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ガルシア=マルケス『百年の孤独』

・第15回読書会 ガルシア=マルケス「百年の孤独」

日時:2014年10月19日(日)20:00~22:30(約2時間半)

ホスト:6

参加者:あき、イコ、小野寺、安部、あんな、深街、る、日居


: こんばんは。

イコ: こんばんは。

日居月諸: こんばんは。

る(shiroyama: (ちょっと遅れます)

Akila: (友人と一緒にいるので参加できませんがROMってます)

ふかまち: こんばんは。

: 便利なサイト http://members.jcom.home.ne.jp/macondo/index.html

マコンドの戸籍簿がすごいです。あの人も参加表明していたのに追加されていないなって人とかいませんか。

ふかまち: 小野寺さんも追加してほしいです。なんとなく。

: 小野寺さん 『百年の孤独』読書会です。よろしければ参加ください。

ふかまち: それとあやさんも参加しようかなって言ってたかもしれません。

: あやさん、前に個人的に不参加と聞いていましたがよろしければROMだけでもどうぞ。

さてそれでは始めたいと思います。壮大な小説で非常に語りにくいだけに気がまえてしまいますがテケトウに思ったことを言い合うだけでもいいと思っています。お気楽な感じでお話しください。どなたか感想を述べてもらってもいいですか。どんなことでもいいです。それを口火にしていろいろ話していっちゃおうと思います。だれもないようでしたら僕から語ります。

イコ: ばあさんが強いです。

: ウルスラですか。

イコ: ピラル・テルネラも。

: はいはい。

: イコさんは前に女が強い物語とおっしゃっていました。それについて語ってもらってもいいですか。

イコ: 語るようなことはないんですけど、男たちが憧れで生きてるのに対して、女たちはけっこう地に足のついた生き方をしている。逆に地に足のつかないタイプの女は昇天してしまい、絶対不可侵の存在となる。

: 小町娘レメディオスの昇天のシーンはすごかったですね。

イコ: あのシーンは何度も読み返したいです。「小町娘」っていう訳され方もおもしろくて、原文だとどんなニュアンスなんだろうって想像しました笑

: あれってレメディオス・バロ表紙版では何ページぐらいでしたっけ?さがしてるがみつからない……。

annaendo: (今日でがんばって読もうと思って持って出たら職場に忘れてきた…)

: それは残念。あんなさんはどこまで読まれましたか?

annaendo: 300ページちょっとでした泣 延期になったのに終わらずすごい申し訳なし。

日居月諸: 全小説版だと279ページです>昇天の話。

: マウリシオ・バビロニア登場あたりですね>あんなさん 日居さん、ありがとうございます!

: 日居さんは昇天のシーンはどうでしたか?ぐっときましたか。

日居月諸: まあ、そこそこには。

: なるほど。

イコ: 『「いいえ、その反対よ。こんなに気分がいいのは初めて」

 彼女がそう言ったとたんに、フェルナンダは、光をはらんだ弱々しい風がその手からシーツを奪って、いっぱいにひろげるのを見た。自分のペチコートのレース飾りが妖しく震えるのを感じたアマランタが、よろけまいとして懸命にシーツにしがみついた瞬間である。小町娘のレメディオスの体がふわりと宙に浮いた。ほとんど視力を失っていたが、ウルスラひとりが落ち着いていて、この防ぎようのない風の本性を見きわめ、シーツを光の手にゆだねた。目まぐるしくはばたくシーツにつつまれながら、別れの手を振っている小町娘のレメディオスの姿が見えた。彼女はシーツに抱かれて舞いあがり、黄金虫やダリヤの花のただよう風を見捨て、午後の四時も終わろうとする風のなかを抜けて、もっとも高く飛ぶことのできる記憶の鳥でさえ追っていけないはるかな高みへ、永遠に姿を消した。』(全小説版279-280頁)

イコ: 3人の女が彼女の昇天をそれぞれの形で見守るんですね。

: レメディオス・バロ版だとP253です。入力感謝です。

イコ: ここは作者が軽やかで詩的な雰囲気を出そうとしてかなり苦心した場面だと思います。

日居月諸: 私としてはこの辺はもう出涸らしを飲んでいる感じで読んでいたので、すごいけど、それこそ小説の中から浮き立っているような感じを受けたんですよね。全体の流れに寄与しない

日居月諸: そこそこに、っていうのはそういうことで

: 個人的に小説において光の描写というのは気になる素材なのですが、この光の使い方は神秘的でいいですね。今回デビュー小説『落葉』も読んだのですが、その最後に出てくる棺桶が部屋の中に入ってくるシーンとも微妙に重なりました。

イコ: 時間の容赦ない流れが描かれていくこの作品で、この場面に「永遠」という言葉が使われたのは、重要なことだと思いました。日居さんのおっしゃる通り、自分もずいぶん他の場面に比べて浮きたっているように感じるのですが、百年の圧倒的な時間の流れの中に、ひとりこういう「絶対者」の存在が、浮足立った文章によって描かれることには意味があるんじゃないかと思いました。

: 浮足立った存在でもありましたね。小町娘は……。

ふかまち: フェルナンダの小町娘への激しい羨望に悩まされてシーツだけは返してほしいという願望がフェルナンダはどこまでもフェルナンダで、地に足がついてるというかなんというか。

イコ: そうですね、6さん。光の使い方がとても神秘的でした……。寝しなに音読して、暗い寝室に光が氾濫するようで、うっとりしました。

イコ:ふかまち: <<< フェルナンダの小町娘への激しい羨望に悩まされてシーツだけは返してほしいという願望がフェルナンダはどこまでもフェルナンダで、地に足がついてるというかなんというか。……これ、たしかに!

: 現実的なフェルナンダと女王に選出されて虚構めいた存在としての小町娘レメディオス!

日居月諸: 地に足がついているというかね、ほんとフェルナンダって昔ながらの女房なんだって感じがするんですよ。ウルスラにしても。家ありきなんですよね、彼女たちは。

: 教育ママ的でもありましたね。

日居月諸: たぶんファザコンだからなんですよ。父の価値観を念頭に生活を続けてる。

: じゃあ……このままマコンドの男と女。登場人物たちについて語らいましょう!

: 思ったことをどんどんどうぞ。

日居月諸: 前回言ったんだけど、この小説って女は対立するんですけど、男は対立しないんですよね。ピエトロ・クレスピっていうイタリア人がいたでしょう。彼が二代目のホセ・アルカディオにレベーカと寝取られるんですけど、泣き寝入りする。また、ガストンっていう飛行機に情熱を燃やすアマランタの夫がいて、これもアウレリャノに寝取られたら、あっさりと手を引いちゃう。

日居月諸: そのへん、すごく不思議なんですよね。ペトラ・コテスを巡って四代目のセグンド兄弟も争わないで手を取り合っちゃう。

: 男たちはどちらかというと友情が描かれていますね。初代ホセ・アルカディオ・ブエンディアとプルデンシラ・アギラルの対立はしたものの死者になって友情が芽生えた。

日居月諸: そうそう、唯一といってもいい男同士の対立が起こったら、一方は生まれ故郷を捨ててしまうっていうのもなんか仕組まれてる感じがするんです。

: でもプルデンシラ・アギラルは熱烈に後をおって低地を巡り歩くことにもなる。

日居月諸: あと、他所からやってきた男は繁殖に寄与しないんですよね。他所からやってきた女だけが、繁殖に寄与する。ピエトロ・クレスピ、ガストン、ヘリネルド・マルケス、みんな子供を残さずにブエンディア家を離れていく。マウリシオ・バビロニアだけが子供を残すけれど、アウレリャノは結局、滅亡させちゃうでしょう。

イコ: ヘリネルド・マルケス大佐とアウレリャノ・ブエンディア大佐も友情と、裏返しの対立によって結びつけられていたように思う。

日居月諸: 一方で他所からやってきた女は、町長の娘のレメディオスだけを除けばブエンディア家の系譜を継続させることに寄与し続けます。

: そうですね。女は冷静に家や家系図のことを把握しているようなんだけどそこに男のあこがれや夢なんかが入ってきて近親相姦などでめちゃめちゃになってしまうようにもなる。でもそれが新たな家系図の線をひくことにもなって、そのことに後世の女たちが気にとめる様子もないように見える。誰の子であろうとも母になろうと頑張っているように見える。アマランタとか。

日居月諸: ただ、一方でもう一つ奇妙なことがあって、ブエンディア家の実娘は繁殖に寄与しないんですよ。アマランタ、小町娘は子供を産まないし、レメータ・レメディオス、アマランタ・ウルスラは産んでも一族を滅亡させる子供しか生まない

: ウルスラは外部のものもどんどん「家族と同じように接した」。接しすぎじゃないかって思うぐらいこの肝っ玉母さんはでかい器を持っている。

ふかまち: どうしてブエンディア家の女は繁殖に寄与しない仕組みになってるんだろう。

: そうですね。実娘たちは家系図の線をひかずにサポートにまわっているイメージが。

イコ: アマランタは執拗に恋人の誘いを斥けますね。なぜ? と思うくらい執拗に。

: いいところまでいくとアマランタは避けますね。

イコ: そうそう、なんでやねん、とツッコミを入れたくなる。

日居月諸: 人類学の話をすると、「女の交換」って概念があるんです。人間社会は、女を交換することで他所のコミュティとつながりを持つ、と言う話なんですが、『百年の孤独』ってそれを結構、踏襲してるんですよね。そもそもなんで女を交換して男を交換しないのか。女には再生産の価値があるからです。で、これを『百年の孤独』に当てはめていくと、他所からきた女は再生産できるから系譜を継続させることが出来る。男は継続できない。そして、身内の女はどのみち他所にいくか、近親相姦ができないから、一族の繁殖には寄与しない。そもそも人類学の概念って現地取材によって成り立っているから、ガルシア=マルケスが「女の交換」を知らなくても、実感としてわかっていた可能性はあるんですよね。他所の男は産まない、他所の女は産む、みたいな感じで。

: ブエンディア家の男も女も生きるための哲学みたいなものを独自に持っていて、誰からの干渉も結局受けずに死を遂げることが多い気がする。そのために孤独を纏うことにもなるし人知れず死ぬことにもなるんだけどそれを運命として受け入れることを厭ってはいないようだ。

イコ: 独自の生き方、というのは自分も感じました。でも結局は、「家」や「土地」や「血筋」というものにどうしようもなく絡め取られていて、独自の生き方をしようとしても最終的にはその束縛を免れない。ひとりひとりの実存を追っていきながら、俯瞰的に眺めることも要請される小説なんだと思いました。

ふかまち: アマランタが近親相姦で悩んだところがありましたよね、でもとどまった。アマランタウルスラはそれをしてしまったから、途絶える運命みたいなのをつるっとたどったのかな。

日居月諸: 一族を覆っているシステムめいたものを取り出してみると、豚のしっぽが生まれた時に百年の中で愛によって生を授かった者、という叙述がなされたのは納得できるんですよ。要するに、システムにからめとられていない純粋な愛、っていうことですから

: そういえばその記述ありましたね。確かにシステムから逃れたというのは、あれだけだったのか。

日居月諸: ちなみに「女の交換」と近親相姦の禁止はセットなんです。近親相姦を禁止しないと、身内の女で満足しちゃうから。

: 割と叔母さんに惚れるというのが何回かありましたよね。育ての親のような母のような存在と恋仲になりたい男。

日居月諸: そう考えると、『百年の孤独』って国家や共同体に対する皮肉なんじゃないかな、って今のところは思っています。あれこれとシステムを考えても、結局滅亡しちゃうよ、っていう意味で。

日居月諸: 6さんが貼ったサイトにある、作家たちのマルケス評を読んでいるんですけど、村上春樹のコメントがめちゃくちゃ明察してて驚きました

日居月諸: でも僕は、マルケスの『百年の孤独』はどっちかというと都市の小説ではないかという気がします。

               *

「何もないところから突然できちゃって、それがなにかのかげんでなくなっちゃうわけでしょう。あれは一種の土俗的な都市というよりは、それを捨てた都市の話で、最後はその土地にのみ込まれちゃうけと、その意味では一つの都市小説ではないかなという気がしたんですけど」

「仕事の現場から」中上健次との対談

イコ: 年代を特定させないところも、そういう皮肉的な効果を高めている気がする。

日居月諸: 都市っていうのは伝統がないから自分で伝統を生み出さなきゃいけないわけです。けれど、出来合いのものに過ぎないから、いずれは破れ目が出来て、破綻してしまう。

日居月諸: ウルスラやピラル・テルネラといった、近親相姦を固く禁じた始祖たちがいなくなった時、滅亡が訪れる、っていうのは示唆的ですよね。

日居月諸: 彼女たちは弱い弱い伝統を長生きすることで守ってきたけれど、彼女たちがいなくなってしまえば、おしまい、っていうのがなんともね。

: 古代サンスクリット語で予言されてしまうような今も昔も変わらないことという意味なのかもしれませんね。。

日居月諸: ただ、こう考えていくと初めにおっしゃっていた、女の強さが仕組まれたものだった、とも感じられるんです。男たちがだらしないのも、共同体を存続させるための詭計といった感じがしますね。全小説版の解説で、梨木香歩が、ガルシア=マルケスにだまされてはいけない、と言っているんですけど、解説でウルスラやピラル・テルネラを称揚する彼女も、その点では騙されちゃってると思います

イコ:<<< 彼女たちは弱い弱い伝統を長生きすることで守ってきたけれど、彼女たちがいなくなってしまえば、おしまい、っていうのがなんともね。

……なるほど、と思いました。ウルスラの意識が明晰になると、植物は刈り取られ、マコンドは息を吹き返す。ウルスラが眠りに落ちると、マコンドは都市機能を麻痺させていく。ウルスラは都市を都市としてぎりぎり繋ぎとめる、重要な存在なんでしょうね。

: 母なるものの偉大さというか。ウルスラは暴君アルカディオを退治して、一時、村の長にまでなり政策の禁止などをしてしまうのもすげぇなと思いました。

イコ: 父親は機能しなくなり、母親はいつまでも機能し続ける、これはマルケスの女性観によるところもあるんでしょうか。

日居月諸: 母なるものの偉大さが、実は男によって作り出されてるんじゃないか、っていうのがガルシア=マルケスの着眼点じゃないかと思います。

: なるほど。男が好き勝手するためには共同体は必要だからということか……。

日居月諸: アウレリャノ・ブエンディア大佐がゲリラ戦に明け暮れているときもなおマコンドだけは残って、大佐が負けても終の棲家は残っている、みたいなね。

日居月諸: だらしない男と腕っ節の強い女っていうのはステレオタイプなわけですけれど、そういう間柄のほうが実は男としては働きやすいですよね。気兼ねなく発明もできる、旅もできる、戦争もできる。なぜなら失敗しても家はちゃんと残っているから。

: この話をしていて、この小説が順序立てた時間の経過を描いているのにもかかわらず、複数的な時間の流れを感じるのはそうした直系の否定みたいなものが随所に宿っていて、ひげ根のような家系図が生まれていくことにより、一本の線のような時間が解体されて、複数的な時間の流れが感じられるのかもしれないと思いました。これは記述面においても、一筋の時間の焦点化はいずれ終わり、また新たな横線へ移動し続けることにも通じている気がしました。

日居月諸: 何かしらのものを抑圧しながら系譜は続くんですけど、抑圧したものは基本的に深層心理の中に残って、ひょんなことから現実へと投影されてしまうんです。だから、似たような人物が現れてしまう

: 「作品のリゾーム性ということで言えば、ガルシア・マルケスはプルーストよりももっとひどくて、同じ名前の人間が何度も出でくる。二度目に読むときに表や系図をつくってやっと少しはわかるというものです。だけど、あれはわからなくてもよいような物語です。言ってみれば、村のおばあさんが昔話をしていて、「茂久衛門さんが」と言うのだけれど、しばらくしてまた出てくる茂久衛門さんはさっきの茂久衛門さんではなく、三代目の茂久衛門さんだったというような文章です。あれも時間がぐちゃぐちゃになっています。そういう意味では、時間の流れというもの、いわばモダンな、順序立った時間の流れというのを解体しているのです。」

『ゆきあたりばったり文学講義』

: これは森敦です。まちがった。森毅です。

日居月諸: どっちも言いそうだな

: たしかに。

イコ: ↑の引用、分かりやすいですね。しかし前半は銃殺隊のことが何度も出たりと、けっこう時間を先出しして重層的にしているのに対して、後半は、素直な流れでしたね。

日居月諸: アウレリャノ大佐が負けてからは如実ですね。大佐は父親の夢も背負って戦ってましたけれど、ホセ・アルカディオ・セグンドのストライキになると、それが途絶される。

ちなみにあのバナナ会社のストライキってコロンビアで実際にあった事件なんですね。知らなかったです。

: そうなんだ……。コロンビアのガルシア=マルケスと同時代の人たちは読むと苦い顔をしながらも誰もが経験したようなことが書かれていて懐かしがるらしいですね。

イコ: 歴史的背景を知ると、さらにおもしろいんでしょうね。

日居月諸: 話変わるんですけど、この小説って同性愛はないですよね?

: 海賊の時代から飛行機の時代まで描いているからなぁ。そういう匂いがあっても、如実に現れるところはなかったのかも。同性間では友情でしたね。

日居月諸: 近親相姦、一夫多妻、売春、性に関してはなんでもござれなのに、それだけがなかったんで、そこも不思議でした。強いて言えば、法王見習いのホセ・アルカディオと、甥アウレリャノ・バビロニアが近い関係にあるんですけど。「深く彼を愛するようになっていた」って、奇形児を産んだ時の叙述を鑑みると、結構スレスレの線を攻めていると思います。

: やっぱり僕はホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラの二人が好きかなぁ。暴君アルカディオが恐怖政治を取り始めたときだったかな。荒廃していく町のなかでウルスラが雨の中ラテン語をぶつぶつ呟くことしかしない旦那のもとへ相談ともつかない逢瀬をする場面がなんとなくほろっと来た。同性愛とかは書かれていたころには結構、社会的な解放運動とかあったころだったと思うけどあくまでの古い慣習の中を描いていたからそういう同性愛という形そのものがまだ意識化されていなかったのかな。

日居月諸: 多分意識してあえて禁忌として設定したんじゃないかとおもいますけどね、ガルシア=マルケスは。さっきの話の繰り返しになるけど、同性愛は繁殖しないから。共同体を維持するためにはつまずきになるから。

: 過剰な男性性と女性性を書き分けたいところもあったかもしれないから、そういったものの速度を落としたくなかったのかもということも考えられるね。

日居月諸: でも速度が落ち始めると、男性性と女性性の区分けするための力が共同体から失われていくと、ホセ・アルカディオとアウレリャノ・バビロニアみたいな関係が出てくる。

セグンド兄弟がペトラ・コテスの穴兄弟になって性病にかかり、それを治すための手立てを教え合うシーンがあるんですけど、そこもちょっと同性愛のにおいがあるんですよね。でも、結局そのシーンを二人はそれを成熟のための飛び石にし、お互いの男性性を強めていく。

ここはまだ共同体の区分けする力が強かった頃ですね。あと穴兄弟っていう点で初めの兄弟もピラル・テルネラを、踏み台にする形で大人になっていきますね。そこらへん、ちょっとホモソーシャルっぽいです。

: 男性同士の憧れ・友情というのは時に過剰な感じで描かれるときもありましたね。

日居月諸: でも同性愛には結びつかない。ホモソーシャルの特徴は同性愛を禁じるところにあるんですけど、なぜかって言えばそうしないと女を媒介にできないんです。ホモソーシャルは女を抑圧して男の権力を保つシステムなんで。その辺も結構、ガルシア=マルケスは皮肉として書いてると思います。

: あんまり発言されていない方は何かないでしょうか。うずうずしていたらどうぞ!るさん、どうですか?いないかな。もちろん、ほかの方も何かあればROMの方もここだけは言いたい!みたいなものがあれば……。ほかの話題もなんでも。

る(shiroyama: さっき都市小説の話がでたけど既存の都市を舐めるように叙述する20世紀の都市小説のスタイルというのはもちろん踏襲していると思うのですが、マルケスはもう一歩踏み込んで、それが架空の場所だったら? という問題に取り組んでいるように思えました。それで、そういう小説がどんなものかというと、それには優れた前例があって、それが聖書なんではないかと思います。

: 面白い感想ですね。

Akila: 自分も本作は聖書の膨大なパロディに見えたりするんですよね、漠然とですが。例えばレメディオスの昇天然り。ダンテなんかも想い起こしてしまいます。

日居月諸: ホセ・アルカディオが神学校をやめたら途端に同性愛に近い関係に置かれるっていうのも示唆的ですね。

日居月諸: 安部さんが参加したいそうです。追加しますね。

る(shiroyama: ごめん、都市小説、というと語弊があるや、 土地に根ざした小説ってことで

: アキラさんは全部読まれました?

イコ: (すみません、お仕事しながらROMってます)

: 何かあれば随時コメントお願いします>イコさん。

Akila: 7年前に通読してるのですが、今回再読できていないのです。だから適切な解釈は余り述べることができないので、引き続きROMでお願いします。苦笑。

: 安部さんは『百年の孤独』についてはどういった感想を持ちます?

小野寺: さきほど帰宅しましたが私もアキラさん同様に既に細部までは覚えてない、あるいは読めてないのです

Akila: 雑な読み方になってしまいますが、高速で球を無数に投げてくるバッティングセンターのようなものですからね。記憶がどうしても飛んでしまうというか。苦笑。

記憶の扱いの観点から読み解けるのではないかと、小説家の樺山三英さんがつぶやいていた気が。

: 再読するとまた面白いです!再読の方が面白く読めた……。

MORI YOU: 『百年の孤独』はひとつの構造、それも、実のところかなりアングロ=ヨーロッパ的な構造を感じます。もちろんこれがスペイン語で書かれた「小説」というものであればそうならざるを得ないかもしれませんが、ひとつには北アメリカ、ひとつには商人、ひとつにはクレオールといったところでしょうか。いずれにしても、この物語が「マジック」なのは、実際にマジカルだからではなく、タネをもっているから、ということでしょう。錬金術やジプシー、大陸由来の家系、などなど。

: いろんな知識が盛り込まれていますよね。

MORI YOU: 始まりにこの小説は要点があって、後の話はエピソードというよりは、反復を強いる構造を描くために存在しているという印象です。

: それ、思いました。繰り返されるので、初めてでもデジャブ感があるのです。小説の中の登場人物たちと同じように。

MORI YOU: 反復、および二律背反。よくあたりまえではない世界が現実となっているとか、別の世界、のようにこの小説は扱われるのだけども、全然おかしい。むしろそうしたものがない世界等ないけども、いずれにしてもそれらが繋がって提示されると、理解できない人が居る。問題は相反したり繰り返したりしていることじゃなくて、繰り返してしまうのは保とうとするから、そして、繰り返している中で結局は跡形もなく消し去ることになってしまう、ということで、それはヨーロッパと対置されながら取り込まれたり、やはり野蛮なんていわれるような政治状態が続くということ。これは例えばフランス革命の行きづまりと似たようなことかもしれない。

: ありがとうございます。2時間半が経過しましたが、そろそろ終わりにしましょうか。何か最後に語り残したことがあれば、どうぞー。ないかな……。ではみなさん、長い期間ありがとうございました!最初は8月だったんですが2回ぐらい延期してしまった!なのに参加してもらって感謝です!

る(shiroyama: お疲れ様でした。

ふかまち: おつかれさまでした。

イコ: この読書会が提案されるまで積み続けていたので、読むきっかけをいただいて、ありがとうございました。

: 僕はすごく面白く読めたのでまた別の場所でこの本について語れたらなと思います。語り足りないというより、読みたりないというのが実感です。

Akila: お疲れさまでした。前回も今回もレベル高いなぁと思い知らされながら読ませて頂きました。今、自分が幹事担当している読書会の進行の参考にしてみたいなぁと思いつつ。

日居月諸: お疲れ様です。

MORI YOU: お疲れ様でした。

: ではログはまとめて冬号に掲載できるようにします。

小野寺: お疲れ様でした。