twitter文芸部のつぶやき

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6: 9月号合評会会場。。

6: みなさん、こんばんわ。

KOUSAKU Abe: 到着!今日もiPhoneから。

こんばんはー。

6: 準備はよろしいでしょうか。

牧村拓: こんばんはー

イコぴょん: こんばんは。けっこう人いますね。

小野寺: こんばんは

Rain坊: こんばんは

6: 小野寺さんにはコールした方がいいのか。

6: と思ったら、いらっしゃった!

イコぴょん: 寝てなかった

KOUSAKU Abe: ほんとですねー。

新入部員も嬉しいです!!

6: 日居さん、いらっしゃいますか。

6: 日居さんも参加していただいたので、本日は軽く自己紹介から入りませんか。

牧村拓: お、いいですな

6: 名前と好きな文学作品でもいいましょう。

イコぴょん: 追加完了です>日居さん

日居月諸: どうも、初めまして

イコぴょん: はじめまして。

牧村拓: 初めまして!

KOUSAKU Abe: はじめましてー。

Rain坊: はじめまして

小野寺: こんばんは

日居月諸: 日居月諸(にっきょげっしょ)と申します。呼び方は日居でかまいません

日居月諸: 好きな文学作品は古井由吉の『先導獣の話』、夏目漱石は『明暗』

KOUSAKU Abe: (小野寺さん!今朝はありがといございました!)

日居月諸: それから小島信夫の『残光』などです。基本的に日本文学が中心ですけど、海外文学も広く浅く読んでます

6: すでにお話していますが、6と言います。好きな作家は磯崎憲一郎。一文を書き、次の一文を熟考する姿勢が好きです。

イコぴょん: カヅヤさんこんばんは。

牧村拓: どうもです

小野寺: 今朝というより今朝までですね

日居月諸: 複数人で集まって文学のことを話すということに魅力を感じて入部したいと思いました。みなさん、よろしくお願いします

KOUSAKU Abe: (そうですねww)

カヅヤさんこんばんわー

カヅヤ: こんばんは。滑り込みですみません。…時間を一時間勘違いしていて、まだ感想をまとめられていないという…最初ロムらせてください。本当にグダグダで申し訳ないです…。

牧村拓: 文学のことを話す!うん、いいですよね

KOUSAKU Abe: 日居さん自己紹介ありがといございます。よろしくお願いします。

僕は安部と言います。ヘミングウェイ、マルケス、カミュ、リルケ、ゲーテなどが好きです。お願いします。

イコぴょん: 自己紹介ね。

イコ(ぴょん)です。

戦後の日本文学が好きで、最近は海外文学も読みます。

最近いいなと思った文学作品は

『残念な日々』フェルフルスト、『迷宮』中村文則

イコぴょん: 今日はベルギービール呑みながらまったり参加します。

牧村拓: よろしくお願いします。twi文の春樹担当、牧村といいます。マッキーです。

イコぴょん: 春樹担当w

6: 春樹担当・・・なにするんだ・・・

イコぴょん: 6さんはガンダム担当だな

小野寺: 日居さん、小野寺です。ペンネームです。戦後文学と19世紀海外文学が好きですが最近大幅に暴走しています

6: フランツ君とガンダム担当をしています。

日居月諸: 春樹、大学時代に長編はほとんど制覇しましたね。「1Q84」は未だに手付けてないんですが

カヅヤ: 芦尾カヅヤといいます。中上健次と伊藤比呂美が好きな、万年ニワカオタクです。

牧村拓: あ、担当以外では現代日本を中心に読み散らかしております。最近は書いてばかりです

Rain坊: Rain坊と言います。メフィストを中心に読んでます。皆さんと違ってあまり文学に詳しい方ではないのですが、フットワーク軽い感じで頑張らせていただいております。最近は6さんの影響で磯崎憲一郎さんを読ませてもらったりなど、周りの人からいい影響を受けている次第であります、はい。

KOUSAKU Abe: たしかに、まあ僕も読み散らかしてる感じです。

6: 改めて皆の自己紹介きくと面白い。。

牧村拓: それぞれに特色がありますからね

イコぴょん: 新入部員が来てテンションがあがっている感じもいい

6: ではホストの安部さん進行をお願いしますね。

KOUSAKU Abe: はい、みなさん自己紹介ありがとうございました。

では9月号、最後の月刊Twitter文芸部の合評始めます。

6: 最後かぁ

6: ありがとう「月刊twitter文芸部」

牧村拓: ひとつの節目ですね、悪くない時期だ

KOUSAKU Abe: まず特集のあんなさん「鈍いいろ」からです。みなさん感想貼り付けてください。

日居月諸: 感想をあらかじめまとめて、それから貼り付けていくんですね

牧村拓: ・小説を書いている人が書く短歌だな、というのが率直な印象

もちろんそれが悪いとは言えないが、ところどころ、それが嫌な風に眼につく

ただひとつの塊として、全体を見たときに、僕は好きです

この短歌たちが持つ色はきっと受け入れられやすい

牧村拓: そういう流れですね

KOUSAKU Abe: (あ、なんというか、それは変則的でかまいません。事前にお知らせるのを忘れてしまい、ごめんなさい。)

6: 十個の歌それぞれを読んで、喪失感みたいなものを感じました。そしてその喪失感をめのまえにある何かで埋めようとしているような印象。もしくは喪失感から逃れるためにべつのことを考えている様子。

6: (僕も用意していませんでした。申し訳ない。)

KOUSAKU Abe: (変な日本語なってる…)

日居月諸: (いえいえ、ひとまず見学しつつ、何か言いたいことが出来たら随時参加していくことにします)

KOUSAKU Abe: (かまいません。あれば、って感じで。即も歓迎です!)

KOUSAKU Abe: 即興も、です。

イコぴょん: 「鈍いいろ」

・足りない、拒んでるふり、犯罪行為、ナイフ、絶望、かさかさ、プルトニウムなどの少し尖った言葉が、満たされなさを感じさせる。

・中盤に出てきたキャンプファイアの準備が、全体の作品のトーンを、「満たされなさ」から「さびしさ」にチューニングしており、人に読ませる作品としての、自己満足から抜けだした良さがあると思った。

(家人の感想)

・この人は、犯罪行為に目を向けつつ、それが結局は「できない」人なんだろうと思った。そこにさびしさがあるような気がする。

・一定のトーンがあって、いい短歌だと思った。

小野寺: 屈折している人の歌だと思う。(短歌をどう評したらいいのかわからないが)屈折していない作品が面白く思った。最後の水鳥の歌など

Rain坊: 短歌に含まれている単語が主張が強いものが多くて、目移りしやすい。全体を見にくいなぁと思います。

Rain坊: (家人w)

カヅヤ:

全体的に、観念的?な短歌に感じました。

たまたま最近読んだ歌集が、五感に訴えて来るものだったので、それと比較してしまうのですが、五感にぐっとくる感覚がなく。

 

マッキーさんの言う「小説を書く人が書いた作品」というところにも繋がるのかな、と思いました。

ただ、お題が色だったせいもあってか、視覚的な魅力はすごく感じました。自分自身の五感にはフィットしなくて、映画を見ているような感覚を受けました。

イコぴょん: (今日は安部さんの作品にも家人が感想を寄せています)

KOUSAKU Abe: ここで色は溶かされるもので、薄められていく(曖昧な、にぶいような世界に対する感覚、自己と他者の感覚の薄弱、衰え)まだ失われてはいない残暑への辟易ににたあれ。音もまた、色と同調し、滲んでいく感覚がある。犯罪やプルトニウムなど日常から逸脱したものが、日常に溶かされていってしまい、濁らせているだけ、みたいな倦怠感を感じる。

イコ:

 

<<< ・この人は、犯罪行為に目を向けつつ、それが結局は「できない」人なんだろうと思った。そこにさびしさがあるような気がする。これ、僕も同じく感じました。言語化できなかったけど・・・。

日居月諸: えっと、じゃあ一つ気に入った歌があるので、その感想を

日居月諸: 「少しだけあと少しだけ青が足りないもう少しだけ呼吸するには」

 「少しだけ」を使い続けることで息苦しさを高めている。「青が足りない」がどういう状況からひねり出された言葉なのか。おそらく青空と取っていいのだろうけど、ここは単純に青という色そのもの、と取ってみたい。そうしてみると、青が持つ涼しさ、安らぎ、清々しさ――空や水といった具体的なものと結びつかない肉体の感覚だけを求めていることもうかがえる。最後にやっと「呼吸するには」という行為する言葉と結びつくことで、欲求が生まれ脳が反応し肉体が動いて現実へと向かう、という過程が手に取るように感じられる。良作。

KOUSAKU Abe: (わお!すごい。嬉しいです!) >イコさん

イコぴょん: 揃った?

牧村拓: 出そろいましたね

KOUSAKU Abe: そろいましたね。

KOUSAKU Abe: ではフリートークを45分まで設けましょうか。

イコぴょん: 息苦しい感じがたしかによく出ていますね>1つ目

絵を描く人が、チューブに青がなくて、「あー、もうちょっと欲しいのに!そしたらもっといい絵になるのに!」って言ってるようにも見えて、少し笑いました。

イコ:

 

<<< 息苦しい感じがたしかによく出ていますね>1つ目

絵を描く人が、チューブに青がなくて、「あー、もうちょっと欲しいのに!そしたらもっといい絵になるのに!」って言ってるようにも見えて、少し笑いました。いいですね、それだとユーモアも感じさせる

イコぴょん: 創作する人はみんな、もう少しだけ手元のチューブに「青」が入っていてほしいのかもなあって。

牧村拓: 青をどう受け止めるかによってずいぶんと読み方が変わる歌ですね

牧村拓: なんというか、僕は若さの象徴みたいなものとして読みました

KOUSAKU Abe: どこか他人事に満ちている感じがしますね。だから滑稽さを伴った、気の抜け方がある。我に帰った時に焦るさま、それこそ犯罪にあこがれてもできない人ってそういう焦燥感を受け止められないと思うんですよね。他人事にしてしまう。

イコぴょん: 他人事感ありますね。

KOUSAKU Abe: 青は、絵を描く時たくさん必要な色ですね。で、足りなくなってしまう色。

牧村拓: 他人事というのは多分「色」というのにも繋がりますね

他人とのあいだに空気のぶんだけ距離があって、そのぶん色味が鈍くなってしまう

イコぴょん: 牧村さんの若さの象徴っていうのは、「青」→「青春」からの連想で、自分も感じましたよ。

牧村拓: もう少しだけ自由でいられたら、というように読めましたね

牧村拓: 他人事というのは多分「色」というのにも繋がりますね

他人とのあいだに空気のぶんだけ距離があって、そのぶん色味が鈍くなってしまう

なるほど、そういう鈍い色か。

KOUSAKU Abe: ありますね。若さ。青がたりないと、赤くなれないです。若さなくして熱くなれない。涼しげに構えてしまう。他人事の様に風に身を委ねている。風とともにはされない。

日居月諸: そういう風に連想できる、っていう点ではいい意味で抽象的な句ですよね。単なる状況を説明してるんではなくて、物事を一段深い所まで見つめて、そこにある要素をしっかりと捉えている

日居月諸: 「青」っていう言葉が起点となって色々なところに広がっていく

イコぴょん: そうか、青が足りない人の歌なのか。だから他人事か。

カヅヤ: 「となりまち戦争」って、読んだことないんですけど、以前それについて書かれた書評で「どこかで他人が戦争している、という、現実感の希薄さ。その希薄さに現代のリアリティがある」というようなことが書いてあって。

6: そうして飛躍して意味を想像することもできますね。僕は最初に日居さんがおっしゃった青を青色それだけとしてみつめたい、という姿勢が共感できるかも。

カヅヤ: みなさんの言う「他人事」という点が、多分自分の中での「五感にピンとこない」ということだと思うのですが

牧村拓: 7首目の赤い服にも通じる気がする

カヅヤ: 他人事感、という点が逆にリアルに描かれてるのかもとも思いました。

牧村拓: 他人事感、僕はこの歌たちから感じられるそういうものには好意的ですね

日居月諸: それとも青が何もかも(青春、絵具etc...)の統括点となってるのを、しっかりと掬いあげた、って言った方がいいのかな

牧村拓: うん、ひとつのキーであるようには思えます

イコぴょん: 赤い服を着て、自分の存在を主張しようとしてるんだけど、結局、誰かをそっと見守ってるんだよな。

イコ:

 

<<< 赤い服を着て、自分の存在を主張しようとしてるんだけど、結局、誰かをそっと見守ってるんだよな。あぁ、そういう風に受け止められるんですね

Rain坊: (すいません、ちょっと離れます)

6: 他人事感というより、現場にいない感じを受けます。メディアを通して感じる戦争みたいな。

日居月諸: 私は「赤い服」「ビルの隙間」っていう穏やかでない出だしから、「そっと見守る」「ベンチの会話」って穏やかな言葉へと落ち着く振れ幅の広さしか注目出来ませんでした

KOUSAKU Abe: 肉体的な感覚を求めながらてにはいらない。そしてやるせなくて空を仰いだり、水を流したり、水に溶けて見たり。絵筆を洗うあの桶を感じるんですよね。混じり合ったあとの色と言ったら…

牧村拓: 確かに客体としての身体はそこにあるのだけれど、実態をもつ精神であったり心の在り様はそこから浮揚しているような、というのが僕の感覚です

カヅヤ: (サンホラのスターダストって曲を思い出してしまいました…>赤い服)

6: バケツの中でまじりあう淡い色・・・それは僕もなんとなくわかる。

牧村拓: (お揃いね、私たちっ・・・!)

KOUSAKU Abe: たしかに日居さんのいうとおり、あまり象徴的にとなくていいかも。

KOUSAKU Abe: そこまで内向的な作品でもないともおもいます。

日居月諸: 非常に抽象力が高いと思うんです、「赤い服」もそうだけど

牧村拓: 僕はどうしてもある種の象徴的な読み方をしてしまうので読者としては褒められたものではないのかもしれません。4つ目なんかすごく解釈したくなる

日居月諸: 「苦しくてひねる手元のボリュームはいつもなにかを拒んでるふり」って歌がありますけど、「ボリューム」が「拒んでる」のか。それとも「ボリューム」をひねることでなにか拒むような大声を発するのか。

KOUSAKU Abe: なにも考えず、考えられず、考えたくなく、散漫としながら意識に立ち現れては消えていく、外部に注目してると思いますよ。自分が絵筆洗いの桶としたら、外部は絵の具というか。

KOUSAKU Abe: そこ面白いですよね。 >日居さん

日居月諸: 「拒んでる」ではなく「拒んでるふり」とつけくわえるところを見ると、後者に取れる気がします。思い通りに行かない現実を目の前にして大声を発する時は大抵拒絶の声色しか出ない、とするのは安直すぎるかな。そもそも嫌悪すべき対象に対して拒絶しているとは限らないのかも。

牧村拓: 僕は前者として読みましたね。絵具を桶にいれるときに何らかのフィルターの強弱を作為的に調整している

日居月諸: だから、具体的な状況として論じるんじゃなくて、あくまでも抽象的なところで論じた方がいいような気がする

6: 十この歌の背景にある種のエマージェンシー的な現実がおかれているのは、なんとなく感じる。いま、だからこそ書いたような気がする。

KOUSAKU Abe: そうですね。背景を共有してると、具合的なことは考えなくて良いぃがします。

イコぴょん: うん、エマージェンシー感はあった。

プルトニウムという言葉から、なんとなく原発を思い出すのも。>いま、だからこそ書いた

牧村拓: いま、というのに繋がる感覚を僕は持てませんでした。個人的なところで構えている印象

6: 都会、というのはすごくいろんな色があって簡単に時勢に色をかえる特色も持っている。そんな都会の色の変化一瞬をとらえた感はありました。

KOUSAKU Abe: 短歌の簡潔さと、そうしたスナップ的表現が一致して良作だったともいます。

6: プルトニウムの歌が一番好きかも。ねっとりとプルトニウムがヘッドフォンから出てくる想像をしてしまう。プルトニウムみたことないけどw

牧村拓: プルトニウムって見た目は鉛みたいな感じですよw

6: たぶんプルトニウムって緑色な気がする・・・。(予想)

牧村拓: スナップ的表現ってのはわかりますねえ

イコぴょん: 赤い服を着ている人も、ナイフ手にしている人も、少年も、都会の喧騒のなかにいて、近くに原発のあるような、うっすら危機的にとらえられる状況下で、語り手の目に、どこか「他人事」としてとらえられていて、でも、そういう人たちをそっと観察している自分も、どこかにいるんでしょうね。

6: パレードってデモっぽいですよね。

日居月諸: 「すれ違う駅のホームの少年のヘッドフォンから」って普段通りの日常ですよね、でも、そこに「プルトニウム」が投げ込まれると、一気にざわっとします

KOUSAKU Abe: (ではどなたか総括的感想を!)

日居月諸: だから現状を的確にとらえた、っていう点では非常に評価できる(けども個人的には・・・)

6: 最後になぜ、水鳥が来るのか分からない。これだけ平和な気がする。

カヅヤ: 水鳥とくるぶしを、どう読んだらいいか分かりませんでした。

牧村拓: そこにも他人事感があるのではないでしょうか

イコぴょん: そうかな、平和な感じがしなかったけどなあ

カヅヤ: 何かの比喩?

6: こっけいさみたいなものを自分は感じました>水鳥

日居月諸: 懸命な感じはしますよね>「くるぶし」

カヅヤ: ひしゃげたところを、ひしゃげた身体で登っていく華奢な身体、みたいに読めて

イコぴょん: かたむきすぎた階段を不安定な感覚でのぼっていく感じ、

牧村拓: かたむきすぎた→急こう配→慌ただしく、すさんだ現実

くるぶしで歩く水鳥→水面下であがくことすら許されずみっともなくも必死に進む様子

牧村拓: というふに読みました

KOUSAKU Abe: 水鳥は比喩かと。だかあカヅヤさんの言ったみたいな感覚を受けました。 日居月諸: さっきまでの意見とほとんど同じになるんですが、抽象する力が高いと思うんです、この歌人さん。

日居月諸: だからこそいざ具体的な描写になるとちょっとトーンダウンする気がする

牧村拓: そこはたぶん本人も意識的なのではないかなと感じます

牧村拓: このメッセージは削除されました

牧村拓: 強みを活かそうとしている

イコぴょん: あー、小説でもそういう傾向があると思いました。

日居月諸: 「パレードの最後尾からおもむろにナイフ手にして歌う賛美歌」、これ最初は単なる行動の描写だけでとどまって、それから「賛美歌」っていう日常からはかけはなれた言葉に移り変わりますよね、この辺、言葉だけが先行している感がある。具体的な行動を書くには単に説明っぽくなって、そこからひねりを加えようと思うと、一気に歌のバランスを崩してしまう

日居月諸: それが他人事、っていう感覚とどうつながるのか、私には論じきれないんですけど、言葉と歌人との間にもまた、そんなギャップがあるんではないかな、と。もちろん戦略である可能性も否定できませんが

6: さて、そろそろ安部さんの作品に行きましょうか。

6: よろしいですか。みなさん。

日居月諸: オーケーです

イコぴょん: はい

KOUSAKU Abe: この歌については、なんだかタクシードライバー思い出します。まあ、乖離した結果、自己獲得に走る、実存を破り去る瞬間というか、一瞬だけ演技によって自分に帰った感じはしますね。

では、つぎは安部の「ネイヴル」です。僕は感想なしです

KOUSAKU Abe: みなさんお願いします。

カヅヤ: ネイヴル

 

西洋詩的な雰囲気の詩の読み方がさっぱり分かりません…!

何かこう、ストーリーが組み込まれているんだろう、読み取れるんだろう…ということは分かるけれど、単純に読む回路がないせいで解釈できませんでしたすみません。なので表面的なことのみ。

ネーブルオレンジは、どうしても「ネーブル」表記が自分の中で標準だったので、最後まで「ネイヴル」に馴染めませんでした…!それが効果なのかもしれないのですが、違和感の方が勝ってしまった。

 

「臍」がすごく印象的でした。ネーブルのあれは、他のかんきつ類と比べて非常に人間の「臍」らしい「臍」ですよね。

実家でネーブルが取れるのですが、ネーブルの食べられる時期は夏。

ネーブルの匂いって、他のかんきつ類と比べて甘い匂いが強い。

夏場にネーブルを食べると、その甘酸っぱいにおいと、自分の汗くささと自分の身体から立ち上るあまずっぱい臭いと混ざってしまう。

作品が後半に行くにつれて、その体臭とネーブルの混ざり合った匂いを思い出して、ぞくぞくしました。

これ、温州みかんは冬だし、夏ミカンやレモンは酸味が強くて爽やか過ぎるし、ネーブルじゃないと出せない雰囲気だと思いました。

(ネーブルが卑猥なものにしか見えなくなりそうです末期だ…)

日居月諸: (あらかじめ感想を用意していないので、ざっくりとした印象で失礼します。)

KOUSAKU Abe: どうぞ

6: 「ネイブル」・・・堅い言葉が連続して緊張感を感じた。それをネイブルオレンジというある種の可愛さがある果物を媒介にしてつむいでいったことは見事だとおもう。そしてネイブルからさまざまな単語に視点がうつり、旅行しているような視界が移動しているような詩だった。詩は一瞬と永遠を同時に描けるとおもっているんだけど、厳選された言葉と「―」の使い方がそういった時間(一瞬&永遠)を表現できているような気がしました。

6: カヅヤさんの感想がまるでカヅヤさんの作品みたいでなんかすごい。。

日居月諸: ネイブルオレンジという明るい色をモチーフにしているにもかかわらず、「鴉」「死の歌曲」「山裏に沈む」といったネガティブな言葉を並べている対照具合が気になります。「夕陽」、「夕暮れ」「赤」「朱色」、ところどころに明るい色を配置しているのに、どうしても明るいイメージとはつながらない。その中でどうしてもネイブルオレンジにこだわる理由は何か。そこから糸口が見いだせるかな、と思いました。

イコぴょん: 「ネイヴル」

・お前とわたしというのが、何を指しているのか、また詩がどういうイメージで組み上がっているのか、具体的に読みとろうという気にはならず、残念だった。

・何度も読んでいくにつれて、卑猥な詩なのではないかと思って、卑猥なものがダイスキな自分は少し興味が湧いてきたが、わがままな読者としては、興味をもつに至るまでに、何かしら引っかかる言葉が欲しかった。

・オレンジや烏を使うのは、わりとありきたりだと思うのだけれど、そういうものをあえて使うのだから、もっと安部さんならではの世界が作れる気がした。

(家人の感想)

・わたしは男で、お前は女?

・すごく頭は良さそうだけど、ピンとこなくて、「だから?」という感じになった。

・エロい。

Rain坊: (戻りました)

KOUSAKU Abe: (おかえりなさい!)

小野寺: 印象派の画家がネイヴルオレンジを描写しているうちに様々な想像が現れて一種の爆弾なんではないかという梶井基次郎の檸檬のような世界が見えてきました。

もちろんひとつひとつの言葉が安部さんの幻想を精確に自分が追いかけているとは思えないのですが、何やら世界が拡がっていく気がします。全体に力がこもっているからなのか

Rain坊: 純粋といいますか綺麗な印象を受けました。ほんのりと温かいものを感じました。

6: 言われてみるとエロい気がしてきた・・・。

6: ネイブルオレンジが体のさまざまな部分に変化して行くような詩に読めてきた。

6: 体のさまざまな部分が描かれるんだけど詩の印象としては汗クサクナイ。

なんか荘厳なクラシックをきいているように感じる。交わりなのか。

日居月諸: でも柑橘系の爽やかさではないですよね。「気炎」だとか「灰」だとか、そういう言葉を使っていてもやはりひっそりとしている

KOUSAKU Abe: (マッキーさんって離脱してますか?

みなさんありあとうございます。とりあえずフリートーク移りましょう。だいたい31分まで。)

6: そうですね。谷間のような沼底のようなものを前半からは感じるなぁ。

日居月諸: 鼻をつくわけではない、鼻の底にひんやりと残るような感触。谷間の沼底、いい喩えです

6: 安部さんは文章構造で対比をおいたり、するのが抜群にうまいとおもう。

6: 文章的な平衡感覚をすごく身につけていると感じます。

6: 二連目は鳥と言う高さのある言葉から底、底というふうに一気にかけおりて

6: 最後に「飛び去る」という高さにもどる・・・こういうの実はすごく難しいと思うんですよ。

6: こういうことを彼は結構昔からしています。

6: 抽象度と言う言葉で行くと

6: この作品もすごく抽象度の高い作品ですね。

6: あんなさんの言葉は身体的感覚、肌さわりのようなものから言葉がつくられている感じでしたが、このひとは言葉をもとからそういう抽象度の高いものとして捉えている印象がありますね。

6: そしていつもながら空虚。

日居月諸: なるほど。五連目から一気にスピードアップしていくのもそういう戦略なんですかね。「私の心臓は 忘れようと 大きく、脈打った」「腕の中――融け始めた」「一打ちで火が放たれた」

カヅヤ: >高さとかスピードとか  言われて気付きました。すごいな。

日居月諸: でもスピードアップしてからは終局まではアッという間。「底を閉ざした 湖」

6: 動と静とか、高さ低さの構造をばっちり掴んでいると毎回感じます。

日居月諸: 「間断なく爆ぜ 音と灰を残した」

6: そうそう!

6: これって小説のテクニックとしても発見されているものなんです。

6: 読んだ小説テクニック本にも書いていました。

6: こういうのを感覚でやってのけていると推測して、少し恐怖です。

小野寺: これは意識的なモノでしょう。きっちりしてますよ。けっこう

6: だけど、そう家人さんのおっしゃるとおり安部さんの作品の弱点としては「残らなさ」だとおもう。

カヅヤ: 私は、意図的に、計算しつくしてやってるのじゃないかと感じております。

6: あ、そうですね、つくるときは計算でしょう。しかし、こういうのを誰に教わったわけではなく嗅覚でたどりついているような印象を受けました。

小野寺: もし安部さんが抽象へと逃走しているというのなら

6: イメージがつぎつぎと飛躍して行ってその手なみも見事なんだけど、結局自分は何を読んだのか分からない。

6: すべてが通りさって灰になった景色にただずむような印象をいつも受けます。

小野寺: それは現実に絶望感を抱いているからと思うのです

日居月諸: 終局からすべてを眺めているんでしょうか。それとも現実の時間感覚を再現しているからこそ、やはり何も残らない、一切が通り過ぎた感覚が生みだせるのか

小野寺: あんなさんは絶望感を抱きながらも現実と戯れているけど安部さんは抽象の空間を作り出す

小野寺: 19世紀的なクラッシクの伽藍を想起します

6: 19世紀的なのかな。。。19世紀についてそんなにわからないのですが。いつも世紀末的な印象は受けるかもしれません。

6: 作品を壊す芸術家っていますよね。

6: 小説を燃やす作家とか、何となくそういうイメージがする。。

小野寺: 悪魔的なイメージはありますね

小野寺: 禍々しさと言うか

6: そうですね。

日居月諸: バルザックに「知られざる傑作」っていう作品がありましたね。あれも作品もろとも焼死自殺した芸術家の話だった

6: (何か人が減っている気がする・・・。)

イコぴょん: (すいません、疲れて眺めてるだけになってましたw)

カヅヤ: (読む方に夢中になっておりました)

イコぴょん: 安部さんの作品が、現実への絶望感からきているとは、思えなくて。

6: 僕も絶望感と言う言葉をだすのはまだ早い気がしました。

Rain坊: (なるほど、と思って読んでました)

イコぴょん: 安部さんの作品は、安部さんの読書経験からきていて、現実の、生活から来ている感覚から来ているとは思えなかったのです。

小野寺: まあ、それはそうでしょう

イコぴょん: 詩や小説にゾッコン惚れこんだ人の、文学ゾッコンラブがあらわれた作品として、いつもとらえていまして。

小野寺: 安部さんは世紀末的な作品を好んでいる傾向はあるんでしょうね

イコぴょん: だから前にも言ったのだけれど、たとえば海外を書くときに、その場に行ってみる、肌に触れてみる、という体験をすることは、安部さんの作品を大いにかえるんじゃないだろうかと思うのです

6: 触れてほしいですね。触れるとどんなふうに変化するのか楽しみだ。

イコぴょん: 自分は今の状態の、「空虚」感を、いいようには思いません。

イコぴょん: 家人は素人の読み手ですが、彼女に「だから?」とときどき自分も言われます。

イコぴょん: その「だから?」が、いちばん怖い言葉です。そういうものを書いたときは、反省しなければいけないと思っています。

小野寺: 安部さんはまだ若いので生硬さで勝負できる年齢と思います。今は自分の感覚を信じて堅牢な世界観を表現してもいいのではないのでしょうか

日居月諸: そうか、「だから?」って怖いんですか・・・私は意味を求めすぎなんじゃない、そっちこそおかしい、と思ってしまうんですが

イコぴょん: 「だから?」は、ピンとこないから、その作品に入れなかったからこそ出てくる言葉なんですよね。

イコぴょん: いい作品を読んだときは、意味とかそういうのそっちのけで、黙ります。

小野寺: 私はこの世界にすんなり入ってしまいました!

カヅヤ: 果汁が関節に滴る描写は、「ネーブル食べると肘まで垂れるよね!べったべたになるよね!汗だか果汁だかわかんなくなるよね!」と思って、非常に匂いとか触感とかを意識しながら読んでしまいました。

日居月諸: なるほどなあ

6: あ、そう言う意味の間接だったのか。

イコぴょん: ひとりの意見だし、別に、ぜんぜん真に受けなくていいんですけどね。自分は、へたにいっぱい読んでいない素人の感覚の方が、なんとなく信じられてしまう、というだけです。

日居月諸: 私は時々文学に通暁していない「素人」にこそ、実は文学の思考は浸食しているんじゃないか、って考える時があるんですよ。物事に奥行きを求める、意味を求める、そうして表層を見失う

イコぴょん: ふーむ、なるほど。

6: 日居さんの問題提示について、めっちゃ話したいことあるけど

6: やめときます。長くなりそうなのでw

日居月諸: まぁ、それは後々ということでw

6: びっくりした外国人かとおもったよ。

6: 「じゃあ」ね。

日居月諸: ja.(YES)

KOUSAKU Abe: すみませんw

では、丁度よさそうなので、ここで切りますね。

みなさんありがとうございました。

KOUSAKU Abe: (移ってもいいですか? まだ言いたりないことがあればどうぞ。)

6: 安部さんどうおもわれました?

小野寺: 文学にもいろんなジャンルがありますからね

6: 自作の批評に触れて、率直な感想がききたい。

KOUSAKU Abe: うーん、意図(作為)か、感覚かは判らないとすれば、感覚が伝わるかどうかも、非常に意図的なものかと思いました。 >6さん

日居月諸: (そういえば自作に関して語るスペースはないのかな、ってホームページを見た時に思いました。これは独り言なんでほっといてくれても構いません)

6: 言葉遊びみたいな感想だな・・・

6: でも何となく理解したつもりですw

KOUSAKU Abe: あんまり直接的に述べると、自作を解体して押しつけてしまう気がして……

カヅヤ: (>日居さん  自分も欲しいな、と思ってたり。いろいろ改変中なので、意見次第で増えるやもしれません)

6: 了解です>安部さん

小野寺: そのコントロールができる安部さんがすごいよ

6: では常磐さんの作品にいきましょう。

小野寺: 日居さん、一応作者はあまり語らないことになってます。収集が付かないときもあるので。

KOUSAKU Abe: いきましょう。では、常磐さん「雪鋼」の感想お願いします。

日居月諸: (そうですか。わかりました。ともかくこれは後の機会ということで)

 

6: 雪鋼

 

常磐さんの作品を読むとその文章の煌めきにしばしば心を奪われてしまうところがあり、いつも楽しみにしている。今回も雪のなかに足音をつける擬音や笛の音がユーモラスで明るいタッチで描かれておりよかったと思う。

しかし普段の常磐作品と比べて、やや小ぶりな印象を持つ作品だった。

まず世界設定が後ろの方まで読むと相当ファンタジーな世界であることがわかるけど、最初の方はマウロと呼ばれる動物がしゃべるほかは、舞台が日本だと聞いても納得してしまうようなところがある。小説はやはり最初の方で自己紹介とでもいおうか作品の雰囲気とか世界観をある程度読者に伝えるべきだとおもう。今回それが伏せられていた効能がどこかにあったとは考えにくかった。

シンプルな文体ではあるのだけど、登場人物の関係性が把握しにくくやや不親切かと思った。連続する長編小説の一部を切り取り読んだような印象がした。それはある意味で短編としての機能を十分に発揮していないという証でもあると考える。

文章は読みやすく壊れてもいなくて、読みやすさを一定に保ちながら進めていたのでそこはよかったとおもう。後半に行くほど展開が強引な気がした。キャラクターの魅力をひきだすためのエピソードをもっと用意してほしい。

カヅヤ: 「ぎーしゃぎー」っていう、擬音の出て来る作品て、常磐さんの作品でしたっけ…。

先日の「運動会」でも、その過去作でも、常磐さんの擬音の使い方は面白いなあと感じました。

今回もリズミカルな擬音が多く。

ただ、自分がラノベ方面を読み慣れていないせいか、今回の作品ではちょっと擬音が多く感じられてしまいました。

もう少し減らすなり、厳選するなりしたほうが、擬音の魅力が引きたつのでは。

 

登場人物が多くて、この作品だけでは世界観やキャラクターを把握しきれませんでした。

もともと、これ単体での作品というより、長い構想があって、その中の一話、という位置付けだと認識したので、その点は仕方なかったのか、とも。

 

サツバツとしたシーン以降が、夜麻みゆきの「幻想大陸」のイラストで脳内再生されて…。その後のやりとりからも、夜麻みゆき作品を彷彿として、すごく懐かしい気分になりました。

カヅヤ: (席外します)

イコぴょん: 「雪 鋼」

・視点がどこにあるのか分かりづらく、終始作品に入り込めなかった。どの人物がそれをつぶやいているのか、分からなくて困ってしまう。疑問点ばかり次々に湧いてしまった。

・簡単な言葉で語ろうとする姿勢は、とてもいいなあと思う。

・常磐さんの擬音は好きなので、これからも暴れてほしい。

日居月諸: 常磐さんの作品はメモしてある感想があるので貼り付けます。ただ自分用に作ったものなので敬語ではありません、ご容赦を

6: 夜麻みゆきの絵、たしかにハマるかも。はじめてみたけど・・・。

小野寺: 短い作品であるのにわかりにくく作品世界にはいっていけなかった。登場人物?が多いのに説明があまりなくて混乱する。自分はこのジャンルは常盤さんのものしか読まないのでえらく個性的におもえてならない。

6: まっきーは寝ているのか・・・。

小野寺: 24時間寝てたのに

カヅヤ: 戻りました。(蛇足なんですが、夜麻みゆき作品は、モンスターと人間の対立、共生というテーマが大きく取り上げられております。トキワさん、読んだことあるのかなー、と気になり…!)

日居月諸: 『雪 鋼』

 1ページ目の「ボクはヒトじゃないんだから」というマウロのセリフがひっかかる。マウロは「龍人」という、人間とは違う特別な種族であるらしい。それは人間であるマユナも織り込み済みのはずだ。周知の事実を、なぜわざわざ強調する必要があるのか。

 普段暮らしている中で、たとえば「私は女なんだから」、「僕は健康じゃないんだから」、と人間が言う時、それはどういう動機から発せられているのか。大抵はセリフを向ける相手との違いを強調する場合に発せられる台詞だろう。そうやって相手との立場の相違、意見の相違を投げやりに提示することで、アツレキの調停を諦めるという時にも使われる。

 しかし、このセリフの後に続く二人のやり取り――マウロがマユナに抱きつく、二人が連れたってテントへと向かう、そういった文章を鑑みると、むしろ違いがあっても互いにやっていけるのだから、といった意味合いが込められているようにも思える。

 

>マユナと一緒にのっしのっし、新雪に足跡を残す。ヒトの足跡。マユナの足跡。ヒトでない足跡。ボクの足跡。少しだけ、笑う。マユナが傍にいてくれる。そのことがやっぱり嬉しかった。

 

 このフレーズなどはその象徴だろう。

 この小説は、人間と、半分人間で、半分獣である種族が共に暮らしている、という設定で進められる。獣の子どもマウロと人間の子どもギースはいつものように喧嘩をするものの、それは友情ともいうべき営みの一貫である。あるいは人間同士で惹かれているシーンも描かれている。ユタカはマユナに惹かれているし、遍はユタカに憧れている節がある。誰もが相手の違いに引き寄せられつつ、一緒に暮らしている。そうした様子を鑑みると、

 

>落ちた結晶は下の結晶と同化する。落ちるまではちょっとだけ違う結晶。でも、落ち切れば、他と同じ結晶。もう見分けはつかない。何故そんなことを思ってしまうのだろう。

日居月諸: こういったフレーズが縮図として小説を表してくれるのがわかる。こうした丁寧な描写にも好感が持てる。一方で、こうした観念的なことはいわずもがなではないか、こうした観念的なことを書かないで、単純に登場人物の暮らしぶりを書くだけでもよかったのではないか、という疑問もちらつかないではない。むしろこうした文章の方がふさわしいのではないか。

 

>歩いている最中、誰も何も言わなかった。地面に残る三人それぞれの足跡の、体つきよりも小さいのを見れば、そこからは体重の乗せ方の工夫を思わせる。はしゃぎたてるような歩き方はしないで、常に早足で歩き続ける。無言であるにも関わらず、音は聞こえない。地面の結晶を踏み砕くことも踏み締めることもしていない、まるで浮いているような感覚を呼び起こさせる程、三人は無音だった。

 

 一人ひとりの描写に時間をかけるのではなくて、「三人」とまとめてしまって、彼らは一つの集団なのだとする。これだけでいい。別にここでは連帯を描いている、などと説明しているわけでもない。三人とも無言で、しかも同じように歩いているのだ、という行動だけを示している文章が、三人の連帯をとても上手く表せている。

 そうしてみるとユキヤという突然の闖入者は、この集団の連帯を脅かす存在であることになる。彼は獣人を嫌う国の人間だ。この集団の人間とは対照を描く存在である。ユキヤはあえなく倒れる。結局は相いれなかった存在として、集団からはかけ離れた存在として。

 そして繰り返されるマウロの「ボクはヒトじゃないんだから」という言葉。ここではおそらくマユナを始めとした仲間達との絆を再確認するための言葉となるのだろう。ボクらは別の種族であるけれど、仲間でもある。ボクらに種族の違いがあろうと、共にやっていく力がある。

 

 だが、正直なところ、この闖入者を登場させる必要はあったのか、と思わざるを得ない。おそらく対照を表すことで、この集団の信念を強化させるという効果を生みたかったのだと思う。しかし、違いを容認しながら生きている集団が、違いを排除することによって連帯を高める、ということに撞着を感じざるをえない。たとえ、排除した存在が徹底した人間中心主義者であろうと。そうしたドラマツルギーを採用してしまったからには、結局は同じ穴のムジナということにはならないか。

 破調を生み出しながらも結局は統一に落ち着く、というのはよくある手法だ。その場合、破調は所詮統一を生み出すための踏み台でしかなくなってしまう。その時、実は破調は破調ではなくて、統一のための一種の演出、酷い言い方をすれば出来レースということになる。そんな演出を使う必要が、この人間と獣が混在する集団にあったのだろうか。そもそも彼らはそんな演出をしながら、出会ってきたのだろうか。..

KOUSAKU Abe: 常磐さんの作品は、とても賑やかで、いつも楽しげな音が聞こえてくるのですが、いまいち入り込めなくて、例えば高校生が昼休みのグランドを眺めている時のような、妙なおかしさと疎外感を感じてしまう。だが、それは常磐さんの狙いではないだろうし、むしろ常磐さんは遊んでいる風景ではなく、「Join us!」って言っている方だと思うので、少し戸惑う。ナンセンスさは、眺めている限りは面白いのですけれど。

Rain坊: 長い話の一部分を持ってきたのかなという印象。読者に対して不親切なまでに登場人物やそれらの関係性が分かりにくい。擬音を多く使っているのも少し気になった。何を基準にこうも多く使っているのか疑問でした。最初の方の人物が出てきたところの説明はちょっとラノベ的な語りだと思いました。ラストは唐突すぎたかなと思います。せめて捕まった人がどうしてあっさり殺せるほどの技量を持っているのか的なことを入れてから切られた首の場面に行くべきじゃないかなと。

KOUSAKU Abe: 揃いましたかね。みなさんありがとうございます。それではフリートーク移りましょう。10時15分まで、とりあえず。

6: 「不思議な運動会」は、暴れていた・・・。今回のは大人しい。「雪鋼」というタイトルの意味もつかめていません。

6: 擬音についてはすごく愛着をもっているので、おおいとは感じず、むしろ擬音のところのみよかったかなとおもいます。雪のなかをあるいている場面。

日居月諸: 「雪鋼」というタイトルは、雪は本来バラバラに振ってくるものだけど、固まれば鋼のように硬くなる、そこから転じて、人間と獣人というバラバラだった集まりが連帯すると強くなる、という意味合いがあるのでは

6: なるほど・・・。

6: 文章自体は読みやすいのに、情報量があっとうてきに不足しているから

6: みんなとまどったようですね。

6: しかしみんな同じ感想で長編小説の一部ではないかーというのが

6: 感じられていますね。

カヅヤ: 常磐さんが「マウロ」などの出て来る作品を、ツイ文内で発表したのは、これが初めてですかね。

6: 他にもあるんですか、マウロが出ている作品は?

小野寺: ああ、そういうことか

小野寺: 連作なんですね

日居月諸:

 

<<<  だが、正直なところ、この闖入者を登場させる必要はあったのか、と思わざるを得ない。おそらく対照を表すことで、この集団の信念を強化させるという効果を生みたかったのだと思う。

6: これは僕も感じました。むりにサスペンスな展開に持って言った感があって

6: マウロとの癒し系エピソードでしっかりとまとめられてもよかったんじゃないか。

6: この展開により、登場人物の性格がよりわかりづらくなった気がします。

カヅヤ: あ、いや。長編作品としての構想があるのだろうと思ったので、(ツイッタでもちょいちょい登場しているので)すでにこういう掌編を挙げているのかな?と思ったのです。

6: キャラクターの魅力に徹底的にせまるつくりにしてほしかったです。

カヅヤ: とくにそういうものはないようですね。

日居月諸: 非常に酷い言い方になるんですけど、これイケニエなんですよね、ユキヤが。集団の結束を高めるための

6: たしかにマウロはツイッターには現れますね>カヅヤさん

6: そのことにより、結束は高まったのでしょうか。

6: 僕はそう思えません。

6: そういう狙いがあったようには思えるのですが実際のところどうかは

6: わからない。

日居月諸: 確かにそこをその後の描写で複雑にしている。

6: 登場人物の書き方も、かんゆ的というか部分から全体がでてくる構造で、けっこうそれは狙われていた感じがありましたが、そのことにより印象が深まったと言う気はしませんでした。

日居月諸: 具体的に言うとここ。「その少年とその仲間の前には、一人の男の死体が横たわっていた。仲間などでは決してない。でも、行きずりの死人という訳でもない。少年にも答えはわかっていた」単純に仲間ではない、なら結束を高める効果が確実になったと思います。あとはもう打ち捨てておけ、ですから。でも、行きずりの死人と言うわけでもない、自分に向けて問いかけてくるものがある

日居月諸: 「マユナの声も聞こえないフリで、しゃく!」

「その瞬間、どさり。木から雪の落ちる音がした。誰も振り返ることはしない。さっきまでそこにあった泣き別れの首は、何時の間にか見えなくなっていた」

日居月諸: そして最後の場面でもやっぱり特徴的な擬音は使われる。あくまでも穏やかな文体のまま、っていう意図があるのかもしれないけど、やっぱり危機は潜んでいる。ちょっとここらへんにうすら寒さは感じます

6: そうですね、もう一度読み返してみるとやはりこのラストには

6: 魅力があるのかもしれない。

6: けれどその魅力を活かしきれていない感があります。

6: 世界観の構築としての言葉が絶対的に少なく、大事なとこだけを書いた印象。

6: もっとなにか盛りたてる背景があった方が盛り上がると思います。

6: 不思議な作家です。常磐さんは。

カヅヤ: 既に作者の中にある大量のキャラクターを使った作品を作るにあたって、ひとまずSSを作ろうとした。で、全員のキャラクターや関係を描きつつ、一つの完結したエピソードを作らなきゃいけない。という感じでむりやり作った感が感じられてしまって。

日居月諸: 癒し系のエピソードでまとめては、という提案があったけど、本当に連作もので書いていくつもりがあったのなら、全体の構想としてどこかで危機を起こそうとはしているのかな

6: SSっていうとショートストーリーですか。

カヅヤ: ですです。上記のような視点から感想を言うなら、もっと登場人物を限定した上で、初見の人でも分かるようなエピソードの方が、親切だったように思いました。

6: そうおもいました。だからマウロの魅力を引き出すことに徹してはという提案をしてみました。

6: 連作全てがそれだとやはりきついのであくまでSSとしての提案です。

日居月諸: なるほど

6: 小説はやはり事件を必要としないというのが改めて分かった気がします。

6: なにもおこらなくても面白い作品は生まれる。

日居月諸: 確かに世界観がないのではきつい。でもあえて反論してみると、私、こういう形式好きでもあるんです。あえて世界観を提示しないで、人と人との関係だけを見せる、っていう

6: そういった小説も確かにありますね。

カヅヤ: ううん、漫画ならアリだな、と思えるのですが、小説だと不親切な感覚を受けてしまいます。

日居月諸: 説明しないでも、小説の世界の中では成立してることがあって、それを書くだけで十分じゃん、っていう。その場合やっぱり癒し系のエピソードでまとめる必要があると思いますが

6: よほど洗練された書き方じゃないと人と人との関係だけと言うのは難しいとおもいます。

日居月諸: うんうん

6: 「不思議な運動会」は凄い作品なので、日居さん読むことをおすすめします。

日居月諸: やっぱり人と人の関係だけを書くには、現代もの、つまり私たちと価値観なり世界観なりが共通している世界を書くしかないんでしょうか

6: すごいパワーと運動が秘められた作品だといまも思っています。

日居月諸: わかりました、読んでみます。

カヅヤ: 確かに、「一千一秒物語」とか、「夢十夜」とか、世界観の説明なくてもOKなものはありますね。しかも面白い…。ただ、この作品に限って言えば、連載長編の構想はあるけれど、とりあえずデビューするために一話完結のものを書こうぜっていう、漫画家のデビュー作みたいな…戦略的な書き方があっても良かったんじゃないかな、と思いました。

6: そうですね、深く納得します。

6: 読みきり的な完結さを求めたい。

6: これだけ読まされると。

小野寺: 私は二次創作かとはじめは思ってしまいました

小野寺: マウロってすでに有名なキャラかと。

6: マウロって常磐さんの考えたキャラですよね。

イコぴょん: そうみたいですよ(復帰)

6: マウロにはすごい愛着をもっておられると感じる。

KOUSAKU Abe: マウロを使った作品は、別の小説投稿サイトで連載されているんですよね。

カヅヤ: あ、そうなんですね。>アベさん

6: 常磐さんはどんな作家が好きなんだろう。聞いたことなかった。

6: どんな小説が好きなんだろう。

イコぴょん: 常磐さんの好きな作家の欄を見つけたので書きますね

イコぴょん: あさの あつこ先生 橋本 紡先生 藤沢 周平先生 時雨沢 恵一先生

イコぴょん: とのことです

6: はばひろいジャンルから。

6: 選ばれていますね。

イコぴょん: あさのあつこや時雨沢恵一って聞くと、たしかにって思う

6: 橋本紡、はじめてきいたけど

6: おもしろそうな作品書いているなぁ

6: どんなところが好きか聞いてみたい。

日居月諸: 読んでみました。「不思議な運動会」

6: もう・・・

6: はやいですね。

日居月諸: 詳細な印象までは論じられないんですけど、とにかく勢いがあるからあっという間に読める。確かに面白いです

6: 評価がまっぷたつにわかれました。このときの合評は

日居月諸: あの、なんていうんでしょう、ラノベ文体って言うのかな、無駄にメタ視線を入れる小説ってネット小説にはよくありますよね

6: そうなんですか、ネット小説にあかるくなく。

日居月諸: トルソーが中学生の体育のテストに出る、役に立ったら常磐のおかげ、っていう、こういう文章ですね。作者がちょいちょい茶々入れてくる、もしくは登場人物が読者に語りかけてくる

6: 独特だなぁやっぱり常磐さん。

6: あ、でも結構あると言うご意見ですね。

日居月諸: まぁ、これ自体はゴーゴリとかそういう頃から使われてた手法なんですけど、よっぽど上手くないとサムいんですw

6: わかりますが、このときは許せてしまいました。

日居月諸: そもそも作者がハシャいじゃったらだめなんですよ。でも「不思議な運動会」の場合、てんやわんやの中、同じ阿呆なら踊らにゃ損損っていう、お祭り感覚があった

6: なるほど。

日居月諸: そこでね、「常識にとらわれちゃダメだよ」っていう言葉が効いてくる

6: 「join us」って言うのはこういう感覚ですね。

KOUSAKU Abe: そうですね。

日居月諸: 勢いで書くっていうことがどれだけ難しいことか。そもそも勢いを読者に伝えるのがどれだけ難しいことか。そういうのを痛感したことがある身としては、羨ましいです、ホント

6: ええ。僕も羨ましかった。

6: どんどん書いてほしい。とっきー。

6: そろそろお開きにしますか。

KOUSAKU Abe: そうですね。それでは、本日の9月号合評会はここまで、と言う事で。