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第14回読書会 ヘミングウェイ「白い象のような山並み」

・日時 10月12日(日)21:00~

・場所 skypeグループチャット

・課題作品 ヘミングウェイ「白い象のような山並み」(原題:Hills Like White Elephants)

・参加者 6、小野寺、る、Pさん、緑川、イコ(ホスト)

*本作は短編集「男だけの世界」に入っている、ごく短い作品です。新潮文庫『われらの時代・男だけの世界』他、比較的手に入りやすいと思います。ネット上では、こちらで読めるようです。


イコ: では読書会を始めましょう。はじめにこの作品ですが、たくさん訳があります。参考までにどの訳で読まれたか教えてください。(それか原文?)

小野寺: 新潮文庫です。

イコ: 自分は、はじめは新潮の高見浩訳。その後ネットに転がってる訳を3つ,4つくらい読みました。けっこうニュアンスの違いがあっておもしろかったです。

緑川: 申し訳ないです。今、ネットで読んでます。

イコ: 了解です。

る: 私は新潮の大久保訳、古いのかな?

イコ: 新潮でも訳者が数人いるようですね。小野寺さんは魚の表紙の短編集(全短編1)ですか?

小野寺: そうですね。

イコ: ありがとです。訳の違いもところどころ踏まえながら話ができたらと思います。じゃあまず、この作品を読まれた感想をみなさん好きなように書いてください。

6: こんばんは。いまから参加します。

小野寺: まあ、ふつうに倦怠期の男女が交合するかどうかで迷っている話に思えましたが、そうじゃあないかもしれないという疑問もあります。

イコ: 自分は志賀直哉が好きなんですが、ヘミングウェイの短編が好きな理由と、志賀直哉が好きな理由が、似通っていることに気付きました。叙述を頼りにいくらでも想像ができるところです。

6: ヘミングウェイ、おそらく中学生の頃にぱらっと読んだぐらいでした。はじめてに近い読書でしたがここまで省筆されていることにまずは驚きました。列車を待つまでのわずかな時間の中で、白い象のような山並みを眺めながらこれからについて語るという構図は、ロマンティックでした。ただ、書き込みが多い小説の方が自分としては肌に合っているので、ここまでの省きかたがいいんだろうかという点で疑問であり、同時に問題的だと思いました。書かれていないことを推測するということはあまり好きではないので、あくまでも書かれていることに注目して読みたいと思いました。

イコ: ヘミングウェイは「氷山の理論」と呼ばれるものを述べています。氷山の動きは、海面に出ている8分の1しか分からない、言葉で表現しているのは全体の8分の1にすぎなくても、作家が主題を熟知していれば、自然と8分の7についても思いがふくらんでいくだろう、というようなことを言ってるんですが、この作品はまさにそうだと思いました。(たしかこれを書いたときはまだ表明してなかったと思うけど、そういう態度でヘミングウェイは書き続けていたんだと思う)

小野寺: ううん、私も珍しく6さんに近い感想を抱きました。最近、読んでいる作品とあまりに隔たりがあるので。

緑川: 登場人物に入り込みづらいかな。最初、何の話をしているのか分からなかったというのもありますけど、なんというか、2人の会話を脇で聞いているような感じです。

イコ: 入りづらいですよね。何の話をしてるんだ? と考えてしまう。でも何か引っかかりがあって、何度も読んでいくと、どんどん視界がひらけていく。言葉のひとつひとつにきちんと意味があって、登場人物の思いがこめられているのが分かるようになってくる。

緑川: だから、べたべたした感じはしないですね。とてもクール。

イコ: 同感です。登場人物の主観が排されていますよね。「何々だと思った」とかも一切書かない。

緑川: あぁ、内面描写が避けられてるんだ。

イコ: 小野寺さんが交合とおっしゃいましたが、これは堕胎をめぐる会話だと思うんですね。中絶の手術をするようにすすめる男(American)と、それをできれば拒否したい少女(girl)。

小野寺: ああ、そういうことでしたか(笑)

る: 最初この話を読んだときなんの話か分からなかったです。ただ一読者として、なにか意味づけをしながら読むことを強制させる、というかそのようなことを可能にさせる文章だと思いました。

(最初に読んだときの感想)

 この二人はおそらく若い男女であり、そして恋人か何かであって何らか問題を抱えている。男が女のスイッチを入れる(怒らせる)シーンが2つあるのだけどその両方が比喩に関することである。

 そのことから二人はなにか文芸創作に関わる仕事をしているのではないか?

 では手術とはなにか?

・女はヒストリーの気がある(精神系?)

・女はひどく恐れている

・男は簡単なことだ、という

 という点から、この手術はロボトミー(脳外科手術、現代では禁止)なのではないか、と思って読み進めました。それでも案外読めます。

小野寺: なるほど。すでに何度もしてますからね、セックスは。

イコ: ロボトミーって発想はなかった。おもしろい。

る: 意外と読めるんですよね、ロボトミーでも。まぁ解説読んで、あぁ、堕胎だ。って思いましたけど(笑)

Pさん: 僕はやっぱりこの小説にはチャンネルを合わせることが出来なかったので眺めるだけにします。

緑川: 堕胎は、私も解説を読んでようやく了解しました。

6: この二人の会話が終始ずれていて、そのことを楽しむ様子もなく、無理に合わせようとしているような関係から、いまは愛し合っていてもいずれ破局を迎えてしまうのだろうなというのが感じられました。あるいは会話も表面的なことが中心で本当のところどう思っているのかは読めず、男はおろか女もはじめから愛していなかったのかなぁとも思います。

イコ: 6さんの言うように、男と女の話し合いは始終噛み合っていない。駅を二つの線路が挟んでいるところを示唆的にとらえることもできると思いました(平行線)駅のまわりに木が生えていないのも、「不毛」を連想させます。この小説は想像の範囲を限定しない。何も決定的に描かれていないんですよね。それを良しとするかどうかは分かれる気がする。自分は堕胎だと考えながら読むと、男が「空気を入れるだけ」と言ったことに生々しさが出ておもしろいと思いましたが、ロボトミーでも、なかなか生々しい言葉になる気がする。

る: もっと具体的に話すと、この二人を詩人の師弟関係にあるもの、として読んだんですよ。

小野寺: あ、詩は感じました、たしかに。男はまあ身勝手なものです。自分はこれに近いような会話を何度も経験しているので(堕胎ではなく)よく分かります。しかしながら女性に愛がないとは簡単には言い切れないと思うんですよ。これは男次第でどうにでもなる状況だと思います。

イコ: 女性には自分も愛はあるんだと思います。だから迷ってるんだと思う。

緑川: どちらも愛はあるかなと。だけど堕胎という現実を契機にして、なぜかお互いの会話がしっくりとこない。そんな段階なのかなと、今。二人して、会話がかみ合わないので、あれ? なんだかおかしいな、と思ってるのかなと。合わせようとはしてるんですよね、2人とも。

イコ: 男は利己的で、やっかいものを処分してしまえば、これからも少女と気楽なホテル暮らしを続けられると思っている。少女はすでに腹の中に子供がいる以上、利己的には生きられないと思っている。少女は子供を生んで、3人で暮らす道もあり得ると思っているけれど、男にはそういう選択はなく、子供への無関心(どうでもいい)を強調する。無関心を強調されると、少女としてはどうしようもなく、苛立つしかない。(「思いっきり叫ぶわよ」)もちろん一つの解釈で、そう読めたってだけですが。愛をはかりに載せて比べることはできかねますが、どちらかというと男の意図を分かってチャンネルを合わせようとしている少女の方に愛を感じます。

小野寺: まあ男は自由を求めていて女も自分と同じだとカン違いしている。

緑川: 斎藤美奈子の『妊娠小説』を思い出しました。

イコ: 

 「全世界をおれたちのものにできるよ」

 「ううん、できないわ」(高見訳)


この前後の台詞が象徴的ですね。

6: 文芸創作、詩人とはどういうことですか>るさん

イコ: るさんの解釈もっと聞きたい。

る: 二人は恋人同士でもある。ただしあんまり尊敬してない(笑)

 女が男に師事しているんですね。それでちょいちょい「白い象のような~」とか「リカリスのような~」と自分の表現をもってくる。けれど男はそんな比喩はダメだとつっかえす。あんまり尊敬していないから女はそれに怒っちゃう。

「全世界を二人のものにする」という台詞は、表現の世界において、物事を、二人の認識のうちにとらえることができる! という詩人ならではの女の願望です。ただし男はもう少しリアリスティックな考えの持ち主で、女の情熱に若干飽き飽きしている。というか女は狂っているんでしょう。

 男は前出した比喩を女の狂気の一部と捉える。なのでここで手術の話が再び持ち上がる。

 手術はロボトミーで、男にとっては女の「病的な」部分を切り取るだけのものだ、と考えていて、とても簡単なものだし、それによって女も幸せになる、と考えている。

 けれど女にとっては自分の「病的」な部分と自分そのものとの区別がつかない、むしろその「病的」とされるものは自分の表現の源泉とさえ思えてくる。その「狂気」とやらを含めた自分自身の全てを男に受け止めてほしいと思っている。これが前述した比喩の拒絶を女が怒った理由でもあります。

 だから二人の手術に関する話はまとまらない。というか沈黙に向かわざるを得ない。という風に読んだので、詩人の師弟関係にある恋人同士なのです(笑)>6さん

6: そういう読み方か、なるほど。>るさん

イコ: るさんの読み、おもしろいですね。そういう読み方をされたのは、たぶんるさんだけだと思う。

イコ: すべてがおれたちのものになると言う男に対して、ならないという女は、堕胎してしまえば、赤ん坊を失った(奪われた)ことから逃げられないということを言っている。けれど男はそれに気がつかない。

緑川: 

「わたしたち、これを全部自分のものにできるのに」

 

娘にとって、孕んだ子供はそんな無限の可能性、だったのかも知れないなと。ちょっと古い読みかも知れないですけど。で、男が「なんでもおれたちのものにできるよ」なんて合わせてるけど、娘は違うと言う。

6: 「木立ち越しに見た白い象の肌みたい」という本当の感想に男が反応をしないということも、なにか気になる。男は本当のことから目を背けたいように見える。あとはすだれと木立越しというのは何か似た小道具のように思う。

イコ: 「白い象」には「わずらわしいもの」「無用の長物」という意味があるんですよね。そこから少女が引っぱってきたのかな? と思ったんですけど。

6: 少女がひっぱってきたのかな?というのはどういうことですか。

イコ: タイの故事から来る、その言葉を知っていて、自分たちの現在の状況を若干遠まわしに、言い表したんだろうなと。白い象のように見えるなんて、けっこうぶっ飛んでると思うんですよね。

6: でも娘は「わずらわしい」とは思っていなかったんじゃないかな。

イコ: そういう状況でしょ、っていうのを言いたかったんだと思います。ふたりの関係に横たわる障害としての赤ん坊をどうするか。(堕胎解釈で話を進めてすみません)

6: なるほど。

イコ: 小説の序盤、男ははやく堕胎を勧めたくて上の空。女は腹に悪いビールを飲んだりして、けっこうヤケになってる。

6:

 「そうね、おいしい」娘は言った。

 「ほんとに、ひどくあっけない手術なんだよ、ジグ」男が言った。「手術とさえ言えないぐらいのものだ」


この取り繕う感じは、娘が真顔で遠くを見るような目で行ったのが流れでつかめて、すごいですね。

イコ: 気持ちがこめられた「おいしい」じゃなさそうですね。

6: 相槌だけなのが男にも伝わって何か考え事や心配事をしているのだろうと男は推測したんでしょうね。

イコ: 自分は、男は堕胎の話にもっていくために、「ビールがうまいな」っていう月並みな感想への同意を相手に求めたんだと思うんですよね。少女の意識に隙を作るというか。

6: なるほど、それはまた僕とは違う読みですね。

イコ: ですね、少女は白い象に対するろくな反応をもらえなかったから、ちょっと当てが外れたところもあったんだと思います。今思ったんですが、たぶん少女は、白い象を「すばらしいもの」という意味でもとらえてるんだと思います。(白象はタイで神聖視される。けれどそれをシャムの国王が政治利用したので、今は「わずらわしいもの」という意味に転じている)

6: 僕もそういう風に読みます。この娘はなんか赤毛のアンみたいに見える。きらめきの湖とかアンが名づけるみたいにまでオーバーじゃないけど。

イコ: 赤毛のアンみたいに見えるというのはどういうところですか?

6: あ、いえ、空想的なところにです。個人的な読みなんで深く聞かれると恥ずかしいのでここまでにしておきます(笑)

イコ: なるほど。この小説、原文では、男は「American」か「He」、少女は「Girl」か「She」なんですよね。男に比べて、少女が若いんだと思います。ただ気楽な暮らしをしたい男と、産む覚悟を決めようとしている女という風に読むと、なんか、その年齢差が逆転するようにも見えて、それもおもしろいなあと思います。

緑川: 年齢差はあっても、結局、男は男、女は女ということかと。わたしは自分がどうなろうが気にしやしない。だからすることにしたし、と言う。娘に対して、そんなふうに思ってるんだったら、やる必要はない、と男は言う。堕胎はして欲しいけど、「わたしは自分がどうなろうが気にしやしない」みたいなことは言って欲しくない。まあ……、男かなと。

イコ: 投げやりになるな、お互いの「前向きな合意のもとで」ってことですかねえ(笑)

緑川: 合意にして欲しいんですね、この男は。まあ、男のわがままなんですけど。

6: 会話の流れが上手いですね。風景や詩的な個所も、大事なところに入れ込んではいるし、物語の展開もある。こういう省筆の手法はいまもずっと誰かの手によって続けられているけど、この手法に期待する文学の今後というのはどういう側面があるのだろう。何かを描くということ、それも一筋の線によってという小説の非常に重要な描写ということをいったん放棄してこのような書き方を続けていくことにどのような効果・効能があるのか、あったのかというのがやはり気になる。

緑川: らしいなぁと。こういう光景というか、会話は、人類の男と女の歴史の中で。数え切れないくらい繰り返されてきたもののような気がします。

イコ: あえて男女の名前を前面に引っ張ってこないところが、そういう繰り返し感を高めていますよね。

緑川: ですね。

イコ: 女性の名前だけは出るんですけど、これがまたおもしろい(笑)

緑川: 省略ですかね、愛称というか。ジグって。

イコ: 「jig」ジグさん。なんで女性の名前だけ出したんだろうと思って、調べたんです。そしたら、jigは「ルアー」のこと(ヘミングウェイの好きな釣り)や、「ひっかけ」「詐欺」という意味があることが分かりました。

緑川: あぁ。

イコ: そしたらこの女は、もしかすると自分が妊娠したと嘘をついて、男を試している可能性があると、考えられました。気ままなホテル暮らしでこの男といっしょにやっていく上で、いずれ来るかもしれない可能性に対して、少女が男の反応をうかがっていると、そういう風に読んだら、それはそれでおもしろいなと。

る: 男にとってこの女はフェイクみたいなものなのか(笑)あぁ、この会話がフェイクと考えるのも面白そうですね。

緑川: ん~、話が広がりすぎる気がしますが。

イコ: 話が広がるんですけど、結局ひとつに限定するのは難しいのだから、そうやって読むのもおもしろいなと。>緑川さん

緑川: 書かれてないことは、読みには加えない方が……、いや、書かれてて私が見落としてるだけかもしれないですけど。ただ、ジグ≒ひっかけ、というのは気になりますね。

イコ: jigっていう名前は明らかにされているので、これも読みのひとつになると思いますよ。「小説内の事実」ということで読みを限ってしまえば、堕胎だということは明言されていないわけですから、どの読みも「書かれてないこと」になってしまう。だから自由でいいのかなって思いました。

緑川: ジグ≒詐欺、ひっかけをどのように解釈するかは気になるところですが、ここは判断保留にしておきます。堕胎に関しては、そう解釈することで作品全体を読むことができますが、ジグについては今のところ全体を説明できるかどうか。うまく読みがまとまらないので。

イコ: そうですねえ、この作品は、人物が思ったことがはっきり書かれてないですからね……。

緑川: まあ、フェイクということで、この作品を貫くような解釈があれば、お聞きしたいところです。私には、ちょっと難しいですね

イコ: 6さんの省篳についても話したいんですけど、その前に作品の舞台について興味深かったので、話題に入れさせてください。まずこの2人はスペイン国外の人間である。男はアメリカ人だが、少女の国籍は不明。(少女はスペイン語が分からない)

6: 南米を旅しているのかな。

イコ: 舞台はスペインですね。(マドリードとかエブロ渓谷とあるので)

緑川: バルセロナ→マドリードだから。

6: スペインだったのか……。

イコ: で、エブロ渓谷を調べたんですよ。そしたら、バルセロナとマドリードの、ちょうど真ん中らへんなんですね。だらーっと山が続いてる。なんでスペインか? 2人は「アブサン」を求めてスペインに来たと取れる記述がある。アブサンはこの小説の舞台とおぼしき1920年前後、全世界的に製造が禁止された酒であると。

小野寺: それは面白いですね。

イコ: ところがスペインでは、まだ細々と製造が続けられていた。だから「あなたが長いあいだ待っていたものはとくに。あのアブサンがそうじゃない」というセリフがある。男がアブサンを求めて、スペインに行きたがったのではないかという推測です。そんでさらに、スペインはカトリック優勢の国です。中絶はタブー視されている。かれらはスペインをバルセロナ方面からマドリード方面へ旅しようとしている。それって、スペインの東側から、中央への旅なんですね。とすると、中絶手術は本当に「簡単に」できるんだろうか? という疑問がつく。スペインから脱出するならともかく。細かい場所を指定したからには意味を読みとりたくなるんですけど、ちょっとそのへんが「堕胎説」を弱めるなあと思いました。

緑川: あぁ、なるほど。どこでやるのか? そこまでは考えなかった。

6: なるほど、場所まで考えるっておもしろいですね。

イコ: 調べていたら想像が膨らみました(笑)でも邪推ですみません(笑)

緑川: もぐりの医者とかいたのかな。

イコ: 男はスペインに詳しそうですからね。ツテはあるのかも。

る: そっか、女がスペイン人という可能性はないのか。

イコ: そういう医者を知ってるとしたら、この男は多くの少女を同じ目にあわせてきたという可能性も……。

緑川: 

 「それをやった人はたくさん知ってるんだ」


なんて言ってますね。

イコ: 現地の言葉が分からない風の記述が何箇所かありましたね。>少女

る: 店の人が英語で話していたという可能性はないかな? 原文読んでないんだけど。だとしたら中絶に関する認識の違いを生まれの違いとしても説明できるんじゃないかな。

イコ: 「アニス・デル・トロ」が読めなかったのと、バーの女の言葉が分からない。

る: そっか、酒の名前があったか。

緑川: 

 「Dos cervezas.(ドス セルヴェッサス=ビール二本)」男はすだれの奧に向かって言った。


って言ってるので、バーの女はスペイン語かなと。

る: なるほど。

イコ: でも少女がアメリカ人とも限らないですから、生まれの違いはあるかも。もしアメリカ人だとしたら、二人のアメリカ人の男女が、と書きそうなもんだ。

緑川: 英語圏か、少なくとも英語は分かるということかと。

イコ: ですね。

緑川: まあ、この二人の旅? が、自由で楽しいものかのか。切羽詰まったアバンチュールなのか、その辺りもよく分からないし。

イコ: 子供がいるとして、男の子供なのかも……。

緑川: 中絶手術目的の旅なのか。その子供、というのは?

イコ: ああ、少女の胎内の赤ん坊ということです。

緑川: まあ、今のところ、私はそうとしか読めないです。

イコ: 自分も緑川さんと同じ読み方の方がしっくりくるんですけどね(笑)

緑川: さっき、6さんが言われかけた省筆についても、もう少しお聞きしたいですね。

る: (省略について)

以前、Li-tweetで鏡花の文章について書いたことですが、

 

「私たちは時に現実に差し出された花よりも、花のひとひらから想起させられた架空の花の物語により深く、耳を傾けてしまうことがあるのではないか。」

 

これが思いのほかヘミングウェイにもあてまるな、と思いました。


イコ: さて、こうハッキリしない短編ですけど、省篳の文学的な効果でしたね。どうなんだろう。「私たちは時に現実に差し出された花よりも、花のひとひらから想起させられた架空の花の物語により深く、耳を傾けてしまうことがあるのではないか。」この文章、美しいなあ(笑)自分はこのヘミングウェイの文章から想起させられた物語に、とにかく酔いしれました。想像させる力がすごいと思いました。

緑川:

「何かを描くということ、それも一筋の線によってという小説の非常に重要な描写」


6さんはこう言われてますけど、逆に描写ばかりの作品もありますね。ヘミングウェイには。

イコ: 同じ短編集に「敗れざる者」っていう闘牛の話がありましたけど、描写がすごかったですよ。

緑川: つまり内面というか、登場人物の気持ちを直接に書かないということなのかなと。私は、ヘミングウェイはあまり読んではないですけど。

6: そうなんですね。みんなこんな感じかと思っていました。できるうえでしないという選択肢は緊張感を宿らせますね。内面を直接的に描かないというのはべたべたしてなくていいのかもしれないです。

緑川: 気持ちを書かずに、セリフとか描写を積み重ねるスタイルと言えば言えるのかなと。

イコ: そうですね、登場人物の気持ちはほとんど書かれないですね。闘牛の話も、とにかく闘っているんです。緊張感たっぷりに。読んでいて、いちばんそばで見ている観客の気分でした。その老闘牛士になりきって読むわけじゃなくて。

緑川: まあ、それが、いわゆるハードボイルドの系譜に繋がったりもするんですけど。全然、ウェットじゃないと。

6: なるほど、あらかじめ書いておいてあとで消し去るという方法もありますよね。その方が矛盾のない物語ができそう。

イコ: 乾いてるけど思いが伝わってくる感じはします。(やや感傷的な感じもする)

6: それはありますね。

緑川: 真似かどうかは分かりませんけど、小川国夫とかどうでしょ。

イコ: 分かります。似てますね。彼も書かないんですよね。

緑川: 『リラの頃、カサブランカへ』とか『アポロンの島』を思い出します。

イコ: 小川国夫はむしろ志賀直哉チルドレンで、人間と自然を描くけれど、ヘミングウェイの領域まで徹底されてはいないです。

緑川: まあ、ヘミングウェイの領域まで徹底してる作家って、いるのかな。ブコウスキーだと、もっと泥臭い。

イコ: 登場人物の心情を自然に託すんです、小川や志賀は。

緑川: 小川も、志賀の流れか、なるほど。

イコ: ヘミングウェイはそれすらしなくて、ただそこに自然がある、そこに人間がいる、みたいな。

緑川: 志賀は、描く自然が妙に生々しいですね。ヘミングウェイはそれとは確かに違うかな。

6: ただ、そこに自然があるっていいですね。

イコ: 志賀は、小説の中にいる人物(志賀)の目でとらえた心象風景としての自然なんですよね。だから生々しい……。

緑川: ヘミングウェイの場合、どうなんでしょ。このスタイルは作家の個性というべきものなんですかね。

イコ: ヘミングウェイが誰に影響を受けているのか、とか、このスタイルがどうやって成立したものなのか、というのは、ちょっと自分は詳しくないです。

緑川: まあ、文豪って言われるような作家って真似しようがないものを持っているということなのかも。ちょっと分からないですけど。で、下手に真似すると、凡百のハードボイルド作家になってしまう。

イコ: ヘミングウェイの文体にも源流があるはずですけどねえ~。詳しい方いないかな。

緑川: そもそも、このロストジェネレーションって言われる作家たちの先行世代って誰になるんでしょ。もう、いきなりエドガー・ポーとか、ホーソーン辺りになるのか。

小野寺: その辺でしょうけど、ヨーロッパ圏の影響が強いんじゃないかと思います。

緑川: ふむふむ。誰辺りでしょ?

イコ: 「失われた世代」だとヘミングウェイらのことを呼んだのはガートルード・スタインらしいですが……。

小野寺: フィッツジェラルドの初期はすごくヨーロッパじみてると思いましたよ。イギリスかな。

6: ミッショナリージェネレーションとかいうのが先行世代らしいですね。

緑川: あぁ、アメリカ国内だと、マーク・トゥエインという大物もいましたけど、それもちょっと違う。

6: キプリング、イエーツ、ジョイスなどがそうらしいです。失われた世代というのはそういった文学の隆盛のあとにきた退廃的な世界観を持つ世代? みたいですね。wikiによると……。

イコ: 第一次世界大戦がぶつかってるからなあ。大戦期って、世代づけされることが少ないですよね。

イコ: ミッショナリージェネレーション、はじめて聞きました。トマス・マンもそうなんだ。影響はどうなんでしょうね?

6: 後から無理につけた感もありますので信用しにくいけど。

イコ: ヘミングウェイの文体って、元ジャーナリストで従軍もしていたという、肉体的な経験からくるもののような気もします。あんまりねばねば書くのは、性に合わなかったのかな(笑)

イコ: さて、省篳について、うまくまとまらなかった気もしますが、どうでしょうか? ご意見はありませんか。

6: 難しい問題なのでヘミングウェイを読んで答えを探していきたいです。話し合いでいろいろ示唆は受けました。

緑川: すごい久しぶりに他の作品も読み返したくなりました。

イコ: 今、前にるさんやアキさんが話題にしておられた「キリマンジャロの雪」読んでます……。

る: あれはすごい小説ですね。

イコ: じゃあ次は「キリマンジャロの雪」で読書会かな(笑)

る: 私はいま、「敗れざるもの」読んでます。こっちだとくじけぬ男、だけど。

イコ: ヘミングウェイほんまおもろいです。るさんが前から「日はまた昇る」をあげたり、ヘミングウェイの良さを色々語っておられたけれど、自分は最近気がついた感じ。

緑川: さて、そろそろおちますね。ちょっと眠いかも。おやすみなさい。

イコ: さて、話が一段落しましたか。

る: お疲れ様です。

小野寺: おやすみなさい。

イコ: Pさんや日居さんの意見も気になるところだけれど、このあたりで終わりにしましょうか。

イコ: 今日はありがとうございました! これにて閉幕します。

6: お疲れさまでした。

る: お疲れ様でした~。

イコ: おつかれさまでしたー。

小野寺: では、また。


【文責:イコ】