twitter文芸部のつぶやき

フォロワー募集中!

オフィシャルアカウント

部員のつぶやきはこちら

現在の閲覧者数:

「意思のゆくえ」 小野寺那仁

「三十歳まで生きられる気がしないよ」千草が言うがその前の言葉は聞き取れなかった。寄り添う影のような志保が千草の隣りに座っていた。私はこっそりと千草から手紙を貰っていた。私の書いた作品を千草が主演で演じたものの評価はとても低かった。私は仲間たちと口論になったが誰も作品を書かないから仕方がない。私たちは解散することになった。私は反対した。存続を希望した。私がつくったサークルだ。千草は「どっちでもいいけどあたしはあんまり来ないよ」と言う。それは承知していた。病気のために学校に来るのも週に二三度だったのだから。志保は千草のためにノートを取っていた。

「宗像でも誘ってみたら」藤堂は苦み走った表情を浮かべていた。笑みとはうらはらに眼は真剣そのものだった。

「話したことないから」私の代わりのように千草が言った。千草は無意識だったかもしれないが、性質の悪い冗談にしか聞こえない。宗像が話してくれるのなら彼でもよかった。だが彼が話しているのを誰も見たことはなかった。

「だからああいう陰気な役は俺はできないんだって。あれは宗像くらいにしか演じられない。もっとも演じているというよりもそのままといった感じだけどな」

 わからないでもなかった。無気力と退廃を記述した私のシナリオは受け入れられるものではなかったのだろう。千草のくすぐったい声が救いになっていただけだった。

「とにかく俺はもういいよ。池田もやめたけど俺もやめる。別にみんなに呼びかけてるわけじゃないけどみんなやめるだろうから」

「理由は?」

「池田も気に入らなかったけどお前の作品も気に入らないね。面白くなかったから」私には痛烈な打撃だった。前回の作品は何人かは面白いと言ってくれたのだが、私自身もあまり評価していない。ただ藤堂に言われるのは癪に障った。だったら自分で書いてみろよと言いたくもあった。

志保は黙り込んでいた。志保の父親は放送作家だった。もう何十年もラジオの十五分番組を担当している。作品を見てもらおうかという話になって志保の家を訪ね、面会したのだが彼は私たちをまったく相手にしてくれなかった。気難しそうな人だった。

 物別れに終わったと私は思っていたが解散は決定的であった。自然に誰も来なくなった。

いままで私を事あるごとに擁護してくれた池田でさえ今回の私の作品には失望したと直接には言わず間接的に誰かに伝えていた。

その日の午後に千草は倒れて体操着のまま救急車で運ばれた。車が走り出した後には志保が佇んでいた。

 

どういうわけだか暑い盛りに球技大会が行われる。真夏の日差しの中では千草でなくても倒れる生徒は多い。授業の時は眠ってばかりの小堺や島野が溌剌とプレーしている。鋭い当たりが外野に抜けて面白いように点が入った。そのナインの中に場違いであるが私もいた。ルール上、全員参加が義務づけられている。ルールを破れば失格で敗者となる。それで次々にさほど上手くない者は交代していくのだがその試合で私は球がよく見えたらしくヒットを重ねていた。初めて守るセカンドにも打球が飛んでこないのが幸いしてノーエラーで凌いでいた。守備機会がほとんどないのに泥だらけの体操着を見て仲間たちは笑い転げていた。よくは覚えていないのだが何度か足がもつれたようだ。無意味に何度か転んでいたらしい。私たちは勝ち進んでいた。上級生に勝つことはよほど珍しいことらしくいつのまにか同学年は全て敗退していた。それで他のクラスも私たちを応援していたのだった。そこには藤堂の姿もあったが、目が合いそうになり慌てて伏せた。藤堂も同じくそっぽを向いている。藤堂の自意識が鼻につく。やたらと委員長らしく振る舞う。そのくせ舞台になんか興味を持つ。私の中の倫理ではありえないことだった。たとえば池田のように三日間の球技大会の間、ズル休みを決め込んで東京に遊びに行く方がよほど気が利いているじゃないか。

藤堂は私たちを監督するかのように花壇の最前列にどっかりと座っていた。その時になって藤堂の隣りに座っている男が制服姿であるのに気がつく。小首を傾げ藤堂が何か語りかけている。男がうなづく。そう、かすかだが男の頭がぐらりと揺れたのが見えた。セカンドから三塁側のベンチの更に遠方だから目を凝らさないと見えないのだが、藤堂の隣りに彼よりもひとまわりも体格の良い男が座っている。彼の周囲には黒い渦巻が発生し死角になっていた。彼が誰なのか見極められなかった。褐色の小堺がふざけたスライダーを投げ込んで上級生はポップフライを打ち上げた。振り返りもせずマウンドを降り小堺の吹く口笛が後に残った。

ダグアウトに戻ると日頃はロクに口も利かない仲なのに、それからなんとなく反りが合わないと思っているのに、気持ち悪いほどに互いにプレーの巧みさを褒め合っている。

「あんな強烈な当たりをよく捕ったな」

 小堺はサッカー部、サッカーでは補欠で試合も満足には出させてもらえず最近は腐っていた。煙草の味を覚え、盛り場で他校の女子を口説く毎日。数日前、志保がうろついていたと教えてくれなくてもいい情報をもたらした。他校の不良とつるんでいたと。不良と決めつけなくてもいいだろうと私は言うと、いえいえ不良ですよ、俺知ってるんだ。あれはとんでもないよ。キミ、仲がいいんだろう。志保と。あんなのとつきあうのはよしたほうがいいと止めてやれよ。あ、それからキミのサークルもっと頑張った方がいいよ。藤堂や池田が協力的じゃないそうだがね。まあ癖の強い奴らを集めているから上手くいかないのはわかるけど俺は個人的に応援してます。ところどころですます調で語るのは彼の癖だった。なんで内情を知ってるんだろうね。私が尋ねると秘密だと答えた。

 発散する汗がコロンの香りと入りまじって匂うので以前の会話が思い出されたのだ。

「小堺くんみたいにオーデコロンをつけてよ」千草のまた別の日の言葉が響く。

性的な気分を開放する匂いだ。入りまじった場面に翻弄される。私は千草に自分のプレーを見てほしかったのだろうか。それはわからない。ただ志保に見てほしかったとは思わない。どっちでもいい。そうすると比較するならば私は志保よりは千草の方が好きなのかもしれない。

 気がつくと藤堂がおなじクラスでもないのにダグアウトの中央に立っている。傍らには同じくらいの体格のいい宗像もほとんど無表情ながらもかすかにはにかんで直立していた。ふたりとも体操着ではなく制服姿だった。宗像だったのか。私は制服姿で思い出した。花壇からここまで彼が移動してきたことは奇跡だった。藤堂が連れてきたにせよ自分の意志にせよそれは奇跡だった。小堺をはじめ他のメンバーは呆気にとられ声を掛けていいものかどうか迷っている。私たちの日常がふつふつと戻ってきてしまったのだ。

「なんだ、いたのかよ」小堺はぶっきらぼうながらも多少は考えてそう言った。彼が何か言わなければ気づまりな雰囲気はいっそう濃密に立ち込めていただろう。誰もが宗像から目を逸らしていた。それでいて意識しないわけにはいかなかった。意識は宗像に縛られながら私はフェンスの金網にくっきりと真夏の太陽が動いていくのを眺めていた。すると意識は焼き尽くされていく。宗像に立ち向かう勇気を与えてくれるようだ。時間の経過がほかのメンバーにも同様の効果を与えているようだった。何も起きはしないんだ。コミュニケーションなんてくそくらえだ。私はいつのまにか小堺はじめ他のメンバーに同化していた。はっきりと確認できるわけでもなく何とはなしの直感に過ぎないがおそらくは間違いないであろうと私は信じていた。いつしかその気分は藤堂をも巻き込んでいく。

「キミたちのそういう態度って俺は気に入らないな」そうは言うものの小堺の言葉に反応したものではなくむしろ同調しているのだ。

「だいたいルール違反じゃないか?」

「全員参加しなきゃいけないんだろう。宗像は試合に出ていない」

 みんなの創りだした雰囲気に抗っているのだ。藤堂は細切れに畳み掛けてくる。誰に言うでもなく。だが私に向けて言っているのだろうとは想像できる。

「だから今気づいたんだよ。これから出ればいいんだろう?」小堺は試合に負けたくないのでそう言った。

「俺らとの試合にも出ていなかったぜ」

「藤堂、君は違うクラスだからわからないかもしれないがそんなことを今さら蒸し返すなよ。授業でも先生は誰も宗像には当てないんだ。何も答えないのが分かりきっているし、成績は君より遥かにいいそうだから。どうしてそんなに気になるんだ」

「いや、俺も気にしてるよ」私は思いがけずにそう口にした。しかし雰囲気から発せられた言葉を人は黙殺する。小堺は匂いを嗅ぐように宗像の頬に顔を寄せた。

「どう? 出場する気あるの?」直立して固まった宗像はいつものように、そう、まったくいつもと変わらずはにかんだ。声を掛けてもらったのが嬉しいようにも受け取れる。けれどもやがては目の色が少し変化して輝きを失いはにかむのもやめてしまう。ただの愛想に過ぎなかった。それもいつものことであって私たちはすっかり慣れていた。

「ま。見てのとおり、やる気はまったくないようですな」

「だからと言って」藤堂は絶句していた。

「無理強いしちゃあダメだって、田畑先生も言ってるんだぜ」

「悔しいとか悲しいとか感情はないんだろうか」藤堂が言う。私は思い切って自分の考えを言ってみる。

「彼は自分自身と闘っているんだ。でも勝てそうな気がしないんだ」よせ、と宗像の方から声がしたが、それはここにはいない池田の声のような気もした。そして口に出して言ってみたもののこんな考えは自分のものではなかった。突然の闖入者に調子が狂ったのか、その回は三人とも凡退した。善戦はしていたが零点に抑えられていた。相手も零点であったがこれまでとは違って勝てる気がしない。

 数人が宗像の制服の釦を外し始めていた。私は行動に加わらなかった。

 宗像は体操着を制服の下に着ていたのだった。けれども動く気配は感じられなかったので私たちは守備に散った。何人かは確かに声を掛けて守備に着くように促していたのだろう。だが、私は諦めていた。藤堂でさえも諦めた様子でベンチの片隅に腰を下ろしていた。

 マウンドに立った小堺は身体をくの字に折り曲げプロの投手を真似て長い間合いを取っておどけていた。嫌でも視界に宗像が入ってくる。彼は何らかの病気なのだろうか、日を追うごとに身体は重く石化している。彼はちょっとした動作をするにも顔を顰めていた。精神が肉体を蝕んでいく。そんなことってあるのだろうか。

 バットがくるりと廻ると三遊間が割れてボールが転がっていた。次の打者はライトへの大きな飛球でライトの川口が取り損なった。セカンドがバックアップに外野に走って行く。ひょっとしたらセカンドで刺せるかもしれない。私は走り寄った。川口はワンバウンドで捕球して私に思い切り投げてよこした。ちょうどグラブのところへ私の意志とは無関係にボールは吸い込まれた。そこへランナーの脚が滑り込んできたのだ。一瞬、ベースを踏む脚の方が早いと私には思われたのだが審判はアウトを宣告した。そのとき私の手首がランナーと交錯して捩じれていた。激痛にうずくまった。しばらくはグラブもはずせなかった。審判をしていた田畑先生や上級生が覗き込んでくる中で私はグラウンドに横たわりのたうちまわっていた。

「交代してくれ」私は言った。

「もう交代する奴なんていないだろう」小堺が言う。

「いるだろう」

「無理だろう」

 ベンチから何人かが無理やりに宗像を連れてきた。彼の少し大柄なだけなのにずっしりとした質量をともなう肉体が目の前に現れた。私は立ち上がった。手首はぶらさがっているように情けなくたれさがっていた。宗像の眼の前に手首をつきつけた。

「見てのとおり、折れている。キミがやるしかないんだよ。代わってくれ」

 私は右手でグラブを差し出した。宗像の手が伸びてくるとは期待していなかった。けれども彼の手に渡せばきっと受け取ってくれるだろうと信じていた。グラウンドにいるすべての人が注視していた。彼の手にわたる瞬間に拍手する者や何やら声を掛ける者もいた。ただ私はよく覚えていない。私の役割は終わったのだ。ボールをしっかりと手渡した。私はランナーに手伝ってもらいグラウンドを後にしはじめた。ところが急に静けさが襲ってきて何やら冷たいものを背後に感じた。ふりかえると私のグラブが地面に静かに落下していった。振り返るといつにも増して哀しい眼と苦痛をこらえているはにかんだ顏がそこにあった。(了)