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五月の4日間:イコぴょん

『この関係をあと二泊だけにしようというのは、部屋に戻ってきたあとに、二人で話をしてそう決めた。あと二泊というのは、トータルでいうと四泊五日で終わりということだった。それはきりがよくていいのではないか、と私たちはどちらも思った。いずれにしても、それくらいで限界だった。』(岡田利規「三月の5日間」)

 

 

1.なぜ集まるのか?

 

 3月、渋谷のラブホで、出会ったばかりの男女が5日間ほどセックスしまくるっていう話があって、これは大江健三郎賞をとった、ある本のなかに入っているんだけれども、5月にtwitter文芸部も渋谷に集まった。

 というように書くとみだらなパーティを想像されるかもしれないけれど、我々はきわめて健康的な団体だから、本のようにはならず、文学について、互いの人生について、たいへん健康的に話し合う集会になったのだった。

 

 なぜ集まるのか?

 

 部員たちはふだんインターネットで、互いの顔を見ず、文字か通話でおしゃべりしている仲である。わざわざ会って話さなくてもいいのではないかという疑問が湧く。互いに顔を見て話すことで、ネット上で出来上がった、知り合いと友人の狭間のような微妙な距離感が壊れ、「馴れ合い」の度合いが強まってしまうのではないかという懸念はもちろんあった。また、参加していない部員はまるで蚊帳の外になってしまい、疎外感を強めることにつながってしまうのではないかという心配もあった。

 それでも集まった。集まった理由は部員によってそれぞれあるだろうが、ここでは筆者が東京オフに期待していたことを挙げておくことにする。

 

○話し言葉、書き言葉だけでは伝わりづらい微妙なニュアンスを理解し、部員との間に生じていたはずの誤解をなくす。

○互いの抱えている「文学」について、じっくり時間を取って語り合う。

○座談会や読書会を複数行い、いずれも有意義なものにする。

○部員の表情を目に焼きつける。

○部員の人間を知る。

 

 さて実際はどうだったのだろう。記憶を頼りに、筆者の目に見えた東京オフをレポートしていくことにしよう。

 

2.人生を文学に捧げてしまったおじさん2人と寝不足の男に会う

 

 空港に到着する。久々にSuicaを使う。頼むから地震は起こらないでくれと願う。(オフの最中、一度も目立った地震はなく、関東があの恐怖から解放されつつあることを実感する) 

 待ち合わせの時間よりも早く新宿駅に着いた。本来5月3日は集まるつもりではなかったのだけれど、できるかぎりみんなと長い時間をお話したかったので、twitterで無理を言った。そうしたら小野寺さんと牧村さんが来てくれた。 

 小野寺さんは巨大な鞄を持っていた。なかを覗かせてもらうと、本がぎっしり詰まっている。 

「これは緑川さんにあげる本、これはイコぴょんさん……」 

 部員に渡すための本を、わざわざ新幹線で運んできてくれたのだった。たいへんありがたかったのだけれども、男女が交わっている表紙の本(『榧の木祭り』)を、人がひしめく駅前で受け取るのは遠慮した。 

 小野寺さんは想像していたよりもずっと深いオーラを感じさせる方で、背後には長く豊かな人生経験があるように見えた。それでいて若者と話すときには尋常でないパワフルさを見せる。年齢を笠に着て偉ぶるということもなく、たいへん気さくだ。 

 小野寺さんと合流してからすぐ、牧村さんと出会う。牧村さんはがっしりした体つきで、体育会系に見えた。もっと痩せ形を想像していたので意外だったが、今ではあの牧村さん以外は想像できない。

 

 昼食をとるべく、3人で新宿の街をうろつき、店を見つけて入る。喫煙者の2人はさっそく煙草を吸い始める。コンタクトレンズの調子が悪く視界がぼやけていたので「オムそばピラフ」を注文してトイレに立つ。戻るともう料理が来ていて、牧村さんと小野寺さんが食べている。自分の席にはサラダがのっている。気にせずサラダを食べていると、「トンカツ定食」が来る。頼んでいない。 

 見ると小野寺さんが、頼んだはずのトンカツではなく、自分の注文したピラフを食べているのである。 

「気付かなかったよ、わははは」 

 小野寺さんの笑い声を聞きながら食べたトンカツ定食はうまかった。 

 その後、マルイアネックス地下のブルックリンパーラーで座談会を録音する。座談会の模様は別ページに掲載されているので詳しくは書かないが、新入部員であるはずの牧村さんが穏やかかつ理知的に喋り、場の空気を作っている感があったのが印象的だった。

 

 紀伊国屋書店新宿南店で本をさがす。牧村さんは前日徹夜だったとのことで、口数が減っていた。倒れそうだった、との話を後で聞いた。倒れなくてよかった。牧村さんは小説だけでなく、マクニールの『世界史』などにも興味を示している様子、小野寺さんは岩波文庫などを漁り、「うん、この本屋は大したことない」などと言っていた。自分はというと、トマス・ピンチョンの『スロー・ラーナー』のなかの短編を読んでいた。

 

 牧村さんと別れ、宇都宮線で栃木へ。緑川さんと出会う。緑川さんは、声の印象と、すがたが、まったく違っていた。落ち着いた大人の男、という感じで、社会人として長く第一線で活躍してきた人がもつような、ふだんはやわらかくやさしく、ときに鋭い、よく使いこまれたナイフを思わせる雰囲気の持ち主だった。 

 晩飯。ラーメン屋に着くと、小野寺さんと緑川さんは店外へ。煙草を吸いに行ったのである。ひとり取り残される筆者。上の写真はそのとき、さびしさにたえかねて撮影したもので、twitterにも載せた。twitter文芸部には喫煙者(それもヘビーな)が多い。  

 夜のドライブを経て緑川さんの家へ。仕事のため東京に来られない緑川さんと、青木淳悟の話をしたり、部員の作品についての所感を語り合った。自分が疲れ切って寝ていると、隣室から、小野寺さんと緑川さんが文学談義を交わしている様子が聞こえてくる。まざりたかったが、一日の疲れで身体が隣室に届かなかった。

 

3.日なたで喋るのは難しい

 

 翌4日は快晴、多くの部員が集まった。渋谷のモヤイ像前に集合するはずだったが、あまりに暑い。先に合流した6さんや小野寺さんと一緒に日陰に立っていると、続々と部員が揃うが、遅れる人もいるようだ。部員のひとりがおもむろにある本を取り出す。するとどうだろう、他の部員も、同じ本を次々に出し始めるのである。

 肌の白い、お嬢様然とした女子高生が窓辺に立っている表紙の本。

 この日、待ち合わせの際の暗号のようなものとして、本を持って立つ、という約束を交わしていた。青木淳悟の『私のいない高校』(このオフのすぐ後に三島賞をとる)である。読書会の課題図書だ。

「青木淳悟を持って立っている集団なんて、絶対にうちらくらいですよ」

 前夜にskypeで打ち合わせているとき、誰かが言った。みんな笑った。その笑いは冗談の笑いだと思っていたのだけれど、みんな本気だったらしい。怖い。

 筆者だけ、群像2011年2月号を持って立っていた。別に清楚な女子高生の載っている表紙を握りしめているのが恥ずかしいからではない。恥ずかしいからではない。

 

 この日は7人(後に8人)の部員が揃った。簡単な挨拶を交わし、喫煙者は煙草を吸い、さっそくカラオケ屋に向かった。出会ったばかりでさっそく歌うとすればなんだかふざけた文芸部だが、カラオケ屋には読書会をしに行ったのだった。ついでにカラオケ屋で昼飯も食ってしまおうということになった。

 あんなさんがカラオケ屋の部屋取りをしてくれた。カヅヤさんは注文など、こまめに気配りをしてくれた。このオフは色々な人の気遣い、行動があったからこそ、円滑に進んだといっていい。

 カラオケ屋で集合写真を撮り、昼飯を食う。「おれが煙草吸うといやだと思って」言いながらクローゼットに入り煙草を吸おうとするお茶目なおじさんに笑う。

 自己紹介がてら、「文学との出会い」について話した。

 各人の「文学との出会い」について紹介するのは難しい。けれど、あんなさんの話は印象に残ったので書いておきたい。

 あんなさんのいた中学校では、毎朝かならず何分間か読書するという、朝読書の時間があったらしい。その時間にあんなさんは、サン=テグジュペリの『星の王子さま』を読んだのだそうだ。

 感動してすぐに読み切ってしまう、っていうなら、ふつうの話なのだけれど、あんなさんは、『星の王子さま』をずっと机の引き出しのなかに入れておいて、ただ、朝読書の短い時間にだけ、ずっと読み続けた。そして1年間かけて、やっと読み終えたのだそうだ。

 1年間かけて読むに足る本、というのがあるのだと話を聞いて思った。はやく読むことだけが価値ある行為ではない。その後筆者も『星の王子さま』を読んだけれど、この本を1年間かけて読むことは、思春期の少年少女にとってすばらしい経験であると思った。

 

 オフでの読書会は、もちろん互いに顔を見ながらの進行で、ネット上でのやりとりとは、違った趣がある。場の空気、流れ、というものが形成されやすく、言葉と言葉の間に、あたたかいノリのようなものがくっついてくれるので、不自然な亀裂が生じにくい印象を受けた。

 誰もがうなずきながら話を聞いてくれる、というのは、非常に心地のいいものである。むろん反対意見も出たが、うなずきの後の反対意見は、勇気ある行為であり、議論を盛り上げる。

 今回の読書会の音声ファイルに、果たしてその空気がパッケージングされているか。聞いた印象では、残念ながら、ずいぶん削り取られている。アーティストのライヴを見るのと、ライヴ音源を聞くのとではずいぶん違うように。

 ただネット上の通話でのやりとり、チャットでのやりとりが、実際に会って話すのに比べておもしろくない、というわけではない。ネットにはネットの良さがある。ここではあえて語らないが、twitter文芸部の部員は、それを知っているからこそ、ネットで会話を続けるのだと思っている。

 

 飲み会には甲斐さんが来た。甲斐さんは東京でイベントを開催するなど、原稿用紙の幅にとどまらない精力的な活動をつづける人である。実際にお会いしてみて、予想以上に自由な人だという印象をもった。肩の力の抜けた喋り方の奥に、夢を追う人のぎらつきも垣間見える。

 また飲み会では、カヅヤさんが漫画に詳しいのが、どんどん明らかになってくる。小説について話していたかと思えば、漫画の話になる。小説も漫画も、奥ではつながっているのだということを実感させられる。「おやすみプンプン」のリアルについての話がたいへんおもしろかったが、それを詳しく書くには長くなりすぎるようだ。とにかくこの人の漫画の話をもっと聞きたいと思った。

 喫茶店に場所を変え、21時すぎまで話した。

 

4.中上健次の面前でくたびれる

 

 4日夜、筆者はよく知った友人でもあるだいぽむの部屋に、小野寺さんと一緒に泊めてもらった。小野寺さんのパワーは無尽蔵なのだろうか、部屋に着くやスイッチがオフになり、ぐったり寝そべってしまった筆者を横目に、だいぽむと小野寺さんが喋る喋る。前日、緑川さんの家で夜遅くまで喋っていた人とは思えない。2人の会話はビジネスの話が中心で、嬉しいのか悲しいのか、眠りの妨げにはならなかった。

 

 5日は4日よりも晴れる。日に日に暑くなる。この日も先日と同数の部員が揃った。『私のいない高校』に時間をかけすぎたせいで、5日に読書会を行う予定の『生成』は、精読できたとは言えなかった。この日は誰に言われるでもなく、『生成』を取り出して読みながら待っていた。本の表紙がいかにも文学らしい生硬なデザインで、誰に見られても恥ずかしくなかったから、というわけではない。そういうわけではない。

 読書会の司会は小野寺さん。小野寺さんは20年以上の間を空けて、『生成』を再読したとのことだった。読む年齢によって、読後の印象というのは違うものなのだろうと、小野寺さんの話を聞きながら思う。『生成』はアンドレという文学青年の青春と挫折を辿る物語である。たしかに青春の只中にいる若者が読むのと、青春を過ぎて眺め遣る大人が読むのとでは、印象は違うだろう。twitter文芸部のいいところは、所属する部員の年齢や肩書に幅があることだ。それぞれが、自分の年齢や肩書に見合ったものの見方を披露する。

 たとえば6さんは、ひとりだけ読書会にコピー資料を準備してきた人物である。以前の広島オフでも、6さんは資料を活用して喋った。6さんの話を聞いていると、自分がまるで大学のゼミにいるような錯覚におちいる。(かれは大学生ではないのだが、現役大学生のような雰囲気の持ち主である)

 6さんは4日の読書会で、夏目漱石のテクニックについて、渡部直巳の文章を持ち出して述べた。一流の作家がどのようなテクニックを用いて文章を書いているのか、について、現代の青木淳悟と絡めて喋るのである。非常に鋭角的で、その試みは作家志望の者にとって実践的である。このような態度は、大いに参考にしていきたい。

 牧村さんは一人だけものの述べ方が違う。テキストの奥に分け入り、暗喩の根っこを引っ張りだす。牧村さんの手によると、今まで部員の誰もがそう読まなかったさまざまな事柄が、まるで作者の手によって仕組まれているものなのではないかという説得力を持ち出す。牧村さんは仕事柄、文章に触れる機会が多いようだ。そういう人の、自分とは異なる質の言語を、もっと聞きたい。

 だいぽむは本の入手が遅れた関係で、ぎりぎりのタイミングで『私のいない高校』と『生成』を読み終わっていた。仕事が面白いらしく、なかなか本を読めない状況にあるというが、一読しかしていないわりに、要所で、ずばっと的確にモノを述べる。自分の発言に対して、「パズルを解くようなモノの読み方は違うんじゃないか」というようなことをかれは言ったが、おかげで本質が何なのか、考えるきっかけを与えられた気分だった。くわしくは読書会音声ファイルにあたってみてほしい。

 

 読書会を終え、神保町へ古本屋巡りに出かける。この時間を心待ちにしていた。読書会も、座談会も、飲み会も楽しいが、本の山の前に、ハナシの分かる人間と一緒にいることほど、楽しいことはない。

 1軒目の「20世紀記憶装置@ワンダー」から、鼻息が荒くなってしょうがなかった。安い文庫本が店外にずらっと並べられている。棚を眺めるだけで、うっとりするのだけれど、部員も同じだったらしく、30分以上も同じ店で本を見ていたのだった。神保町に、一体何軒の古本屋があると思っているのだろうか。

 店内に入ると、さらに昂奮した。日野啓三や、辻邦生、牧野信一などの、今では読まれることの少ない作家の絶版文庫が網羅(といっていいだろう)されているのである。やはり店内にあるものは値が高いのだが、その価値は十分にあるといえる。

 古書店ツアーの最中、あんなさんが、牧村さんの方を見てずっと笑っていた。なんで笑っているのか聞くと、

「だって花が……」

 と言う。牧村さんの左耳の上には、大輪の花が、ぶっささっているのである。

 カラオケ屋の外で、髪に無料で花を挿してくれるというイベントをやっていた。トイレから出て店外に足を向けると、牧村さんが当然のような顔で椅子に腰かけ、花を施してもらっているのである。カメラを向けると、さわやかな笑顔を向けてくれる。いいノリだ。

 2軒目「ヴィンテージ」はサブカルチャー系の雑誌中心の店である。ものすごく品ぞろえがよく、つい古い雑誌に手が伸びる。

 3軒目「日本特価書籍」、4軒目「山陽堂書店」ときて、あれ、疲れているんじゃないだろうか、と思い始める。5軒目「澤口書店」、6軒目「矢口書店」を見終わったところで、ああ、これは疲れているぞ、と確信する。比較的新しいものも、ものすごく古いものも、古本屋では同じ本棚に、背表紙の文字だけ向けて並んでいる。

 古きよき釣りのやり方が絵と文章によって延々と書かれている本があったり、娼婦のことだけがものすごいページ数で書かれている本があったり、作家のペンネームの由来が網羅されている本があったりと、興味は尽きない。とくに『娼婦』は、この著者にとって一世一代の大仕事であっただろうことが推測され、面白かった。

 書名が頭のなかに氾濫する。棚からはみ出した本が次から次から積み重ねられていくようで、図書館のように、たちどころに分類できない。神保町は、車酔いならぬ、本酔いを起こす町である。神保町ははじめてではなく、来るたびに、めまいのする思いで帰るのだが、今回、部員と回って、部員の本の選び方や、興味を示す本を観察していると、余計に酔いが回ったようだった。

 

 どの本屋だったか、たしか8、9軒ほど回ったところだったと思う。本屋の外、日陰でガードレールらしき白い物体にもたれて、棚の本を眺めながら喋っていた。部員も疲れた様子だったが、小野寺さんは大量の本を入れた荷物を抱え、平気の顔で笑っていた。だいぽむに「きみは体力ないね」と言われる。かれは体力があるんだかないんだか分からない。いっしょに歩いていると、だいぽむは自然に遅れる。坂を登ると、決まって後からついてくる。だというのに、徹夜で本を読んでいたり、ゲームをしたりということもしょっちゅうできる。同級生に比べて、自分がひとり衰えているような気がしてならない。

 目の前のワゴンに、中上健次全集が重ねられているのに気がつく。何気なく全巻そろえて置いてあった。こんな店の外の暗がりだと、こっそり持ち帰ってもバレないのではないかという気もするけれど、本好きの人間が、中上健次を、こっそり持ち帰ったりするようなことは、あり得ないのではないかとも思うのだ。中上や、全巻そろえた書店主に、敬意を払うつもりで、きちんと金を出して求めるはずである。 

 

5.嵐の去った後、残ったミネストローネを食べる

 

「今日はもう飲み会は……」

 みんなが言ったので、普段通りの食事をし、喫茶店にでも入ろうということになった。金がないのだ。

 カヅヤさんは神保町についての本を持っていた。あんなさんは携帯を使って検索をかけている。他の部員はのんびりしている。「ファミレスでもいいね」と言っているが、もっとなんか、「神保町っぽい」ものが食べたい。

 あんなさんが探してくれた店が、雰囲気はものすごくよかったのに、残念ながら休んでいて、近くの店に入った。どうやらそこも有名な店だったらしい、というのを後で知る。

「すいません、これと、これと、これは、もう売り切れでして」

 店主が言う。メニューのほとんどが封じられた。

「ご飯も、もう残っていなくて、パンならできます」

「どうしたんですか」

「今日は、お客さんが、どうしたのって思うくらいすごくて」

 GWだからといって、神保町を訪れる人は大して変わらないだろうと思っていたのだが、活字離れのいわれる現代にも、物好きはいるようである。みんなミネストローネやビーフシチューを頼む。

 特別ゲストとして、OBの緋雪さんが来る。ほとんどの部員とは初顔合わせだが、来て30分もしないうちに、完全に溶け込んでいた。緋雪さんは詩人で、自分の本も出している。

「あの本は読まなくていいよ、これからのものを読んでほしい」

 先へ先へと向かう人だ。甲斐さんといい、緋雪さんといい、この向上心の出所はどこなのだろうと思う。

 

 6さんと小野寺さんは予定があるため、食事を終えると席を立った。新幹線で当日中に西へ帰るという話だった。もっと2人と話したかったが、時間がそれを許さない。

 2人と別れたが、部員は店に残って喋り続けた。次第に話題が、暗い方へ向かっていく。人生のなかで「沈んでいた時期」について各々が話し始める。

 やっと人生の話になったと思った。ここでようやくそれくらいの話ができる関係になったのだと。人は直接会うと繭にこもる。深い話を避け、場の空気に合わせて笑う。繭がようやく、わずかではあるけれど、破れた証拠だった。

 あの場での話題を良いとするか、悪いとするかは、各人の判断に任せたいが、人間のさまざまな面が見られることに対して、よろこびはあった。

 

6.ラッシーを飲む、インドカレーを食べる、同人誌を物色する

 

 とうとう最終日(6日)になった。この日は集まれる部員だけで集まり、第14回文学フリマに出かけてこようという約束になっていた。

 

 参加した4人全員に、濃密な数日間の疲れがのしかかっていた。ある者は電車の乗り換えを間違え、ある者は蕁麻疹をこらえ、ある者はコインロッカーを探して駅から駅へさまよった。

 

 twitter文芸部は、文学フリマにブースを出したわけではないが、より存在を広めるために、チラシを持参した。あんなさん作成のもので、ご家族にも協力していただいたのだとか。ありがたい。

 めぼしいブースを回って、ぜひお話したい! と思った人にチラシを渡していった。筆者はビビリで、『書評王の島』の豊崎社長の前まで来たときには、あんなさんと、「はやく渡そうよ」「いや、ここはあんなさんが」「イコぴょん話してたじゃん。渡しなよ」などと、おびえきっていた。前に文学フリマに行ったときと同様、サインを書いていただいた。

 公募に書いて出したことを言うと、

「いいですねー」

 と言ってくださった。

「いらないかもしれないんですが」

 とチラシをお渡しすると、いやな顔ひとつせず、

「twitter文芸部ね、へえー」

 と受け取ってくださった。

 牧村さんはその間に、どんどんブースを回って、チラシを渡していた。すごい。

 破滅派高橋文樹さんや、今村友紀さんとお話することもできた。かれらは自分の目指す賞の先輩である。破滅派の同人誌や、今村さんの新潮新人賞最終候補作「マスカレイドの零時」を購入した。

 

 文学フリマについて、思ったことをいくつか箇条書きにしてみよう。

・デザインはどの同人誌も凝っている。以前のフリマで見たものよりさらに進歩しつつある。

・文学フリマを文芸フリマに改名した方がいいのではないか。「文学」とはとても思えないブースがたくさんある。

・どのブースも、目を惹く売りを用意している。たとえば「魔法少女」「豆本」などである。時流を意識している団体が多い。

・価格帯は100円~500円がポピュラー。有名な団体のものは値段が高い。とくにプロ作家のものは宣伝も派手で値段が高い。

 

 チラシをチラシコーナーに置く。のぞいていると、見てくれている人もいるようだ。多くの人が部に興味をもってくれると嬉しい。

 文学フリマ会場内には屋台が出ていた。会場の外にひとつも店がないからだろうか。あんなさんが、「あれ飲みたい」というのでラッシーを頼む。その後だいぽむにも、「あれ飲みたい」と言っていた。あんなさんはいい感じで肩の力が抜けている人だ。

 インドの人がカレーを売っていた。こんなところでカレーか、大したことないだろうと思っていたが、無駄にうまい。店で食べるカレーと比べて何ら遜色ない。

 最後はラッシーを飲み、集合写真を撮って別れた。

 

 4日間の東京オフで、ずいぶん濃密な出会いを経験した。思ったことは、ネットにあらわれる人格が、その人間の、一側面を表しているのに過ぎない、ということである。ただしこのオフで見えてきたのも、一人の人間の目によってゆがめられた人間の一側面に過ぎないのだろう。