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日居月諸: 合評会会場です
小野寺: こんばんは
日居月諸: はじめましょうか
小野寺: そうですね
日居月諸: では掲載順にあんなさん→安部さん→うさぎさん→日居と行こうと思います。それぞれ時間は40分
日居月諸: ちょっと長いかな?
小野寺: 最大40分くらいでどうでしょう
日居月諸: 基本35分で長引いて40分くらいならちょうどいいでしょうか
6: 了解です!
小野寺: そうですね

 


日居月諸: では始めましょう。まずはあんなさんの「一本の電話」からです。あらかじめ感想がある方はどうぞ
小野寺: しみじみとしたエッセイで楽しく読めました。これはぜひ短編小説にまとめていただきたいと思いました
6: すいません、偶然はやく帰れて、感想はすべての作品に対して用意できていません
日居月諸: 「レッツゴーショッピング、アンナ!」がとても良い。普通人を誘ったりする際は恥ずかしさが伴うものだけれど、それを振り払って気さくに大声を出すシーンは大好きだ。ポール・ド・マンが柄谷行人の文章を読んだ後、待ち合わせたカフェでゲラを振り回しながら「グッド!グッド!」といった逸話を思い出す。
6: 最初に黒電話についてのことが描かれています。うちの実家ではいまだに(!)黒電話を使っているため何だかこそばゆいような気持ちになりました。
うさぎ: あんなさんの人柄とか素っぽいところがあって好感がもてました。
6: 僕の周りの友達の家には白い・・・何だかテレフォンとでも呼びたくなるような電話を持っているお家が多かったので、幼いころは黒電話を持っていることが何か恥ずかしかった・・・しかしいま改めて家の黒電話のことを思いだして懐かしく思いました。
あんな: いまだに黒電話のお宅は最近見ないですね!羨ましい!
6: 黒電話が何と二台もあって最近、母の職場のひとがどうしても欲しいと言うから一台はゆずりました。
6: あれ、番号間違えるとすごいめんどくさいのですよね
日居月諸: 私の家にも小学生まではありましたね、黒電話。市外局番なしなら2ケタが必要になる時だったかな
小野寺: 私が黒電話に詳しいと思って見えたら大間違いです
6: 電話と人生って密接にからみあってきますね。嬉しい電話、辛い電話いろいろ思いだしてきました。
日居月諸: 短編小説にまとめては、との声がある通り、しっかり筋立てが出来てますよね。連絡がつながりやすくなった現代にいたって見ると、つながりにくかった昔の方が思い返されてくるという感じで
小野寺: 小学生の時に変えてしまったのでほんの数度しか触ったことはありません
6: 大阪のじゃりんこチエみたいな町だから僕の実家・・・
日居月諸: うちはトトロみたいなところ(笑)
6: いいなぁ
6: あんなさんはどうして留学を考えたんですか。最初はつらかったと書かれていて・・・
あんな: 高校卒業後に進路が特になくて…大学はお金なくて無理だったので。親の知り合いがオーストラリアの留学センターの社長だったので親の薦めで。自分も前から外国に興味があって、あんまりちゃんとした理由はないんです。
6: 18歳でひとり外国にいくっていうのは大冒険ですね
6: いまでも大冒険に感じる。
6: てゆうかいったことないんだった(笑)
あんな: その時はなんか無知すぎて不安とかなかったんですけど、行きの飛行機で早くも帰りたくなってました(笑)なんでこんなことしちゃったんだーって。
6: だれか知っている人がいたらぜんぜん違う気持ちだったんでしょうね
日居月諸: ホームステイ先でもコミュニケーションが取れなかったと書いてあったけれど、現地にもほとんどコネクションはなかったんですか
日居月諸: 単純に留学を斡旋(?)してもらったのみで
あんな: そうですね、それだけなので…本当に一人でした…
日居月諸: そんな中で出会ったのがエッセイに書いた人だと。とても良い人に恵まれたわけですね
あんな: やっぱり日本と違って娯楽があんまなかったので人との繋がりが結構重要でしたね。だからこそ電話もすごく嬉しかったし。
日居月諸: オーストラリアのどのあたりに留学したんですか?
あんな: メルボルンです。
あんな: でも中心街から電車で30分くらいの結構田舎でしたけども。
6: このエッセイのクライマックスである「レッツゴーショッピング」っていう言葉をきっかけにして、モノクロの世界に色がついていく感覚っていうのは何だかとても伝わりました。
6: 体験から出た言葉って説得力があります。
6: そしてそれ以来ホームシックにならなかったというのも何だか物語のようです。
あんな: 人と人の交流って大事だなーって初めて思いましたよ(笑)
6: 言葉が通じにくい関係においてドアがひらかれたように、関係がずっと身近になるっていうのはすごく嬉しいですね。
6: 電話番号を調べて大胆にも電話をかけてきてくれるなんて、世界をたしかに薔薇色にしちゃうかもしれない。
日居月諸: 一人でいるときに声をかけてくれる人は大抵良い人ですよ
6: そうですね。声をかけられた方は声をかけた方が考えないくらい嬉しかったりする瞬間てあります。
小野寺: 日本語よりも英語の方がいろいろ考えずに話せるような面もありますね
日居月諸: 極端な例を出せば知らない人には誰も声をかけようと思いませんからね。何かしら知人の知人みたいなコネを求める。それなしで障壁めいたものを超えてコミュニケーションを求めてくるのは、ある意味勇気がある
6: 英語の方が気をつかい過ぎなくて楽なときはありそう。
6: どうして日本語はこんなにも不自由なんだろう。
日居月諸: わからない言葉だとお互いわからないんだからしょうがないよね、って許しあえちゃいますもんね。そこでコミュニケーションが取れてるんでしょう
6: そういえば小野寺さんも駅前留学してた。
小野寺: 駅前(笑)
小野寺: そこはつぶれました
小野寺: ブックオフの片隅のノバもあります
日居月諸: 時間になりましたが、まだ話したいことはあるでしょうか?
小野寺: 英語の部分がカタカナだったんですが英語でもいいのではと思いました
あんな: その時自分はまだ英語があんまできなかったので、カタカナで一回理解してた部分はありました
小野寺: そうですか
小野寺: 最期はぺらぺらになったんですか?
あんな: 日常会話程度ですね、もうほぼ忘れかけてます
6: 韓国と台湾の友人たちの名前が西洋ぽい感じなんですがハーフなんでしょうか。こういう名前はあんまり珍しくないのかな。
あんな: アジア圏の人たちは大体セカンドネームというか、本名とは違う名前を持ってます。私も名前が西洋っぽいので本名だと思われてなかった(笑)
6: あ、そうなんですね。なるほど!そういう文化があるんだー
あんな: 羨ましいですよね
小野寺: 留学小説ぜひ!
あんな: 機会があったら…挑戦してみます!

日居月諸: 決意表明があったところで(笑)次の作品に移りましょうか

 


日居月諸: 次は安部さんの「電話にくたびれて」です。あらかじめ感想をまとめている方はどうぞ
日居月諸: こう言ったらなんだけど、今まで読んできた安部さんの作品の中で一番面白く読めた。細部の論理の粘りのなさや要旨へとまとめあげる際の弱さはあるけれど、これを書きたい、という何かにむけて突き上げてくる意欲を感じる。引用を電話回線の中の会話と置き換えた上で、もっと発展させていけばこのエッセイは良い小説(あるいは評論)になりうると思う
あんな: (すいせません、今日出席予定じゃなかったので感想がまとめきれてません。基本見てます)
6: ロラン・バルトの電話に関するエピソードをよく見つけたなぁと思いました。電話それ自体が不在であり、電話とはいつも相手がここにいないことを確認するものであるというくだりは面白かったです。
小野寺: 安部さんは「電話」について相当に考察していることがよくわかりました。「電話越しでの沈黙」というのは小説の文章の余白のようで想像によって補う必要が電話にあるのだなと改めて思いました。しかし、最近は切迫した電話をしていない私は過去を思い出さずにはいられない。
6: もう少し削って論旨をまとめた方がいいというのは僕も思いました。
6: だけどこういう寄り道感のある文章もそれはそれで味があります。
日居月諸: 一つのエッセイとしてまとめるなら削った方がまとまりは出るんでしょうけど、それだとこの作品を書き出した時の衝動めいたものは活きないと思うんです。ふくらまして膨らまして、際限なくしていったほうがやはり味が出てくる
6: なるほど・・・
6: これはたしかに評論にするよりも小説にした方がいいのかもしれない
6: 安部さんの小説ではこういうのは読んだことはなかったし、新しい方向性になりそうな予感もしますね。
日居月諸: 電話回線を通じて行われる会話が「公共」につながっていく。ここはもっと発展させていける要素がありますし、発展させればなぜ電話にくたびれるか、ということも明確になってくる。ワンテーマでまとめながら、色んなところに枝葉が伸びていくから、なんでも盛り込める文章ですよ
小野寺: ちょっと変な感想ですが、印象としてゴダールの映画みたいなエッセイだと思いました
日居月諸: 基本的に安部さんは観念を推し進めていく人だと思うんですが、今回は論を進めていく時に具体的な会話や(映画のような)シーンを持ち出していますね。色んなショットが重なっていく印象はあります
小野寺: そういう感じです
小野寺: 前のガンガンガンのエッセイもそうだったのですがエッセイのほうが情景が浮かび上がる。安部さん
小野寺: それで洗練や洒落た部分もあって好感を抱きます、それでいて切実なんだけど
日居月諸: 基本線として書きたいもの(情熱)があって、そこに技巧が乗っかっていますね。バランスとしては申し分ないと思う
6: ゴダールの映画というのは何だか実験演劇みたいな要素があり、時折挟まれる書物の引用みたいなものがあるからでしょうか
6: 言われてみたら確かにそんな気もする。
6: 少し騒がしい気もするが、
6: 妄想の肥大化、爆発。そして現代の事象との関連付けなどを考えると読んだことないけどピンチョン的な小説になりえるんじゃないでしょうか。
6: アメリカについての記述もあるし、そして「公共」という概念も何だかSFじみている。
日居月諸: 秘密組織だとか陰謀論もひっかけるとピンチョンに一気にいけますね
6: 行きすぎた小説―そんなものが立ちあがってくるのかもしれません
6: エッセイは小説ではないから、肩のちからが抜けて書けているのかもしれませんね。
6: 良いエッセイは小説よりも小説らしいところもあるし!こういう路線もありですね。
日居月諸: でも相変わらず破滅的な臭いはするんですよね、安部さん(笑)
6: 電話について被害妄想みたいなものも含めてイメージを沢山持ってきていますね。
6: 最終段落の文章が一番好みかな。
6: 安部さん博識だなぁ。
日居月諸: 単純に話題があちこちに飛んで行ったり、イメージが豊富ということもあるけれど、歴史の意識もありますね。
日居月諸: テレクラだとかチャットレディーも俗臭さだけじゃなくなるし、スカイプだとか携帯も歴史的なものになりうる
6: (めちゃくちゃ余談ですが、ジブリにも電話に関して印象的な場面はありますね。ラピュタのあの管の盗み聞き、「ポルコ・・・いまにローストポークになっちゃうから」「とばねぇ豚はただの豚だ」、さつきがよその家で電話を借りて父と話す場面など・・・すいません・・・)
日居月諸: (蓮實さんが何かやってたりしないんですかね)
日居月諸: 時間になりましたが、まだ何か話したいことはありますか?
小野寺: 特にないです

 

 
日居月諸: では次の作品に移りましょう。次の作品はうさぎさんの「電話と言えば……」です。感想をまとめている方はどうぞ
6: PHSというのは実際には見たことがないのですが、形態との違いは周波数とかだったんですね。
6: Pメールってなんかおぼろげに覚えているような気がする。あったような・・・。
6: 僕は携帯持ったの、18歳だったからかなり遅い。
小野寺: 私は35歳ですよ
日居月諸: エッセイというよりも漫談を聞くような(良い意味での)取り留めのなさがあり、その肩肘の張ってなさが味と言える。結局昔あったことは現代になれば何もかも消え去ってしまうし、昔を懐かしむ声も現代の波に流されてしまう。少し悲哀も感じさせる
6: メールなんていまは返すのがすごい億劫だけど、当時はすごい嬉々として返していたなぁ。めちゃめちゃ長文とか送ったりしていた。
小野寺: よく覚えてないけどPHSは料金が安かったのかな
6: 小説と携帯の関係について書かれていますね。
日居月諸: PHSは母親が使ってるのを隣で見てたなあ。着信音の音符を逐一打っていたのも思い出す
6: クローズドサークルはたしかにつくりにくくなった。しかし携帯がでてくる小説って何だか貧しい気がする。どうしてだろう。
6: 保坂和志は携帯が普及することによって待ち合わせがみんな下手くそになったという状況について書いてみると言うのはどうかと提案していたような記憶が。
6: あれは「書きあぐねているひとのための」だったかな。
日居月諸: 小説家が携帯の登場のさせ方をわからないのか、それとも携帯が小説に向かないのか
小野寺: そうですね。6さん。今読んでいます
6: ただ、携帯をだせばよいというのではなくて、それの誕生によって何が変ったかというのを書くというのは大事な気がする。
6: スマホを出せば現代感覚がでるなんて、すごい貧しい気がする。
6: しかしスマホを小説に出す勇気はないな・・・。
日居月諸: 普及して20年くらいになるけれど、案外使い方がわかってないんじゃないですか、皆(小説家以外も)
日居月諸: もしくは携帯と言うものが何者なのかわかっていない
6: うさぎさんもおっしゃっているように携帯を中心にして生活がまわっているし、いまはもう世界が携帯を中心に動いているような気がしますね・・・。
6: スマホに夢中って言うよりも依存している感覚の方が大きいです。。。なぜか本を読むよりもスマホをちょくちょく触ってしまいます・・・。
日居月諸: 本を読むことで人間は自分の中にこもる能力を手に入れた、って言説がありますけど、その点スマホは画面見るだけで自分の世界にこもれますからね。
小野寺: でももしツイ文がなかったら私はツイッターやってないですよ
小野寺: ゲームもやめたし
小野寺: あー。こんなこと言ったらなんだけど、株取引やFX(為替)はスマホ全盛時代です。携帯はそのために作られたと言っても過言でないくらいに
6: 携帯やスマホなどのでんわがつぎつぎと形態をかえることによって、繋がっているようで実は瞬間の別離を感じていると言うのが安部さんだったけどうさぎさんは、そうした要素とは別の「他人からの目」というものを持ってきていますね
6: たしかに「他人からの目」というのは気になるし、プライベートスペースにいてても外部にその状況を発信し続けるSNSという奇妙な装置。
小野寺: うさぎさんのエッセイはそれほど携帯に依存していない人の感覚が保たれていると思います
6: そう、境界線も何だか曖昧になってしまった・・・それが良いことなのか悪いことなのかは考え方によりますね。
6: しかし、まさにこういった集まりも電話とそれに付随する装置がなければできなかったわけですものね。インターネットはまさに電話回線をつかうものだし、
小野寺: スカイプやラインはタダといえばタダなのでやっている人とやっていない人ではぐっと距離感が変わってきた
日居月諸: 流行歌は「会いたい」「会いたい」ばかり言ってると茶化す声があるけれど、少なからず影響はあるかもしれませんね
日居月諸: いつでもバーチャルでつながれるからかえってリアルな実在感を求める、といったら短絡かな
6: エッセイとしてやはりうさぎさんが逡巡しているのは良く判りましたが、それでもうさぎさんの考えと言うのを書いてほしかったと思います。
6: そしてもっと私的な経験を具体的に書いてほしかったかも・・・ちょっとぼんやりとしちゃっているような気がします。
日居月諸: 一般論や時代の流れに私的なものが押し流されて、と逆手にとった方向へ行ってみるのも面白かったかもしれない
日居月諸: 時間になりましたがまだ話すことはありますか?
6: 大丈夫です。
日居月諸: 了解です。それでは次の作品に移りましょう
うさぎ: ありがとうございました

 


日居月諸: 次は私の「孤独の音」です。感想をまとめている方はどうぞ
6: これは電話ボックスについてのエッセイ。
6: さびしさを比較した文章。
小野寺: 「孤独の音」というのはわかるようでわからない自分にとっては未知の所為なのかもしれないと思いました。それからもう少し「孤独」について具体的な描写などがあるとわかりやすいと思いました。
6: 一方の寂しさというのは『蹴りたい背中』にながれる他者に囲まれて感じる寂しさ。
6: しかしそこにながれる「孤独の音」よりも筆者は荒涼とした空間に佇む「電話ボックス」のなかにながれるさらなる「孤独な音」に賭けたいと言っている。
小野寺: たとえばたとえ他人とつながっていなくても何かにハマっていれば人は孤独とは思わない。ところがハマるものがなかったり災害などの状況下ではハマるものがなくなりハマる場合でもなくなるから孤独が剥き出しになるのだと思います
小野寺: そこではやはり人と人の繋がりが重要課題になってくる
6: 孤独の中の孤独、寂しさの中の寂しさみたいなものに価値を置こうとているのはわかるしその地点からの饒舌という反動も良く判るが、
6: 荒涼のなかの荒涼になぜ価値があるのかともっと書いてほしかったと思う。
6: みずからの経験に置いてそれは示されたのかもしれないけど、「読む経験」において
6: 荒涼の中の荒涼を読者が経験したわけではないのでぜひその「経験」を与えてくれるような文章を読みたかった。
日居月諸: 自分の中にこもって書き散らした文章ですからね、人に読ませる文章にはなってないと思います
小野寺: 小説の味わいがありますね
6: 電話ボックスと言うのは入って見るとすごい真空感があります。
6: 無音の外部とは切り離された場所。
6: 筆者が金属音の中で空想してしまう場面がありますが
6: ぼくも電話ボックスと言う非日常空間については
6: 体験したことがあるので何だかよくわかりました。
6: あれがボックスでなかったらけっこう日常感があるんですが
6: ボックスに入ると何だか世界と切り離された空間に来たような感慨はありますね
6: つくりものの中の世界。
日居月諸: 電話ボックスって私の中では怖いエピソードが多いんですよ。ガムテープでグルグル巻きにされる事件とか、エッセイに書いた呪いのダイヤルだとか
6: 怖い場所としてあったんですね
日居月諸: 中学生の頃は身近な場所でしたから、そういう怖さは身にふりかかってきちゃうんですよね
6: なるほど・・・何だか息苦しい場所でもあります。あそこは。
6: オフ会で小野寺さんに入ってくださいとお願いをしておいて何ですが(笑)
日居月諸: そんなことありましたね(笑)
小野寺: 黒電話同様、電話ボックスも流行り廃りのもですね
小野寺: 電話ボックス小学生以前の頃にはなかったです
6: そうですね、この二三十年でいちばんかわったものっていえば電話になるんでしょうね
小野寺: タバコ屋の軒先でいちいちお金を払って赤電話掛けてた
小野寺: 昔の人は
6:(そういえば「風立ちぬ」も物語の起点になるのは電話の場面だったな・・・)
6: 赤電話経験はないんですよ。
6: 赤電話、あれこそアンティークになってそうだ。
日居月諸: 私はもうピンクの電話だな
小野寺: 電話ボックスは携帯への転換点で男と女のアイテムのような感じもある
6: どういうことですか。
小野寺: 恋愛映画などは電話ボックス多いでしょう
小野寺: あ、昔のだけど
6: タッチもそうだよ
小野寺: 家族のいるところでは話しにくいことを電話ボックスで話すとか
6: なるほど、実体験ですね、わかります。
小野寺: タッチ・・・むかし
小野寺: それは携帯がなかったからそうしていたんだと
6: タッチぐらいしか思いつかないなぁ・・・ありそうだけど他にも
小野寺: 携帯があれば電話ボックスはいらないですよ
6: そりゃそうですが
6: あの昔のアニメとかドラマとかで家電話のひもをのばして自室にひきいれるというシーンは
6: 何だか素敵です。
6: そしてぜったい家族がドアに張り付いているパターン(笑)
6: 「らんま」とかで見たのかな・・・高橋留美子的シーンだ・・・
日居月諸: 昔の木造建築は声が響きやすいから余所の家の話は伝わってきやすかったそうで、それが防音をしっかり施した鉄筋建築になって一気に家族が他の家族から分離された一つの単位となった。そんな話を聞いたことはありますが、いよいよ家族の中でも同じ現象が起きてるんでしょうね
6: なるほど、不便だったけど愉しかったですね、あの時代も・・・
6: いまどきの子は、ほんと中学生でスマホ持っている子がめちゃめちゃいます。
小野寺: アニメでは電話代がかかるから早く切れとは言わないですが実際は長電話は好まれないし電話線もそれほど長くはないです
6: そうですね・・・
日居月諸: 時間となりましたが、まだ話したいことはございますか
6: 最後にみんなで好きな電話のシーンをあげていきませんか。
6: アニメでも映画でもまんがでももちろん小説でも
6: 何となく聞きたい・・・。
日居月諸: 印象に残ってるのは「ノルウェイの森」のラストシーンですかね
6: 詳しく!
日居月諸: ざっくり言うと、主人公の男は二人の女性と仲良くやってたんですが、片一方の人は死んでしまったんです。そのショックでしばらくフラフラしていたけど、ようやく立ち直った(?)ところで、片一方の女性の友人を空港で見送った後、もう一方の女性に電話ボックスで電話をかける。「あなたは今どこにいるの?」と問いかけられて、主人公は「僕は一体どこにいるんだろう」と思う。そんなシーンでした
イコ: タダイマ
日居月諸: おかえりなさいませ
 6: 読んだけど忘れていたなぁ そんな場面。おかえりなさいー
イコ: だいたい終わってしもた(笑)
イコ: すみません、遅くなって。
日居月諸: いえいえ
6: たまにラピュタトークしています(笑)
イコ: みたいですね(笑)
小野寺: こっちでもやってました
小野寺: ラピュタ
6: 電話の場面・・・提案しておいて思いつきませんでした・・・
小野寺: 自分としては場面ではないですが「赤ずきんちゃん気を付けて」のなかで世界中の電話は母親の膝の上にある(うろおぼえ)という言葉が印象的でした
6: かっこいい言葉ですね
小野寺: いかにも携帯がなくて苦労していたという感じです
6: 一番家族があつまる場所に電話っておかれていましたもんね
小野寺: しかも誰かがつかうと誰かは使えない
6: 糸電話がやはり人生で最初に触れる電話何だろうか。
小野寺: 電話ではないですが伝書バトという伝達手段もありました
6: 使ったことあるんですか
小野寺: ないですが。隣の人が伝書バトの訓練所をやっていました
小野寺: まだけっこう使われていたと思いますよ
小野寺: そんなところですかね
日居月諸: 伝書鳩が絶滅(?)した理由に携帯電話の電波が原因なんて説があるんですね
小野寺: まじすか(笑)
日居月諸: 罪深いな(笑)
日居月諸: では合評会はこのあたりで。皆様お疲れ様でした。
6: お疲れさまでした。
小野寺: 御疲れ様です
イコ: おつかれさまでした
6: 帝国のための糸繰り   カレン・ラッセル  藤井光 訳
6: 現在発売中の文学界に載っている作品ですが
6: 面白いらしいです。
イコ: あ、持ってる。読んでみよ。
6: 何か、富岡製糸場など明治時代の文化に興味をもった作家がそれについて小説を書いた?らしいのですが、ただの文化紹介にとどまるような小説ではなくて幻想性などを盛り込んだ摩訶不思議な短編と言う噂です。
6: 立ち読みしてみよう・・・
イコ: 電話といえば、印象的だった作品が、ポール・オースターの『シティ・オブ・グラス』

有名な冒頭が次の通り。

『それは間違い電話で始まった。』(山本楡美子・郷原宏訳)

クィンという名の推理小説作家のもとに、夜遅く一本の間違い電話がかかってくる。相手はクィンに、「ポール・オースターさんですか?」と尋ねるが、クィンはそんな男を知らない。読者はそれが、作者の名前であることを知っている……。
6: 憎い書きだしだ・・・
6: みんなのエッセイ読んでたら、またエッセイ書きたくなりました。また書こう。
イコ: 直接言えませんでしたが、今回のエッセイ競作では、あんなさんのものがとても面白かったです。
イコ: 「レッツゴーショッピング、アンナ!」はリズムもよいし、耳に飛びこんでくるようで、読んでいる自分の視界にも、一気に色がついたようでした。思わず口ずさんでしまうエッセイでした。
6: 面白かったですね、
6: twi文エッセイの量これまで少なかったからもっといろんなひとに
6: エッセイ書いてほしいですね
6: 皆のことは知っているようで実は知らないことが多いので
イコ: 志賀直哉みたいな、随筆なのか小説なのか分からんものが出てくるといいなー
イコ: どこそこはまったく面白い、とか、どこのお女将が美人だ、とか、ひでぇもんですよ、直哉は
6: なおや・・・
イコ: 直哉の老境ぶって実はめちゃ身勝手な感じ、みたいな、人間の透けてのぞく作品が読みたいです
6: 小野寺さん、頼みます!
イコ: 今回のあんなさんは、そんな感じで、すごく好きでした。うさぎさんのも素直な感じがしたけれど。