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「キョウゲン」:うさぎ

 久遠寺久兵についていくつか書こうと思う。

 名前、久遠寺久兵。フリガナ、クオンジキュウヘイ。生年月日、一九八九年九月十九日生まれ。現住所、東京都三鷹市L町×―×。最終学歴、T大中退。趣味、読書と音楽鑑賞。特技、タッチタイピング。希望休暇曜日、特になし。備考欄、若さと気力で長時間の勤務頑張ります。と。

 「名前、久遠寺久兵」から始まり、「勤務頑張ります。と。」までこの数行の文章が丁寧なボールペンの字で履歴書に書かれて、本棚にある海賊マンガの単行本に挟まれておいてあった。きっと、「と。」が余計な一文字でこの履歴書は書き間違えで、おそらくこれを下書きにして本番の面接の時に持って行ったものがあるのだろう。

 彼は実家を出て一人暮らしをしている。大学に通うためにマンションを借りて、中退した今でも住んでいる。実家に帰るということは面目ないと思っているが、マンションの賃貸料も食費などの生活費は親からのお金で生活をしている。しかし、それでも自分の自由になるお金を稼ごうと一人暮らしをして四年目でやっと働くと決めたのだった。

 働く前まで彼は運と勘で生計を立てていた。パチンコをやれば大連チャンをして、麻雀をやれば相手の上がりを見切って自分のチャンスを見計らって上がる。彼は勝負事においての押し引きが先天的に備わっていたのかもしれない。ただし、それは去年までの話だった。スロットをやると食費を削ってまでやるものの当たりを引くこともなく、麻雀は強すぎると言われて仲間から相手にされなくなった。そして、やっと気づく、他人から見れば当然なことでも、彼は知らなかった。いや、知らないフリをしていた。「働いたら負け」彼の心に掲げていたスローガンを撤回する時が来た。それはほんの些細な出来事からだった。彼はもともと小説家になりたかった。だれに見せるわけでもなく、大学に入学したときに親戚のおじさんに買ってもらったノートパソコンでひっそりと小説を書いていた。彼は、読書においては浪費家で図書館を利用することはなく、大型本屋に通って本を買うのであった。本を買うお金は、最初はギャンブルで勝ったお金を使っていた。しかし、今まで好循環していたお金も底をつき、彼はやむなくアルバイトをすることに決めるのだった。彼の中では苦渋の決断だった。本当の意味での負けだし、人生での挫折とも言って過言ではなかった。とはいえ彼は若くて、これくらいのことで人生が大きく変わるとは深く思い詰めなかった。「欠点」というだけであって、ゆくゆくは自分は働かないといけないとは思っていて、心のどこかではいつかやってくることだと受け止めていた。

 彼はアルバイトをしながら、それでも自分を表現する術として小説を書いた。書いた作品が多くなってきて、腕試しと文芸誌の新人賞に応募してみた。ペンネームは本名と一緒「久遠寺久兵」だった。送った作品がどう評価されるか楽しみだった。そして、それを人にだれにも言わないでいることが楽しくてしょうがなかった。もしかしたら、自分は小説家になれるかもしれない。それを両親に言った時にどういう表情をするだろうか、友人はなんて言うか、夢想するだけで楽しかった。周りのみんなを見返してやるという意気込み、もしくは強欲ともいえるものが彼の創作意欲をかき立てた。その点において、アルバイトをする事も苦ではなくなっていた。彼は順調に生活をしていた。

 その生産的な生活が相まってか、彼女ができた。同じ職場の小笠原亜樹と言う女性だった。身長は彼より少し低くて、高校まで運動部だったのでしっかりした体つきをしていて、少し甘えん坊で、髪は茶髪で、彼にはもったいないくらいの女性だった。同じ職場ということで、周りには内緒にして仕事をしていた。それも彼の中で誇大妄想に拍車をかけた。自分にはこんなにもすばらしい彼女がいる。彼女に話しかける同僚がいたら、心の中で舌を出す。亜樹は自分の彼女だ、と。彼にとって亜樹ははじめての彼女で、もちろんセックスもはじめてだった。幸か不幸か、彼女はもう経験済みで、行為の最中にリードをしてくれた。はじめは彼女の言っていることがわからなかったし、彼女も「そこ」とか「気持ちいい」とか「もっとして」とか抽象的な言葉で言ってくるので、彼は一回一回の愛撫で一生懸命だった。いざ彼女の中に入れてみると、彼女が声をだして喘いだ。回数を重ねるうちに、彼女の発する喘ぎ声で彼女がどんな状態なのかを察することができた。もちろん、彼女も彼のものを舐めたりした。はじめて自分の手以外のものが触れた時にはくすぐったいと思って、腰を引いてしまった。彼女は「大丈夫だよ」と言って白い八重歯を見せて笑った。彼女の執拗とも言える愛撫は続いてずっと彼のものを口に含んでいた。そのうちに絶頂に達してしまった。少しの間快感に浸っていたがすぐに我に返り、彼女に「ごめん」と言ってティッシュを箱から取り出して差し出した。「平気、平気、慣れてるから」と先ほどと変わらぬ笑顔を見せた。「慣れている」という言葉が彼の中の嫉妬心を掻き立てた。自分は今までの中で一番の彼氏になってやろうと思った。もちろんだが、二人はいつもセックスばかりをしていたわけではなく、よく遠出をした。近場だと同じ職場の人にみつかるかもしれないと思ったからだ。春には桜を見に山に、夏には海水浴をしに海に、秋には遊園地に、冬は沖縄に行った。

 それを二回繰り返した。その間にも彼は小説を書き続けた。最初の公募は文芸誌にも載らない残念な結果になったが、彼のそばには彼女がいた。彼女はいつの間にか彼のことを応援する一番身近な読者になった。彼女の存在により、彼の作風は一転した。今まで、無造作に書いていた小説も、読者がいることと彼女のコメントによって方向性が解ってきた。彼は二年の間に四回公募に出した。そして、五回目で彼は文芸誌に名前が載った。しかも、最終選考だった。それ以前に彼の元に編集者から電話がかかってきた。彼はいの一番に彼女に伝えた。最終選考に残ったと。彼らはうれしくなり、仕事が忙しいにも関わらず早引けして外食をした。そして、発売日に二人で本屋に行って、文芸誌を買う。それを近くの喫茶店に入って確かめた。そこには確かに久遠寺久兵の名前と作品名が載っていた。その文芸誌が今私の手元にある。なにが久遠寺久兵だ。かっこつけやがって。なにくそと思ってしまう。だが、几帳面な性格故に本を壁に投げつけることなんかできなくて静かに本棚に仕舞ってしまう。それよりも私は久遠寺久兵の話を書きたいわけではない。そんなへったくれな人間なんて語ることはばかばかしい。それよりも私織田理の身の上についてである。私は小説を中学生から書いています。そのせいか友達もできず時間があれば学校の図書館にいてノートにその当時は小説と呼べるものではなかったのですが文章を書いていたんです。友達も年の数が増えるに連れて減っていきいつの間にか寡黙に生活するようになりました。そんな私を見兼ねてか母親がオウムを飼うようになりました。母親はご飯の時間になると私より先にオウムに餌をやるのでした。母は熱心にオウムに話しかけるのですが一向に言葉を覚えません。私はそんな母親をかわいらしく思うことはありませんでした。申し訳ないとも全然思いません。両親の思い通りに成長することを中学生の時からずっと拒否していました。大学も行くことは行くのですがずっと一人でゼミでも必要最低限のことしか喋ることなくゼミのコンパなんかには絶対に参加することはありませんでした。その頃もずっと白紙のノートに小説を書いたのです。私の目標として小説家になることは夢でしたし両親への最大限の反抗だとも思っていました。しかし芽が出ることもなくただただ時間を浪費しただけです。社会人になるころには抵抗はなかったですがどこか居心地が悪かったです。社会人になっても喋ることはありませんでした。ただひたすら数字や文言をパソコンに打ち込むことしかしませんでした。私が静かなことにだれも文句をいう人間はいませんでした。定時になったら退社をして給料を貯めて買ったパソコンで会社と自宅の中間にある駅の近くの喫茶店に行き小説を書いていました。母親には残業だと言っていました。土日になると部屋に籠もりずっとパソコンとにらめっこしていました。私だってストレスが溜まることがあります。それをどうやって発散していたか。それは深夜にこっそり起き出してオウムのそばに行き「このクソが」とずっと言い続けるのでした。いつしかオウムは私の言葉を覚えて母親の餌をあげる時に「このクソが」と言うのでした。その光景に私は笑みがこぼれました。私の代わりにオウムが反抗している構図が面白かったのです。私は楽しくなって書いている小説に詰まるとオウムの近くに行きここでは書けないような罵詈雑言を浴びせました。最初はなかなか覚えませんでしたが言い続けることでオウムは言葉をいや音として認識するようになったのです。最近オウムが変な言葉を覚えたと母親は独り言を言うようになりました。私は今まで見せたことのない笑みを浮かべました。しかし私はオウムに言葉を覚えさせることに夢中になり小説に力を注ぐことができませんでした。そしているうちに二十代が終わりいつの間にか髪が薄くなりところによっては白髪が生え顔の皺が気になるようになりました。三十代はあっという間に終わってしまったように感じます。私の老化はあまりにも自然に進んでいき髪は二十代よりなくなってしまいました。若さは財産だとつくづく痛感します。私より若い作家が増えてきて段々と焦るようになりましたが私には文才がないのかもしれないと思います。今まで飲んでなかったお酒も飲むようになりました。両親も私を諦めたらしく弟に家のことを相談するようになりました。一日に飲むお酒の量が多くなりいつの間にかお酒を飲まないと小説が書けなくなりました。小説なんて人生の浪費なのかもしれません。私は文芸誌の新人賞を眺めてはその作者の人生を想像するようになりました。今はただただパソコンに向かって文章を書いているのです。そうそれは中学生の時に書いていた文章となにも変わらないものになってしまったのです。私にはそこで改めて思います。私に才能なんてないと。窓を見ると外が明るくなってきました。私はお酒を飲み無為に時間を過ごすことしかできなくなりました。

「このクソが」

 そう言うオウムの声が聞こえましたがもしかしたら私の幻聴なのかもしれません。私はもうなにもする気力がありませんでしたがすこしだけ面白かったので声に出して笑いました。そう私がクソなのかもしれないと思って滑稽だったのです。と。

(了)

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