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俺の世界:常磐 誠

 部屋のベッドに寝転がる。その時目に入る二枚のポスター。サッカーとバスケ。地元のプロチームは弱小で、そこのエースでさえも知名度は低く、名前を知っている奴は少ないんだろうな。俺も、こいつらの名前まで覚えちゃいない。何となく真っ白で寂しい壁を飾る為だけに貼っているような、そんなポスター。
 思い出す。廊下の声。アホだろ。バカだろ。誰に対して言ってんだ。俺だろ。ハハ。そりゃそうだ。

 三年になって、高校受験。そういう当たり前を目の当たりにして、担任の瀧中(よしなか)が言ったこと。始めること。進路公開。
 意味が分からなかった。いやめっちゃくちゃ意味は分かった。単純なことだった。それが大切なことなのはわからんでもなかった。学活で将来のことを語ることで得るものがある奴はあるんだろうと俺は悟ってやったさ。
 でも俺はそれどころじゃない。だってそうだろ。俺はハンド部の活動停止処分を言い付けられたばっかなんだ。二年がタバコ吸ってたんだって。それも部室で。初めて事実を聞いた時に、俺はもうそりゃぽかんとしたさ。タバコを吸うようなアホに対してもそうだけどさ、でもそれ以上に、吸ってたんだって、とかいう無責任な同級生のハンド部員に。お前、わかってんのかよ。今年俺らラストイヤーだぜ? 最後なんだぞ? ダメだ。お前最悪だわ。お前全然わかってないよ。
 俺の気持ちだけ俺の中でクルクル回る。部活は結局活動停止。それも、夏の大会までは確実に、なんだそうだ。何か顧問が言ってたな。解散にならんかっただけでもマシだと思え、だとさ。マジウケる。ねぇ。マジウケるんだけど。
 そんな状況で受けた帰りのHR時に、進路公開と家庭訪問の連絡。バカじゃねぇの? いや、むしろ良いのか。そうだよな。今の部活に活路見出せねぇんだもんな。将来に勝手に希望持って、夢持って逃避してりゃ楽だもんな。最高だよ。けどさ、生憎俺はそういう風になれやしないんだ。あいつは、瀧中は自分が三年を受け持った時には必ずやっているんだとか抜かしていた。クラス三十六人それぞれの進路の意味を考えて欲しい、なんていう奇麗事をセットにして俺達に押し付けてきやがった。無性に腹が立った。
 何が、皆の好きなものは何だろう? だよ。何が、君が好きな人は誰だろう? だよ。寒いんだよ。頭に何か湧いてんじゃねぇの。ギャグなら笑ってやるよ。鼻で。つか、笑ってやったよ。それをあいつ何なんだよ。「お、期待通りの反応」なんて抜かしやがる。それも笑顔で。クソみたいな奴だ。瀧中は、クソったれ野郎だ。
 大学を出てすぐに先公になって、三年生を受け持っているような所謂エリートっていう奴だ。しかもこいつまだ二十代だぜ。いけ好かない。人の気持ちも知らないで、勝手抜かしやがるんだ。先公なんざ皆そうなんだろ? 若い癖に、お前だってやっぱそうなんだろ? だから、職員室に行って瀧中を呼び出すことにためらいなんてなかった。愛想の良い笑顔を浮かべながら、「先生、ちょっとだけ良いですか?」なんて言ってさ。
 廊下に出て、笑顔でどうかしたの? なんて抜かす瀧中の顔面向かって俺は拳を叩き付けに行った。振り抜いた。寸止めなんかしない。全力で当てに行ったパンチだった。それを瀧中は、「うわっ!」という驚きの言葉と共に大きく仰け反ってかわした。その大声に驚いた職員室の教師陣が窓を開けて俺と瀧中を見る。ここで瀧中がこのことを報告して、そしてこれが問題行為として捉えられて終わるかと、俺は思わなかった。瀧中は「あ、すみません、大丈夫です。すみません」と頭を下げて何でもないように振る舞った。空気を読んだってことだろうけど、俺は瀧中がそうすることを読んでいた。何せ教師の中で最も若造なんだ。どうせ他の教師に頼ったりせず、自分の力でどうにかしようとしてくるに違いない。そう思っていた。そしてその通りになった。
 若いから、自分が何とかしてみせる。そんな甘っちょろい理想論に寄りかかって、俺の術中にはまる。甘い奴だ。
「できれば話し合いで解決したいけど、どうにもそういう訳にはいかないかな?」瀧中の言葉に、俺は何の反応もしなかった。それを肯定と捉えた瀧中が、「うん。わかった。じゃあ、場所を変えようか」そう言って歩き出す。俺は無言でついて行った。ここで不意打ちしても良かったが、そうすると今度は本当に助けを呼ばれるかもしれない。そうなると不利だ。そう判断したからだ。
「ここなら良いね」振り返ってそう口にした瀧中の笑顔に向けて、また全力の拳をぶつけに行く。体重を乗せて。瀧中は百七十センチ、体重はわからないけど恐らく日本人の標準より軽いのは間違いない。瀧中はひょろい。体全体が。俺だってそれほどではないが百七十二センチ。ガタイの上では勝っている。一発入ればそのままなし崩しに勝てると思った。結論を言えば、それが誤算だった。
 一発も入らない。体重を乗せた一発はひょろい体にかすりもしない。当てることに集中したジャブは、瀧中の左手に、それこそ吸い込まれるように当たる。そして何かをされる。何か、というのが何かわからないのが気持ち悪い。軽く触れられたと思うと、俺の体が揺れ動いた。右に、左に、コントロールされる。俺の体なのに、まるで瀧中に乗っ取られたように、あっちへふらり、こっちへふらり。ふざけやがって! 今度はキックに変える。サッカーのシュートみたく、全力でぶつけに行った。でもやっぱり当たらない。「体が流れてる。不恰好だね」余裕綽々とした瀧中の声が不愉快だ。いつの間にか俺の息が上がっていた。
「慣れない事すると疲れるもんね」俺を見る瀧中の笑顔と声は腹立たしくて、もう限界だった。「ムカつくんだよこのクソが!」叫びながら放つ最後のパンチをかわされて、挙句瀧中が俺に放った攻撃は足を引っ掛けるだけという何とも幼稚なもの。それに引っかかり、そしてうつ伏せになったところから押さえつけられた俺の惨めさときたら、たまらないものだった。俺の最後の叫び声に、教師とまだ残っていた生徒の何人かが来ちまったのが、また決まり悪いことこの上ない。瀧中は、スーツのジャケットを着たまま汗一つかいていない。そんなルックスで、しかも爽やかに、「ちょっとじゃれてただけです。もう大丈夫ですよ。最後のはご愛嬌ですからどうぞお気遣いなく」なんて言うんだ。これが瀧中の助け舟だっていうことがわかるのが、また余計に悔しかった。

 枕元には中古で安く買った古いゲーム。電源コードは繋いだままで、過充電防止機能のお陰でライトは消えていて、傍から見てそのゲームがまさか進行中だなんて、誰も思うまい。かくいう俺も忘れてた。枕を挟んで反対側には栞を挟んだ文庫本。傍らに借りたマンガ。どれもこれも俺はオチを知らない。当たり前だ。文庫本には栞。マンガも読んだところまででうつ伏せにされて、今日一日分の埃を被ってる。俺は埃を床に払い落とす。たかだか今日一日分、意識しなくちゃ目にも見えないくらいの、全然大したこと無い白のバラバラ。床に落ちたら、結局俺はその白いバラバラを見失った。今までマンガの上にあって、目障りだと思っていたのに、床に落ちて見失った途端に、俺は興味も一緒に失くした。
 ゲーム、マンガ、小説。どこにも関連性なんてない。テッテレーン。スリープ状態から抜けて、早く動けよ、お前のターンだぞ。そんな気持ちで鳴っているっぽいゲームのBGMを聞きながら、俺はマンガを手に取り読んでいく。でも、それもその内、飽きた。小さい呟きと同時に、またうつ伏せに伏せる。次に小説、クラスで流行りのラノベを読んでも、また、飽きた。ほら、お前のターンだぞ。テレレンレン。テレレンレン。なぁ、俺は何をすれば良い。
 もはや手に物を持つこともなく、ベッドに体を預けて目を閉じる。眠れる訳でもない。早く制服脱いで、ハンガーに掛けて、弁当出して洗っておかないと、またババアにどやされる。あ、カッターシャツは襟と袖に洗剤塗ってから洗濯機に入れろ、とか言われてたっけ。やりたくねぇ。面倒臭え。どどどろどっど。どどどろどっど。お前のターンだって。うるさい。うるせぇよ。言われなくたって、わかってんだよ。黙れ。黙れよ。ゲームの電源を、今度は本当に落とした。落としてから、「セーブしてねぇ」気付いたけど、割とどうでも良かった。安いラブコメを語るラノベから栞を取り去って、栞も本も乱暴に放った。バスケのリアルな、そんでもって熱いやり取りが描かれたそのマンガが、何やらうざったらしい。投げた。開き癖がついたマンガが文庫本の上に被さった。ベッドの横に貼られているドリブルのポスター。腐ってもプロのチームのエースを背負う二人のボール運び。かっこいいよな。ちょっとだけそう思ってから、俺はそれを誤魔化した。どう誤魔化したのか。「モテるんだろうな」って口にするだけ。噴き出した。笑いが止まらなかった。別にエロいことを考えたりはしていない。そもそもかっこいいよな、って口に出した訳でもなけりゃ、そもそも今家には俺しかいないんだった。バカじゃねぇの、俺。笑いが止まらなかった。

「アンタは最近たるんでる」
 夕食を食いながらババアが言う。俺は取るに足らんとその言葉を無視して飯を食う。小言ばかり、全部聞き流す。単純作業。もっと勉強しなさい。成績大丈夫なの。塾はどうするの。しっかりしなさいよ。ここまでは聞いて、大体アンタ、ハンドボール部が、ここで止めた。「関係ねぇだろクソババア!」激した声。食卓も一緒に拳で殴りつけて、静寂を強引にひったくる。「ハンド部と俺に関係なんかねぇんだよ!」それに、片親な上にずっと仕事してなきゃいけないような家庭環境で、どうして俺が塾になんか通えるんだよ。何もわかっちゃいない。何もわかってねぇじゃねぇか阿婆擦れが。むしゃくしゃした言葉と感情の続きは、味噌汁で流し込む。俺がひったくった静寂を、ババアがまた破る。「アンタ一人塾にやるくらいならどうってこともないっつーのよ。バカにしないでくれる? あと、学校で問題起こすなんてどういう神経してんの? 内申に響くことくらい分かるでしょ」この言葉に俺はドキッとした。まさか連絡が行くとは思っていなかった。
「何そんな驚いてんのよ。アンタまさか先生に殴りかかっておいて問題にならないとでも思ってたの?」ババアが放つ言葉でまた一段階冷静になる。そりゃぁ、連絡来るよな。問題にだって、なるだろうよ。溜め息一つ。ハァ。「バカじゃないの?」俺の顔を見ながら、冷ややかに繰り出されたババアのこの一言に、何故だか傷ついた。
「あ、それと、家の家庭訪問、明日に決まったから」ババアの言葉に俺は眉をしかめる。いつも予定日の中に収まらず、先公に詫びて特別に時間を作ってもらう。小学生の時から延々繰り返されてきたこと。なのに何で今年に限ってそうスムーズに話がまとまるのか。意味が分からない。こっちは本当に、意味が分からない。「ふっざけんなよ……」という俺の言葉には、「今年は頭を下げなくて済む分ラッキーだわーとか思ってたのに、ふざけんなってのはこっちの台詞」と返ってきた。

 次の日の学校は本当に憂鬱だった。あの担任と顔を合わせるというイベントだけで、本気で憂鬱になれた。「今日からしばらく半ドンだから弁当もいらないわねー。家庭訪問万々歳! 家の掃除しなくちゃだわ。誰かさんが汚いまま放置してくれてるし、大変よねー」というババアの声の所為で、加速度的に憂鬱な感情が増していくのを感じながらの登校だった。まともに瀧中と顔を合わせないように過ごす一日だった。そのまま帰りのHRが終わり、挨拶まで済んで、よっしゃ! なんて本気で思った。今日の授業に瀧中の数学がなかったことが幸いだったんだろうと、教室の窓から外を見下ろす俺の頭の中では勝利者インタビューみたいな光景が繰り広げられていた。瀧中は本日一人目の家庭訪問に行く為にもう学校を出ていなくてはなるまい。俺はこのままゆっくりと帰らせてもらうぜ。家庭訪問には生徒も付き添うことが義務付けられているから、その時間だけは我慢してやる。もう俺の顔には自覚できるくらいニヤニヤした笑みが浮かんでいた。
「嬉しそうだねぇ。昨日はいきなり僕を殴りつけようとするくらい怒っていたのに」何かの聞き間違いだと思おうとしたけれど、窓ガラスにその姿はハッキリと映りこんでいる。「何でいるんすか?」つっけんどんに聞いてやる。「いやいや、一応ここ僕の教室でもあるから」笑顔のままの瀧中の返事。本当に昨日のことなんかなんでもなかったと、まさしくそこらのちびっこに因縁吹っかけられた、くらいにしか思ってませんよ。みたいなイメージが俺に伝わってくるようで、むしゃくしゃした。「今、俺しかいないっすけど、何か用でもあるんすか?」その質問にも、「うん。用があるから来たんだよ」瀧中は笑顔で即答した。
「昨日の説教っすか? ヒマっすね。もう田中の家庭訪問でしょ? 行かなくて良いんすか?」挑発するように、あえて癇に障るように俺は言葉をぶつける。その笑顔を歪ませたいと心から思った。それで殴られたら、体罰で訴えれば良い。実際、昨日も俺が殴られれば、それで体罰にできたじゃないか。そういう邪な気持ちも、少しだけ孕んで俺は瀧中を挑発していた。そんな自分を今更卑怯だなんて思うものか。俺は瀧中が嫌いなんだ。それだけで十分だ。
「うんうん。やっぱりそうだ」瀧中の言葉は意味が分からない。そしてやっぱり笑顔は歪まないし、曇らない。
「昔の僕によく似ているんだよ。あ、そうそう。彰人の家庭訪問は一つ後ろのブロックに変更になったんだよ。だから今僕はフリーなんだ。心配ありがとう」
「意味わっかんねぇ。誰がお前なんかに似てるって? しかも田中の家庭訪問が遅れたからって俺にどう関係すんの? 心配なんかハナっからしてねぇんだよ頭悪いなアンタ」
「うんうん。そういうとこそういうとこ。ビックリするくらいよく似てる」
 ニコニコ笑う瀧中に思わず舌打ちが出る。「僕も中学二年の時に担任に殴りかかったんだよ」笑顔で語られる瀧中の言葉に、俺は疑問符を浮かべた。こんなに大人しそうな、それに、ひょろいし、いかにもって感じのエリート路線歩んで来てるはずのこいつが、先公に殴りかかる? 昨日実際に自分がしたことだというのに、理解不能な気がした。
「お、意外そうな顔しちゃって。やっぱりそうでしょ? あはは」教卓側の窓を開け放ち、俺が今までそうしていたように窓の下を見つめている。
「当時クラスでいじめがあっててね。いじめられていた子は僕の幼馴染みだった。それでその先生は一年の時にはずっと僕達の味方をしてくれてた。ウザいくらいにね」笑いながら話すには少し暗いテーマじゃね? それ。心の中でつっこむ。
「けど二年になって担任になって、その時先生は僕の幼馴染みをいじめていた連中のことまで、それはもう真摯に考えていた。それが許せなかった」瀧中はそれだけ言うと俺の方を見る。瀧中の過去なんてどうだっていい。そう思っていたはずなのに、合ってしまった目が笑っていた。少しだけ興味を持ってしまっていたのが、表情からバレてしまったか、俺が何かを言う前に瀧中は続ける。「まぁ、教師というか担任たるものそれが当たり前なんだってことは、今ならわかるんだけどさ」と。
「ふぅん。で、うまく一発くらい入れたんすか?」俺の問いにはプッと噴き出して、「一発どころか、百発は入れたね」と返ってきた。俺は昨日のことを思い出して瀧中を睨みつける。でも瀧中はそんなことは意に介さず、「当時の僕は百五十くらいしか身長なかったし、体重も標準より軽くてね。こればかりは体質みたいだから、どうしようもないんだよね。そんで先生の方は百八十六の体重余裕で三桁」それを聞いて納得した。その先公は瀧中の攻撃を避ける必要がなかったのだろうと。
「何より先生は凄い体格してるしね。アレだよ。髷を結ったら、どこの部屋に所属してますか? って聞けるくらい。ゴッチャンデス! って言葉がお似合いだよ」ブフッ! 瀧中のゴッチャンデス! に思わず噴き出してしまった。
「やった。ウケたウケた。やったね」ガッツポーズまでしている瀧中の姿を見ていると、本当に自分がこいつに対して不覚をとってしまったように思えてならなくて、それが心から不愉快だった。俺はまた瀧中を睨んでいる。
「まぁ、僕らの場合は体格差がないから、というか僕のほうが小さいから、受けて立つってことは出来ないけどさ。でもサシだったらいくらでも受けてあげるよ。またムカつくことあったら、殴りにおいで。それじゃ、またお家で」
 手をひらひら振りながら、瀧中は教室から出て行った。俺は今の瀧中の話を頭の中で反芻してみる。結局何が言いたかったのか。よくわからなかった。今日アイツと二人きりで顔を合わせようものなら、あぁいうエリートなタイプにありがちな、嫌味ったらしいことこの上ない説教を受けるのだと思っていた。もしくは昨日できなかった分俺をボッコボコに殴りつけるのだと思っていた。それが何だ? またムカつくことがあったら殴りに来い? サシなら何度でも受けてあげる? ふざけている。アイツはやっぱり、ふざけているに違いない。ふざけたことを、言い続けて、楽しいのかよ。鞄を自分の机から引ったくり、教室を出た。窓とドアを閉じていない。自覚している。明日、黒板に「ドアも窓も開けっ放しでした。きちんと戸締りを徹底するように」という見回り担当の書き込みがあるのを確認できることだろう。でも、俺の知ったことか!

 家庭訪問に来た瀧中は、昨日の事を真っ先に謝罪し、そして俺に謝罪させようとしたババアに対し、いいえ。どうか気になさらないで下さい。色々と学ばせてもらいましたから。を繰り返し続けた。このエエカッコしいが。そう呟いたら、ババアから馬場チョップが繰り出され、俺にヒットした。大人二人が笑うのを見ていて、どうにも気分が悪かった。
 その後、ババアと瀧中はどうでもいいような世間話から、俺の学校における生活態度――うまいこと昨日の事がなかったこととして扱われているのが逆に腹立たしい――について話をしたりして、そして保護者からの質問ということで二、三ババアからの質問に答えたりしていた。所々瀧中は笑い話に話を持って行って、そしてそれらはことごとくすべることがなかった。幾分かの愛想笑いもあったのかもしれないが、笑い上戸なババアだ。まぁそれなりに面白いと感じているんだろうな、瀧中のことを。
 瀧中がそろそろお暇を、と言って立ち上がる。あぁ、ようやく終わる。そう思っていると、不意に瀧中は足を止めた。何事かと思い瀧中を見ると、急に瀧中の方も俺を見てきて、また目が合う。「ねぇ。あれスコーピオンズの新堂選手とバーニングフレアの堂本選手だよね。好きなの?」この距離からよく見えるな、めざとい奴だな、そう思いながらも、「いや別に。ただ壁に貼り付けてるだけっすよ。殺風景なんで」俺はそう答えていた。嘘を吐く必要もない。こんな必要性のない会話、さっさと終わりにして、帰って欲しかった。それでも瀧中はポスターに興味を持ったままで、しつこく食い下がってくる。「何でサッカーとバスケなんだろうね」とか、「何で二つともドリブルなんだろうね」とか。そんなの、どうでも良いだろう。意味が分からねぇよ。俺の不快だっていう感情を剥き出しにした視線を受けてかどうかはわからないが、瀧中はやっと玄関へと体を向けた。「そっか。安心した」そんな意味の分からないことを口にしながら。俺もババアも、意味が分からないから、そういう顔をしている。俺は眉をひそめ、ババアはぽかんとしている。
「だって、ドリブルって前進でしょ? 知ってた? 人間ってね、意識してないことでも願っていることをついついどこかに投影してしまうんだよ。ドリブルのポスターは、前進しようとしている心の現れなんだよ」いつも通りのニコニコ笑顔。相も変わらず癪に障る。「まぁ、ステキ!」ババアがあっさり洗脳にかかる。「こじ付けにも程があるだろ」と呟いた俺に再びババアの馬場チョップ。近殿はいつものより痛かった。入るべき場所に入ってしまったんだろう。何発かに一発、こういうのは来る。気にはしない。
 それでは。玄関で靴を履く瀧中に、俺が聞く。「先生の幼馴染って、結局どうなったんすか?」瀧中は、あ、言うの忘れてたな、くらいの顔をして、「今その子は僕の連れ合い、奥さんだよ」左手の薬指を見せながら、言った。

 俺はまたポスターを見ている。ドリブルは前進。俺は前進したがっている。瀧中はそう言った。でも、中途半端な俺には瀧中から与えられるどんな言葉も、気持ちも、通じる気がしなかった。部屋はあらかたババアの手によって片されていて、見た目だけは綺麗になっていた。またこの部屋はすぐ中途半端な俺に汚されていくんだろうな。俺は弱小チームのエースにもなれず、こんな風にドリブルして、前進することもないんだろう。不意に変な気持ちが、ムクリムクリと湧き上がる。俺はきっと瀧中とも、このポスターの立派な二人とも違う。瀧中は似ていると言ったが、やっぱり違う。
 この気持ちに名前がつけられない。ポスターに手をかけ、一気に剥がす。若くして公務員になって、幼馴染を妻に持つ。俺からすれば、何たる勝ち組人生だよって、思う。
 この気持ちの名前を俺は知らない。ポスターを投げ捨ててベッドに飛び込みナニでもしようか。下らない。でも、立ち止まりたくない。そこにある気持ちを、俺は直視できないって、わかってる。涙が、止まらない。乱暴に破かれたポスターの、壁に残ってる右目がギョロリ、俺を睨んでる。何を悔やんでるのか、わからない。涙が、止まらない。何がしたいのか、わからないんだ。わからないんだ。

(了)