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隆 ——偏頗——:しろくま

 ジャカルタから飛び立った飛行機はスマトラ島の都市の近くの滑走路に着陸した。隆が派遣された日本語学科は隆の他に日本人がいなかった。他十数名の先生達は皆インドネシア人だった。インドネシアの年度初めは九月だったが派遣されたのは二月の中旬だった。後期の授業がもう始まった頃だった。
 日本人がいない日本語学科だったので最初はお客さん扱いだった。先生、学生、職員、すべての人が親切に接してきた。日本人というだけで、一部の学生からはアイドルになったような視線も受けた。授業には現地の先生とチームティーチングのかたちで授業に入った。
 学生達の顔と名前は全部覚えるよう努力した。学生はコースによって午前と午後に別れていて、一年生から三年生まで、総計約三百人の学生の顔と名前を覚えることになった。
 女子学生、特にムスリムのジルバブを被った女の子達の名前を覚えるのに苦労した。髪が隠れるだけで情報がだいぶ減った。キリシタンの学生は、食事をする時にお祈りをするのでその時に分かった。最初ジルバブを被っていない女子学生は皆キリシタンだと思っていたが、ジルバブを被っていないムスリムの学生もいた。
 隆はクラス毎に学生達の集合写真を撮り、B4サイズにプリントアウトして、顔の下に一人一人名前を書いた。名前を確認してから授業に入る習慣をつけ、教室に入ってからは写真を見ずに学生の顔だけで名前を当てられるようにした。週一回の授業でしか会わない学生達の名前をすべて覚えるのに数カ月を要した。
 また最初は学生がそれぞれ何族なのか分からなかった。民族によって宗教が違うということも分かっていなかった。ある女子学生から中華系だと言われて、そうだ、この顔、この肌の色は東南ではなく東アジアのものだと、やっと気付く始末だった。「学生」というひとくくりで捉え、学生達を分け隔てなく見ようとしたために、顔や肌の色という大きな違いが見え難くなっていた。
 学生達にとって歳の近い日本人ということもあって授業外でも色々と要望が来た。日本語の勉強に関するものでいえば会話会や日本語能力試験対策の勉強会、他に学生達が好きなFacebook、Twitterだったり、カラオケ、旅行にも誘われた。
 学生からの要望が強かったので、隆もFacebookを始めた。すぐにリクエストが集まり簡単に友達の数が二百人を超えた。隆にとっても学生の名前を覚えるのに役に立った。しかし、いつしか日本語学科以外の学生や、よその学校など、顔の知らない学生からもリクエストが集まるようになった。毎晩のように来る友達のリクエスト、書き込み、チャットが続くと、パソコンを開くのが億劫に感じることもあった。できるだけ対応したい気持ちも強かったので、それからはパソコンを開く時間を決めて対応した。
 会話会はよく昼食の時に行なった。一年生から三年生までそれぞれ時間を設けた。学生の参加は自由だった。会の内容は事前に話すテーマを決めておいて、会話会の時に皆でそれについて日本語で話すというものだった。
 日本語を学んでいる彼らは食べる前に日本語で「いただきます」と言った。先生のことも、日本語で「○○先生」と呼んだ。学生達は鳥肉を食べるときも右手だけを使って器用に骨から肉をそぎ取り、ご飯を食べた。隆も彼らに合わせて右手だけで食事を採るようにした。
 この日の三年生達との会話会のテーマは「結婚」だった。食べ物を口に含んだまま男の子の学生が言った。
「でも先生、アディ先生もアギス先生も学生の人と結婚しましたよ」
「え、そうなの?」
「はい。学生だった女の人と結婚しました」
「学生の時から付き合っていたの? それって困らない? 授業の時とかテストとか」
 女の子の学生が説明するように言った。
「先生はプロフェッショナルでしょ。だから大丈夫ですよ」
「そうかなぁ。でももし私だったら、ちょっと自信ないなぁ……」
 一年生の学生達に旅行に誘われたので、中間考査の後の休日を利用して行くことにした。運転手と車をレンタルして近くの海岸へ行った。日本語がまだ上手くない一年生達。隆も十分にインドネシア語を話すことはできなかった。それでもお互い意思を疎通しようと努力し、そして気持ちを共有できたことに、隆は幸せを感じていた。人は人との間に幸せを見出すということを改めて強く感じた。同じ母語である日本人同士でも、気持ちが分かりあえて幸せを感じるというのは難しい。隆はいつか付き合っていた女のことを思い出していた。お互いを信じあう信頼関係が必要で、言葉が違っていても、それがあれば大丈夫だった。
 一部の一年生の学生達と旅行をしたことはすぐに他の学年の学生達や先生達にも知れ渡った。
 この日は学科主任との打ち合わせがあった。多くのテストは隆が作っていたために、それらの丸付けも隆のところに回ってきた。
「先生、このテストの点数もお願いします」
「はい、わかりました」
「これが私の家でできたマンゴーです。どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
「この前、学生と旅行に行きましたか?」
「はい、一年生の子達と行ってきました」
「他の学生は、行きたがっていますね」
「そうですか。ぜひ他の子達とも行きたいです」
 隆は下宿に戻って、外で食事を採ってきてからテストの丸付けを始めた。任されたのはこれで五クラス目だった。一クラスの学生の人数は大体四十人。テストは選択と筆記の問題を作っていた。
「筆記試験の丸付けならネイティブがいいことも分かる。しかし、教科書から抜粋した問題の丸付けまでネイティブに任せる必要はない。点数の計算もお願いしたい。点数の記録は、現地の先生達のほうが慣れているに決まっている。これは仕事の押しつけだ」
 教師としてここに来ている隆にとって、いま自分の存在する理由はすべて学生達だった。学生達のためなら、なんだってできる。その気持ちが自身の仕事を増やさせることもあった。
 しかし、これは嬉しいことでもあった。一年前、大学院で一人、机に噛り付いて研究していた時にはなかったものだった。しかし、きょうは勢いで丸付けを終わらせてしまった。
「教師は学生達に博愛でなければならないだろう。しかし、同僚の先生達にも、博愛でなければならないのだろうか。いい先生もいる。彼らだって昔は日本語学科の学生だったんだ。それだけじゃない。僕の大先輩で、自分の母語でなくて、日本語を教えてくれている先生達だ。しかし、どうも同じように愛せない。日本語が下手な学科長の先生、やたらと仕事を押し付けてくる先生、好きになれない。……いや、これは疲れているせいだ。考えるのはもう辞めよう。きょうの仕事は終わったんだ」
 隆はテストを仕舞うとパソコンを開いてインターネットに繋いだ。きょうもまたたくさんのコメントやメッセージ、リクエストが来ていた。一つ一つコメントを返さなくてはならないわけだが、疲れがなくなるような嬉しい気持ちだった。
 Facebookのチャットに、留学についてよく相談しに来るムスリムの女の子がいた。四年生でこの七月に卒業後、日本で学ぶことを希望していた。隆は四年生の授業には出ていなかったので、これといって交流があったわけではなかったが、一度論文を見たことがあった。大学では隆から挨拶をすると、少し下から覗く意地悪な、少し歪んだ笑顔を返してくる子だった。暫くすると、きょうもチャットが来た。
『先生こんばんは』
『はい、こんばんは。元気ですか?』
『はい、元気です。先生はこの前、一年生の学生と旅行をしましたか?』
『はい、行ってきました。とても楽しかったですよ』
 いつものように留学について訊こうとはせず、様子が少し違っていた。
『先生はやさしいですね』
『そうですか。ありがとうございます』
『きょうは大事なことがあります。えっと、わたしは、先生がすきです』
 隆は学校の皆が見ている自分と自分が感じている自分が大きく離れているような気がした。一人だけの日本人ということがそれを助長しているのだろうか。自分は学生達のためと思ったことをやっているだけなのに。
 隆はそうじゃないんだと軌道修正したい衝動に駆られた。