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「I believe your brave heart」 常磐誠

 

 

三・とある外野の目線

 寺朧尾(じるみ)のゆめタウンから自宅までは良いランニングコースになる。ここを走り込んでいると、自分と変わらないくらいの若い年代からお年寄りまで、たくさんの人を見かけることができる。

 そのランニングコースの中、綺麗に舗装されたアスファルトをできる限り避けた芝生の道を瀧中勇邁(よしなかゆうま)は走っていた。

 百八十を超える身長と、百キロを超す体重。ウエイトを考えた時にアスファルトは負担が大きいとかかりつけの医者や父親、更には真由実にまで言われたことを、勇邁は律儀に守っていた。

 勇邁からしてみても、ある程度の柔らかさと不安定さを持つ場所の方が、足腰を鍛えられて良いと思えたのだ。

 芝生を抜けて、足を隣町、自分の家がある宮ノ訪(みやのわ)へと向ける。信号も横断歩道もない道路を渡るためにタイミングを窺う。その間も、足は止めずにステップを踏み続ける。ウインドブレーカーの中で、汗が出ているのがわかる。

 宮ノ訪橋には青緑色のアーチが掛かっている。数年毎に塗り替えられる色も、今はぼやけたような色合いになっていて、そろそろまた塗り替えの時期になるだろうか、と勇邁に思わせる。それを見上げながら、緩やかな上り坂を、膝のクッションを意識しながら走り続ける。その息は乱れることなく一定のリズムを保ち続ける。

 橋の終わりがそのまま宮ノ訪への入り口となっている。突き当たりには大きな布が張り出されていて、

『おめでとう全国中体連相撲大会出場! 

宮ノ訪中学校一年 瀧中 勇邁君』

 と大きな文字で自らの名前が飾られている。正直なところ、勇邁はここを通る度に気恥ずかしさを感じてしまい、即座に隣の看板へと視線を移してしまう。

『祝! 全国中体連卓球大会出場!

宮ノ訪中学校一年卓球部 百合神 望君

            永守  豪君

            瀧中 椿さん』

 宮ノ訪中に相撲部はなく、勇邁は幼い頃からの実績等により認められ、特例として個人戦のみの参加が認められている。たった一人の相撲部員としての参加。相撲部とも書かれることはなく、クラスや別学年の人間達からは、相撲、という響きだけで失笑を買うことも珍しくない。

 相撲なんて今時流行らない。それは勇邁本人からしても当たり前過ぎることだと思えていた。

 相撲で全国に行くこともはっきり言ってその意味をあまり大きく感じたりはしない。同学年、というより同年代と言う方が正しいが、似たような年齢の奴らとやり合ったって仕方ねぇ。勇邁はこの看板について周りに褒められる度にそう思ってしまう。その横の奴らはそうじゃないことを知っている。

 競技が違う以上、それはどうしようもないことだと頭ではわかっているし、それほど、バカじゃないとも思う。それでも、勇邁の中でこの三人の力というものに対して、素直な憧れ、というのか、よくはわからない感情があった。

 大人たちに交じり、そしてそいつらを吹っ飛ばす。そういうことができるこの三人に、勇邁は心から思っていた。すげぇよ。こいつら。

 だからこそ、……些細なことで何をやっているんだと、勇邁は望や豪に対して残念な気持ちを抱かずにはいられなかった。

 

 よく父親が話をしていた。「げな話で人を判断するな」と。

 学校では噂話を耳にする。噂話だ。興味などなかった。それでも、よく耳にする。

 つまらない話だと一蹴しても、それは否応なく耳に入り、勝手に頭に入ってくる。

「すごいよねぇ。望君も豪君も全国出場やろう?」

「けどあんましよくない話も聞くよねー」

「何? 何々?」

「それがね、私も人から聞いた話だから、よくわからないんだけど、永守君はね、なんか相手の人に団体でやられまくって、それですんごく落ち込んでいるらしいんよね」

「そうね?」

「そうそう。んでね、その人とはまた個人戦で当たったらしいっちゃけど」

「うん」

「そこでは手加減されて勝ったげなよ」

「マジでね?」

「いや、聞いた話なんだけどね。けど、ほら、最近あの二人、仲悪くなっているじゃない?」

「あーね」

「やっぱそういうの、とか? 団体でも足引っ張ったっていうのとか色々あって険悪とげな」

「うわー」

 どこにいても、こんな調子なのだ。話が広まるのは早い。中体連の試合は大概の試合が同じ日程で行われる。相撲の試合をしていたから勇邁は望や豪の試合を見ていない。他の連中もそうなのだろうが、噂の広がるのは本当にあっという間だった。

「ねぇ。そうなんでしょ? 勇邁君も知ってるんでしょ? 幼馴染なんだから!」

 噂の真偽をこんな風に問うてくる者も多く、本当にウンザリしていた。その度にこう答える。

「知らん。俺はげな話は好かん!」

 図体のでかさも手伝ってか、大概の相手はこれだけで引き下がる。それ以上話を続けるのなら、一睨み利かせれば良い。中学相撲の全国大会出場者に、そうそう喧嘩を売る馬鹿はいない。

「おぉこわ」

「けど、火のない所になんとやら、ってやつでしょー」

 そういう風に軽々しく言葉を放つ奴らに対して、勇邁はイラつきや嫌悪の感情を持っていた。イラつく。両の手を組んではパキポキと音を立ててその場から離れる。

 人伝で知るしかなかった話だ。望と豪がつかみ合いの喧嘩をしたことを親父から聞いた。そしてそのすぐ後に見た望と豪の顔面には互いに殴り合ったであろう形の痣があった。

「詳しいことは僕からは話さんぞ。本人達からも聞く必要はない。まぁ、あの二人、特に望なんか絶対話す訳がないし、お前がそうして強引に入っていくべき問題でもないだろ。くだらんからな」

 自分に対してだけ、父はあっさりと流すように話しかけてきて、そしてすぐに終わらせた。どこがどうくだらんのかは、これっぽっちもわからなかった。本人が話したくない、というのなら強引に割って入っていくのも違う。そう思う。

 自分としても我関せず、でいたかった。だが、学校でこうして日々過ごしているとどうしても噂が耳を突く。ばかばかしい。げな話なんて、ガチでばかばかしいじゃないか。

「はぁーあ」

 溜め息一つ、ついてみる。どうしようもない。何も起こらないし、変わりゃしない。

 二人とはクラスが違う勇邁は、普段のこと、例えば授業中とか、部活動の時間の様子だとか、そういうことはわからない。挙句体調まで勝手に崩しやがった豪には、そう簡単には事情を聞き出すこともできないだろう。望は論外だ。あいつは、……自分のことしかわからないし、そして、自分のことだっていうのに、興味のないことについては何も意識が向きやしない。

「親父はくだらない、って言うけどなぁ……」

 くだらない、と思えるまでに自分は事情も知らないし、親父程年だの経験だのがいってる訳でもない。自分に何ができるか、とか何も具体的に考えることもできないまま、勇邁は幼い頃から通い続けている相撲道場で四股を踏み続けていた。

 相撲は、実に単純だ。簡単だ。強いか、弱いかだけで良い。それは他のスポーツとかでも一緒かもしれないが、土俵の外に相手を出すか、倒せば良いだけ。何も考えなくて良い。単純だ。

「これは……、中学で留年もあり得るかも、知れませんねぇ……」

 担任が四月の家庭訪問で苦笑しながら発した言葉に、勇邁は本気で焦った。いやいや! 俺親父から中学には留年はないって聞いてるんすけど! と必死に慌てふためいていると、親父も担任も大爆笑していた。

 よくよく話を聞けば親父から事前に頼まれて担任が芝居を打っていたのだということを知り、勇邁は父親や担任につかみ掛からんとする勢いで立ち上がったのだが、逆に父から容易く叩き伏せられてしまった。あれから三ヶ月は経っているが、成績は案の定上向きになることはない。

 とにかく自分は頭が悪い。馬鹿だ、ウマシカだ。と諦めきっているのだが、相撲はわかりやすい。力で全てを決められる。

 強くなれば強くなる程、自分も、親方をはじめとする周囲も、喜んだし、そして嬉しかった。

 そこもきっと、あいつらと同じだと思う。いや、どうなんだろうな。望の考えていることは確かに読めない。理解できない。だから、

「ねぇねぇ! 百合神君って永守君とケンカした時にナイフまで使ったげなね?」

 とかいう訳のわからないげな話が飛び出してしまったりもする訳だ。

 もはやネタでしかねぇな、と自分の三つ子の兄である勝が鼻で笑いながら言っていた。

 もう一人、姉の椿が望や豪と同じクラスにいるが、こっちは本当に何も言わなかった。少し聞いただけで、露骨に睨まれ、舌打ちまでされた。弟なのだから立場的に当然といえばそれまでだが、身長差も三十センチ弱、体重に至っては二倍以上にもなる大男に対してすごい意地というか、性根をしているよな、と思わずにはいられなかった。

 それでも、切り出した。

「なぁ。望のことなんだけど、さ」

 面白いくらいに固まる空気と、チッ! という舌打ち。そして余計なことを言いやがって。そんな勝の目線が刺さる。

「お前がかたる話題じゃない」

 親父よりも先に椿が切り返してくる。まるで、お前は参加するなと親父に言われただろう、と優しく、しかし首筋にナイフかドスか何か、物騒なものを押し付けるような雰囲気で椿は俺に言う。親父は俺にだけ「お前がそうして強引に入っていくべき問題でもない」と言った。そのことは親父と俺しか知らないことだ。でも、椿は知っていたのかもしれないと思った。知っていて、一々出しゃばらないように、していたのかもしれない。昔からそうだった。この女は、小さい頃から俺に対しても勝に対しても、――そして望に対してもそうだった――距離感を保った優しさと、首筋にちらつくドスのようないかつさ、危険さを、同居させている。

「…………」

 親父は口を開かない。黙ったまま、俺達三人の話し合いが続くのを待っているだけだ。表情はむしろ柔らかく、緊張感を俺達に与えないようにと頑張っている様子を感じた。そして、それが俺にとっては余計に緊張する原因になっていた。

「勇邁。お前、どういうつもりなんだよ」

 勝が口を開く。よく、親父が言う。

 勝の口調について、きつもんちょう、という言葉をよくよく、親父が使う。詰問調、という漢字は真由実に、その意味は椿に教えてもらったが、漢字はともかく意味についてはよく理解できなかった。とにかく、勝のこういう感じが、詰問調、ということなんだな、程度のことを俺は思いながら、

「…………」

 黙っていた。

「これは望と豪の問題だろ。卓球で繋がりのある椿ならともかく、どうしてお前が出しゃばる必要があるんだ!」

 勝の言葉はよくわかった。親父によく似て、言葉が難しい勝の言葉は、全然理解できないことも多いけれど、とりあえずここまでは理解できた。

「そもそも、卓球っていう繋がりがいるか?」

 俺は単純に疑問に思っていることだけを伝えた。横目で見た親父は、呑気にコーンスープを飲んでいる。美味しくできた。とでも言わんばかりのわかりやすいにやけ顏が、意味不明だと思った。

「はぁ? あの二人は卓球が原因で喧嘩してんだろ。そもそも、望はもう気にしていない様子になっているのに、いきなりこうしてしゃしゃり出て余計に混乱させておかしくなっちまったら、勇邁、お前責任、取れんのかよ」

 長い言葉、俺のバカさを責めたて、まくしたてる勝の言葉が、脳みそを滑ってくように感じた。まぁつまり、理解できなかった。責任っていうの。俺よくわからねぇや。

「難しいことはわかんねぇよ」

 正直に言うと、勝の言葉は決まっている。

「じゃあもうこれ以上この話題でお前は話すな。動くな。それが一番だろ」

 単純で、明快っていうもの。理解できる。わかる。そして、

「お前は学校で聞くげな話が嫌にならねぇか?」

 納得がいかない。

「あんなのすぐ消える。七十五日だ。あっという間。そんなもんだろ。お前が気にするようなことじゃない」

 勝も俺を説得するのをやめない。勝もきっと、俺の言うこと、やろうとすることに納得していない。

「なぁ。学校の連中もだけどさ」

 俺は一度ここで言葉を切って、親父を見ていた。言うべきかどうか、まだ迷っていた。正直。

「お、上手く揚がってら」

 親父は一人、手が止まってしまっている子ども三人を放置して自分で揚げた唐揚げの出来に感動していた。その様子を見て、決めた。

「小六から一年一緒にいて、卓球してるはずの豪は知らねぇんだよ。そうだろ?」

 親父のその余裕面を、壊したいと思った。俺達の間に流れている到底美味しい唐揚げなんて揚がりっこない、ちんたら、ヌルヌルして気持ちの悪い温度をした油のような空気を、親父にもぶちまけてやりたいと思った。親父の箸に持ち上げられた鶏肉は、香ばしい匂いと共に白い湯気をもうもうと上げ、親父の上達した料理の腕前を祝福しているみたいだった。

「……お前、さ」

 髪を掻き、うんざりした顔で勝は呟いた。

「もう、さ、お前バカだわ。……わかってたけど。わかって、いたけどさ」

 きっと勝がこうしてうんざりすることは俺の中では予想通りで、予想通り過ぎて、俺もうんざりした。けど、俺はやるべきことがあると思った。だから、続ける。

「アスペルガー。望のことを今まで誰も言ってこなかった。そうだろ?」

 アスペルガー障害。発達障害。脳みその障害。望が生まれつき持って生まれて、今の今でも引きずっているモノ。

 それが何かを、十三年幼馴染をしている俺も知らない。ただ、幼馴染をしていて気付く、これが望か、そういうのが望っていう奴なんだって思う瞬間が積み重なって、俺は望を知ってきた。

 その十三年間がない豪は、少なくともそれを知っていれば。知ってさえいれば、どうにかなる部分が、ちっとはあるんじゃないか、とか。

 そういうことを、考えていたりもしたんだ。

「…………」

 溜め息というか、長い息しか吐かない勝だったが、ここで口を開いたのは、椿だった。ついに望のことで、ここまでのことを話そうという俺の気持ちを知ったことで、黙ったままではいられなくなったのだろう。

「勝が反対しているのは、……わかるよな」

「あぁ。わかる」

 簡単な確認の後、

「私も反対。けど、……話をすること自体には反対しない」

 少しだけぬるくなってしまったな、という顔をしながらみそ汁を飲む椿を見ながら、俺も眉間に皺が寄る。

「どういう意味だよ。俺にわかるように言ってくれよ」

「望について話をするのはあんたの仕事じゃないってこと。もっと話すのにふさわしい人がいるってこと」

 親父が上手く揚がったと語った唐揚げを箸でどけて、その下の付け合わせのキャベツの千切り――椿の皿はその付け合わせの量が半端なかった。メインむしろそっちだろ。という程だった――を口に含む直前に、椿は俺に言った。

 後は自分で考えろ、とでも言わんばかりの態度で椿は食事に集中し始めた。

 そして俺は、誰がそのふさわしい人なのかがわからないまま、口を開けないでいた。

「ごちそうさまでした!」

 ぱちん、と手を合わせる音をわざとらしく立てて親父は自分の食後の皿を洗い場へと運んでいく。結局、敵わなかった。という思いもあり、俺は顔をしかめたままで、

「……いただきます」

 と言うだけだった。

「タイミングが最悪なんだよ。このバカが」

 勝も自分の箸を持ち、手を合わせる。男二人仲良く頃合いを逃しちまったなぁ、としみじみ思う。親父が無駄に感動していた湯気の立つ程の唐揚げは、ヌルヌルして気持ちの悪い温度をした油のような感触がした。

「猛さんと日向さんだよ」

 唐突に勝が口を開く。は? と俺は自分でも意味がわからないような声を上げた。

「は? じゃねぇよバカ。もし豪に望のアスペを伝えるんなら、親である日向さん達からってのが当たり前の形だろうが」

 あぁ。と、ここでようやく俺も納得できた。

「話、するか?」

「……する」

「あっそ」

 勝も、椿も、俺がする、と決断したら、後はあっそ、で引き下がる。そして、結局二人ともが俺の後ろをついてくる。

「お前みたいなバカが一人で行動して暴走するとか想像するだけで恐ろしい」

 とか何とか二人は口を揃えて言う。

「勇邁、キャベツ食えよ」

 どっかりと自分のキャベツをほぼ全て乗せてくる勝を睨むと、

「俺、今日は肉が食いたい気分なんだわ」

 そう言いながら勝は俺の視線や声等一切気にしないまま、椿の食べなかった唐揚げをつまみ、自分の皿に乗せた。

 

 次の日の朝、親父を捕まえてあのヌルヌルした油の空気を止めなかったこととか、俺にだけ釘を刺しておいて結局何も口を利かなかったことの理由を聞いた。すると、

「さぁ? 僕はお前一人だけで割り込んでいくのが嫌で釘を刺しただけだからね。こういう形ならば、日向や猛を巻き込んでくってんなら、僕は何も言わねえよ」

 車椅子に乗った親父は俺の肩を叩きながら笑って答えた。

 真由実だったり、椿や勝に対してなら、嫌がるだろうが頭を撫でたり(はた)いたりするもんなんだろうな、と俺は思った。

 いつの間に親父にとって俺の肩は頭よりも丁度良い高さになっちまったんだろうか。

 大人は、……いいや違う。親父は、卑怯だ。

 敵わないな、という親父への敗北感ばかりを感じて俺は、溜め息を吐き、頭を掻いていた。

 

(続)