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「小人の夢」他:白熊

小人の夢

 私は両手を広げて仰向けになっていた。掌に乗る程の裸の小人が自分の周りで動いていた。五人か、六人か。五十センチもありそうな、大きな包丁を持った者が三人、四人。皆同じ、じじいの顔で、鷲鼻に細い眉と目を顰めて、口はへの字で貼り付いていて、口としての機能は持っていないようだった。生まれてこの方同じ表情で、同じように作業を繰り返す、それが彼らの役割なのだろう。

 小人がその包丁で、私の丁度、あばらの下の胴を切り落とした。またもう一人が左肩の付け根を切り落とした。切り落とされた腕は、付け根から五センチ程に輪切りにされていった。神経の切り離された腕は他人のようで、段々と短く形を失っていく。神経は繋がっていないが、痛々しい。手首を切られると掌はぶつ切りに。下の方では左脚も同じように切られていて、右足に取り掛かるところだった。

 ——ここで夢は終わり、目が覚めた。雨戸の閉まった暗い部屋と天井があった。暫くベッドから出られず、頭だけが動いている。

 自分の体は何でできているのだろう。食べた物だろうか。今の自分は、どういった結果、どういった産物なのだろう。

 外は雨が降っている。雨の叩く音が、誰かの足音のように聞こえる。日は過ぎていく。濃度の薄いスケジュール。年末まであった仕事はもうない。

 大掃除に、ベッドの下にあった過去の物を選別して大分ゴミに出した。余計な過去の物は捨てて、色々な重みをなくそうとした。捨てる時、確かにあれはゴミだった。しかし年を明けてみれば、ゴミを捨てた結果、何もなくなった自分がここにある気がした。物以外の積み重ねてきた経験も、また同じゴミだったのだ。

 布団から這い出てベッドに座る。切られた両腕と両脚は残っていて、痛みなく動く。居間に降りるとストーブの前で手術した足を揉む母がいた。

「体が不便なく動く事は大変有難い」というのが、最近の母の口癖だった。

 オリンピック、ワールドカップ……。華やかな言葉の陰に住む。ぽっかりと黒く塗り潰された過去の上に、今の自分の歳が乗っている。積み重ねてきたと思っていた物も、ゴミのような物だった。自信のなくなっているのが要因だとも分かっている。ならば、自信を持つことができれば解決できるのだろうか。

 自分の頭と動く体があるのなら、低賃金でも、将来に繋がるのか分からなくても前に出てみようよ。前に出る一歩。それは体に付いた脚ではなく、心のことなのだろう。

 齢八十、漁師の又郎は寝床についたまま、目を覚ますことはなかった。その報せは半日のうちに漁師仲間やその家族に伝わり、葬式の日時も確認された。

 漁港の中では、きょうも朝早くから沖へ出て、沖から戻った三十隻の漁船が、荒太いロープで繋がれ小さく揺れていた。陽が昇ってからはずっと、晴れた空ではウミネコが白い羽を伸ばして漂い、南風に乗ってないている。

 又郎と同じ鮪漁師の源三は、家族の誰とも話さなかった。蠅が留りそうな目は、部屋のどこか隅の一点を見据えていた。一人の漁師のいなくなった夜は、漁師達の心に静けさを感じさせた。

 まだ星の見えるうちに漁師達は沖へと出て行く。ただ一艘、又郎の船だけは、誰も乗り込む者がなく、出掛けた飼い主を待つ玄関先の犬のように、繋がれたまま海へ出ることはなかった。漁師達も、何も口に発しないが、沖へ出ない船を意識していた。又郎の隣に船を繋いでいる源三も、みなと同じ、いつものように口をつぐんだまま、又郎の船の方を一瞥もせずに、沖へと出て行った。

 陽が昇り、小学生、中学生、高校生達はうちを出て、学校へと白いヘルメットを並べて歩いている。未明のうちに沖へ出ていた船は、漁港に戻ってきた。しかし、源三の船だけは、いつまでも戻って来なかった。漁師達は、帰って来ない源三の船に無線を入れてみたが、源三からの応答も返ってくることはなかった。この日、又郎のうちで御通夜が行われ、親戚達が手伝って、明日の葬式の準備をしていた。

 翌日も源三が帰って来ないまま、又郎の葬式が始まった。海から戻ってきた漁師達は、みな潮を落として喪服に着替え、又郎の家に集まった。

 漁師達の車を連れて、霊柩車に乗せられた又郎の棺は火葬場へと運ばれていった。荼毘にふされ、骨壺に入れられた又郎は、娘夫婦と共にうちへ帰ってきた。火葬場へ行った者達は、車の窓から又郎の船の隣に、源三の船が結ばれているのに気がついた。骨壺は写真と共に仏壇の前に置かれた。

 その夜、漁師達は又郎の家で共に食事をすることになり、準備を始めた。海の料理がふすまをはらった居間に並べられていった。二日沖へ出たままだった源三が、大皿を五つ持って現れた。源三は今朝獲った鮪だと、皿の一枚を源三の写真の前に置くと、しばらく手を合わせていた。その夜、漁師達は、又郎の家の料理と源三の獲ってきた鮪を食べながら、尽きない又郎の思い出を、夜遅くまで語りあっていた。

愛の夢

 紙屑の見当たらない小奇麗な、花壇と、幅のあるブロックの道は、緩い下り坂となって伸びていた。視線が掴みえるその先には、駅と隣にある踏切と、踏切の上を渡る歩道橋があった。僕の居場所は、梅雨明けの、踏切まで続く、向こうへ行くだけの交わらない道の上。伸びる空は帯のようで、綿を丸めた雲が糊でとめられたように浮いていた。

 母親に見えない程若い笑顔の、横顔を見せる女が、僕の前の道の上で三児の子供を連れて歩いていた。一人で生んで、育てゆく三つの子供達。駆け降りても駅は近づかなかった。空も、そのままに動かなかった。

 風の如く。駆け下りる速さの、とどまる手前で、勢いのままに、その女を後ろから、強く抱きしめた。突然のことに、芯は硬直していたが、腕の中で締め付けられた彼女の体は、柔らかかった。

 以後彼女は一人じゃない、僕も子育てを手伝った。彼女の夫と、子供達の父親の二役。それがその時からの僕の人生だった。

 走り回る子供達。この道の上で、僕達夫婦は二人で、写真を撮ったことがなかった。道沿いに並ぶ店を覗いても、窓ガラスに映るのは子供達だけ。ガラスは僕達二人を映さなかった。何も僕達の姿を映すことはできなかった。

 ここまで歩んできた人生は、僕のほうが短かった。若い僕が先導した。奏でる右手と左手のメロディライン。リストの途切れることなく、次へ、次へと。

 僕より彼女が訊いてきた。これまでどんな人と付き合ってきたの、と。蟠(わだかま)るような過去はなかったから、「無い」が答えだった。

 成長した子供達は、別々に自分の道を歩んでいった。二人の間で時は流れず、僕達は歳を取らなかった。お互いの、何も変わらない顔と、愛。

 この道の伸びつく最後。近づいてきた歩道橋と踏切。駅では電車が出発を待っていた。

 子供達が巣立った今、その裁断を受けようか。

 木の葉の舞う、駅の隣にある喫茶店。甕(かめ)の縁まで達した水面、風がさざなみを起こしている。木目を基調とした店内。シンプルで白い、四枚の羽が回っている。本棚には辞書と時刻表。これまでここで何人が開いて見たのだろう。言葉は意味を慎重に、これからの目的地を探そうか。店内に流れる、サロン調のピアノの曲は、愛の夢。

 二人向かい合って、珈琲を一つ口にした。それから僕は云った。

「これからも、愛したい限り、愛せばいいさ」

 女は答えた。

「愛したい限り愛しても、そんなには、続かないものよ」

無題

 白の制服を着た女の子が二人、腕を組み合って道を歩いていた。片方が笑って相手に身を預ければ、もう片方も笑って身を傾けた。校則ぎりぎりに合わした二つの短いスカートが跳ね、声が響く。気付けばこういう女子高校生も少なくなった。

 うちを出た女は歩きはじめたが、足はどこへ向かっているのか定かでなかった。鞄を持たずに出歩く女は珍しい。ラッシュは過ぎて、通りの流れも落ち着きを取り戻していた。いつもと違う道を歩いていいと、頭はそれに気付いている。無意識に足は習慣をなぞる。今までも決めていたわけでないのに、毎日同じように歩いていた道。途中、道を渡って反対側の歩道を歩いた。逆の歩道から自分の歩いてきたほうを見た。

 いつもと同じ道をなぞったために毎日利用していた駅に着いた。足に任せて向かえばここかと、幾らか女は自分にがっかりした。今日は定期券を持っていなかった。行きたい先もない。改札の前を通り過ぎて、奥の出口から外に出た。

 小さな商店街、この街に引っ越してきてから、こちらにはあまり来たことがなかった。左手には赤いくすんだ提灯の居酒屋が、右手には開店前の小さなパチンコ屋があった。夜の遅い店はどこもまだ眠っていた。左手奥の八百屋が軒先に野菜を並べていたが、人の姿は見えなかった。朝の家事をやっつけて、急ぎ足でおそらく電車に乗ってパートに向かうおばさんが駅のほうへ歩いていった。両脇に並ぶくすんだ店。少し左へ蛇行しつつ、駅へと向かう一本道のシャッター街が、川の姿に重なった。

 ペルシャ湾に注ぐユーフラテス川、始まりはメソポタミアから起きた、川沿いに並ぶ古い営み——。

 ——自分の頭のどこからこんな言葉は浮かんできたのだろう。いつもと違うところに足を踏み込んだためか。女は自分のらしくない思考を不思議に思った。

 先に見える黒壁の店のドアが鳴って開いた。深い皺の顔の女で、櫛を通していない金色の髪をカチューシャで押さえ、体には長く着た黒のドレス、薄い唇に煙草を挟んでいた。両手で持ち上げた、白地に黒の大きく店の名前の書かれた内側の光る看板を出し、そして営みをなぞるようにして箒で塵を掃き始めた。自分と違うところに生きてきた女だった。嫌悪感は抱かなかった。おそらく自分の母親と同じ年頃だ。

 商店街の真ん中に立ったまま、周りを見た。その女の他は何も動いていなかった。遠くのほうでホームの電車の出発を告げる音が鳴っていた。

あっ

 金曜日夜八時すぎの地下鉄。仕事のやり直しをくらって帰宅が二時間延びた男は不機嫌だった。中央駅で地下鉄を降りると私鉄の改札へと向かった。

 地下街の店舗で新しい石鹸を売り出していた。近くまでいくとその匂いがはっきりと分かった。男には匂いで思い出す女がいた。学生時代に好きだった一つ年上の女だった。

 女は大学四年の時に中国へ留学した。男は女とSNSで連絡を取り合っていた。男は女の帰国を待った。迎えに行こうと帰国の日時を訊いた。しかし、その返事はなかった。それから何年もの時が流れていた。

 地下街を抜けて私鉄の改札を通りホームへ向かった。行き交う人の中で男は一人の女に気がついた。それはさっき思い出した女だった。通り過ぎる時、男は視線を動かさなかった。男の横顔を見ていた女は男の背中に「あっ」と声を上げた。二人の周りにこの様子を見ていた者がいれば、容易に久しぶりに知り合いを見つけて声を上げた女と、それに気付かずに通り去っていく男の関係を、見て取れたことだろう。

 男はホームに来た電車に乗り込んだ。夜の車窓で女に見られた自分の姿を確認した。もしかしてメッセージを送ってきてないかと、久しく使っていないSNSをスマホで開いてみた。しかし、何も来てはいなかった。

 あの時は男のメッセージに女が返事をしなかった。男はずっと無視されている立場だった。今日それまでの立場が入れ替わった。声をかけて無視されているのは女のほうになった。これで男は女を無視している立場を得た。相手に渡せたのは無視のバトンだった。もしまた女が男を見つけて声をかけても、それに男が応じなければ、一生この立場は入れ替わらない。今日の仕事のこともあって男は嬉しさを覚えていた。

 男は帰宅するとそのまま風呂に入った。湯船の中で思い出していた。女は声をかけてどうするつもりだったのだろう。しばらく考えていたが、あそこで女に返事をしたとしても、自分がしただろう行動は、アでも、ハでもない、鼻から息の抜いた音を吐いて、あからさまに気のない様子で「久しぶり」と答えるだけだ。あの後の展開はなかったのだ。展開はないのだから、やはり展開のないにも関わらず、行動した女が悪かった。男は自分の正しさを感じた。

 久しぶりに思い出された恋は、展開のないまま一抹の虚しさと共に終演した。風呂の窓からは中秋の月が見えた。男は自分の正しさを共有できる相手が欲しいと思った。

ローレル

 霜月、富山は黒部渓谷。小雨の降る、宇奈月駅のホーム。

 写真をとる、ホームの色を持たない乗客たちが、赤い客車に乗っていく。すり減った、古いカメラを手に、自分も幅の狭い乗車席にこしかける。長く連なった車両。走り出す。四軸の、オレンジ色のトロッコが二台、客車を牽引していく。

 ふもとと離れる、はじまりの、赤く大きな新山彦橋を渡っていく。色づいた山の木々に、降りてきた白い雲がかかっている。向こうでは、ビニール傘をさした人たちが、こちらに手を振っている。

 橋の向こう、山に空いた、丸いトンネルに入る。トンネルが連続する。抜ければ、黒部川を横目に走る。きれいな青碧色をした川の水。木の幹に、隠れるようにして見える仏石。山の斜面は、赤、黄、橙。雲の白。ゆたかな彩りに包まれた世界に、むろいが滋る。

 客車に動力はなかった。黒薙の駅にとまると、エンジンの音が聞こえない。山からの音だけの、静寂の世界。僕をとおりこして、流れていくのは、色を持たない人の声。家族連れやカップルが、ホームへと降りていく。

 続く線路。続くトンネル。心地よい揺れ、疲れ。まぶたがおもたくなる。トロッコの走る音も、とおくなっていく。


 歩いて、歩いて、歩いて。思えば遠くへ来たものだ。木々の間にのびる、先の見えない細い道を、ゆるやかな、坂道を、走らず、時折立ち止まり、立ち止まっては、歩いて。六年の月日が流れていた。

 「石の上にも三年」というけれど、僕は六年だった。人よりも、要領が悪い、効率が悪い。人が一つ間違えば、二つのことに、気付けるところを。要領のいい人なら、三つ、四つと、気付けるところを。僕は一つ一つ、人からすれば、同じ間違いだということも。時には自分でも、同じ間違いだと思うことも。

 強くない。そんなに、歩き続けられる、ものではない。時には冬季歩道。立ち止まり、休み、うずくまって、情けなく泣いてきた。

 子供が黄色い帽子をかぶって、小学校に入って、卒業するまでの期間。中学、高校と、青少年が思春期をやりきるまでの期間。それと同じだけの月日を、一人、歩いてきた。


 うっかりまどろんでいた、自分に気付いて外を見てみると、トロッコは雲の中。終点、欅平の駅に着いていた。手に新しいカメラ、ホームへ降りる。ここまで乗ってきた人間は、気付けば僕一人。

 改札を抜ける。僕はそこにいた、色のない女性から、「おつかれさま」と、頭に枝葉の冠を頂いた。

タヌキの哀しき皮算用

 人間界には「捕らぬ狸の皮算用」などという、けしからぬ言葉があると云う。

 何の因果かヒドイもので、家族でどんぐり拾いに出かけたのが運の尽き。道中山腹でダダダンと音が鳴り響いてびつくり仰天。腰を抜かしてばたつく足に任せるままに、一人離れた茂みへ跳び込んだ。ガタガタ震えながら地面にへたれた家族を眺めていると林の奥から影が現れた。見れば立って鉄の筒を持つ熊のヤツ。どうもあの筒で離れた処から家族をなぶったと見える。

 近頃キテレツなカラクリが人間界で流布していると聞く。熊は体がでかいばかりで知恵の無いものと思っていたが、いつの間にあんなカラクリ筒を手に入れたのか。前足で器用に家族の亡骸を摘むと奥の茂みへと姿を消した。

 昨日までの日々が夢のよう。一転、天涯孤独の身となりて、憎き家族の仇敵、熊のヤツを絶滅せんと心に決めた。しかし小生には手段も知恵も何も無い。無き物求めて人間界の万屋へと降り立った。

「おや、これは珍しいお客さんだ、どうなさいました」

「実は熊に、家族の敵討ちをしたいのです」

「ほお、敵討ち。ほな、このてつはうなんぞは如何でしょうか」

「おお、それはまさに熊が持っていた鉄筒」

「どうぞどうぞ、これを持ってお行きなさい」

「しかし、小生には銭がありませぬ」

「構いませぬ構いませぬ、見事熊を撃って来られたら、手前が熊を買いとって差し上げます。そうすれば借金は返せますぞ」

「それは有難い。ではそうさせていただきましょう」

 山へ戻り、鉄筒を背負いて匂いを手掛かりに探していると、遠くで寝ている熊を見つけた。油断しているのかヤツの鉄筒は見えぬ。こちらは構えをとって、引き金を引いて熊を撃った。一発、二発と撃ち込むと熊は舌を垂らして地面に伸びた。小生は熊を引きずって万屋へと持ち帰った。

「では、手前は皮を剥いでこれを外套に致します。ささ、狸さん、まだまだ熊が足りませぬぞ。借金には利息という物が御座いますからな」

 それからは鉄筒を背負いて山へ出かけて熊を撃ち、万屋へ持って帰ってまた出かける日々の連続。憎き熊を撃つはいいが、借金は利息で増えるばかり。

「ささ、お客さん、まだまだ熊が足りませぬぞ」

 狸のマタギとはこれ如何に。きょうも熊のヤツを撃つ為に、鉄筒背負いて出かけます。あの鉄筒を持つ熊とは出会えぬまま、本当の敵はどこにおるのか。日に日に万屋は熊と狸の皮が増えていく。

 ああ、哀しき因果、ここに極まれり。