うよ

イコ: そういう「刺激」を受けて、コミュニティがどういう対応をするか

イコ: ただ病気だと、ちょっと文学的に、深刻になりすぎるというか、おかしみが出にくいかもしれない。だから極彩色の謎めいた鳥を使ったんじゃないかな。

F.Hilbert: そうだな。フラミンゴのほうが病気よりもずっとインパクトはある。フラミンゴの描写は綺麗だったしな。

イコ: だね。あんまり読者に、深入りさせたくなかったのかも

イコ: 病気だと、読者は身近な生活に引きつけて、のめりこんで読むこともあるからなあ

F.Hilbert: 「フラミンゴ」にすることで、現実との距離が保てるわけか。

イコ: そうそう。読者をすこーし遠ざけて、「村社会」に目を向けさせたのでは。

F.Hilbert: 「村」を描く前に「個人」を描いてたわけだけど、そこは面白かったと思う。「個人」→「村」という広がり。

イコ: あ、それはいいと思った。アダムス氏が主人公かと思ったよ最初。

イコ: アダムス氏が、妻と姦淫してたのが、秘密にされてたのも面白かった

F.Hilbert: うん、沈黙の使い方というか、隠す所、証言の信憑性なんかは面白かったな

イコ: んで最後、みんなフラミンゴと姦淫してるってのが、「あー、やっちまったなあ」と苦笑いした反面w、読者を煙に巻く感じで、またインパクト大だなぁとw

F.Hilbert: 煙に巻かれた感じはしたしたw

イコ: 読者の興味を持続させる方法を、とにかく練ってるよなあ

F.Hilbert: かなりサラサラ読めた作品だった。ここ数日にないくらいw

イコ: 読めるねえw

F.Hilbert: それに比べて「楽器」(注:第43回新潮新人賞受賞作)は手間取ったなw

イコ: そうなんだ

F.Hilbert: あれはイメージが途中で途切れてしまい、なかなか入り込めないように作られているように思う。

イコ: また、かなり意図的な作りのようだね

F.Hilbert: かなりの意図があると思う。やっぱり人称意識するとこうなるか、って感じだったなぁ。俺はやりたくないと思ったけどw

F.Hilbert: フラミンゴは一章一章が短いのも読者への配慮かな、と思う。とにかくつるつる読めるようにっていう配慮。

イコ: たしかに章がきれてると、楽。「楽器」が、いくら凝ってても、つまんないかもしれないオーラが出てることは否めないな・・・

イコ: 小説が単なる学問の論文にならないようにしてほしいというのは、どこか持ち続けている願いである。

F.Hilbert: うむ。それはある。やっぱりフィクションとしての可能性みたいなのは常に感じている。

イコ: なんだろなあw それって、物語を読ませろってこととも、少し違うんだよね

イコ: フラミンゴの村は、たしかにおもしろかったけど、もうここまであざとくないといけないのかっていうと、決してそうじゃないと思うし。

イコ: おれが書いたら、フラミンゴの村はまったく別の作品になってる

イコ: 土の手触り、フラミンゴの肉の手ごたえ、人間同士の緊張感、関係性のうつりかわりを、物語のいきおいから外れたところで書きつくそうとするだろうな

F.Hilbert: わかる。もっと人間を書きたいなー。それを書くことで「村」がより一層際立ってくると思う

イコ: 人間を書きたい、そうなんだよね。助祭を殺すにしても、殺す描写を念入りにやるだろう

F.Hilbert: あっけなかったなぁ<助祭

イコ: あっけなかった

イコ: アニメやドラマの、ブラックアウトのような。なんとなし、お決まりに流されてるんだよね。

F.Hilbert: 葛藤とか心理的な描写はなかったな。殺し方を凝れとかそういうわけじゃなく、もっと「人一人を殺す」ということを考えたかったな。

イコ: だね。

F.Hilbert: 司祭もさりげなく死んでるけど、たぶん助祭殺しが軽かったせいで、司祭の死も軽かった。

イコ: キリスト教のイメージって、どうなんだろ、この作品

イコ: カトリックの人たちって、ほんとうにこんな感じなのかな

F.Hilbert: 司祭が言っていることはごく当たり前のことで、やっぱり薄いと思った。せっかくキリスト教を出すんだったら、キリスト教美術で使われるような場面モチーフを混ぜてほしかったところ<むちゃぶり?

イコ: はー、ごく当たり前なのか・・・。キリスト教を深く知っている人からすれば、この二人の役回りも、なんだかなあ、って感じなんじゃないかな・・・

イコ: 散々なんだかんだして、殺されちゃうっていう・・・

F.Hilbert: うん。「神は克服できない試練は与えない」とか司祭が言っちゃうあたりがなんとも薄かった。たぶん、キリスト教徒の生活を考えれば言わずともみんな知ってることなんだと思う。

F.Hilbert: 例えば作中に「イサクの犠牲」なんかを放り込むと、ものすごく重くなって面白かったと思う。(イサクの犠牲=アブラハムが一人息子のイサク君を神にささげろって言われて殺そうとする話)

イコ: なるほど! 聖書の内容を重ね合わせるってのは、すごくいい。「罪と罰」なんかでも使われてるけど、話に深みが出る。

F.Hilbert: 実はフランダースの犬もこういう技法を使っているっぽいw

F.Hilbert: 映画のほうだったかなぁ。

イコ: ふむふむ・・・。フランダースの犬って、最後の教会はベルギーのアントワープなんだよね。

F.Hilbert: フランダースの犬は小説版と映画版で主人公の性格がだいぶ違うので必見です(余談ですがw)

イコ: w

F.Hilbert: ネロ「成功するか、死ぬかなのだよ、!アロア!」←小説版

イコ: やけに熱いな・・・

F.Hilbert: やけに重いのです(苦笑)

イコ: フランダースの犬じゃなくて、約9ダースのわんちゃんが出てくるディズニー映画なら見たけどね

F.Hilbert: 約9ダースw