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座談会:「童話って何だろう」

参加者:崎本智(6)、牧村拓、神崎裕子

 

6: 牧村さんいっちょやりますか?

牧村拓: おー

6: 僕はそんな大がかりな座談会にするつもりはないんですけどね

6: あんまり知識とかはないし、つらつらと話してみようか!

牧村拓: 僕も童話に関してはまったく門外漢!

 

6: まず童話とは、どんなものと考えますか?

牧村拓: そこなんですよねー、僕が一番ひっかかってるのはどちらかといえば学術的な分類になるのかな?とも思いますし、それにしては結構明確な童話像が日本人に共通してあるような気がします

6: 学術的な分類と言うと文学研究者が後からつけたジャンルわけのようなもの?

牧村拓: そう感じましたね、ざっと調べていく中でですが

6: でもみんな幼少の頃に初めて出会う文学ですよね

牧村拓: うんうん

6: いきなり3歳とかでドストエフスキーとか読むわけにはいかないし

牧村拓: だから狭義の童話について考えていました

牧村拓: 広義の童話になるともうしっちゃかめっちゃかになりそうで

6: 狭義と広義の違いについて訊いてもいいですか

牧村拓: 狭義→昔話研究の文脈で用いられる説話的なもの。広義→もうなんかどこまで含めいいのやら、本当は怖い~だとか現代風にリアレンジされてちょっと大人向けになっているものまでありますし

6: なるほどでは先ず狭義の童話について、考えていきましょう。

牧村拓: はい

 

6: えっとご自身の幼少時の経験として記憶に残っている童話と言えば

6: 何がありますか。

牧村拓: んー、白雪姫だとか眠りの森の姫とかそういった絵本になっていてアニメ化もされているようなメジャー作品がとっかかりであった気がしますね

6: そのころの作品で何か鮮明に記憶に残っていることとかありますか。

牧村拓: やはり絵、なんですよねえ。そこが僕の中でひっかかる。絵本と何が違うんだろうって

6: 絵本の絵と童話の挿絵は違いますね。

牧村拓: 主従が逆なイメージ

6: そうですね。

6: 絵本は絵を楽しむものか。童話は文章を楽しむものか。けれど童話と言うのは一方で読みきかせられたりしたものです。自分で活字を読むのではなく誰かの音読によって、ぶきっちょに文字を辿る作業をしながら、一緒に二人で本を読むと言う行為だった。

牧村拓: 口頭伝承的なな側面も強いですよね、グリムだっけ?口頭伝承であったために編纂に苦労したというのは

6: あるかもしれませんね。

牧村拓: そうなるとまず民話なんかの側面も混じると思うんです

6: けれど版によって、微妙に筋がちがったりするのは文学の魅力としてありなんじゃないかと思いますね。民話というローカルなものがグローバル化すると童話になるのかもしれない。

牧村拓: それは難しいのでは。民話ってその地方特有の地形であったり風土が色濃く出ると思うのでグローバル化するかなあという印象

6: あ、そうなんですか。民話と言うもののイメージがまだ掴めていないのかもしれない。

牧村拓: 僕の中のイメージが偏っているせいかもしれない。土着の文学という印象がまずあるので

6: けど何か桃太郎と岡山県が舞台とかありますよね

牧村拓: ああ、そうですね

牧村拓: でも桃太郎は岡山でなくても成立する物語です

6: なるほど、ほかには八百比丘尼とかも舞台があるみたいです。日本の人魚の話です。

牧村拓: ううん、舞台の設定

6: 民話かーどういう作品がそうなんでしょうね。

牧村拓: その地方ごとにあるもんじゃないんですかね? 僕の中だと寒風太郎だとかたつこ姫だとかになっちゃいますけど

6: 知らないっすねーそんなものがあるのか。。。

牧村拓: なんというかどちらも僕の地元にある湖だったり山だったり、特徴的な地形にまつわる物語なんですよ。そういうのってどこの地方でも子供は知ってるんじゃないかとおもってましたけど、そうでもないのか。

6: そうなのか、そういった民話はやはりその地域から外に出ないものなんですね

牧村拓: 口頭だったからかな

6: そうですね。活字化されていないから。外に出ていかないのでしょう。 その線で行くと、童話(民話)というのは必ずしも、媒体のなかで文字の優位性が揺らいでいるジャンルですね。挿絵が楽しみだったり、音読で聴いたり、人伝えに記憶で語られたりして行く。

 

牧村拓: けれど親和性は高い?あるいは童話が民話を含むのか?というイメージではあります。でもそうなるとますます結ばれるべき像が揺らいでくる

6: なるほど。でもそういった文字文化が強くないから、(昔は)おおくの人に広まったり、子供もたのしむことができたのでしょうね。

牧村拓: ううん、その流れで思いでだすんですが。じゃ、平家物語は童話的側面があるの?っていうことなんです

6: 童話にはそういう側面があって、音読と口頭=童話という話ではないんだと、思いますよ。

牧村拓: じゃ童話と童話たらしめているものとはなんなのかという。僕がずっとわからないことだ

6: わらわ、って文字にヒントがありそうです。

牧村拓: やはり子供向けなんですかねえ。現在でいえばジュヴナイル小説に入れる前くらいの年齢かなと思いましたが

6: そうですね。そのあたりでしょうね

牧村拓: あ、勝手に得心した

牧村拓: じゃグリム童話の原点が本当は怖くて子供が読むのに適していないのはなんでなの?ってのがあったんですけどそれは原典が童話ではないということだろうか

6: 子供は本来残酷な存在だから実は適していたりするんじゃないかな。適していないと思うのは大人の視線からそうなっているんじゃないだろうか。

牧村拓: ほうほう

6: いまはゲームとかで残虐性をどこかに向けることができるけど、そう言ったものがない時代って虫を殺したりするしかなかったんじゃないかな。そういうときにグリム童話的なものが一端を担っていたんじゃないかな

牧村拓: 子どもに内在する残虐性の行き場としての童話。そうなると一般的に思われている子供向け、という言葉の像が今度は揺らぐような。やはり教訓・寓意とかが入ってくるのか

6: たとえばラブロマンスとか長いビルドゥングスロマンとかは子供むけではないと思うんですよ。なんか狼が出てきて、豚を丸のみにしちゃったんだ!この話っておもしろくない?って子供に向けられているんじゃないだろうか。

牧村拓: ふむふむ。子どもの興味をかきたてるようなものである

6: 子供の興味をかきたてるものから、PTA的な親の目線が浸食して、検閲的なものがどんどん入って選別されていったんじゃないかな。すべて推測で語っているけど

牧村拓: じゃちょっと裏返しになりますけど童話と親和性がない、あるいは相対する要素って?と思いました

6: なんだろうね。浮気とか社会批判とか何だろうか

牧村拓: そのまま子どもの持つ世界に親和性が薄いものになるのかな。そう考えると僕は子供像がまったく掴めないことに気づいた。だからかけないのか!

6: 子供的な世界を牧村さんは持っていないってこと?

牧村拓: そうですね、少年あるいは青年的な視点からの世界は見えるのですが。子ども的な、と言われるとかなり怪しい

6: 子供的なものかーすべての童話作家が子供的なものを持っているわけではないんじゃないかな。想像力がカバーしている部分も多くあるんじゃないだろうか。

牧村拓: んー、そう考えると余地はありそう。ただそうなると書き手の作りあげた「子供」と実際の子供にズレが生じることもある

6: ズレなどはあってもいいと思うんだけどなぁ

牧村拓: それは想像力の飛距離の問題だろうか

6: ズレなんか幾らでも生まれるんじゃないかな。童話に限らず。

牧村拓: 確かに、そこまで童話に囚われる必要はない

 

6: 『かえるくん、東京を救う』は童話ですかね

牧村拓: ああ・・・うーん。童話とは僕は呼ばない。モチーフは童話的ですし筋も童話的です。ただその寓意が孕む像や文体に、童話との距離を感じる

6: あれは何か95年の震災に対しての想像力でそれを童話的な手法を使って書きあげたものだよね

牧村拓: そうですね。ただざっと読み返すと会話の内容や細部の表現が、これは子供にはさすがにわからんだろうってなっちゃう。「大人が読む」童話とすれば僕はしっくりきますけど

6: なるほど……。村上春樹における童話の問題として他に何か考えられることはないだろうか。

牧村拓: うーん・・・羊男。あれは僕は童話的だと思いますけどね。そのまんま絵本になっているくらいだ。羊男かー

6: そういった童話のモチーフを文学もちいることはまだまだ有効なのではないかと思います。たとえば『絵のない絵本』は、主人公に空から月が話しかけてくる筋。月がいくつもの小さな物語を語って言って主人公はそれを記録している。小さな挿話の集まりでそれらは、風景描写だったり色彩感覚だったりが文学としても通用するような何かを孕んでいると思いました。

牧村拓: うーん、やはりそういうところで子どもとも真剣に向きあう必要がある。子どもだからといってなめてはいけない

6: そうですね。子供の方が感覚が鋭かったりするかもしれない。

牧村拓: ますます難しいですな

 

神崎: こんばんわログ追ってます

牧村拓: どうもどうも

6: 牧村さん的にはどんな話をしたいですかね

牧村拓: んー、今までの流れで童話とは?という像が掴めてきたような気がするので、書き手の視点から掘り下げていきたいところ

6: 書き手の視点かー

6: 書き手視点で童話を書くには、どういった要素が必要となってくるかということ?

牧村拓: そうですかね、やはり実際書くうえで必要になるものは見極めたい

6: そうですね。えっと、僕の意見なのですが、たぶん難しい話をしてもいいと思います

童話の中に置いて、それが、何か童話的な装飾によって彩られていたらいいと思うんですよ。

牧村拓: ん、僕の書こうとしているものもそういうスタンスですね。ただそれがいいのかは全く自信がなかった

6: たとえば民主党政権の派閥争いについて、国会議事堂でえんえんと話をされているものと野菜村のピーマンくんとカボチャくんが喧嘩してしまって野菜村が二分されてしまって主人公のジャガイモ君は、どったいの味方なんだ?って迫られる作品と言うのは(たとえがわるいかもしれないけどw)そんなに変わらないことを議論しています。

牧村拓: うんうん

神崎: ふむふむ

6: たとえばムーミンとかって、じつはすごい哲学的なトークをしていたりするじゃないですか。そういう難しいとか易しいとかじゃなくって、モチーフの問題なんじゃないかなぁって思ったんですよ。

牧村拓: モチーフの問題かあ。そこは大きいですね

6: あとね。セカイ系ってことばがあるじゃないですか。ああいうセカイ系的な要素も必要かもしれない。セカイ系ってよく言われる言葉でラカンの用語をつかって説明されるけど

(ぼくはラカンとかぜんぜんよんだことないが)

 牧村拓: セカイ系的な要素っていうのは意外に的を射ている印象

6: 現実界と象徴界と想像界があって、それは象徴界(市民社会)の欠如から、現実界と想像界だけの世界になってしまってそれが物語を成りたたせているっていうふうに定義されていますよね

牧村拓: そうですね

6: 象徴界(=警察や国家)的なものが童話に入ってくると物語がめちゃくちゃになってしまう。なので象徴界的な言葉(政治用語とか現代社会用語)も受け付けないと思うなぁ

牧村拓: なんとなく感じてたことが綺麗にまとまった

神崎: なるほど。

6: 書き手視点から、神崎さんはどのような要素が童話に必要だとおもいますか?

牧村拓: (すみません、徹夜明けの頭ではここらが限界のようです、休憩してきます)

神崎: 難しいですね。6さんが言うように難しい要素を入れてもいいと思います。例えば、の王子様は大人の何かの価値観にとらわれていることの批判にも取れる。

神崎: 例えば、星の王子様を、評論にしたら、大人は頭硬いよ。という話になっちゃう木がします。

6: ふむふむ

神崎: 一つの価値観を与える(という言葉は傲慢だけれど)機能性を持つことが重要かな。と思っています。

6: そっかー。確かに教訓的なものがあるものが多いですね

神崎: ごん狐は、命の大切さと思い込むことの怖さ。

6: 何かを伝えるための手段としての小説か。

神崎: でも、その枠に当てはまらないものもあると思う。例えば、アリスの不思議な国、鏡の国。ハリーポッターシリーズ。ダレンシャンシリ―ズ。

6: まさに『北風と太陽』のように、直接的な言葉で語りかけても子供に響かない場合、童話という装置をつかって何かを諭そうとしていた。

神崎: ふむふむ。

6: 娯楽とか芸術に近寄っていく童話もある。教訓的なものと天秤にかけてどちらが優れているとかはないと思うんだけど。

神崎: 評論の小説化が童話の書き手の意識することの一つに思えて。その枠に当てはまらない作品はただ単に娯楽作品としてっ見なしていいのかと思いますが、例えば枠にはまらないと上げた作品たちってのは、世界の拡張効果があると思うのですよ。

パンプティダンプティをおかしく思ったり、ハリーたちのいる魔法世界に憧れたり。

その、世界を広げていく過程でいろいろ発見があると思う。そんな要素を埋め込んでいければいいな。と。少しくらいあざとくてもいいと思う。

神崎: (要素を埋め込むってのは正直傲慢な話で、子供を信用してない、とも思えるけれど)

6: 小説の幅を広げる小道具は是非使ってほしいですね