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「創作活動について」新入部員 神崎 裕子

 自己紹介を。私は、神崎です。滋賀県のある大学に所属しその大学の文芸部部員、現在一回生。文学と音楽を愛する人間。文学は割と雑食で与えられたものは大抵読む。特に好きな作家さんは中島らも氏。好きな音楽は、ジャズ全般。ポップス全般とこちらも雑食。創作活動は文芸のみ行います。自分で納得したもののみ提出する予定でございます。しかし、他の生活が忙しく、創作にどこまで精を指すことができるかはわかりません。自己紹介はどのようなことを言えばいいのか、頭を悩ます問題であるので、ここで文芸部に、創作活動に関する思いを述べようと思います。これを自己紹介の代わりになるものとしていただきたく思います。

 私は、小説を読むのが好きである。それと同様に創作するのが好きである。かつて私は、あるSNSで創作活動を行っていた。そのサイトでは日記といった形で小説の投稿をしていた。規模こそ小さなものであるが、楽しくかけていた。それは今見直すと耳を真っ赤にして発狂したくなるようなものではあるが。しかし、同じく創作好きのサイト内の友人がgoodボタンというものを押してくれていたおかげで私は自惚れることができた。心地の良い環境であった。

 ここでその環境は、創作者、つまり文学に限らずあらゆる芸術を為すものにとって恵まれた環境であるか。私は、違うと答えるであろう。なぜならば、その環境は馴れ合いでしかないからだ。欠点を見つけてもそれを指摘、批判することなく、笑顔でよかったよという。そのような空間でしかなかった。まるで批判をすることで人間関係が壊れるのを恐れているかのようであった。いや、実際そうであっただろう。そういった空間は創作を行う者にとっては百害あって一利なし。自身のよくない部分にいつまでも気付くことなく、その部分をさらに広めるだけの結果に終わる。

 創作を行う者にとって必要であるのは、そういった気持ちのいいだけの空間ではないと、私は思う。お互いに切磋琢磨しあうことのできる空間である。つまり、お互いの作品について批判しあい、研鑽しあえる空間である。

 では、なぜ互いに批判する空間が必要か。お互いのよくない部分に気付くことができるからである。一つのよくない部分を指摘されることにより、その作品の修正時、あるいは次の創作時に生かされる。更に、その人数は多ければ尚よい。なぜならば、彼が見落としたよくない点を別の彼が指摘する。人数が多くなればなるほど、その傾向は強くなる。現に私が所属する、大学の文芸部はそういった空間である。ただし、普段はなれあい、つまり、ゲームをし、お菓子を食べるだけであるが。

 では、運よく、互いに批判しあえる場を持つことができた私であるがなぜTwitter文芸部に入ろうと思ったか。大学の文芸部は大学生だけで構成されている。特に日本のような国では年齢層がごく限られている。年齢層がそれよりは広くあろうと思ったことが第一、さらに土地を広めることができると思ったことが第二である。

 当然年齢層が広ければよい。就業前の学生が気付くことのできない部分に就業後の方が気付くかもしれず、その逆も然り。他に年齢により気付く点の違いはいくつも生じるであろう。

 また、Twitter文芸部部員は全国に散らばっている。関東に住む人間であるから気付く点、東北、中部、近畿、中国、四国、九州も然り。きけば、現在外国にいらっしゃる方もおられる。より多くの視点に恵まれることができるということである。

 私はこのように恵まれた環境を使わない手はないと思う。互いに批判、研鑽しあうことができるよい場所であるのだ。ここで、批判と非難は違うことに気を付けることを忘れないでほしい。

 ではここで筆を置かせてもらおう。