twitter文芸部のつぶやき

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「twitter文芸部1周年に寄せて」叢雲 綺

 ――twitter文芸部、2010826日発足。

 うだる様に暑い部屋で、そんなことに思いを馳せていた。もう一年になるのか、と。twitter文芸部の発起人の一人である私の中には、発足から今までの記憶と経験がぎっしりと詰まっている。だが経験は身体が覚えているもので人に語ることはできないし、記憶はもろい。そろそろきちんとした文章にしないとtwitter文芸部に関する記憶が風化してしまう……。私が今回このような文章を書いているのは、発足当時のtwitter文芸部の様子を少しでも記録しておこうという意思からである。何より自分の中にある記憶が褪せる前に具現化してみたかった。まだ1年しか経ってはいないはずだが、もうすでに半分落ち葉に埋もれてしまったような記憶。それをこれからゆっくり掘り返してみたいと思う。

             *

 やっぱり暑い夏の日だった。私は長い長い大学の夏休みを創作に費やしながらも、どこか物足りなさを感じていた。ちょうど書いていたのは応募用の原稿だったろうと思う。勿論、小説の応募はやりがいのあるライフワークであるが、それ以外の部分にもう少し刺激が欲しいと思っていた。大学には文芸サークルがあったが、与えられた時間の大部分を雑談に費やし、創作について語っているような集団には残念ながら見えなかった。

 私の創作の場はある小さな「おでん屋」だった。

 真新しいおでん屋の暖簾が夏の風に吹かれてひらひらと揺れる。そこを潜り抜けて、がらんとした店内の片隅のテーブルに落ち着くと、勝手にお冷をいれて何時間でも居座るのだ。店のマスターのことは「おっちゃん」と呼んでいた。前歯のなさ以外はダンディなおっちゃんだった。時々自慢げに若いころの写真を見せられるのだが、イケメンである。たぶん前歯さえそろっていたら今でもイケメンなんだろう。

「なぁ、おっちゃん、創作って孤独な作業だよね」

 私がこう話を振ると、しばらく黙った後でおっちゃんは「そうだ」と言った。私の周りには文芸創作に携わっている友人はいない。村上春樹の大ファンという友人はいたが、書くことはしない奴だった。

「だけど、自分の殻に閉じこもるのもよかないな」

 おっちゃんはこう続けた。

「あったりめぇだろー。視野が狭けりゃー小説なんか書けねぇ」

――視野を広げること

 私の中に大切なものが芽生えた瞬間だったろうと思う。その時はちょうどインターネット上の小説投稿サイトを利用していたのだが、マンネリ化していた。そこの批判をするわけでは決してない。そこでの人間関係も勿論重要だし、これからも大切にしていきたい。だが、その時の私には物足りなさを作っている原因の一つに思われた。

 具体的に言えば、「馴れ合い」である。人と仲良くやること、社会生活を円滑に送るためには必要なことだろう。だが、私は円滑な社会生活はすでに送れている。これ以上、望むものはないほどに充実した日々と言っても良いくらいに。そうだ、私がやりたいのはあくまで「創作」なんだ。そんな単純なことにも気が付かなかった自分が笑えて、変なところにおでんの汁が入ってむせた。

              *

 「創作」がやりたいなら、そういう集団をつくればいい。

 そう思うまでに時間はかからなかった。ただし、創作とはあくまで孤独な作業である。私は何よりも自分の創作がしたかったから、他人と歩調を合わせるマネだけはできそうになかった。だから派閥を作っても仕方がないと思った。

 木製のテーブルを指でこんこんと叩く癖があるのだが、この日は何故かこれが好調で、いつも以上にこんこんこんこんと叩きまくっていた。時々リズムが変わったりもしたが、私の頭の中にある思考は常に一定の流れに進んでいた。それが現在のtwitter文芸部の構想である。文章で書いているからいろいろと割愛して、こんなに短くまとまったのだろう、と考える人もいると思うが、私の場合思考が流れ始めると早いのだ。特に意識して文章を割愛したわけではないのだが、こんなにシンプルにtwitter文芸部の構想は出来上がった。

 馴れ合いではなく、互いを高められるような集団、それには当然個人の創作作品の交換とそれに対する批評の交換が必要だろう……仲間はtwitterで募ればいい……、やりとりはメールが主体になるだろう……。

と、こんな風に決まっていった。勿論、この段階ではまだ私の脳内妄想であったが、ノートの切れ端に様々な思考を記していくうちに、やがてそれは生きた実体を伴い始めた。さきほども書いたが、私は考え始めると早いタイプであるから、さっそく行動に移したかった。脳内に蠢く実体がじっとしないのだ。

 いつの間にかおっちゃんは夜の支度(この店は昼~夜2300まで開店している)にとりかかっていて、赤提灯に灯りが入れられた。提灯の光がノートの切れ端を照らすと、私の構想についに血が通い始めた。

              *

 家に帰るとすぐに行動を起こした。まず初めに出会ったのが、twitter文芸部の部長、イコである。どういう経緯で出会ったかは残念ながら覚えていない。だが、確かにパソコン画面の向こう側にいた人であった。自分の構想通り、メールで作品批評をした。これがうまくいった。真剣に物事に取り組むということは時間を忘れさせてくれることだが、この時はまさにそんな感じだった。

 あっという間にtwitter文芸部はネットの世界に這い出した。作品批評をしあったイコを部長とし、自分は雑用主任というよくわからないが大事そうなポストに収まった。運営に伴う雑用はすべて引き受けよう、という覚悟があったのだろう。

 信じられない人も多いと思うが、本当にあっという間にtwitter文芸部という入れ物はできた。思い立ったらすぐ行動、という自分らしい結果である。窓の外の蝉の鳴き声が加速していくようだった。

 パソコンを閉じて寝支度を整えながら、私はこれからの活動を思った。よれたシーツを直すのに苦戦しながらだ。そして確かにこの言葉が浮かんだ。

 

 夏はまだ始まったばかりだ、と。