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「終日杳かに相同じ」 日居月諸

 平年よりも大分早く梅雨が明けたとの知らせが西の方から聞こえてきて一週間になるが、東北では一向に曇り空が退く予感がなく、湿気に満ちた生ぬるい空気の占める日だけが続いている。七月に入ってから数日ほど真夏が訪れた際に引っ張り出してきた扇風機が、今となっては起動しようものなら薄ら寒さを呼び込み、かといって外を歩き回ろうものなら肌着へと汗がじんわりとへばりつく。これならいっそカンカン照りの中で野垂れている方がずっといいと投げやりになるほどの愚図ついた日々だ。
 夜になるとようやく涼しい空気が入り込んでくれるはずなのだが、雨は容赦してくれない。近くで停まっている車のエンジンのくすぶる音か、あるいは室外機の唸りがアパートの群れによって増幅されたのかと思えるほど、地の底からさざめき立って、耳を埋め尽くすようになった後、屋根を叩く音へと上り詰める。仕方なく窓を閉めきるとふたたび生ぬるさが訪れ、雨粒はコンクリートに半端な衝撃を残し、こもった音が室内を埋めるのを感じながら、実家に住んでいた頃は抜けの良い音が響き渡っていたのにな、と木造建築をうらやましく思った。あれは防音をまるで考慮していない作りだからだったのか、ともかく一度帰省した時に雨が降り出したことがあるが、聞こえてきたのは天井からだった、それも余所の屋根の反響だ。鳥の羽ばたきを察して遠くを見やるごとく耳を澄ましていると、やがて頭上へとやってくるのだが、屋内へとこもりはしない。こちらこそ天上なのだと豪語するように雨粒を空へと弾き返している、したたかな音だけが頭を越えて放たれていく。あれをきっと快哉を叫ぶ声とまぜこぜにしていたのだろう、鬱々とした空模様に向かって報復を食らわせているつもりでいたのだ、そうしていつしか雨ではなく自分が屋根を叩いているつもりでいた、それも耳でもって屋根を叩いていた、耳が屋根へと浮き上がっていって心までそれに引っ張られ得意な心境へと上り詰めていく、まさに有頂天というものだ。
 とはいえ、それも現在の閉塞からの開放を望む心が呼んだ幻聴で、実のところは至る所でキジが鳴いているような騒がしさだけがあるのだろうな、と寝床に入って耳をたしなめるのだが、タオルケットをかけると熱が下半身からこみあげてくるし、かといって布を退けると肌が粟立ってくる。寝心地をつかみそこねれば目をつむっているのに堪えかねるから、気を紛らわすためにあれこれと濫りな考えをめぐらし出し、興が乗って頭がはしゃいでくる。いまだ降り続く鈍い雨音に耳を埋められているのなら尚更のこと、耳も肌も眼も味気がない、それならばせめて妄想だけでも色気で彩っておきたいところだ。肌に熱のこもるのに耐えかねて突き放すが、かといって離れ続けているのも物さびしい、そのうち布を被るたびにどこか女の匂いに似た甘やかな気配がふくらんで来そうだ、あるいは布を退けるたびに甘やかな匂いが遠のいていくように鼻を誘ってくる、とはいえ引き寄せられれば燻されるような熱気という罠にかかって、一人寝の味気なさを思い知らされる。
 不眠が果てにまで至り、瞼の暗さにも慣れたからか少しの光さえまぶしく感じられて、車のライトの横切った跡か、それとも夜明けがやってきたのかと思った頃に、無音が挟まった。いぶかしんだのも束の間、耳の奥にジリジリと焦げ付くような蝉の声が長く長く聞こえてきたので、とうに朝はやってきていたのだと知れた。とはいっても雨が止んだ後の雲間からは晴れが覗いているので、実感としては待ちくたびれた末に一息ついた時の心地こそふさわしかった。
 それにしても、よくもまあ息が切れないものだ、と朝支度を済ませても尚鳴き続けている蝉にはげんなりさせられた。久しぶりの日差しに気後れしているせいかもしれないが、随分と気の長い声を聞いていると、もっと爆ぜるような声で鳴けるだろうに、どういう気紛れか加減をする余裕まで見せて終点を引き延ばしているようにも聞こえるから、有り余る力とはこういうものなのだな、と根負けした気分になる。しかも、これからしばらく、夏が終わるまで鳴き続けるのが決まっているのだから、それまでの計算はすでに済ませているのかもしれない。気が遠くなって、体の力が抜けていき、いよいよ耳に焦げ付くような声は拒めなくなった。
 あれだけ閉塞からの開放を待ち望んでいたのに、いざ視界が広がってくると尽きることのない展望に気圧されるのだから世話もない。仮にも二〇を越えたばかりなのに、老いぼれのような感慨を残すものだと自嘲したが、考えてみれば蝉は寿命の大半を地中で過ごすのだから、こうして地上で鳴き続けるのは老境になる。つまり老いぼれに負けているのかと苦笑しそうになるが、案外、老人こそ力を余すところなく使い通せるのではないか。
 たとえば日和に外を練り歩いているかと思うと、ふとした拍子に立ち止まって、曲がった背中を伸ばす姿がある。皺ばんだ首をピンと張り詰めた先に、何かがあるわけではない。ただ空だけが広がっている。その割に長い間そこで佇んでいるから、傍で見守っている方も顎を上げてみるものの、何か見つけられるわけでもないので、視線を落としていくと、膝を曲げながら頭の重みを堪えている姿が変わらず立ちつくしている。どこにそんな力が残っているのかとも思うのだが、普段は気が散って仕方がないのに女の背中はじっと見つめられるのを踏まえると、あれは見つめている対象に力を分け与えられているのではないかと察せられる。蝉があれだけ鳴くのも、ひとえに雌を求めているからだと聞いたことがある。そんな風に、自分が追い求めている者を逃さないためには、ひたすら同じ体勢を保ちつづけるための力配分が必要なのかもしれない。では、老人はいったい何を見ているのか。
 もしくは、あの老爺は何かが聞こえてくるのを待っていたのかもしれない。過去に聞いた音の残響が今も耳に残っているが、想像にもとづいて繰り返すしかないから、本物とは似ても似つかない。だからこそ何もない空を見上げる。本物の音が残していった力を頼りに、首の皺を張りつめさせながら、時折あふれそうになる力を膝で受け止めながら、何も聞こえてこない空を見上げている。似ても似つかない音がいつか本物へと変わるまで、あるいは本物とは言わないまでも得心の行くものへと変わってくれるまで。
 大型の扇風機を何台か稼働させた体育館で、老爺はそんな風に天井を見上げながら、子供と教師を相手に話をしていた。といってもパイプ椅子に座っているから、おそらく支えるものは膝ではなく肩、そして首の皺だっただろう。
 戦争体験を聞く催しが開かれたのは夏休みを控えた日のことで、同級生たちはただでさえ授業がなくなる上に、面白い話を聞けるという無責任な期待を胸に体育館に集まっていた。おまけに招かれた客人は馴染みのある顔で、東京で生まれた境遇を活かして普段から興味をそそられる話をしてくれていたから、田舎の人間がはしゃぎ立つのも無理はない。厳粛にふるまっていたのは教師とこまっしゃくれた生徒くらいのもので、体験を語る本人でさえ方言の通じなさに苦労した体験を話の枕にしつつ催しは軽妙に始まった。
 しかし、いざ戦争を語る段になると、子供たちを見下ろしていた目線が段々と天井に向かっていった。話しぶりも軽やかなところは失せ、かといって重苦しくなるでもなく、どこか浮遊しているような、注意していなければ言葉の意味を取り逃してしまいかねない口調になっていく。体育館の窓から差し込んできた日差しが、白髪や眼鏡を銀色に照らし出したことで表情もかすんだようになっていったから、話が余計つかみとれなくなった。
 通常、重苦しい話を進める際、人は前のめりにならざるを得ないと知ったのは、それからしばらくしてテレビで原爆の体験を語る女性を見た時のことだ。聞いている小学生の方も膝を抱え、首をすくめて瞼をほとんど動かさずに聞いている。話の重さに耐えかねていたのもあるだろうが、時に手を振りかざし、前のめりになっていく老婆の迫力に圧されていたのだろう。そうして目線が近づいた時、体験は初めて共有される。
 そう気付くが早いか、あの老爺の話をどこまでわかっていたのだろうかと、記憶が怪しくなり始めた。子供たちはいわずもがな、教師さえも上を見上げていた。そこに何があるわけでもない。ただ、ひたすらに見つめていなければ、同じ視線に立ち続けなければ、この話を理解することは出来ないだろうと悟ってしまったから、首をのけ反らせなくてはならない。だが、幼い首にそんな堪え症があるわけもないので、首を下さざるを得ない。それでも何かをつかもうと、ひとまず首を膝に乗せ、椅子に座った男を見つめなおす。すると、幾重にも刻まれた首の皺の中に、一本だけ目立つものが見えた。喉仏にひっかかり、ピンと張り詰めているからそこだけ若さを取り戻しているようにも見えるのだが、今にもちぎれそうでもあった。気付けばその危うさに引き寄せられつつ集中を持ち直し、老爺の話を聞いていられた。
 空襲警報は恐ろしいというよりも、キリのなさを味わわされて子供ながらに気だるさを感じた、と老爺は言った。毎夜のように鳴り響いていたからでもあるが、遠くの方から聞こえてきたかと思えば、一気に耳にまで押し入ってきて、また小さくなり、また迫ってきて、といった具合に襲ってきて耳の中に波を作り上げてしまう。警報が鳴っていない間も耳は収縮を続け、遠くから聞こえた幻聴ともいえる音をきっかけに空想をたくましくすることもあれば、空腹を知らせる内臓の音が一気呵成に高まって動悸と区別がつかなくなっていくこともある。自分で自分を制御することが出来ず、何者かに乗っ取られているような気分が終戦を迎えてもしばらく続いたから、耳から全身の変調がもたらされるという事は大いにありうると思った。
 東京への空襲は漸進的に進められ、老爺の住んでいた土地に加えられた爆撃はトドメとなった。余所の町が焼尽していくとの知らせは幼い耳にも呑みこめたが、実感としては町が崩れ去るよりも人間の諸々の感覚が平衡を失う方が早かったという。
 そんなところへやってきた大規模な爆撃を地中でやり過ごしていたのだが、耳は地上から聞こえてきたはずの叫び声や轟音よりも、穴倉の中にいた妊婦の息遣いの方こそよく思い出せた。カビやら汗やらの臭いがこもり、誰もが息を切らしている中、一つだけ整った息遣いが聞こえてくる。身籠っている赤ん坊をなだめるためだろうが、本人の意図とは別に、穴倉の反響も相まって呼吸の見本を聞かされているような気分になった。その押し引きに従っていれば助かるような気がして、安らかな心地にさえなった。しかも、どうやら家族や近所の人々も、いつしか奥の方から寄せては返してくる音に耳を傾けているようだった。今までそれぞれが自らの軒を構えながら好き勝手暮らしていたのに、今や誰もが身重の女に頼りきっている。夫が出征し、寄り合いの助けを借りなければ胎児どころか自分の身さえ持ち崩すような人に支えられている。
 そんなおかしささえ覚える光景を見た後では、瓦礫が積まれた翌朝の地上を見ても、得心しか残らなかった。それぞれの家が仕来たりやら伝統やらを築き上げたところで、危機に見舞われてしまったら汗水を垂らして足どりのおぼつかない女を頼るしかない。爆撃やら火災やらがなかったところで、目の前に広がっている瓦礫が示すような脆さの方がふさわしい姿なのではないか。別に恨みがあったというわけではない。単純に、これまで見えなかったはずのビルまで見渡せるような開け放たれた視界のように、すっきりとした納得があるだけだった。
 それくらい慎みのない子供だったということです、と言って老爺はゆっくりと首を下し、ようやく目線を合わせてくれたが、幼い瞳はそれについていけず、多くの口が開け放たれたままになっていた。子供はおろか、大人にも扱いかねる話だ。窮地に陥ったからこその心境だといえばそうした言葉が出てくるのも止むをえまい。しかし、だからといってうなずいてしまったら、耳を傾けている者の命はどうなる。崩れ去った町こそ得心が行くのだとしたら、今現在自らの生活を積み上げようとしている営みは、無駄となってしまう。
 とはいえ、語り口によって呼び起された焼け野原の光景は、妙にくっきりと残った。後々大空襲の惨状を示す写真に接する機会があったが、おおよそ土地の者の説明する通り、そして思い浮かべた通りだった。瓦礫が丘を作るようにまばらに積まれているが、上空から見た限りでは平らにしか見えず、ダンプカーが辺り一帯を均してしまったかのように禿げあがってしまっている。方角を選びさえすれば川にまで届きそうな眺めが続く中、電柱やビルの鉄骨といった頑強だったはずのものが、その機能を失いながら空しく立ちすくんでいる。果てのない視界の先にようやく見えたものが、結局頼りない物だったとわかったら、絶望しか浮かんでこないのではないかと思われるが、元から頼りない物だったとの認識を前もって踏まえているのならば、得心しか残らないのだろうか。
 こう言ってしまっては言い訳じみてくるけれど、と言って老爺は続けた。慎みがなかったのはそもそも常識というものが存在していなかったからかもしれないし、あるいは、それを教えてくれる人が周りにいなかったからかもしれない。教育は先生の方から一方的に教えるのではなく、子供が大人の顔色を伺わなくては成り立たないでしょう、と言って、皺ばんだ瞼を横に寄せた。
 大人が笑っているからこれはやっていいことだ、怒っているからやっていけないことだ、それが戦時中は成り立たない。表情というものはあった。ただ、いずれの感情も止め処なく溢れだしていくから、悲しんでいようと憤っていようと、はしゃいでいるように見える。経験から察するしかないが、おそらく自制心が弱くなってしまって、感情に身をゆだねきっていたのだろう。そんな抑えの利かない顔つきを見ていると、いつ崩れてしまってもおかしくないと見えてしまうから、規範とするどころの話ではない。もはや人の顔が見られなくなってしまう。我が身を持ち崩していたというのに、他人を頼ることさえ出来なかった。
 今となっては東京から山形に移るなんて都落ちにも程がある、などと近所の連中に言われるが、疎開にかこつけて母親の実家を頼った時、空襲とは無縁の日々を送っていた祖父母の顔が穏やかだったのには助けられた。皺深い顔が穏やかに微笑むのを見たら、こちらも頬がほころぶのを感じて、人心地というのはこういうものかと初めてわかった気がする。金銭の負担を少しでも減らすためにと学校が用意してくれた寄宿舎に預けられたが、そこで世話をしてくれる人々を見ても同じ感想が漏れた。方言が聞き取れないのには苦しめられたが、耳が一通りやられてしまった身としては、正常な神経を取り戻すために上り終えるべき階段のように思えた。一つ一つ土地の言葉に慣れていけば、型に嵌っていくように真っ当な人間に戻っていけるとの希望があった。
 もっとも、米軍の侵攻が東北にも迫ってきて、山腹に戦闘機が墜落したとの知らせが聞こえてきた時、穏やかだったはずの人々の顔がにわかに色めき立ったことで、希望はあえなく潰えてしまった。上空からの視察が始まり警報が鳴る日が数えきれなくなった頃、海沿いの町が空襲に遭った。終戦を迎えたのは、それから間もなくのことだ。
 首をおろし、老爺は眼鏡を取って目元を手でほぐし始めた。その間、普段はわずかな静けさも耐えられない子供たちが、黙って彼の様子を見つめていた。むしろ教師の方がこれで話が終わりなのかと隣同士を伺いながらどよめいている。とはいえ、その声は大型の扇風機と蝉の鳴き声に消されているので、表情でしか戸惑いは読み取れない。ほとんど人の声が絶えてしまった中、老爺は眼鏡を掛け直すと、目の前を見据え直して口を開いた。
 戦争にまつわる色んな言葉に君達はこれから接していくでしょうが、私にとって大切なのはそうした人間の脆さの方でした、君達はたくさんの夢を持っているでしょう、それを支えに生きていくことが出来る、私にはそれがなかった、戦争が終わったら少しはマシになったけれど、体の根っこに染みついたものは拭えないわけです、脆さの方が見本になってしまったんですね、君達がそんな目に遭うだなんて望みもしないことですが、世の中なにがあるかわからないから、年寄りの戯言と受け取りつつ心に留めておいてください、目の前の見たくないものから目を背けても、人間はどうしても耳が御留守になってしまう、目は自分の力でつむれるけれど、耳は手でふさいでも意味がないですから、雑音はどうしても入ってきてしまう、その時のために自分の殻に籠る力をつけておいてください、自分の殻に籠るなとはよく言われますが、それは周りが平穏であるからこそで、周りが雑音に満ちている時に自分を保つには結局殻に籠るしかないんです、君達はまだ殻に籠ったことがないでしょう、何を指しているのかさえわからないかもしれない、それでいいかもしれないな、わかる頃になったら殻に閉じこもるだけの力はついているだろうから。
 一息に語った後、また沈黙を挟んだ。頭が持ち上がり、首の皺がふたたび現れる。まだ語ることがあるのかと聴衆は固唾を呑んだが、どうやら時計を見ていたらしく、教師に向かって段取り通り進んだのを確かめた後、これでおしまいです、と言って老爺は椅子から立ち上がった。

 

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