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創作合評(9月)

以下に掲載する文章は、9月24日(土)の21時からskypeのグループチャットを使って行われた、合評会の模様である。

 

参加者は途中参加を入れると、小山内豊、緋雪、神崎裕子、緑川、崎本智(6)、イコの6名。合評会対象作品は、「月刊twitter文芸部」9月号(当HPに掲載)に寄せられた以下の3編である。各編にリンクを貼っているので、参照してほしい。

 

イコ「領土」

小山内豊「冬を迎えようとする土地にて」

しろくま「プランテーション」

 

また当日までに、ちぇまざきからレジュメが配布されている。

こちらも「資料」として載せておく。

 

9月号創作合評レジュメ(ちぇまざき)

 

 

twitter文芸部

創作合評

9

 

小山内 豊: こんばんは!

イコ: こんばんはー

緋雪: こんばんは~

イコ: 緑川さんは残業らしいです。来られるとは思うのですが。

イコ: 21時です。ではよろしくお願いします。

イコ: 新入部員の方もいらっしゃいますんで、簡単に自己紹介お願いします。

 

◆参加者自己紹介


小山内 豊: よろしくお願いします。小山内豊です。小山内劇場というHN2chコテをやっています。

イコ: 2ch!創作文芸板ですか?

小山内 豊: 文学板と創作文芸板です。

緋雪: どちらもなんですね

イコ: 今度探してみよう。昔、よく見てました。創文板

神崎裕子: ほほうあとで探してみます。

 

神崎裕子: 神崎と申します。滋賀の某大学の文芸部員をしています。よろしくお願いします

イコ: よろしくお願いします。滋賀の部員といえば6さん。

緋雪: よろしくお願いします。6さんて滋賀なんだ~

イコ: お住まいが近いかもしれませんね。

神崎裕子: 滋賀県民いらっしゃるのですね。

小山内 豊: 神崎さん、文芸部ってどんなことをやっているんですか?

神崎裕子: そうですね、読書会や合評会等ここの活動と大差ないような、対面かどうかの差はあるものの。

イコ: なるほど。じゃあ文芸部の雰囲気には慣れてらっしゃいますね。

小山内 豊: 読書会では最近はどんなのが読まれているんでしょう?

神崎裕子: 最近では、三島由紀夫の潮騒でした。私が所属していない頃はバタイユの眼球譚をやったそうです。あ、今年入った新入文芸部員なのでそこまで慣れていないですww

イコ: twi文でも三島由紀夫は扱いましたよ。「月」で読書会をやりました。三島は語りがいがありますね。

緋雪: 潮騒は個人的に読んだなあ。

神崎裕子: 三島はファンですね、昔親に豊饒の海シリーズ誕生日に要求して拒否されたなあ(汗)

小山内 豊: 古いものも読むんですね。

イコ: うちの親だったら喜んで買ってくれただろう……w

神崎裕子: 親曰く極右だからやめろとwひどい

イコ: ああ、そういう意味でw

緋雪: なるほど

イコ: いや、誕生日に三島ねだるような方は、twi文は大歓迎ですよ。

神崎裕子: 代わりに安部公房の砂の女を買ってもらったのはいい思い出ですw

 

緋雪: 光の詩人、緋雪ですww

イコ: 緋雪さんは光の詩人かwでも分かる気がする

緋雪: いや、笑いを取りにいって滑ったっぽかったから、ちょっと反省ww

イコ: どんどん取りにいってくださいよw

緋雪: 改めて、詩人として参加している緋雪です。

小山内 豊: ニュートリノの詩人を名乗るのはいまのうちですね。私は詩人じゃないので断念しますけど

緋雪: 小山内さんの詩、読ませて頂きたいけどなあww

 

イコ: 乗り遅れましたが、自分も自己紹介しときます。twi文部長のイコです。プロ作家を狙って小説書いてます。よく熱い人と言われます。(明言しておりませんが、今回の司会をつとめています。)

 

イコ: では「月間twitter文芸部」9月号の創作合評を始めます。

小山内 豊: ちぇまざきさんのレジュメどおりにいくとイコさんの『領土』からですね。

イコ: ちぇまざきさんがレジュメを作ってくださいました

イコ: せっかくですので、その通りの順番でいきますかw

 

イコ: 9月号の 提出作品は、

 

「領土」イコ

「冬を迎えようとする土地にて」小山内豊

「プランテーション」しろくま

 

です。

 

◆「領土」イコ


◇苛立ちが盛り込まれている

イコ: では「領土」から始めましょう。皆さんの感想や、語ってみたい視点などを教えてください。

神崎裕子: 初読の感想としては、心情描写がうまいなあと、読み込めてないんであまり言えません。

小山内 豊: ちぇまざきさんのレジュメにもあるけれど、苛立ちというのは全体的に盛り込まれていますね。

緋雪: 登場人物各々のパーソナルスペースを意識した、苛立ちがありますね。

イコ:Aの大学生の彼は、強い不快感を顕わにしている。』

『1の彼は、社会的な間合いに対して不満があるようだ。』

ちぇまざきのレジュメより。

小山内 豊: それを時代性ぐらいにまで押し広めて、時代人の性格の現れととるかどうか。私は社会学が好きなんでそういうように捉えました。

イコ: その視点は、ぜひお聞きしたいところですね>小山内さん

小山内 豊: じつは三箇所を読んでいてもそれは強く感じていたのだけど。

(イコ: 参考までに、「三箇所」というのは、イコの別の作品です)

小山内 豊: それで社会学的には現代人の苛立ちを一種の病理ととらえて、漠然とした脅威のようなものをグローバリゼーションとかに当てはめたりする。だけど、文芸でしかも短編でそこまでは踏み込めない。そこで作者がどんなように料理するか、作者としての文芸にたいするコンテキストみたいな、そんなものに着目しました。

小山内 豊: イコさんのばあいは、疎外感というかたちで主人公の肌感覚でそれを書いている。だから、いらだち自体の原因というのは表れてこない。領土の場合も一人の国っていうのが前面に押し出されて、苛立ちの作用というか結果の世界をかいている。

緋雪: 心理描写がメインなようで、苛立ちの結果の世界で終わってますからね

小山内 豊: 私は実はもうちょっと積極的というか、安易ではあるけど道筋みたいなものを見出したいとは思いました。

 

◇個人主義をミクロの世界で

イコ: 先ほど「パーソナルスペース」という言葉が出てきましたが、「領土」と似たニュアンスでとらえられるでしょうか。

緋雪: オイラは、パーソナルスペース=領土でとりましたね。

神崎裕子:それを侵される苛立ちと他者への疑心を感じました。

小山内 豊: 個人的にはパーソナルスペースというよりも、やはり一人の国って言う言葉がしっくりするかな。個人主義をミクロな視点で描いたといったところでしょうか

 

A1は同一人物か→メッセージ性の薄さ

小山内 豊: そういえばA1の主人公は同一人物なんですか?

緋雪: オイラは別人かなと思いましたね

神崎裕子: 私も別人かなと

小山内 豊: 私は話のうえではどちらでもいいと思いました。

イコ:2人は、なぜ別人だと考えましたか?

イコ: ちなみに何人かは同一人物だと思って読み、また別の何人かは別人だと思って読んでくださっています。真っ二つですね。

緋雪: オイラは、なぜかこのAが語っているところと1が出てくるところでは、お互いの存在が消えていると感じたので2重人格の可能性あるなって思って読んでましたね。

神崎裕子: うまく言えませんが、性質が違うといった感じですかね

小山内 豊: 性質は違いますよね

神崎裕子: 伝えたい意味とはずれちゃうんですよね、それだと。

イコ: 彼の悩みを含めた思考の性質、という意味ですか? それとも、性格、という意味ですか?

神崎裕子: 性格ですね。勝手な読み込みかもしれませんが

イコ: なるほど。では、作者が「伝えたい」こととは、何だったと思いますか?

神崎裕子: パーソナルスペース=領土の侵害、歩み寄り

小山内 豊: まず思うのは「伝えたいこと」があってメッセージがこめられているのだとしたら、そのメッセージ性は弱いと思います

緋雪: そもそも、作者の伝えたいことはなかったと感じましたね。

小山内 豊: 親元を離れて唯一のグループからぬけて都会に出て、個人主義の世界でいらだっている、という筋書きがひとつ私の理解としてはあります

神崎裕子: 主題はあれどメッセージ性は薄いという解釈でよろしいのですか?

小山内 豊: そこはイコさんは読者にゆだねるからね^^ わたしもだけど^^

イコ: ふむふむ。メッセージとは、ひとつの方向へ、読者を連れて行こうとするものですよね。「団結しよう!」とか「希望をもとう!」とか。そういう意味で、「伝えたい」ことは感じられましたでしょうか。小山内さんは、薄い、と感じたようですね。

神崎裕子: 私は感じられませんでした。

イコ: なるほど、では三者とも、メッセージ性はない、あるいは薄いと思われたんですね。

イコ: 非常に書きにくいことなのですが、作者としての自分は、読者が自分の作品に、メッセージ性を感じてくださるなら、それはそれでいいと思っているのです。が、たとえばプロレタリア文学のように、読者をどこかに連れて行こうとする意志は、弱いのです。このやり方が、皆さんがそれぞれに読む「面白さ」につながるか否か、それをうかがいたく思います。

 

◇ブルーシートをかぶせただけの家→A1は同一人物か

緋雪: オイラはイコさんの作品を読むということは世界観を楽しんでいて、そこが面白さにつながっていますね。そこにメッセージ性を感じるときもあれば、純粋に作品の世界観に自分が入り込んでいるときもある

イコ: 世界観かー。

神崎裕子: ごめんなさい。ミスしました。単純に面白いかと言われれば面白かったのですが、読後この人は何を言いたかったのかと首をかしげてしまう。

イコ: ふむふむふむ。「何を言いたかったのか」それ、よく言われるんですよ!

小山内 豊: 意図的であってもやはりなにを言いたかったのかと思われるのは避けられないとおもいます

緋雪: それを想像するのが楽しいんですけどね~

小山内 豊: 緋雪さんがおっしゃったような世界観を楽しむ、ということになるんでしょうね

イコ: これは後で述べる小山内さんの作品にも、言われることかもしれませんね。

緋雪: あ、小山内さんの作品もそうですね~。実は自分の作品もそうだけど

小山内 豊: あはは、そうですね

神崎裕子: 骨組みがあり、それにブルーシートをかぶせただけの家のような、大事なところはあるのに、肉付ができていないから不安になる。

小山内 豊: だからこそよく理解できるのかもしれませんね

イコ: 肉付けか、非常に面白いです

神崎裕子: その骨組みが世界観にあたるのだと

緋雪: そうかも!

イコ: これは、A1が同一人物かどうか、という疑問が出てくるという点にも絡んできますよね。

イコ: 肉付けがもっとされていれば、きっとどっちか一方に多くの読者を押しやるのではな

神崎裕子: その通りだとおもいます>イコさん

イコ: 同一人物かどうかという議論についてですが、同一人物、として読んだ人は、この物語に、時間の流れを読んでくれました。

緋雪: 確かに読めますね

イコ: 高校時代の「彼」(1)が、大学生になってからの様子がAであると

神崎裕子: 時はちがうのはわかる

イコ: 1からAにうつったのに、彼は解放されるどころか、やっぱり苛立っていると。どこに行っても解放されない、閉塞感があると。別人だと言った方は逆に、それだと「狭い」と言われました。視点をひとりに限定しない方が、おもしろいと。

緋雪: いろいろ想像できますから

小山内 豊: 私は作者の思考の深みばっかり気にするので意図があるかないかは気にしてしまうかな

イコ: 意図があるなし、と言うのは、同一として書いたか、別人として書いたか、ということですか?

小山内 豊: そうです。それは読み取れなかった。それで二パターンできる。先に書いたその後の人生パターンと、もう一つはこれからの人と行き着いた人とを比較しているパターン。でも私としては、どちらであってもそれが疎外感と苛立ちと個人主義が書かれているという点では同じです。

イコ: それが先に言われた、どちらでもいい、ということですね。

小山内 豊: そうです^-^

神崎裕子: ふむ

小山内 豊: 私は自己を堅持しますで^^

 

◇脇役の存在

イコ: 2つ目の疑問です。これは自分の人物造型のテクニックに関わることなので、とくにお聞きしたいんですけど、この小説には、人称を与えられた「彼」以外にも、「ポテトチップスを食べる男」や「携帯電話をいじる女」が出てきます。彼らの存在はどうでしょうか。

小山内 豊: ステレオタイプに思いました。

イコ: ポテチの男、携帯電話の女の他に、ストライクおじさん、駅員も出てきますね。

緋雪: 差別化はできてるけど、携帯電話の女はもっとめんどくさい感じを出しても良かったかも。

イコ: ふむ。めんどくさい感じか。

緋雪: ポテチの男・ストライクおじさんは良いと感じましたね。ああ、いるいるって思った。

イコ: いる?w

緋雪: こんな人、いそういそう!って思ったw

緋雪: ステレオタイプのめんどくさい客とも言えるけどw

神崎裕子: ポテチの男タイプはいた。典型的な人物。

緋雪: DQNですねw

イコ: はははw

小山内 豊: やだな、小田急とかで隣り合ったら

イコ: やだなあw

緋雪: 都内で会ったら嫌だなw

神崎裕子: 露骨に避けそうだ

緋雪: あ、どこでも嫌だww

小山内 豊: 緋雪さんご存知かな、小田急の通勤時間は特別です

緋雪: もちろん、存じておりますw

小山内 豊: 隣の人の体の形を体で感じますよね。

イコ: ちっと20枚っていう紙幅にこだわりすぎて、造形が狭くなったとこはあります。この小説において皆さん言われた「ステロタイプ」「典型的」を、よしとするか、いや、改善すべきとするかによって、作者は色々と考えます……。

神崎裕子: いわば典型的人物。印象的にさせる必要がない限りはそれでよいかな。と思います。

緋雪: でも、20枚っていう幅にこだわり過ぎて造形狭くなっただけで、枚数制限してなかったら、もっと細部にわたって書けていた気がするな

イコ: ふむふむ……。

 

緑川: こんばんわー。遅ればせながら、よろしくです。

イコ: 全員集合ですね。

 

◇ステロタイプは良し?

小山内 豊: で、って感じで話を続けてしまうけど、説明してしまわないという点では、他者を詳細に書くということも必要だと思いますが、それが典型的であるかどうかの良し悪しにこだわる理由はなんでしょうか

イコ: よく小説では、典型的な人物、ステロタイプな人物といわれると否定的なニュアンスでとられがちです。とかく印象的に、懐深く底知れず人物を描けと言われる。それではみなさんの今おっしゃった「典型的」「ステロタイプ」は、どのようなニュアンスであったのだろうと。

小山内 豊: 確かに。でも一方で読者に状況が飲み込みやすいってこともあるのではないでしょうか。

緋雪: はっきりしていて分かりやすいかな。

イコ: 自分はむろん、「ステロタイプ」と言われることを分かった上で、こういう風に人物を書いているのですが

神崎裕子: どこにでもいる人。

小山内 豊: 私はお話上の比重しだいでそれもかまわないと思います。だだ、それらの人物がどうかというご質問があったので答えさせていただきました。

イコ: それがもし改善すべき点としてとらえられるのであれば、どう改善すべきなのかをお聞きしたいなと思いまして

緋雪: 感情移入はできない薄い人たち。でもこの小説だとその方が良い感じがした

神崎裕子: 同意>緋雪さん

イコ: その方がいいと言われると安心しますねw

 

◇物語的脈絡を読んでみたい

イコ: さて、領土についてはこれくらいでしょうか。他に何かありましたら、よろしくお願いします。

小山内 豊: 「三箇所」でも思いましたがとても読みやすい文体ですね。主語の配置などすごく気をつかっているように感じました。「三箇所」ではセリフの現実感が強く印象に残りましたけど、この作品では説明文ぬきでの車内の緊張の高まり、苛立ちを肌感覚で説明していてうまいな、と。

イコ: 最近は「読みやすい」とはあまり言われませんw 昔は「水のようだ」と言われて凹んでたんですがw

小山内 豊: こんなようにかいてくださいっというのをあげるとしたら、イコさんがあえて避けられた、物語的脈絡を読んでみたいということかな

イコ: 物語的脈絡、そうですね

小山内 豊: その脈絡・帰結がイコさんの場合、儒教的なのか主知主義的なのか(別に並べて描くことでもないですが)、個人的に興味があります

イコ: ふむふむ、なるほどwそのように自分を分析したことはないんですが、これまでは主知的なものが多かったですねw

小山内 豊: はい。すごく制御している印象を受けます。繰り返してあげてますが『三箇所』は枚数的にとくにその印象が強かったです

緑川: 「三箇所」は押さえた筆致だからこそ、作品に不条理感が出てるかと

イコ: また「三箇所」のお話も、うかがいたく思います。ありがとうございます。

 

 

◆「冬を迎えようとする土地にて」小山内豊


◇感傷的な気分に浸る

イコ: みなさんの感想、語りたい点など教えてください

緑川: 着想が面白いですね。空き地にスポットを当ててその様を描写する。そしてラスト付近の考察というのか、感慨めいた箇所も良いです。

神崎裕子: そうですね。感傷的気分に浸りました

緋雪: 一つ一つの描写が綺麗ですごく好きだったな~

小山内 豊: 良いといわれるとやはりうれしいですね

緑川: 空き地の雑草とか小動物から、遠く星々にまで思いを馳せる。

イコ: 空き地という場所は、面白い場所設定だと思いますよ。空き地(箱庭)という、ミクロな場所を設定しながら、歴史や、宇宙といった、マクロなものまで視点が拡大している作品ですよね。

イコ: そもそも何かがなくなった後の場所というのは、非常に感傷的な性格をもつものだと思う。

緋雪: 壮大且つ荘厳で静寂です。

 

◇動と静

緑川: 周囲では人々がふつうに喧噪あふれる生活を送っているだけになおさらですね。

イコ: 動と静の対比がありますよね

神崎裕子: うむ。心地よい静寂の中寂寞感がある。

イコ: チョウの飛ぶ様子など、まさにそれだと思うのですよ。チョウは動いているけれど、静的な存在なんです。チョウの羽音は聞こえてこない。

緋雪: 色も見えないんですよね~

緑川: 植物はその逆ですね。静的でありながら生命力旺盛で

イコ: そうですね。静かに這い進んでいくんですよね。

 

◇単語の選び方ほ冒険した

小山内 豊: ありがとうございます。ちょっとこわいんですが、気になった点などおうかがいしたいです。単語の選びなどはかなり中学生的というか冒険はしました

イコ: 中学生的・・・わざと仰々しくしてみた、ということでしょうか。

神崎裕子: サバンナというのは乾燥地帯の名称であります。蔓性植物はほとんどない。違和感がありますね。

小山内 豊: なるほど。それはもうそのものずばりの問題点ですね。この作品は掲載前にも説明させていただいたとおり、以前によそに一度載せていました。

神崎裕子: サバンナは丈の長い草原にバオバブの木が生えている感じですね。蔓植物は湿潤地帯に多いのでそれを選ぶのが良いかと思いました。例えば熱帯雨林とか。

小山内 豊: バオバブとなるとサバンナには設定できないですね

イコ: かなり具体的ですね、自分は無知ゆえ、そのあたりは気にならなかった。

緋雪: この小説の内容からするとあまりオイラも気にならなかったですね~

イコ: 単語のもつ意味に厳密であろうとすると、改善すべきでしょうね

小山内 豊: 詳しい人からみて違和感があるのは修正すべき点ですね。

 

◇文芸は震災に面して、何ができるか?

小山内 豊: それで、前掲の話なんですが、三月の二十日ごろに載せています。実は献詩というかたちで発表させてもらっていて、文芸というのがなにができるものなのかということを考えてまとめてみた作品なんです。

イコ: 震災を受けての詩、ということですね。

小山内 豊: そうです。それでいただいた感想は、もったいないけども、しっかりと受けてもらえた、とかくとなんか変だけども、他の作品にくらべると良い印象だったようです。

小山内 豊: それでいきなり天災のようなときに文芸にできることという話にしてしまうと話がたためなくなるんですが、みなさんは作品への影響というものはあったでしょうか。

緋雪: オイラは震災に関係しての詩を描きましたね。あとは嫌でも人間的に影響は受けていると思いますね。

イコ: 文芸にできること、考えて、正のメッセージ性のあるものを書こうと思ってもみましたが、「文学」というややこしいものが機能し始めるのは、もっと後になってだろうな、と思って、結局自分の歩み、従来の自分の書き方で行くことに決めました。

神崎裕子: 震災時期は創作まったくできてはいなかったので(汗)しかし人間観はかなりかわりましたね。

小山内 豊: 余裕がなくて書けないというのは読めないというのにも通じていますね。

神崎裕子: 読んでもらわないと何もできず、読む余裕がない。

小山内 豊: 機能するまでというのはちょっとちがうけれども、ああいうときにスポーツ選手だとかはかなり早いタイミングで被災地に入って、まぁ一月とか原発のこともあったけども、芸能人も芸を披露し、スポーツの講習とかもありで、それなりに本分を果たしたようなところがあったと思うんです。

イコ: そうですね。

小山内 豊: ペンクラブは実はメッセージを出してはいたけどあとは個人レベルだったんですね。

イコ: 色んな雑誌を読んで、文学者は、自分には何もできない、という思いに駆られているようにも思いました。

小山内 豊: それは多かったですね。文芸というのが、お札に作家の顔が繰り返し乗るぐらいに民族性に深く関わっているのに、パンの代わりにならないって感じだった。

イコ: 「即効性」が求められる頃に、その一助となることができなかった。

小山内 豊: それにたいする不満というものがあって、普段書かないものを書いてみたんです。それをネットでだして満足しているのは不甲斐ないてんだけど、考えていかなきゃならないということでは今も変わっていないつもりです。紙芝居みたいなものでもよかったんじゃないかと思うんですけどね。

緋雪: 常に念頭に置いておくというのは大切だと思いますよ。ああ、紙芝居とか良かったかもしれないですね。絵本とか。

イコ: なるほど。やはり皆さん、できない不満や不安はあったんだと思います。でも自分は、そうでなくてもいいと思う。文学は、ゆっくりと組み立てられ、世界に蓄えられていくものでいいのだと思う。

緋雪: 少しだけ余裕は出来たときに何かを読んで多種にわたる考えが浮かぶのが文学だと思う。

小山内 豊: 載せたのは「作家でごはん」ですけど、イコさんのおっしゃられているようなご意見はいくつかいただきました。文学という考えだと、確かに自然事象は関係ないですからね。

神崎裕子: そもそも読書というのは、音読し聞かせるものでしたし、このような時文学が行うアプローチはそのようなものかもしれない。その形の一つが緋雪さんのおっしゃる紙芝居かもしれない。ショウペンハウエルの読書についての記述をもとにしています。

小山内 豊: 文芸ということならやはり人間の生きることの苦しさのある種救いとして、芸として成り立っていると思うんです。

イコ: 自分は、震災とはまったく関係なく、小山内さんの作品を読みました。そこに震災とは独立する魅力を認めました。

小山内 豊: それはとてもうれしいです。長くなったけども、被災者の方が読むに足るものを書きたかったということ、なんです。そうしたてんでどうか、という。

緑川: 「狙い」に書かれたわけですか?

小山内 豊: そこまで具体的には書いていません。ということで、すごく横道にそれてしまいまして……

イコ: いえいえ、でも小山内さんの作品の、新しい読み方が見えてきますね

緑川: ですね。

緋雪: 小山内作品の新しい読み方が出てくるな~。

小山内 豊: 「書けてないじゃないか?」みたいな^^

 

◇宗教に接近している?

緑川: ラスト部分はカタルシスか

小山内 豊: 生きることの肯定ですね。肯定したくなるようなもの。ですんで言葉遣いがちょっと乱暴になりました。

緑川: はい。分かります。

イコ: それはある種のメッセージですね

小山内 豊: 「そうやって読め」みたいな^^ それじゃだめなんだろうけど、私性をだすのも必要なときがあるということで。

イコ: 自分は、小山内さんがおっしゃるほどには、メッセージは感じなかったんですよ

緑川: ダイレクトではないから

イコ: 生きることについては、否定も肯定もされていないと感じました。むしろ、生きることの寂しさが描かれているな、と思いました。

神崎裕子: 仏教の諸行無常感。

緋雪: 座禅してる感じがある。

イコ: ああ、宗教的な感じでもありますね

緑川: 「私性を出す」って言われてますけど、ちゃんと作品中の言葉として書かれてると思いますよ。文脈から浮いてないし、だからダイレクトではないって言葉を使いました。

イコ: 視点がどうも「神」を目指しているように思われる。その「神」による仰々しくもある言葉の世界が、どうにも宗教的に見えてくるのだろうなあ。

緋雪: 客観的というよりも新しい神視点での表現か。だから美しく大仰なのか。

緑川: アニミズム的な神ですね

緋雪: それそれw

 

◇濃厚な死のにおい

神崎裕子: 生の中に濃厚な死のにおいを感じましたね。ほかの植物や生き物の死によって生かされている。円環の輪のような。

イコ: そうですね、死のにおいは感じました。

緑川: 冬を迎えようとする土地、ですからね。

イコ: チョウやコオロギの命も、いずれ来る死の前の生と感じられます。

緋雪: そもそも血が通っていない感じを受けましたね

イコ: 死のにおいが潜むからこそ、この作品はおもしろいです。一面的でない、「歴史」の表裏が感じられるのです。血が通っていないというのは、どれかひとつの対象に寄り添わない、徹底的に外からの観察による作品だからだと思います。敢えて言うなら、空気を描いている。

緋雪: 確かに空気を描いている感じですね。

小山内 豊: >徹底的に外からの観察 「私」というのは生きることを肯定という部分に注いだつもりで、観察者としての「私」がいては読むに足らなくなるんじゃないかと考えました。

 

◇表現の重複、仰々しさ

緑川: ちなみに小山内さんは、いつもこのような文体ですか?

小山内 豊: 文体は普段とは違います

緑川: なるほど。こなれてない感じはするんですよ。

小山内 豊: 言葉が仰々しいからこなれていない印象なんでしょうか

緑川: 表現上の重複とか。

神崎裕子: のようにが多用されているのがくどいとかですかね。

緑川:それもありますね。少し説明ぽいかなと。人間の記憶が流れ始めると・・・あの流れに踊りこもうかと・・・一点に流れ込もうとする。

緋雪: それが空気を感じられて良いかと思いました。この作品だと割と説明っぽくなっても嫌味な感じは受けなかったですね。

イコ: 危ういバランスではあるけれど、神になろうとする話者の「威厳」が保たれているように思いましたよ。

緑川: 一節に同じ表現が重なったり。『何かが起こっていると耳を済ませると・、庭全体が聞き耳を立てているように』とか、意図的なのかもしれないですけど。

小山内 豊: いや、意識的ではないですね

神崎裕子: 馬から落馬したのような仰々しさはたしかにありましたね

イコ: も少し、意味がとらえやすくてもいいかもしれませんね。『蝶の世界はかつてより細くはりつめた意識の中で繰り広げられたのだろう。』

緑川: 耳を澄ませる主体と、聞き耳を立ててる主体が異なるのに、隣接してるので、ちょっと気になったり。

小山内 豊: 詩というか随筆としての質を問われると、実際、かなり苦しいですね。ご指摘いちいちもっともです。

緑川: たぶん、表現困難な主題にチャレンジされたからこその文章上の分かりにくさとか、じゃないかと思います。

イコ: そうかもしれないですね。みなさん、他にありますでしょうか?なければ、3作品目にいきたいと思います。

緋雪: 漢字とひらがなの使い分けが文章にマッチしていて、好きでしたよ~。表現方法とかはオイラも自分の詩に活かさせて頂きます!

小山内 豊: ありがとうございます。ほっとします^^でも、にこにこしているけど、大変勉強になりました。ありがとうございます

イコ: 朝から晩までを描いているだけなのに、非常に広がりのある作品でした。長屋の取り壊された後の空き地、という場所設定が、本当にうまいと思います。人間の踏み固めた痕跡がある、というのがなんとも生滅を感じる。

小山内 豊: そこを感じ取ってくださっていたら作者としては満足です。うん、満足してしまう。俗も含めた文芸のあり方のほうへ向かっていきたい。

 


◆「プランテーション」しろくま

 

◇これから消化する体験

イコ: この作品は、外国に住んでいる作者だからこそ書ける作品だと感じました

緋雪: 確かにそれは単語からも言えることですね

緑川: かな、やっぱり。そもそも、こういう着想自体思いつかない

イコ: そうですよね。熱帯なのかな、こういう場所は、非常に幻想的にとらえられます。

小山内 豊: これから消化する体験、という印象を受けました

イコ: 消化する体験か。まだ彼の目に飛び込んでくるばかりの、新鮮なもの、ということ?

小山内 豊: そうです。光景にひたすら目をひかれているというような。

イコ: たしかに目をひかれていますよね。ずっと見ている……。

イコ: 彼にとってこの土地は、「不安」を呼び起こす場所ですよね

緋雪: 土地自体にいることが不安を感じさせる。

緑川: 二重に異邦人でもあるわけかな。日本の駅前のビル街と、熱帯のプランテーションと二重写しでどちらからも、外部の人間ということかな。

イコ: 駅前のビル街は、そこまで観察する描写がなかったので、異邦人とはとらえなかったですね。

緑川: 駅前の大通り、って冒頭にあるので、そうかなと。

イコ: 冒頭の、重たさをあらわす表現から、かれはその人間の密集する社会に、疲れている様子がうかがえる。

緑川: ですね

イコ: 疲れる、というのは、異邦人的な感覚というよりも、そのなかに同化して生きる、生活経験による「重たさ」のあらわれだと思うんですよ。

緋雪: だから、熱帯とかの方が不安はあるけど生き生きしてはいる印象を受けますね。

 

◇現実の経験ではない?

小山内 豊: 駅前の大通りはどういうことなんでしょうね。駅前からすぐに舗装されていない道路なのかな

緑川: アスファルトの上から、土の上に足跡を付けている、という表現も、まずは生気を取り戻すような感覚かも。冷気を含む空気と木漏れ日は気持ちがいい、なんて表現も最初は出てくるんですけどね。

イコ: 熱帯の描写のほうに重たさはないですよね。疲労から意識のふと途切れるような瞬間に、「夢」のように、外国に連れ込まれていくんだと。そこには目を奪われる世界がある。 異界に到達して、いくらか生気を取り戻してはいるんでしょう。

緑川: はい。しかし、終盤に至って「人工的な密林」という言葉が出てくる。そこは原生林ではなくて、プランテーションであったと。

イコ: そうですね、プランテーションという設定も、非常に示唆的だと思うんですよね

緑川: ですね。そして、林の果ては墓が所狭しと並んでいる。

イコ: 夢って、現実とまったく無関係ではなく、むしろ、現実を再構成したり、その人の自我を分かりやすく切り取ったりするものだと思うんですけど、かれはある面で解放されている、けれども不安のなかにいる。自分のいる世界が、労働力の安価に売り買いされる農園のなかのように、とらえられる、というと言いすぎかもしれないけれども、そのような世界観はどこか彼個人のなかにあるのだと思います。

小山内 豊: 現実の経験でないとおもわせる部分はあるでしょうか。

イコ: んー、この作品、どこか絵画的なんですよね

緋雪: 絵画?

イコ: そこに手触りが感じられない。

緑川: 幻視ってことでもあるかと。

イコ: 植物の固有名詞の羅列が、そう思わせるのかもしれない

緑川: 一番分からないのが、水牛なんですけどね。絵画的な中に、この生き物だけ動きがある。

緋雪: 説明っぽ過ぎるところも手触りが感じられないんだよなあ

イコ: 絵の中の風景を歩いているような。色彩はあるけれど、それに触れることはできない。

小山内 豊: ああ、たしかにいま熱帯にいて目の前の景色をかいているにしては観念的なセンテンスが多いかな。

 

◇水牛は「死神の使い」

イコ: 観念的なセンテンスの多さは感じました。緑川さん、水牛に動きがありましたか?

緑川: 歩いてるだけですけどね。

神崎裕子: 水牛はヒンディーでは死神の使いであるから墓地に繋がったというのは考えすぎか。

イコ: 妙に風景に意味付けしているところがある

緑川: う~ん、水牛に何か根拠はあるのかな。ある意味、理想だから、少なくとも息抜きの場所だから、自分にとって気持ちよく描いてるとか。

イコ: フロイト的な、夢分析に頼れば、何かあるのかもしれないけれどなあw自分は水牛も、絵のなかのひとつの静的なアイテムと感じましたよ。ただ植物を描くより、遠景でひとつ、生き物を描いていた方が、絵がしまる、そういう感覚なのかなあとw

緑川: ん、わざわざ付いていったってところに引っかかるんですよ。今までのように、自分で歩いて行くんじゃなくて。

イコ: たしかについてってますね。神崎さんのおっしゃるように、墓(死)につながっている……?

緑川: 正直、私には分からないです。

イコ: そう読むと、なかなかにおそろしい世界になってきますね

神崎裕子: ちなみにしろくまさんはどこの国にお住まいなのですか?

小山内 豊: やっぱりたったいまの未消化の経験だなぁ

イコ: インドネシアのはず

緋雪: 合ってる!

神崎裕子: ヒンディーなら死神の使い、仏教なら閻魔の乗り物なんですよね水牛は。よって私は不吉な香りしか()

 

6: こんばんは。夢の記述というのは、受身的な主人公を書かざるを得ないのではないでしょうか。何か(水牛)が出てくると、それに主人公は必ず影響を受けてしまうような。

全員: こんばんは、6さん。

 

緑川: さっき、小山内さんの言われた「現実の経験でないとおもわせる部分」っていうのが気になってるんですけど、何か想定されてますか?

 

緋雪: 申し訳ないですが、そろそろ退席させて頂きます。

全員: おつかれさまですー。

 

◇神話的な形象か

イコ: 「現実の経験でないと思わせる部分」水牛などは、やはりそうでしょうね

緑川: ですです。それで私、水牛を持ち出したんです。

イコ: 水牛は、そのフォルムがほとんど描写されてないですしね

緑川: あぁ、言われてみれば。

イコ: 「弦の張る角を持つ、灰色の一頭の水牛」これじゃあ、ほとんど想像できませんよ。

小山内 豊: 弦の張る角ってなんでしょうね

緑川: 弓みたいに弦が張れるような形ってことかと。

6: 弓なりってことですね。

イコ: カーブしてるんでしょうね。

小山内 豊: それがたんに形を意味しているのだったら、もうちょっと非現実を説明しているところが欲しいかな。牛が墓に導くというのはたしかにあまりないことだと思いますが……。

イコ: そうですね……この作品自体、かなり粗いタッチだと思います。描写が少ないのは、水牛に限らないな。

緑川: 発想は好きかな

小山内 豊: 神話的な形象であればこれはかなり非現実性が増しますよね。

緑川: 私だけかもしれないですけど、梶井基次郎の作品を思い出しました

イコ: あー、神話的な性格を帯びているとも、とれなくもないな……。でも、現実の感覚から出発するから、どうも、神話まで話が飛んでいかないな……。

緑川: 梶井基次郎の作品って、日常のありきたりの風景から旅情を感じたりするんです。

イコ: 『深夜二時までパソコンをしているみたいだ』不用意な表現だと思うんですが、現実を描きたいって感じですよね。

緑川: なるほど。

小山内 豊: 二時とでてくるとそれなりに具体性がでてきますね。

神崎裕子: うん。宗教や神話その他超常的ものではない印象をうける。

 

6: すいません、来て早々明日用事がありまして、そろそろ退出させてもらいます。

緑川: えと、じつは私も少々、きついかも……。

緑川: 今日は、ありがとうございました。

イコ: ありがとうございました!

6: ありがとうございました!

神崎裕子: お疲れ様&ありがとうござました。

小山内 豊: おつかれさま。

 

◇枚数が足りていない

イコ: この作品は、もっと夢のなかの、不条理な感覚をだせると思うんですよね。パラゴム、ヤシ、パームオイル、カカオ、たくさん植物が出てくるのだけれど、実はその違いがあまり想像できない。それぞれの植物を頭に描けるように、とは言わないけれど、もっと暗喩的な、色々に考えられるような、性格を付与していいよな、と思いました。そしてそれは、ここまで観念的に説明するべきではないだろうと。

小山内 豊: わたしは正直、この作品をそこまで深くは読みませんでした。可能性としては面白いかもしれません。

神崎裕子: 私も読めませんでした。それぞれの植物のイメージをだして、話をするのは大きくずれがでそうですし。

小山内 豊: ただ、位置づけ的に、熱帯での経験で日本の文芸作品を書くとなると、基底文化などが違うので、この経験をどのように回収できるものかなと、関心はあります。

イコ: なるほどなー、ずれるか……。

神崎裕子: 枚数が足りていない、プロットのような印象。

イコ: 熱帯は、あくまで日本人の目からとらえた異界としてとらえられると思いました。この主人公は、それを濃く思い直すことはできなかったんだろうな。まあ心象風景としての熱帯だから、これでいいのかもしれない……。枚数は、もっとあっていいですよね。

 

小山内 豊: そろそろどうでしょうか

イコ: そうですね。

小山内 豊: いや、長時間、おつかれさまです

イコ: おつかれさまでした

神崎裕子: お疲れ様です

イコ: 今日はありがとうございました。またやりましょう。

小山内 豊: はい。

 

(文責:イコ)