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好き嫌い:新嶋樹


 多くの方に「自分もそうだった」と思ってもらえるかもしれないと思い、あえてこう書き始めるのだけれど、食べ物の好き嫌いが多い子どもだった。

 班でくっつけた机の段差、薬品のにおいのする給食室、エプロンに落ちたカレーのしみ、ひとりだけ位置の違うエプロンのポケット、配膳中にとつぜん始まる男子の喧嘩、汁に一個しか入っていない団子、よれよれになって口元の見えるマスク、黒糖パンへの興奮、ゼリー集め、机の下の攻防、瓶牛乳の蓋回収、しょっちゅう途切れる校内放送、先生のリクエストしたクラシック、余りもの争奪ジャンケン大会、食缶の中にまぜられた牛乳入りの残飯、片づけられず残された食器、床に落ちているパン屑、机の脚にこびりついた米粒、喧噪が去って誰もいなくなった教室、こんな給食時間の一場面に確かに存在していたと思われる、食べる前のかれ、食べているかれ、食べ終わらないかれ。かれにとって給食がきちんと終わることはなく、その日の給食時間の中止は次の日の給食時間の始まりでもあった。クラスメイトは遊びに出て教室にはいない。かれはトレーを暗い給食室に運び、おざなりに歯を磨くと、雑巾を持って掃除場所へ向かっていく。かれはすでに三日後に迫ったキウイフルーツの日がおそろしくてたまらない。それでも給食ごときで学校を休むというのはとても考えられるものではなかった。

 もやしというあだ名がついたのは小学校一年生のかれである。子どもがつけたのではなく、周りの親がつけたのを子どもが真似した。「あの子は細すぎてまるでもやしっ子ね」他の言葉はすっかり忘れてしまったというのに、そういう大人の言葉はきちんと思い出せる。そのときのクラスメイトが口々に発していた「もやし!」という言葉は、単に反射的なものだったのかもしれないし、侮蔑的なニュアンスがすでにこめられていたのかもしれない。けれどもかれはずっと後になって粘っこく考えるようには考えなかった。人の言葉や表情に対して判断が遅れ、その場で何かを思うということがない子どもで、拳を振りあげたところで自分よりも発育のよい相手に勝てないのは分かっていたようだけれど、「勝てないからやめる」と意識していたわけでもない。そのようなある種の鈍さに身体中をたっぷりと浸しこんでおきながら、「人よりも食べられないものが多い」というある種の鋭さも有している。かれの幼少期は、ボケきっていたかと思えば急にハッキリする記憶の中で、鈍さや鋭さの形作るまだら模様に染められている。食べられないのはかれだけの話ではないはずだった。たとえば「もやしっ子」は一定数いたようにも思うけれど、かれは徹頭徹尾、他の「もやしっ子」を見ていない。幼少期を思い出すときにあらわれてくるのは決まってかれの輪郭ばかりで、他人はかれに関わる存在としてしか見えてこず、見える量も少ない。

 食が細く喘息持ちでアトピー肌の子どもがちゃんと大きくなってくれるのかという心配をしたかれの両親や親戚が、かれにしてくれたことはたくさんあったのだろうが、あまり思い出せないのもそういうことだろう。けれどかれが残すことに関して両親が寛容だったのはおぼえていて、寛容であったことがかれをぎりぎり食べる方へつなぎとめていたようにも思われる。両親は子どもが食事を残すことにどういう思いでいただろうか。子どもは野菜を食べない。キュウリは歯ごたえが苦手で、噛み痕だけを残して皿に投げられている。ピーマンは箸で奥によけられている。シイタケはゴムのようでまるで噛みきれず、無理に飲みこもうとするとたちまち咳きこんで吐き出してしまう。

 かれは食べているとき、とにかくよく吐いた。どこでも吐いた。背を丸め、前髪が皿につくぐらいに顔を落とし、濁音を発して吐き出した後には、よだれが尾を引いた。米粒のかたまりやキャベツの繊維、ホウレンソウ、肉の脂など、かれが飲みこみきれずに口の中に溜めてしまった食べ物が唾液にまみれてひとつの玉を作っているのを両親はどういう思いで見つめていただろうか。周りの子どもたちの反応は分かりやすく、しょっちゅうものを吐き出すかれと同じ班の子どもたちの机の距離は、いつも少しばかり空けられているのだった。ハンカチやティッシュをうまく使える子どもではなく、制服の襟でよだれをぬぐっているので襟に白い汚れがかたまりついてしまう。そういう子どもに対して周りがレッテルをつけたとしておかしくはないように思われる。かれは昼休みの遊びに誘われなかったし、そもそも行けなかった。掃除のために机を後ろにさげた教室で、前と後ろの無人の机に挟まれながら、先生が赤ペンを走らせる音を聞きつつ、おう吐物がまだ載っているトレーを前にして過ごす時間は長かった。

 キウイフルーツというとびきりおそろしい食べ物があった。どうしてこの世にこんなすさまじい食感の果物が生まれたのだろうとかれは大人になるまでずっと思っていた。見た目からして食べ物だとは思えなかった。中心に白い巨大な目玉があり、それを取り囲んで無数の黒い小さな目玉がある。鮮やかで力強そうな緑色の果肉。皮はびっしりと毛で覆われている。「百個の目玉」と名づけて周囲に恐怖を伝えると、みなおもしろがって「おい、今日『百個の目玉』やぞ。ニイジマが食えるか賭けよう」とクラスで話題になるほどだった。小学校で苦手なものを残すというのは基本的には許されることではなく、ルールがそうならすぐに黙ってしまうかれだった。うまい子は苦手なものがあるとそれが好きな子に事前に交渉しておき、斑のメンバーにも先生に告げ口されないように根回しをした上で食べずにすますことができたようだが、そんなうまい手を使えるとは思ってもみず、キウイフルーツはいつも目の前から去らなかった。

 一年生のとき、初めて見たそれをおずおずと口に運び、硬直し、たちまちペッと吐き出すと、先生は「これは教育だ」と考えたのだろうか、泣きじゃくるかれをキウイフルーツの前に二時間縛りつけた。昼休みが終わり、掃除が終わり、体育館の全校集会があり、ランドセルを背負って子どもたちが下校していった後、スプーンで小さく一かけらだけ掬いとられたキウイフルーツが、泣いているかれの前に置かれている。先生が前に立ち、「きっと食べられるようになります」と言った。その日一日、口中に広がる痺れが取れず、親が驚くくらい時間をかけて歯を磨いたけれど、次の日もまだ舌でその痺れの残像を探し当てて涙が出そうになった。四年生になって、掃除のときに周りの子どもがかれの机を倒すと、中からたくさんのキウイフルーツが転がり出た。「おい、ニイジマがキウイフルーツ、残しとるぞ!」とひとりが叫ぶと、そばにいた先生がかれの前にやってきて、「これは本当なの?」と言った。かれはどういうことなのか分からず、またどんな反応を取ればいいのかも分からずにかたまっていた。かれは確かにその日キウイフルーツを食べずに机の中にしまった。けれどもそんなに何日分も溜めこんでいたわけではなく、ランドセルに入れて持って帰るようにしていた。「今日はキウイ食べてるすがたを見なかったから、変だと思った」と先生は言った。周りの子どもが「先生、ニイジマくんはいっつもキウイ食べてませんよ」と言った。その子も「犯人」のひとりだったのか、結局分からない。「食べ物の好き嫌いはいけませんよ、ニイジマくん」先生が気づかなかったのか、気づいていてそういうことを言ったのか、今となってはどうでもいいけれど、四年生のかれにはキウイフルーツにまつわるかなしい記憶として脳に刻みこまれるのに十分な経験だった。当時の先生の言葉はその後何度も何度も反芻され、そのたび、キウイフルーツの舌を痺れさせる味のようにかれを痺れさせ、「食」と聞くとすぐ目の前に浮かぶようになった。


『その子供には、実際、食事が苦痛だった。体内へ、色、香、味のある塊団(かたまり)を入れると、何か身が穢れるような気がした。空気のような喰べものは無いかと思う。腹が減ると饑(う)えは充分感じるのだが、うっかり喰べる気はしなかった。』(岡本かの子「鮨」,同『老妓抄』新潮文庫所収,57頁)


 何度読んでも今初めて読んだように鮮やかで、ゆっくりとものを食べ、味わうように、一文字一文字を丁寧に追いたくなる作品がある。岡本かの子の「鮨」はそんな作品の一つだ。

 かの子の作品には食事をする場面が多く出てくる。どじょう汁やアンディーヴ(チコリー)など、あまり小説で取り上げられたことのないように思われるものが、箸やフォークにつかまれ、口に運ばれ、咀嚼され、飲みこまれるまでの過程がないがしろにされることなく丁寧に描かれている。読みながら口の中に旨味が広がってくるような描き方で、食べ物や、食べるという営みへの作者の愛情を感じるようだ。

 「鮨」には、食事が苦痛でまともに食べられるのは炒り玉子と浅草海苔くらいという子どもが出てくる。潔癖なところがあったからか、家の人にはおかしな子供と言われ、父親にも「ぼうずはどうして生きているのかい」と言われるほどである。引用箇所はこう続く。


『床の間の冷たく透き通った水晶の置きものに、舌を当てたり、頬をつけたりした。饑えぬいて、頭の中が澄み切ったまま、だんだん、気が遠くなって行く。〔中略〕子どもはこのままのめり倒れて死んでも関(かま)わないとさえ思う。』(同,57頁)


 この感じはよく分かる。幼少期の記憶の中のかれにも似たようなことはあった。かれは公文式の鞄を投げ出して、フローリングの床の上に横になっている。父親は夜遅くまで仕事でいない。母親はパートからもう戻ってもいい時間なのに戻らない。妹は水泳教室に出かけている。外では夕陽が沈みこんで、灯りのついていない部屋は徐々に薄暗さを増していく。かれはレースカーテンの奥で人の家が濃いシルエットになるのを見ながら、もうずいぶん長い時間ひとりでいるような気がした。飢えがきざしてくるのが感じられたけれど、立ち上がる気はなく、冷たい床にほっぺたをつけ、目を開けてしずかに寝ていた。十歩のところに菓子を入れた棚があり、母親はいつも菓子を切らすことがなかった。口癖のように「食べたくなったらここから取っていいからね」と言ってくれたのだが、「うん」とうなずいたかれが棚から菓子を取ることはめったになく、「いっしょに食べない?」と言われて、やっと煎餅やポテトチップスを一枚、二枚かじるくらいだった。かれは腹が減っているのは分かったけれど食べたいとは思わなかった。死ぬことはさすがに考えられなかったが、ずっとこのままでいよう、という気分で、暗さの増していく部屋の床の上で、起きたまま熟睡しているようなすがたをやめなかった。夏でも冬でもかわらない床の冷たさがしみていた。


『父親と母親とが一室で言い争っていた末、母親は子供のところへ来て、しみじみとした調子でいった。

「ねえ、おまえがあんまり痩せて行くもんだから学校の先生と学務委員たちの間で、あれは家庭で衛生の注意が足りないからだという話が持上ったのだよ。それを聞いて来てお父つぁんは、ああいう性分だもんだから、私に意地くね悪く当りなさるんだよ」

 そこで母親は、畳の上へ手をついて、子供に向ってこっくりと、頭を下げた。

「どうか頼むから、もっと、喰べるものを喰べて、肥っておくれ、そうしてくれないと、あたしは、朝晩、いたたまれない気がするから」

 子供は自分の畸形な性質から、いずれは犯すであろうと予感した罪悪を、犯したような気がした。』(同,59-60頁)


 なんて切ないくだりだろう。食べられないことは罪なんだろうか。親が頭をさげて子どもに懇願するすがたを見て、幼い子どもが何も思わずにいられるだろうか。この後、この子どもは平気を装い、家族と同じ食事をする。しかしすぐに吐いてしまう。兄と姉はいやな顔をする。

 食べ物の好き嫌いが多いことは罪なんだろうか。「好き嫌いを直す」とか「治す」という言い方をするけれど、好き嫌いは悪いもの、治さなければならない病気の類なんだろうか。好き嫌いは甘えの可能性があるからなくしていった方がよい、という意見もあるだろう。ことさら否定するつもりはないが、甘えだったとして、甘えも単純なものではないだろう。

 放課後、居残って課題をしていたかれの耳に、先生とクラスメイトの会話が飛びこんでくる。

「先生、今度の学級会の議題ですけど、『ニイジマくんはどうして給食を食べられないのか』っていうのはどうですか?」

「なんでその議題にしたいと思ったの」

「だって、いっつも残すじゃないですか。よく吐くし。よくないと思います」

「そうやね……」

 学級会の議題にはならずに済んだが、これも「食」に関するかなしい記憶の一つである。

 繰り返しになってしまうが、かれの親は、かれにとって見れば寛容だった。与えられた食事を残してもほとんど叱らず、「お菓子あるよ」とポテトチップスの袋をちらつかせる。大人になってから小学校教員の道を選んだかれは「家で自分の子どもが菓子ばっかり食べて困る」という保護者の訴えを繰り返し聞くことになったが、そういう親の方が多いんじゃないだろうか。食べようとしない子どもを持った親の選んだ「寛容さ」の後ろには、おそらく隠されてきた思いがあって、それを子どもはきちんと受け止めてこなかったとしても、尖った被害者意識に苛まれてきたかれを、ぎりぎりのところで生かしてきたのではないかと思うことがある。

 岡本かの子の「鮨」では、母親がみずから握った鮨を子どもに食べさせる場面がある。あれほど食べられなかった子どもが鮨を食べる。この場面は何度読んでも感動する。


『母親は、腕捲りして、薔薇いろの掌を差出して手品師のように、手の裏表を返して子供に見せた。それからその手を言葉と共に調子づけて擦りながら云った。

「よくご覧、使う道具は、みんな新しいものだよ。それから拵える人は、おまえさんの母さんだよ。手はこんなにもよくきれいに洗ってあるよ。判ったかい。判ったら、そこで――」

 母親は、鉢の中で炊きさました飯に酢を混ぜた。母親も子供もこんこん噎せた。それから母親はその鉢を傍に寄せて、中からいくらかの飯の分量を掴み出して、両手で小さく長方形に握った。』(同,61-62頁)


 読みながら、親子と一緒に噎せてしまいそうになる。あったかい母さんの掌の色が見える。


『「ほら、鮨だよ、おすしだよ。手々で、じかに掴んで喰べても好いのだよ」

 子供は、その通りにした。はだかの肌をするする撫でられるようなころ合いの酸味に、飯と、玉子のあまみがほろほろに交ったあじわいが丁度舌一ぱいに乗った具合――それをひとつ喰べてしまうと体を母に拠(す)りつけたいほど、おいしさと、親しさが、ぬくめた香湯のように子供の身うちに湧いた。

 子供はおいしいと云うのが、きまり悪いので、ただ、にいっと笑って、母の顔を見上げた。』(同,62頁)


 まだまだ続くのだけれど、これ以上引用するのはよそう。こんなに美味しそうな、人肌の鮨が描かれているのを見たことがない。子どもは母親の手で握られた鮨を食べることができたのだ。それが香りや味、その場のさわやかな空気まで伝わってくるように描かれている。

 かれには「母親の鮨」にかわるようなドラマティックな体験は思い出せない。ただ五年生になって急に食べられるものが増えたのをおぼえている。ある日、給食に出たカレーライスを食べきって、かれは生まれてはじめて「おかわり」をしようと思った。時間内に食べきってしまった。しかもまだ食べられそうな気がする。黙っていようか。いや、ちょっと入れるくらいいいだろう。食べられたことを知ってもらいたいという気持ちもあった。手がふるえ、立つときに椅子が不自然に鳴った。かれが皿を持って立ち上がると、クラスメイトがこちらを見た。先生が、「どうした?」と聞いた。「あ、おかわり……」とかれは言った。その瞬間、わっとクラスから拍手が湧いた。みんなが「すごい!」と言う中、カレーの食缶に向かった。興奮して、おかわりしたカレーの味はあまりおぼえていない。

 かれは肥った。小学校を卒業するころには「もやし」と呼ばれた頃の面影はまったくなく、アルバムを見ても、顔が丸みを帯びて血色もいい。中学一年生になってソフトテニス部に入ったかれは、球拾いをあんまりサボることに腹を立てた先輩に、体操服ごしに腹の肉をつままれて、「お前、もうちょっとシェイプアップした方がいいな」と言われた。かれはそのとき嬉しかった。「なに笑ってんだ」と先輩がすごんでも、「すいません」と言いながら笑っていた。まるで人間がかわったように食べられるものが増えていくことは喜びだった。野菜をおいしいと感じるようになった。キュウリやトマトなどのサラダがないと食べた気がしなくなった。ミニトマトの、ひんやりとした弾力のある実を舌の上で転がし、歯を立てて、ゆっくりとつぶしていくときに口の中にあふれ出てくるものが、憎い味ではなくなった。焼いたシイタケのふわりと浮かぶ香りが好きになった。親に言われなくても菓子を食べるようになり、「最近減りが早い」とつぶやかせるようになった。ラッキョウが食べられるようになったとき、周りにある食べ物で苦手だとハッキリ思えるものはキウイフルーツだけになった。

 キウイフルーツだけは二十歳を過ぎても食べられなかった。幼少期の経験などから自分はキウイフルーツを絶対に食べられない人間だとかれは思いこんでいたけれど、本当はもう食べられるんじゃないかという気もうっすらしていた。大学のサークルで飲み会に出かけたとき、デザートで出てきたケーキにキウイフルーツが入っていた。断面にキウイの緑色がのぞいており、それを見つけた瞬間、「お願い、近づけないで! においだけでもう無理だよ!」と叫んだ。かれがいかにキウイを食べられなくなったかというエピソードを紹介するとみんな笑ったが、同じように笑いを浮かべながら聞いていた後輩のひとりが、ぽつりと、「先輩、大げさに言いますけど、ほんとはもう食べられるんじゃないですか?」と言ったのだった。「いや、無理! 無理だって」と強く遠ざけたけれども、たぶんもう食べられるだろう、食べようとしないだけだという気持ちは、後輩の言葉によってますます強くなった。大人になると食べられるものが増えるのは、子どもの頃は味覚が鋭敏だったのが、年を取るにつれて鈍感になってくるからだ、ビールの苦みが味わえるようになるのも鈍感だから刺激の強いものを美味しいと感じるようになるからだとか、味覚にも単純接触効果があって食べる回数が多くなればなるほど慣れて好きになるんだとか、そのときは好き嫌いをテーマにして、本当かどうかよく分からない色んな理屈について話した。

 大人になってあれほど嫌いだったものが食べられるようになっていくのは、ひとつひとつ失っていくことだという気がしている。駅で売っていたキウイ100%のジュースを、当時の彼女に分けてもらって飲んだ二十三歳のある日、自分のなかの「キウイ嫌いのかれ」が死んでいくのが分かった。彼女はかれのキウイ嫌いを知っていたから、「どう?」と聞いてきた。「うん」と言ってもう一口飲んだ。「飲めるね……」舌にキウイの刺激は残らなかった。十分もすれば完全に消えていたけれど、「やっぱりまだ残る」と彼女には言った。

 今、こうして書いている目の前に、描き出された「かれ」がいて、ある面ではまだつながりながらも、ほとんど遠くにいるような気分でいる。ねじ曲げられていく頼りない記憶の中に生きている「かれ」は、奥で「まあそういうこともあったんだよ、たぶん」という顔をして、冷たい文字の並んだ床に横になっている。あたりは暗く、とても静かで、冷蔵庫のふるえる音や、外の鳥の鳴き声まで聞き取れるので、耳がよくなったような気がしている。そのとき鍵が回され、靴を脱ぎ散らかす音がする。パートに出かけていた母親は水泳教室に行っていた妹を連れて帰って来た。「こんな暗いところで何しとん」と母親が言う。「うん」とうなずき、かれは床からほっぺたを剥がして起き上がる。「お腹減ったでしょ。すぐご飯作るからね。カーテンしめて」という言葉に、「うん」とかれはもう一度うなずく。まあたぶんそういうこともあったのだということを、岡本かの子の「鮨」を読むようなときに、ゆっくり思い出している。


                                【了】


※引用箇所のルビに関しては、HPで公開された場合の読みやすさを重視して、新潮文庫版に振られていたルビの多くを削り、最低限必要と判断されるもののみを残しました。ルビは漢字の隣に括弧つきで表示されています。

好き嫌い:新嶋樹.pdf
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