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書かれなかった寓話(第5回):日居月諸

 食堂の一隅に席を取った上総はパイプ椅子に坐りこんだまま、机の上に乗せた昼食に手を付けることなく、話声のこだまが行き交う天井をぼんやりと眺めていた。免許合宿に来ている人びとの間では一通りグループが作り終えられ、初めの頃は各々がバラバラな席取りをするから落ち着かなかった食堂の風景が、今となっては皆が皆同じところに陣取るおかげで、ようやく馴染みのあるものとなりつつある。上総の座っている窓際も、彼女と、彼女が待っているもう一人の女によって、食堂の風景を作り出す一部となっていた。

 教習所に来てまもなく一週間が経とうとしている。自動車の運転という、ただでさえ新しい技能を身につけようとするだけでも骨が折れるだろうに、よりによって山形という縁もゆかりもない土地に行くなんて、どういう考えをしているのだか、と自分でも眉間にしわを寄せながら苦りきるように、それでいてそうした自分の姿を嘲るように思っていたが、振りかえってみるとこれといった記憶が浮かんでこないほど、あっという間に時間が流れ去って行った。無論その間には苦労やら懊悩やら、ほんの少しの充実やらを感じていただろうが、それを思い出そうとすると手触りのあるものとして跳ね返ってこない。

 何もかも定着しない。運転の心得も、人びとの顔も、この土地の風景も。新しいことに出くわすたび、それらを自らの体の内に取り込もうと努力してはみるのだが、どこかで食い違いを起こしてしまい、噛み合わせようと苦心するうちに、別の新しいことと取り替わる。そして、忘れていることが増えていく。

 趣味が高じるあまりあちこちに旅行にいくおかげで他所の土地に移ることには慣れているつもりだったが、こんな風に長くもなく短くもない期間を過ごすのは初めてだった。仕事や学業で地元を離れることがあっても、それなりに長い期間を過ごすのだから形はどうあれそこで作られる自分の輪郭というものは掴めてくる。旅行なら、輪郭がまるで整わないまま浮かび続けている自分だか自分でないのだかわからない、粒子のようなものとともに過ごしているだけでいい。

 だが、ここでは勝手が違う。ここでは運転の心得という、これからの自らの行く末を支えるものを掴まなければいけない。一方で、この山形という土地は、これから先、生きていく上でたまに気に掛けることにはなろうが、気に掛ける程度で普段は忘れたまま、ここに訪れる前と認識の上では何一つ変わりない遠い土地であり続けるかもしれない。これからの未来を支えるために自分の肉体に染みつかせるべき知識を、記憶が根付きづらい土地にいながら手に入れなければらない。この矛盾とどう折り合いをつけるべきなのだろうか。

 運転の心得と、土地の記憶。それらを一挙に手に入れるのを願うこと自体あさましいのであって、世間の人々だって同じような体験に見舞われながらも、どちらかを切り捨てながらどちらかを手に入れたはずだろう。頭ではそういう説得を受け入れることができた。が、体がこの矛盾を受け付けない。新しい事と出くわすたび、人びとの顔にせよ車から見える風景にせよ、いずれ自らの記憶からは消え失せるのだろうと頭の片隅で拒んでしまう。そして、周りと折り合いもつけられないくせに何かを手に入れるなんて図々しい、と咎める声が聞こえてきて、ハンドルなりシフトレバーなりを握る手が鈍ってしまう。何もかもが自分の元から離れていき、孤立していくのを感じ、あげく周りとの距離感まで失われていって、自分の輪郭までつかめなくなっていく。

「お待たせしました」

 食堂のざわめきの中からでもくっきりと輪郭を伝えてくる高い声が聞こえた。向かいの席に紗江が座る。彼女の視線が、まともに受け答えをできないでいた上総の周りを動き、

「お疲れのようですね」

 と言ってくる。薄い化粧にもかかわらずくっきりと縁どられた眼が、こちらの顔をゆらぐことなく見据えてくるので、上総はすこしたじろいだ。苦笑しつつ目線を外すと、向こうが昼食に手も付けずに座っているのが見え、次いで、こちらの手元に置かれた昼食もまた店員から受け取った時と変わりない姿で机に乗っているのに気付かされた。

「二週間で何もかも詰め込むのは大変ですからね」

 いやあ、と気遣いを受け取るのだか何だかわからない返答をしてから箸を持つと、それに合わせて向こうの手も動き始めた。

「上総さんは、きっと何もかも自分の内側に取り込まないと気が済まないタイプなんでしょうね」

「そう、ですかね」口に含んだ揚げ物を噛み終えてから答える。

「普段話している様子からも伝わってきますよ。あちこちに目配りが効いていて、その分、見落としがないかどうか気にしだすと止まらなくなる」

 悪戯っぽく笑うので苦笑で応えたが、内心は普段から気にしていることを言い当てられて当惑していた。とはいえ、こうしたやり取りはこれが初めてではない。紗江は上総よりも年下だったが、あらゆる物事に対する観察が鋭く、しかもそれを言語化するのに長けていたので驚かされてばかりいる。教員と生徒として教習に臨む時も、あるいはそうした役割から解放されてお互いが一人の女として向かい合う時も、上総は年の差が埋まるどころか、時には相手が年上なのではないかと思わされるほどに紗江の利発さを目の当たりにしてきた。

「本の話をする時もそうなんですよ。作中の舞台になった土地柄だったり、時代背景だったり、他の作者との関連だったりを気にしますよね?」

「のめりこみだすと何もかも知らないと、逆にわからないんじゃないか、と思ってしまうんですよ。そこまで深い読みができるわけじゃないですから……」

「そういう読み方こそ深い読みですよ。自分の意見が大事だとよく言われますけど、一人きりで出す意見なんて、弱い土台の上に成り立っているものですから」

「でも、弱い土台の上で戦っている人のほうが憧れますね。自分はそうじゃないから」

「まあ、確かに」

 食事をしている間も目を離さずに耳を傾けていて、相手の声が途切れると口の中を整えてから話をつなげる。こちらが自らの卑下を交えつつ反駁しても、それを否定するのではなく、卑下したくなる気持ちを理解しながらその奥にある向上の意志まで汲み取るように、深い息をともなって笑う。

「上総さんは本を読むために生まれてきたような人ですね」

「ええっ」不意の言葉に、思いがけずむせ返りそうになる。

「だってそうじゃないですか。ふつう本を読んでいると称している人は大抵自分のために読むだけで、いろんな本を読んでいても深入りはしないんです。つまり、面白い話には興味があっても、それを作っている現場には興味がないんですね。そういう人って、たまたま出会ったのが本というだけで、映画でも音楽でもアニメでも、なんでもよかったんだと思いますよ」

 やや棘のある言葉だったが、上総にとっても心当たりがないではなかった。これまでも本が好きと称する人たちと交流してはきたが、自分のように一人の著者にのめりこんで読書をする人間は極めて少ない。だからといって、自分との違いを盾に糾弾しようなどと言うつもりは毛頭なかったが。

「もちろん、それも一つの本とのかかわり方ではありますけれど。ただ、本を書いている人こそあらゆる表現方法がある中で、経緯はどうあれ本を書くという道を選ばざるを得なかったわけです。そういう制限、あるいはある種の貧しさの中で生きて来た人たちに対して、貧しさでもって応えるというのは、正しい態度ですよ」

 時には両手を広げて何かをふくらますような身振りをして、時には両手を合わせて何かを包むような身振りをして、そうした仕草に加え、しっかりと句切れを作って一つ一つの単語を相手に伝えようとする口調にもよどみはない。自分のやるべきことを遂げると、また食事に戻って折り目正しく箸をつけ始める。相手の反応を求めず、自分の意見に自信を持っているそうした態度に偽りは何一つうかがえない。上総はその明快さをありがたく思ったが、一方で劣等感も抱いていた。

 はじめは年上だとか、都会出身だとか、あたかもこちらが優位にいるかのごとく思い込みながら向こうの卒のなさと比して焦燥感を抱いていたが、そうした先入観をふるい落したとしても、一個の人間として紗江には劣っていると、上総は痛感せざるを得なかった。無論、これまでも同じような体験は味わってきたが、そういう時優れている他人は大抵、上総に対して興味を抱いてくれなかった。それゆえ、自分とは違う世界の住人として線引きをしつつ、無意識裡に生ぬるい安堵にひたりつつ劣等感をなだめすかしていた。

「でも、そういう人って運転に苦手意識を持ってしまうんですよね」

 紗江が同情を込めた口調で言う。しかし、上総としてはすぐに苦笑で応えることはできなかった。今面と向かっているのは、これまで見上げながらその背中を追いかけていた人々と違って、思いやりを交えつつ相手の素性をくまなく明らかにして、弱点であろうと労りをもって救い上げるから慰撫されるような印象さえ与え、本人がそうとは気付いていない内に周囲との上下関係を確定させてしまう、珍しいタイプの人間だ。

「教習所の職員としてはこういうのはまずいんですが、交通ルールやら視界に映るものやらを一々踏まえながら運転するのはとても大変なんです。ドライバーはみんな癖として何か一つ見落としているものを抱えながらハンドルを握っていて、運に支えられながら一見安全に道を走っているのが現状なんですよ。そうしないと走れませんから」

 毒のこもった言葉遣いではあった。しかし、運転をしたことがない人間にとっても理解のできる話ではあったから、特別ひっかかることはない。

「ハンドルを握ると性格が変わる人っていますよね。あれなんかは、自分が強い人間だと思っている例です。つまり、ありもしない豊かさを土台にしながら運転している」先程までの話とつながりを持たせられたことに満足するように紗江は一呼吸置いた。「そこへ行くと自分の貧しさを自覚しながら運転している人って、教員としては非常に好ましい生徒なんですよ」

 言い終わって首をやや傾げると、肩のところで切りそろえられた髪がゆっくりとなびいて頬や瞼を散り散りに覆うようにかかり、それとともに微笑みがあらわれる。一連の動作はあたかも何かを懐に容れながらやさしく抱き寄せる様子を思わせた。首をかるく振って元の行儀のよい姿勢に戻ったことであっさりと崩れてしまった一瞬は、どこかで見覚えのある情景と似ていたのでしばらく上総の頭に残り続けた。

「ですから、上総さんはそのままでもいいんです。運転なんてこの二週間だけですべてが決まるわけでもないんだから。一年、二年と時間をかけて慣れていけばいいし、今ここで何もかも汲み取ろうとする必要はないんですよ。二週間と引き換えに、自分の美点を犠牲にするなんて、つまらない話でしょう?」

 説得力のある話をここまで展開されてしまっては、首を横に振るわけにはいかない。ただ、いまだ納得しきれない部分も残っていたので、上総は控えめに、そうですね、とゆるく笑いながら応えた。それでも向こうとしては手ごたえを感じなかったのか、目線を外し間をおいてからまた向き直って、

「明日、路上教習で一緒になるんですよ」と明かした。「私の好きな風景が見えるところまで、ご案内いたしますよ。絶対、上総さんのお気に召すはずだから」

 次の準備がありますのでこれで、と断りながら立ちあがった紗江はいつの間にか昼食を食べ終えており、それに対して上総は半分も手を付けていなかった。入った時はすでに満員だった食堂も人がまばらになり、たけなわを惜しむように急いた口調でしゃべる声が響くだけで、時計を見るとあと十分ほどで休憩が終わるところだった。


 その日の残りは食堂でのやり取りを頭の片隅に置きながら過ごしたが、かといって妨げになるわけでもなく、かえってスムーズに教習をこなしていくことができた。第一、紗江が食堂で見せたあのポーズ、首をかしげながら髪をなびかせるポーズはどこかで見覚えがあるのだけど、どこをさぐってみても思い出せない、というくだらない煩悶をたまに頭で蘇らせるだけだったのだから、それが運転の支障になるはずもない。だからといって根本的な問題はとりのぞかれたわけではないものの、人間というものは直近の悩みに目を奪われる時、遠くにあるそれ以上に大きな悩みは忘れてしまうものらしい。

 紗江が見せたポーズについて行き当たるものといえば、たとえば音楽CDのジャケット、あるいは映画やドラマのスローモーションで演出されたシーン、それでなければ小説を読んで思い浮かんだ情景、といった具合に作り物が大半を占めた。後々スマートフォンで検索できる限りの実際の映像なり画像なりと照合してみたが、これだと納得できるものには出会えなかった。とはいえ、その過程で紗江のとったポーズもまた、作りこまれた映像や画像と遜色ないほど印象深くこちらの頭に食い込んでくるものだとわかり、それと同時に、それらの映像や画像と同じように紗江の態度もまた彼女なりの演出だったのではないか、と思えてきてしまう。

 振りかえってみれば、紗江の話しぶりは全くよどみがなかった。こちらがほとんど応答しなかったこともあるだろうけれど、ひとつひとつの言葉が迷いなく発され、その上それらが確かな論理によって関連付けられて、無駄な言葉など一つもないように構成されていく。たとえば、貧しさと豊かさのくだりなど、初めからこう話す、と決めていなければ簡単には展開できない話だろう。そうした難題を、相手の話をしっかりと聴くという制約さえつけられながら成し遂げてしまう。

 おそらくあの人は、先天的にそうした才能を身につけているのだろう、と上総は思った。他の教官などと比べてみれば明らかだ。若い教官にせよ、年配の教官にせよ、男にせよ女にせよ、律義に振る舞うことを心掛けている人間にせよ、あえてラフな態度で生徒の心を開かせようと心がけている人間にせよ、誰もがふとした瞬間に、ゆるみというべきか、ほつれというべきか、ともかく自身が思い描いている自己像とかけ離れた姿を表すことがある。そうした姿に接するたび、上総はその嘆息するような息遣いにアテられて、ただでさえ普段から気を張りながら教習に臨んでいるのに余計焦りに駆られてしまうのだが、紗江はそうした様子を見せることがなかった。だからこそ教習中、彼女が隣にいてくれることは数少ない安らぎの時間となるのだけれど、一方で教習が終わって一息つくと、その徹底ぶりに驚嘆してしまうのだ。

 人間というものは何かしらの演技をしながら他人と接しなければならず、仮面のかぶり方が上手いにせよ下手にせよ仮面は仮面なのだからいつかは剥がれてしまって素顔がのぞくのが相場なのに、紗江は違う。あたかも仮面のように見えるものが素顔のような、あるいは仮面をつけている内にそれが素顔にさえなってしまったような、そんな偏執とも言えそうな自己演出を貫徹させようとする姿勢がうかがえて仕方ない。

 自然に出来上がった構築性、そんなこなれない言葉を思い浮かべながら、上総は頭に浮かんだ紗江の微笑みをくり返し見つめ続けていた。けれど、その構築性が崩れることは本当にないのだろうか、と思いつつ。


 翌日の二コマ目、いかにもこの時を待ち望んでいたといわんばかりの紗江の笑みにいざなわれながら、上総は路上教習に向かう車に乗り込んだ。発車前にこなすべきあれこれを確認している間、

「上総さんは、鷹山公はご存知ですか?」と紗江がシートベルトを締めながら訊ねてくる。「わが県最大にして唯一とも言える名君、上杉鷹山です。ここ置賜地方は古くは伊達家の所領でしたが、豊臣秀吉との折り合いの悪さ、あるいはお家騒動などで領主がころころと変わり、最終的に上杉景勝に所領が移りました。その後上杉は関ヶ原の戦いで西軍についたため減封、以後福島の一分を含めた三十万石の土地が米沢藩と定められました。上杉はもともと会津を本領としており、徳川家康や毛利輝元にも次ぐ大武将でしたので、彼にとって置賜は手狭過ぎたでしょう。そんな零落を象徴するように彼の跡を継いだ藩主たちは無嗣、病弱、遊蕩などなど一家の存亡にかかわる瑕を備えていました。そんな中で米沢藩は財政難および悪政によって腐敗していき、取り潰しの危機に見舞われます。そこで家督を継いだのが、他所からの養子である上杉治憲、のちの上杉鷹山というわけです。今日はそんな鷹山が作った置賜という土地を、もっと深く知っていただこうと思います。それでは参りましょう」

 まるでバスガイドが旅路の案内を始めるように滔々とした、それでいて若干の自虐を含んだ口調で彼女は話す。その自虐の部分は他の教員も等しく有している口調で、話題が御国の恥を暴露せざるをえないようなところにさしかかった時、彼らは常に突き放すような、それでいて、突き放すことでしか恥を直視できない己の未熟さを自嘲するようなはにかんだ微笑みを見せる。紗江もまた同じような微笑みを見せ、東から南へと移り変わろうとする太陽の光を浴びながら、発進し始めた車が向かう方を見据えていた。

 教習所は対岸に最上川を望む敷地に建てられており、護岸工事の行き届いた河川敷沿いを走れば散歩にいそしむ老人や、子供を幾人かつれて水遊びに興じる母親たちを見下ろすことができる。

「鷹山が藩主になった頃、藩士と民の心は完全に離れていました。先ほど述べた通り元々上杉は大武将であったため家臣が多く、減封された中で彼らに俸禄を払おうとすれば自ずと藩の財政を圧迫せざるを得ません。当時は反乱を恐れた幕府の政策に基づいて簡単には家臣を切り捨てることができないようになっていたため、自ずと割を食うのは民のほうです。鷹山はそんな中で自らの生活を切り詰め、奥女中なども減らしつつ、一方で福祉政策を拡充し殖産を推進していきました。もちろん、家臣たちは反対し七家騒動と呼ばれる反乱を起こすのですが、結局すべて処分され、代わりに政策を有利に推し進めるための側近が重役に就き、結果的には鷹山を利することとなります。禍転じて福となす、というものですね」

 川沿いに国道を走っていくと、左手に鬱蒼とした森林が見えてきた。中には公園が設えられているそうで、春には桜が敷地中を埋め尽くすように咲くのだと紗江は言った。左手に森林が見えなくなり遠くの山がのぞくころになると、その方角の奥まったところには鷹山が湯治に通った宿が今も残っていると知らせてくれた。

「赤湯温泉は上杉家代々の湯治場で、幕府が出来た頃は色街として栄えていた、藩の堕落の象徴ともいうべき場所でした。鷹山が藩主となった頃、赤湯がもたらす収益は財政の要となっており、一方でそうした繁栄は癒着によって成り立っているところも大きかったのです。鷹山は公娼制度を廃止し、藩政が潔白であるとアピールしていきます」

 そこから車は町中を抜け北へと曲がり、四方には田畑と点在する家々くらいしか望めないバイパスを走らされる。交通量が少ない上に信号もほとんどない一本道であるため、おかまいなしに飛ばしてくる軽トラックにあおられつつもあくまで制限速度を守りながら、時々見えてくる青果店やら閉店したまま放置されているアミューズメント施設と思しき建物やら湖やらを後ろに流していく。すると、先の方に夏なのにあたかも雪の積もったような、白く光る山肌が見えてきた。

「あれはビニールハウスです。農家の人は毎年山に登って取り換えて、サクランボをはじめとした農産物を育てるのですよ」

 南に面した山肌はちょうど湖を見下ろしており、たとえ日光に熱されても下から吹き上げる涼しい風によって冷やされ、適温が保たれるのだという。

「鷹山はほとんど手つかずだった土地の開墾や河川の治水を自ら率先して行なう人でした。郷村をたびたび訪れては褒賞を授けたり、家臣たちにも労働を推奨させたことで米沢藩の農業は飛躍に成長し、藩の財政を建て直すまでに発展を遂げたのです。ここは鷹山公と、多くの農民が協力して打ち立てた、とても大事な土地なんですよ」

 街道と合流してからもしばらく真っ直ぐ走りつづけ、ようやく右折するよう言われたかと思うと、すぐに山道が見えてきた。細く曲がりくねる道を、対向車に注意しつつ登っていく間、運転手側の窓には果樹園や動物の横断を警告する看板が映っていく。そうした人気を表すものたちが次第になくなっていき、両側を緑の木々が埋め尽くすようになると、道はさらに細くなっていった。

「鷹山は隠居してからも後見として藩政にたずさわり、飢饉や洪水などを最小限に食い止め、あるいは後進を育てるための藩校を建立するなどして、終生米沢藩に尽くしつづけました。明治初頭に山形を訪れたイギリス人旅行作家のイザベラ・バードは、置賜地方を『エデンの園』、あるいは『アジアのアルカディア』と評しています。その豊かな土地のすべてはその土地を耕す人々に属し、民は圧政から解き放たれている。勤勉、安楽に満ちた魅惑的な、どこを見渡しても美しい農村である、と」

 視界がやや開けてきたかと思うと、左手に駐車場が設けられていた。休憩と称して車を停め、案内されるままに階段を上ると、やがて小さな展望台に行き着く。エアコンの効いた車内から夏の日差しが燦々と照り付ける屋内に出たにもかかわらず、それまでの押し詰められるような閉塞感とは打って変わって開け放たれた場所に足を踏み入れたことで、心なしか涼しげな風が吹き付けてくるような気がした。まもなく頂点に達しようとする太陽をまぶしく思いながら、上総は手をかざしてひさしをつくりパノラマを望む。

 初めは陽光にくらまれて真っ白な霧にかすんでいるのかと見まがった眺めが、足元の方からじわりと輪郭を現しはじめ、先程横を通り過ぎた湖が青空を反射している様子が見えてきた。その青がふたたび視界を染める中でうっすらと萌黄色が覗き、その萌黄が濃くなって緑になるとその緑もまた区切れを作り始め、水田の姿を呈していく。東にはその緑を濃くした深緑が広がって公園の区画を示し、その周りを囲むように家々が並び、さらに視界を広げていくとまた水田の緑が広がり、その奥には青みを帯びた山脈がそれらを包むように連なり――そのように展開されている盆地の風景を視点を移しながら眺め終えた上総は、空を仰ぎ見た。晴れ渡った青空の中で太陽は白く輝き、ゆらめきながら背の方へ伸びていく飛行機雲だけが唯一人為的なものとして存在している。

「いかがでしょうか?」と紗江が声を掛けてくる。「上総さんにはちゃんとこの土地の歴史なり全容なりをお知らせすべきだと思って、案内してみたのですが」

 その顔はまた軽く傾き、髪がなびくことはなかったとはいえ微笑みは確かに表れている。

 確かに申し分はなかった。自然と人が一体になった町を教えるために歴史をひもときつつ、そもそもなぜ人が自然を必要としたか、なぜ自然が人と調和するようになったか、そうした背景を丹念に教えてくれた末に、こうした風景に行き着かせてくれるガイドに文句のつけようはない。

 けれど、あまりに行き届きすぎていた。紗江が教えてくれる置賜は、あまりに美しさを強調するばかりで、何かが足りない気がする。もう一歩踏み込んでいえば、それは紗江自身の在り様とも通じ合っていた。

「とても、素晴らしい町ですね、ここは」切れ切れに声を出しながら、心に抱え続けてきた煩悶をどうにか言語化しようと頭を回転させる。「けれど、本当にそれだけなんでしょうか?」

 そう言うと、紗江の目はそれまでよりも大きく開き、微笑みとともに和らいでいた口は心持ち固く結ばれていった。と、言いますと、と訊ねかえされたために焦りはじめた心を押しとどめつつ、誤解のないような言葉を選んでいく。

「石牟礼道子や中上健次のような土地に根差した小説を読むのが好きということは紗江さんにも知っていただけた通りなんですが、私は時々、そうした趣味が所詮は余所者だから楽しめる趣味じゃないのかな、と思えてしまうんです。石牟礼なら水俣の海に育まれた少女時代の記憶、中上なら幾代にも渡って受け継がれる土地の物語、そういう綺麗な情景ばかりを思い浮かべるから、私は彼らの書く物を楽しめる。

 もちろん、彼らが書く物は綺麗なことばかりではありません。水俣病に苦しむ患者、そうした患者を嗤う健常者や役人、汚れた血筋に苦しむ子孫たち、恨みや妬みによって争いあう人々、近代化によって壊されていく土地の風景、失われていく記憶……ただ、それも紙によって書かれているものだから読むことができるんです。だからそうしたものを読むたびにこう思ってしまうんです。自分が実際にこうした土地に住んでいたら、この物語を楽しむことなんてできるだろうか、と」

 即興で論理をつなぐのは難しく、その上誰にも面と向かって話したことでもないため、話し終えた後上総は息切れの時に味わうのにも似た圧迫感を頭に感じ、ふたたび空を仰いでしまう。それからおそるおそる横を覗き見ると、相手は未だ言葉を待っているように瞬きもせずこちらを見つめているので、上総は自分が前々から抱えていたことを独りよがりに話してしかいないと気付いた。

「ですから、この置賜という土地の美しさを見せていただいたことは、とても嬉しいし、もっとこの土地を知らなければいけないとも思っています。ただ、本当にそれだけなのか、とも思ってしまうんです。私みたいな一時的にこの土地にやってきてすぐに帰ってしまう人間には見えない薄暗い世界がどこかにあるんじゃないか、と思ってしまうんです」

 補足をつけても紗江の様子はやわらぎを見せない。先程までは差し込んでくる陽光によって顔の部位の一つ一つがかすんでいたはずが、今は縁どられた眼の大きさが目を見開いている事でよく伝わり、風によって髪が吹き上げられ露わになった額にも頬にも鼻にも驚くほど皺が認められないといった具合に一つ一つの部位が改めてその姿を表し、むしろこわばりを強めていくように感じられた。緊張がピークに達し、はじめに向こうが目線を外したので、上総も耐えきれず何か言わなければと思い始めた頃、

「たしかに、もっともな御考えだと思います。」とようやく口が開かれた。「物事には両面ありますからね、美しく憧れになるような部分もあれば、しがらみになりさまたげになる部分もある。旅行と称してあちこちを渡り歩くことが簡単になった世の中で、一週間や二週間滞在した程度で土地の特性を知った気分になった輩もいるくらいですから、悪い部分はいくら強調しても足りません」

 尖った言葉遣いではあったが、ゆっくりと言葉が放たれる口調からはためらいもうかがえた。

「考えてみれば上総さんくらいの人なら、そうしたペテンにはひっかかるわけがないですよね。大変失礼な振る舞いをして、申し訳ありません」そう言って頭を下げてからふたたび現れた顔には、申し訳なさというより、決心がついたといわんばかりの固まった表情がうかがえた。「上総さんには、あらためて一切合財をお話しいたしましょう」

 そう言って顔のこわばりをすこし緩め、パノラマの広がる前方を指さしながら話しはじめた。

「ここから南の方へ行きますと米沢市があります。今は山形大学の工学部キャンパスがあるところとして知られていますが、元は寺町で今も多くの寺が残っている他、教会や上杉謙信を祀った神社など宗教が盛んな場所でもあります。今はすっかり地方都市らしいこじんまりとした、けれども建物はしっかりと立ち並んでいる風景が出来上がっているのですが、そんな中一区画だけ開け放たれた土地が今も残っているんです。そこには昔、遊郭がありました」

 遊郭、という抵抗のあるはずの言葉を発しても、その表情が変わることはない。聞いている上総が面食らってしまっただけに、尚更その動じなさは際立つ。

「鷹山が公娼を廃止したことはお伝えした通りですが、かといってそう簡単に女衒たちが諦めるはずもなく、彼らはあちこちに移り住んで同心や岡っ引きの目をかいくぐりつつ、時には賄賂を送ったりしながら、売春宿を営み続けていました。中には故郷にもどることもできず仕方なしに遊女を続けざるを得なかった人々もいたでしょう。その一つが先程申し上げました福田という土地で、明治になってからは遊郭が建てられます。けれど、大正になって大火が起き焼失、その後も小さな風俗店はいくつか営まれたようですが、今は営業を終えた旅館やビルが跡を残すだけとなっています」

 話を聞きながら、上総は頭の中で小説の一場面を思い出していた。一文字一文字を違えずに思い出せるほど記憶していたわけではないが、その小説を改めて読むたびに印象深い場面として頭の中に塗り重ねつづけた場面――熊本の天草という土地において、女たちは生まれた土地を出てゆき海を渡るのが習いだった。判人とよばれる遊女の保証人となる男たちが海の向こうからやってきて、器量のよい娘たち、特に土地において「魂の足りない」と呼ばれた、言ってみれば頭の足りない娘たちを引き連れていく。いかに頭が足りなかろうと生まれ落ちた土地と切りはなされる痛みに耐えられない娘は泣きながら他所の小母さんの家へとかけこむが、かといってどうすることもできない。代わりに、小母さんはこう言って聞かせる。売られていった先での年期というものだけは決して聞き逃すな、年期が来るまでに判人に売り飛ばされないうちに自分で自分の身を立てる術を考えておけ、体を売るでもいい、自分で自分の借金を返すようになればいつかここに戻ってくることができるだろう、ぼんやりとして判人の手に掛かればその時はお前は人間でなくなる、金を稼げない体にされて犬とつがいにされて人と犬の合いの子を産まされてその合いの子も見せ物にされて食い物にされて二度とここには帰ってこれないだろう……石牟礼道子の『苦海浄土』に描かれたそんな娘たちと、大火に焼かれた町を後にして他所へと移る女たちを上総は頭の中で重ねた。

 その間に、紗江はパノラマに背を向けて北の方を指さす。

「明治末年に、ここから北へと向かって県庁のある山形市にほど近い小さな町で温泉が発掘されました。他所の人間にとっては山形駅へと向かう途中に立ち寄って足を休めるくらいのものでしかなかった土地が、それによってささやかな観光地として栄えることとなります。折しも山形の遊郭の方でも大火が起きていましたので、北からも南からも働き口を求めた女たちや、斡旋で一儲けしようとする男たちが集まることとなり、それなりに大きな遊郭がある町として昭和の中ごろまで知られていました。今も、規模は縮小しておりますが、在りし日の名残がうかがえる建物があちこちにたたずんでいます。私はそこで遊女を祖先に持つ女として生まれました」

 こともなげに言い放ちながら、改めて日光の降りそそいでくる方を振り返り、彼女は一言一言を丁寧につないでいく。その顔がまた和らいでいって、輪郭をほぐし白い光の中になずんでいく。

「つまりここは、私にとっては血が繋がっておらずとも、出自においてはさらに遠い祖先とも呼べる女たちが暮らしていた土地なんですよ」

                             〈次号に続く〉