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巻頭アンケート

『あなたが最近時間を感じた瞬間は?』

長く使ってきたペンの筆跡がふと掠れるように、また街路を渡っている時思わぬ方向から赤光が眼をどぎつく差し貫くように、ふと時間というものがわが身に舞い込んで来る時がある。

そんな「時」を、みなさんに教えていただくという主旨でアンケートを採りました。

掲載順はアンケートをもらった順(一部変更アリ)

さん

真夜中に母が自分を生んだ年齢=現在の自分の年齢に気が付いたとき、父がもう長くないことを同時期に知り、父と母のことなど何も知らなかったし、連れていってもらった場所の大半も忘れていて、それでも一人でこんな夜を過ごせるなんて子供の頃には想像もしなかったと思って、どこか過去に遡るような心地で目を閉じるとき。

さん

近所の建物が生長し腐れる植物みたいに日々うごめいて感じられた時。

Rain坊さん

好きなキャラの年齢を、気が付いたら自分が越していた時

ふかまちさん

一ヵ月後くらいに予定してたことが目前に迫ってきてだるくなってきた時

うさぎさん

日曜日の25時

Rain坊さん

笑点→サザエさん→テレビの試験電波の音、を聞いた時

イコさん

東京に出て混雑する駅の構内をひとり歩いていますと人がみんな別の顔をしてでたらめな方向へ線を引くように歩いていくのが分かりまして、今歩いている自分も同じだなあと思ったら時間はこの駅にもあの駅にもいくつもいくつもいくつもあるんだろうなと思いましたのでそんな時

Akiraさん

インターステラーを見たとき

Rain坊さん

近所の子供が、気が付いたらもう小学生になっていた時

さん

近所の小学女児だった子が、エナメルのバッグを持って出てきてこちらを腐ったものを見るような目で見てきた時

Rain坊さん

二度寝して、時計を見た時

さん

今回提出した小説を書いていた時


日居さん

最近時間を感じた瞬間、というお題を見せられて以来いろいろと考えをめぐらせてみたのですが、生まれつき観念的なものに対する嗅覚がにぶいためか浮かんでくるものがさっぱりなく、それどころか、その日暮らしに生きているものですから未来に対する見通しはいわずもがな、過去に対するペーソスめいたものも概念によって把握できたことはあるとはいえ実感として感じ取れた経験はなく、あまつさえ経験の積み重ねは一通り切り離しながら生きているのではないかという疑問に行き当たってしまって、じゃあ何があるかというと現在しかない、時間というものはひとまず過去と現在と未来を総合した末に成り立っているものでしょうから、となると自分には時間というものが存在しないのではないか、という呆れかえる認識に至ってしまいました。

かといって世間では存在しているというのが常識になっているのだから、自分にも存在していると見積もるしかないのだろうということで、とにかく身近な感覚を書きとってみようと思うのですが、今年は一年がひどく長く感じて仕方がありません。雪がすこぶる降った冬から暖かくなるまで日数は要らなかった春まではそれまでの一年と変わりない平坦な道行が進んでいたはずですが、フリーターになって以来初めて盆休みが取れる仕事を選び、そこまではいくら無理をしようと大丈夫だろうと目途をつけながら夏を過ごしていたのですが、そこから計算がおかしくなりました。3年ぶりに実家の墓を参ってこれで一段落しただろうと仙台に戻ってきたはものの、じゃあ、残っている年月はなんのために過ごすんだ、と疑わしくなったのです。夏がすんなりと終わってくれたのもかえって有難迷惑で、例年なら9月までは暑い日が続き気付けば秋が終わってあっという間に冬が始まっていると続くのでしょうが、今年の9月は一度として真夏日がなかったらしく、珍しく長く涼しい秋を過ごす一方で、むしろ一年の終りに向かうに当たっての見通しの悪さは極まっていきました。先述した、現在しかない、という認識もここから導き出されたもので、どうも私は他所から目途を与えられないと前後の方向感覚がはっきりとしないらしく、この文章は秋が終わってようやく訪れた冬になってから書いているのですが、あちこちから聞こえてくる、今年も短い一年だった、という常套句に触れるたびに彼岸との隔たりを埋めようともがいている有様です。とはいえ、他人によって前後を知らされないと立ち位置がわからないのならば話は簡単で、年が明けるとともに会う人会う人の顔に汚れを落としたような艶やかさが宿ってくれれば、それに合わせて今感じている重みもさっぱりと消えてくれるだろう、と今のところは迎春を頼りにしております。暦の上で年が改まったところでなにかが片付くわけでもないだろうに、それでも改まると言いたいのならそれは何かしらのことをチャラにする逃避心から来る態度なのではないか、と昔は思っていたのですが、所詮は血気に逸った考えであり自分ひとりで重みが背負えるほど時間というものは甘くない、ということでしょう。ただ、一方で懸念は残っていて、年が改まっても重みが除かれなかった場合どうすればいいのだ、とも思うのですが……その時は覚悟を決めて、一切を振り捨てて現在だけをひたすら過ごしていくしかないのかもしれません。

アルチュセールは観念論者を始まりと終わりの確かな安全な旅行列車に乗っているようなものだと皮肉りつつ、永遠に終わりのない走行を敢行する列車に乗る人こそ真の唯物論者であり真の哲学者である、ということを述べていましたが、それにあやかれば過去も未来もない、ただ現在だけが足元に伸び続けている日々を過ごしてこそ時間というものは突き止められる、といったところで、ならば時間を感じた瞬間は、と問いかけられた際には、今この時、という月並みな言葉をせめてもの頼りにしながら答えるほかないのでしょう。

Rain坊さん

カラオケで、フロントから内線が掛かってきた時

さん

カラオケで、酔いつぶれて仲間に肩を叩かれた時

Rain坊さん

目上の人に怒られている時

小野寺さん

「最近時間を感じたとき、というにはあまりにありふれている話で恐縮なんだけれども、今日、高校の時のクラスメートにクラス会で会いその、けっこう可愛らしい子はいまでも昔の面影はかなり残っていたけど、まあ二十年以上もたっているから衝撃的美少女ではなくなっていて保育園の園長になっていた。彼女は潮風の強い教室でプールのあとの濡れた髪をそのままにして足も裸足で私の前の席に座っていたから私は塩素と彼女と混ざった匂いを存分にかがされていたが、カラオケルームで彼女の足に何度か触れ合った時に(ああ隣に座っていたのだ)そのことが嫌でも思い起こされるのだった。そうして昔は何を話しかけても黙って返事をせず、とうとう告白しても相変らずはぐらかされてしまった無口な彼女がいくらか話すようになった(それでも必要最小限のことだけだが)のは時を感じざるをえなかった。

Rain坊さん

ファミコンのセーブデータが消えてしまった時

さん

人生というレールが脱線しかけているのを見た時

Rain坊さん

単位を落とした時/留年した時