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暗い部屋:安部孝作

 カーテンが開かないまま十日過ぎた。そもそも縞柄の布二枚は縫い付けてある。開くべからず、光漏らすべからずという警報がサイレンと共に町中を奔り回ったのだ。息を、身をひそめていなければならない。動きを見られてはいけない。この間動いた埃はどれほどあるだろうか。静かなまま、この部屋はどんどん暗くなってゆく。光がわずかな扉の隙間やカーテンの裾から逃げ出していく――しまった、捕え損ねたのだ――それともすり抜けられたのか、光は如何なる障壁をもすり抜けるゆえ……。吐き出される息はただ黒く腐っている。この部屋は闇で霞んで見える。もうすべてを終わりにしようと握った――握った? 誰が――ナイフは太腿に刺さったまま動かない。噛みちぎった舌は床を這いずって、もはや違う生き物となっている。ダニの踊り食い、生ごみの地引網、舌はしこたま肥り、もう三度交接し、五匹に増殖している。大きな赤い牛蛙と、小さな赤い蛭が痙攣して、青い粘液を飛ばし、楽しげにおしゃべりもする。その機能は万全なのだ。

 少年の人形が踊り出す。カフカス製で、コサックさながらの強靭なダンス。本棚の隅から転がって来た右腕が持ち主を探しあぐね、隻腕のまま踊り続ける裸体の人形は軽くなった右肩のことなどもう忘れてしまっている。つぎはぎだらけの身体、人形は痛みを感じていない、血を流すこともない、ただ、悲しみのみを感じている。目玉は風化して色褪せ、唇は土色している。それでも固く張った均整な唇はまったく震えることなく美しい。これほどにぎくしゃくした動きをするのは、腰や膝がグロテスクにねじ曲がるのは、結局人形の身体が隅々まで硬直してしまっているからだろう……昔はこうではなかった、この人形も瑞々しく細胞の一つ一つを、腱を弾かせていた。そして動きはもっとなめらかで、時折歪む表情、唇にはもっと淫らな、高貴な美しさがあった……水底でまるまる甲殻動物のように。

 台湾製の少女の人形が靴を落とした。楓のような髪に、蜥蜴のようなしなやかな身体をしたこの少女は恋人を探して彷徨っている。恐らく闇の終わらないこの部屋では見つけられないだろう。その恋人は太陽を射し抜く勇者なのだから。――にもかかわらず彼女の蕩尽されえない生命が血管を針のように奔る。だからいずれ月へ雲に乗り飛び立つのだ、この底のない夜が支配する部屋から――月とはしかしどこなのか、上昇は脱出を意味するのだろうか……ここは底のない底なのだ。だが無謀にも少年の右腕は靴を拾い、少女の人形の足に履かせた。野犬の毛並のように、赤銅に紫水晶が映えたこの靴は、この人形にとてもよく似合っている。少年はきっとこの靴に口づけをし、この人形の手の甲により多くの口づけをするだろう。もう魂などないのだと空虚の漣に触れ、色褪せた唇の先端には感覚と精神の残滓を感じ、右腕も失くし。壊れている身体に張り巡らされた神経をすべて遮断してもなお、この唇にのみは彼の意識が宿っている――唇は、探っているのだ。そして少しずつ漏れ出す熱い息に意識は融け込み、霧消し、最後は何一つ言葉を発することもできないまま、その場で倒れてしまう。少女の人形はしかし、痕跡を残すことない固い唇に、僅かな痛みと怒りを感じ、しばらくして忘れようとする、ブラックオパールの鱗を一枚一枚剥くように、傷痕よりも激しい痛みに苛まれながら。そして黒い雄鼠たちは貴石の肉塊、おぞましい記憶の鉱石をこぞって奪い合う。この少年はもはや唇にすら存在が残っていない。だから少女が彼の影を、身体を踏みつけたところで誰も咎めることなどできない。それどころか、そこに肉体が放置されていること自体が問われねばならない。なぜおまえはまだそこにいるのだ、と。その役割を、あの牛蛙のような舌が務めることは言うまでもない。舌のみが今、言葉を知っている。たとえ虚偽に満ちた言葉であっても。舌のみが知っているのだから、舌はもう祭司を気取る。これは古代の智慧――さて問うがいい、なぜおまえはそこにいるのか、と。

 

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