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創作合評会 『Li-tweet』(2014 夏号)

ふかまち: こんばんは!

日居月諸: こんばんは

小野寺: こんばんは

Akila: こんばんは!

山田: こんばんは。新入部員山田です。連絡していなかったけど、参加させてくださいー

小野寺: もちろん歓迎します

Akila: それでは、本日の合評会。対象作品は、

小説「サマザマナラブ」(121枚):日居月諸

小説「ガラスの街」(10枚):蜜江田初朗

詩「初恋」:る の3作で、宜しかったですよね?

Akila: 開始まであと数分ありますけれども。一作につき30分程度でいこうと思います。

Akila: 順番は、日居さん、蜜江田さん、るさんの作品順でお願いします。

小野寺: よろしくお願いします

 

「サマザマナラブ」

 

Akila: 時間になりました。参加者は以上ですかね。それでは始めます。まずは日居さんの作品から。既に感想等用意している方はどうぞ。

日居月諸: おねがいします

: よろしくお願いします。

Akila: 日居さんの文学観、芸術観を登場人物に語らせているであろう箇所が、とても興味深かったです。特に「原典を尊重するだけじゃ一向に進歩がない」と述べる恵治の台詞には強く賛同したい気持ちがあります。「オマージュ」だけじゃダメなんですよね(もちろん、登場人物の台詞を字面通りに素直に受け止めることに危険性も付きまとうのは、鑑賞者自身自覚すべきこととして)。ところで、絵画は門外漢なのですが、「赤」といえば、最近、蓮實重彦『「赤」の誘惑』を購入したところだったので、この辺の関連性も気になるところです。

Akila: (6さんこんばんは!よろしくおねがいします)

山田: 非常に読みやすい文体でした。描写も伝わりやすく、よく書けていてすごいなぁと。気になった点は、登場人物が多いけど、動きがあまりなく、ドラマ、登場人物たちの言動によるストーリー展開があまりないといった印象。意図的にそうしているのかな。漱石に関する説明が興味深く、もっと漱石を知りたいと思いました。 

小野寺: 人物関係を理解するのに時間がかかった。私的には冒頭から数枚の僕と薫のシーンの風景描写と夏目漱石の裏面的なエピソードが興味深かった。ほとんど知らないことばかりで日居さんがさまざまな資料を読んでいるのは驚きでもあった。家出少女薫と僕との関係に特化してもらったらもっと楽しめたかもしれない。それぞれが育ての親という関係ながらも成長すれば、そこから抜け出そうとする人間関係の複雑さがテーマになっているのだろうか。だが、私にはイマイチ響いてこないテーマだった。

ふかまち: 漱石が要所要所で絡ませながら血縁や家族についてなぞるだけじゃなくてじっくり考え込む主人公を追いかけているだけで楽しめました。

冒頭の描写が丁寧であるから途中から会話文にたよって話を進めているのがもったいないなって思いました。

Akila: 「養子」というのは作者個人の問題意識も反映されているのでしょうが、それ以上に、暗に「親殺し」的な主題が示されているのも面白いですね。この辺りも、登場人物が提示する芸術観と親和性があるように感じます。(尊重だけではいけないという箇所)

: 会話のやりとりが練られていると思いました。一方で、登場人物たちの会話の内容は事件性の高いものが多いのに、その小説世界においては一向に事件らしい事件は現在形では起きてはおらず、いたって平和でほのぼのとしたやりとりが交わされています。その会話内容と小説世界との不均衡を楽しむところにもこの小説の良さがあるのかもしれませんが、(しぐさの描写が充実している一方で)何か出来事が少ないことに違和感を感じました。それは事件があってほしかったという意味ではなく、何かを仔細に描くような執着するような描写がほしかったな、というところです。平凡な場面なのになぜか不気味さが宿るような何かがあってほしかったのかもしれない。

小野寺: ただ詰め込みすぎの感は否めません

ふかまち: 確かに、書きたいことがたくさんあったのかなって思いました。

: また言語化しにくいのだけど、この小説を読んでいてとても論理的だと思った。しかし小説が論理的とはどういうことか。それは良いことなのかというのも疑問だった。またもっと割り切れないものが入り込んでいてもよかったのかもしれません。『それから』の最後に世界が真っ赤になるような、戸惑うような感じ。それは出来事よりも文章で味わいたいです。

日居月諸: 基本的に事件に興味がなくて、事前に興味を赴かせようとしてるんだと思います。振り返ってみると、あまり事件は書かなくて、事前、事件が起こる一歩手前ばっかり書いてるな

: 事件が起きてほしかったわけではないのです。何か不気味なものが宿ってほしかったなと思ったのです。

: 事前事後を描くというのは面白いと思います。

日居月諸: 今までは事前を書くにしてもワンテーマで済ませてしまったけれど、事前に潜んでいるあらゆるものを詰め込んだらこうなる、っていうものを書いたんだと思います。ただ、それをコントロールしようとしたから、まとまっているようにもみえるし、コントロールしきれない部分でまとまりがないようにも見える

日居月諸: 不気味なものはそうですね。大分おだやかな世界だと思います

山田: 事件が起こる手前とおもうと、面白いですね。事件が起こりそうな感じは予感できます。

Akila: 「薫」の幼さというか、妙にあっけらかんとした性格が浮いている印象がありますが、この辺の必然性について、自分は読み解けていません。事件が起こらない、そうした小説に対してつまらないと明言する人ももちろん多数いるとは思いますが、個人的にはアリだとは思います。ニーチェが絶賛したというシュティフターの『晩夏』ってそのような静的な小説らしいですね。未読ですが。

日居月諸: で、事前を書くなら本来は不気味なものがあって、予測不可能なことがあるはずなんだけど、とりあえず一つの小説としてまとめようとするから、おだやかになる

小野寺: 僕という一人称がつかわれるなら、ところどころでなく全体に主観的に書いてもよかったのではないかとも思います。僕はもともとはあまり特徴があるわけではないし、そのほうがわかりやすいのでは。

Akila: 個人的には響子の哲治に対する思いには、妙に不気味な(血は繋がっていなくても、近親愛的な)ものを予感していました。続きがあるなら読んでみたいです。

日居月諸: 最初はカメラみたいな役回りをさせてるけど、そういうところに安住させず引きずり出させたかったんですよね>僕

小野寺: クロードモーリアックの「晩餐会」は8人が食事して会話するだけの話ですが、けっこう面白いです。

日居月諸: 薫に関しては、そんなに必然性はないと思います。もともと別の作品の登場人物をそのまま持ってきただけなので。ただ、あらかじめある必然性ではなく、事後的についてくる必然性は、与えるべきだと考えていたので、それを表せなかったのは力不足ですね

: 日居さんは家的なものに対して批判的だったんでしたでしょうか。

: なんか敬語がへんですいません。

: その割に血縁についてよく描いているし、家的なものを題材にしている。それは向き合って何か答えをだそうとしているのかな。

日居月諸: 「家」を同じものを再生産し続けるシステムめいたものとしてとらえてるので、今回はそういうシステムに対してズレを生じさせようとはしてます

日居月諸: 幸福な家にも不幸な家を生産させる要素はないか、みたいなことをかんがえてはいましたね

: なるほど。そうだったのか。

日居月諸: まあでも、書いてる時だけしか考えないタイプなんで、そのあたりのことに関して答えられるのはあまりないです

Akila: そろそろ時間になりますが、他に述べておきたいことがある方はいらっしゃいますか?

Akila: ある方は、遠慮なくどうぞ。

小野寺: 大丈夫です

日居月諸: ありがとうございました。

Akila: 6さん入力中となっていますが、大丈夫ですか?

: すいません、大丈夫です。

Akila: 了解です。それでは次は蜜江田さんの作品についてお願いします。既に用意されている方はどうぞ。

 

「ガラスの街」

 

Akila: こちらは、サルトルの『嘔吐』をいかにホラーの文脈に持ち込むかが意識されているように感じます。

: こんばんは。ここから入ります。

Akila: (あやさん、こんばんは。宜しくお願いします。)

: まず、世界観が不明瞭です。その不明瞭さがよいようには働いていないと思う。文章や展開には面白いところもあるのに、最後に何か形にしなくちゃいけないというような意識が働いて、ホラー的なものによったり、夢落ちであったり、思わせぶりな一文を書いてしまうのだろうと思う。光る文章や展開もどこかしらあると思うのでこの書き手には、何かにおもねることなく、自らの面白さとは何か試行錯誤を続けてほしい。着地を意識するのではなくていかに跳ぶかを考えてほしい(これは自分にも言いたいですが)

山田: あやさん、こんばんは。

日居月諸: 基本的なところから述べると、三人称にもかかわらず一人称が挿入されていて、戸惑いました。内的独白の表出なんでしょうが、私、私、とくりかえされるとあたかも途中で一人称であるかのような印象を持ってしまいます。特別意図をもったようにも思えなかったので、書き手の不備としか思えません

ふかまち: まだ完成されていない作品だと思います。杏という女の子を客観的に書いてみたり、私という語り手らしき人物の一人称が現れたり、ちぐはぐすぎるところが多すぎるのでもう少し整理して書いたほうがよさそうです。

小野寺: う、言おうと思っていたことを言われてしまった

山田: おなじく、とつぜん一人称となった箇所が気になりました。

Akila: 技術的な問題、言葉選びのセンスなどについては色々ありそうですが、これからなのかなと。

一次校正に入ったのですが、指摘した部分(一人称とかテーマがずれてるとか)がすべてそのままなのが切ない…。

: それは良くないですね。

日居月諸: 物語に関しても、情報を小出しにすることの意図がつかめません。言い知れぬ恐怖だとか、言い知れぬ感情だとか、そういうことを表そうと思ったのかもしれませんけど、そういうことが書けた時代はもう過ぎていると思います。というか、書き手はその言い知れぬ感情を、しっかりと言語化できる形でとらえていると思います。とらえてるくせに、すっとぼけるのは、欺瞞も甚だしいところです

: これはミスティさん一番、反省してください。

小野寺: この短い文の中で人間関係云々といわれても感情移入するのに無理があると思う

: 「これ」といったのは校正してもらったのをきちんと直していないことです。念のため。

日居月諸: そうした欺瞞が、誰に対して責任があるのか。読者です。この作品を読みうる万人の読者という意味でもありますけど、一番の読者は作者です。作者が読んで、これを成功と捉えられるのか。文章だとか構成だとか、そういう基本的なところから、より掘り下げた根本的なところがなっていないと感じました。

: 今これって何の話? っていう疑問がずっとありました。

おいおい、前半の伏せんはどうした! いきなりホラーか! みたいな。

一次校正に入ったから読み切りましたが、やっぱり、読後感は、だから何、の一言…

Akila: いかに読書量、作品量を重ねるかかなと思っています。作者は哲学に非常に関心があるようなので、一度哲学と切り離して小説を読む機会を増やし、技術面に対して分析的に読むようにすると作者の成長につながるかと。哲学者が思想を伝達するために小説を書く作品自体は別にあっても良いのですが、思想が優れていることと作品が優れているかは全くの別問題で、第一に作品としての体裁を整えるということかな。

: こうしてみんなに読んでもらうということはなかなかありがたいことだと思います。だから最低限できること(校正)は最大限、頑張りましょう。僕も苦手ですが。中途半端な校正では読んでもらう人に対して失礼です。そして校正のシステムもあるのだから、それを活用していきましょう。

小野寺: 私も校正のシステムは大変すばらしいと思っております。できるだけ生かす方向でお願いしたいです

Akila: そろそろ時間ですが、他に述べておきたいことがある方はおられますか?

Akila: いないようなので、それでは次の作品に移りましょうか。

: 校正、いつもありがたいです。自分が、いかに適当に書いてたか思い知らされる…頑張ります。

 

「初恋」

 

Akila: それでは最後の作品は、るさんの「初恋」になります(自分は詩は全くの門外漢なので皆さんの評を読むことにします)。既に用意されている方はどうぞ。

: フレーズとして良いものもあると思います。だけどやっぱり、るさんの詩の抑揚にはついていけないところがあって、もう少し抑えるところは抑えてほしいなと思いました。つなぎがもっとうまくなればフレーズも、より響くとおもう。

ふかまち: 今回の詩でもそうですがるさんの詩は毎回きっちりしたテーマみたいななにか漂う空気が異なるので読めるのですが、使われる言葉が似たり寄ったりなのでそろそろ変えたほうがいいと思う、この人、この言葉好きだよね、みたいに、すぐに捉える事ができるようになってしまうとつまらないと思う

日居月諸: 流れるような言葉の並びに関してはいいとは思ったのですが、今回はイメージが陳腐だったように感じます。春という季節はあらゆるものが芽吹く季節であって、芽吹いたものがすべて花開くというわけではなく、踏みにじられてしまいかねないものもある……というのは誰もが抱く春のイメージであって、そこから一歩、なにかしらの新しさがほしくなる。そんな風な感じを受けました。

: すきな言葉とか言い回しはあるかんじがしますね。

あと、前も言ったのですが、四連の最初の『よ』。

癖なんでしょうか? 気になるなぁー。

日居月諸: 私は言葉に関しては流麗すぎてむしろひっかかりがほしいと感じました。ひっかかりがあるとしても、音読してみれば違和感がなく読めるから、単に「綺麗」なだけであって、「罪」とか、「罰」だとかいう、テンポを変えるはずの言葉もするすると読めてしまう

日居月諸: そこはるさんの才能だとも思うんですが、なめらかな言葉遣いをもってしても抑えきれないものがある、という風に変遷してもいい。というか、去年投稿されていた詩ではそれを感じたので、それが弱まりつつあるのかな、とも感じました。

小野寺: るさん、以前に比較すると随分とわかりやすくなったなあと思います。感傷的な詩だからかな

: うーん…

リズムはよくてすごく上手なのですが、

本人のなかでフォーマットが出来てしまってる気がします。

達者すぎる、というか。

なんかひやっとしたり、どきっとする一文が欲しいですよね。

日居月諸: 昔(というか私がるさんと出会ったばかりの頃)はかなり猥雑なモチーフで詩を書いていらしたので、抑揚の「抑」がない、というのはそのころの名残化とは思います。でも、そのころを知っている身としては、ずいぶんと抑えが効いているように感じる。効きすぎているように感じる

: あと、春という言葉を使いすぎているかもしれない、その季節が最後まで語られなくて最後に春という言葉が出てきて、終わるという終わり方もあったと思う。

日居月諸: ただ、ひょっとしてその頃に好き勝手言い散らかした感想が、今みたいなスタイルに変えたとしたら、少なからず責任は感じなければいけないのでしょうけど……

: あの頃のことは僕は忘れて読んでいるかなぁ。なんというか「絵になる」言葉を少し使いすぎていて、もっと凡庸な言葉の中にそれが生まれるように出てきてほしいと思ったのです。その凡庸な言葉でつなぐということを期待したいなと思ったんです。

日居月諸: でもそれだと完全に好みになるでしょう

: そうですね。僕好みになってしまうのか。。それもまた良くない。

日居月諸: どちらかといえば、今のるさんの詩は強烈な言葉を、他の言葉との並びや音の連鎖によって、「凡庸」にするという、飼い慣らすようなスタイルで成り立っていると思います。「罪」だとか、「弔い」だとか、そういう言葉が出てきても、違和感がないように思える。

日居月諸: それらの言葉が本来持っている抑揚を、意図的に脱臼させて、自分のリズムにもっていこうとするから、かえって読者には肩すかしを食らうような印象を与えてしまうのではないでしょうか

日居月諸: ですから、単純に単語だけを見るなら、抑揚が効きすぎているようにもみえるし、一方で、その単語が本来持っている抑揚がなくて、面食らってしまう

日居月諸: あるいは、リズムだけで詩を読むなら、それらの言葉は馴化されているから、違和感なく読める。その良し悪しは別として

日居月諸: パターンがあるように感じるのも、そのせいで。多分事細かに分析するなら、単語がどう組み込まれているか、どんな単語が繰り返し使われているか、そういうものに類型はないと思います。ただ、るさん自身の詩を書く上での原理みたいなものに、あらゆる単語は呑み込まれているのではないでしょうか

: なるほど、そんな風には読んでいなかったなぁ。

: るさんの詩はたくさん読んできたけどまだ、こういう詩っていうふうに語れるほど読めてはいなかったのかもしれない。

Akila: 詩の評価は難しそうだと随分前から感じています。自分が馴染んでいないだけかもしれませんが。

Akila: そろそろ時間になりますが、他に述べたいことがある方はおられますか?

小野寺: 特にないです

Akila: いなければ、これにて本日の合評会を終了させて頂きたいと思います。

小野寺: お疲れ様でした

Akila: 皆様お疲れ様でした。拙いホストで申し訳ありません。ありがとうございました。

: お疲れ様でした。

: お疲れさまでした。

日居月諸: お疲れ様でした。

ふかまち: おつかれさまでした!

山田: おつかれさまでした