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「たのしくさびしい小説投稿サイト遍歴」イコ

1.お前はなんのために小説を書くのか?

 13の夜に富士通のワープロを親からもらった。それからまずハマったのは小説を書くことではなく、ワープロ付属のタイピングゲームだった。気球を割らないように障害物を避けて進めていくゲームで、気球を何度も破裂させていると、自然とタイプが速くなっていた。

 ゲームが好きな少年は茶髪の主人公が下ネタを言いながら剣を振りまわすゲームのような小説を読み、ゲームのような小説を書き始めた。ワープロ画面の一ページを一話分として、書きたいように書いていると、まとまった量になった。一人の友人と、妹を除いて、誰にも読ませなかった。なぜか? それが自分の「上」に立つ大人たちや、後れを取りたくない同級生たちの読まない、くだらない小説であることを知っていたからである。一人の友人と妹に限っては、自分よりも「下」であるという思いが強かったために、渡すことを許されていた。その意識は15になるまで続いた。

 ゲームのような小説を読まなくなり、京極夏彦や乙一や貴志祐介といった作家の小説に手を伸ばすようになった15の昼に、自分の小説はそろそろ行けるんじゃないかと思った。その頃になると未発表の原稿は原稿用紙1000枚になっていた。最後に書いた、ハリウッド映画と叙述トリックのミステリに影響された作品を、親や親戚に読ませることにした。それこそ顔を合わせるたびに緊張して反応を待っていた子どもに対して親や親戚は、「そうか、ビルが爆発するのかー」「イコ君もこんなこと考えるんだね」と、渋面を作っていた。ビルの爆発する緊張感を味わってほしかったのに、相手の顔に浮かんだのは何を言っていいか迷って緊張している様子だった。それからしばらくし、一年かけ気合いを入れて書いた350枚の長編ミステリを親に渡したのだが、親がその紙束を電話のメモがわりに使っているのを2カ月後に発見した。

 

2.お前はお前を認める優しさと「下」の群れを発見する。

 16の夜にパソコンを親からもらった。それからまずハマったのはマインスイーパと、3Dの車を操作するゲーム。パソコンに初めから入っているアクセサリのゲームだった。マインスイーパで地雷をどんなに慎重に避けても、タイピングは速くならなかったし、小説はメモがわりのままだった。

 転機は無線LANを介してインターネットにつながったことだった。その頃にはもう「小説」という言葉が頭から抜きがたくなっていたから、さっそくYahoo!で「小説」と打ちこんで、検索をかけたのである。すると思いがけず、小説投稿サイトを発見した。試しに「小説」と打ちこんでみるといい。2011年、膨大にネットの世界の広がった今でも、プロの小説家のホームページではなく、アマチュアの作る小説投稿サイトが上位にヒットするはずである。

 なかを覗いてみる。他のアマチュアのやつらはどんな小説を書いているのか? すると次々に、酷い出来栄えの、小説ともいえないような作文が目に飛び込んでくる。陳腐な会話をつなぎあわせただけのもの、バキッ、ドコッ、などの効果音の多用、剣やドラゴンの世界、3点リーダだらけの文章。数年前の自分を見ているようだった。うまい人たちも中にはいたが、その「うまさ」にしても、大したことはないんじゃないか? ここに自分の「下」がいると思ったのだ。

 どうやら投稿サイトには暗黙のルールがあるらしい。それは「Webで読める程度の分量でなければ誰も読んでくれない」というものだ。プロの小説では、そこに投稿されているような掌編など、星進一などの例外を除いてほとんどお目にかかったことはなかったのだが、ともかく手グセで10枚程度の読みやすい掌編を書いて投稿してみた。

 するとどうだろう、そのサイトの一つの特徴となっていた、小説につけられる「得点」が、うなぎのぼりに跳ねあがったのである。さらにはコメントで「泣きました」「感動しました」「こんな作品、初めて読みました」という絶賛を受けたのだ。これには舞い上がった。自分の小説をメモがわりにした親を見返してやった気分だった。

 

3.お前は「怠惰め!」と叫び、神童にはなれない。

 コメントをつければつけるほど、自分の作品にもコメントがついた。やさしいコメントをつけるとやさしいコメントがかえってきた。そのサイトに大量のコメントをつけた。コメントが返ってこないものには、「怠惰め! せっかく読んでやったのに」と憤った。やさしいコメントをつけるのは、何もその人の気持ちを慮ったからではない。自分を認めてもらいたい欲求、得点を伸ばしたい欲求からである。だがそれを意識の表面にのぼらせるようなことはしなかった。あくまでも交流である。

 発表する作品ごとに得点を稼いだ。もはや実力を疑わなかった。そこに「やさしさ」の落とし穴が潜むことにはまだ気がつかない。

「ひょっとしておれはプロになれるんじゃないか!」

 16歳で賞をとり、デビューを果たした乙一のようになりたかった。神童と呼ばれたかった。お前はなんのために小説を書くのか? 答えはずっと同じだ。誰もおれの「上」にはいない。得点がそれを証明している! お前はなんのために小説を書くのか? それに気がつかず、いや、見て見ぬふりをし、穴の中にハマって笑っていられる場所が、その小説投稿サイトだった。

 神童にはならなかった。小説を書き続けてはいたが、短いものを書きすぎた反動で、長いものが一向に書けなくなっていた。短編すら長く感じられた。ひとつも小説を応募しないまま大学生になった。

 サイトで高得点を稼いだ小説を文芸部にもっていく。誰からも認められない。「人間の書き方講座をやりたいと思う。イコ君にはぜひ出席してもらいたい」と先輩からいわれる。高校卒業直前になんとか書いた中編は、「作文ではなく、小説ではある」というような評価だった。かわりにその先輩の書いた小説を読まされる。その面白さに衝撃を受ける。

 そのサイトでは相変わらず、奥のページに押しやられてはいたが、自分の作品が他の追随を許さない高得点のきらめきを発している。賑やかなサイトにはいつも人が集まり、「やさしい」コメントをつけあっている。文芸部のやさしくない一撃に、急所をつかれた。こいつら、おれの小説が分かってないね。おれの小説はこんなに面白いのに! 人を泣かせるのに! ほら、このコメント欄を見てみろよ! こんなにみんな感動してるし、ほら、こいつなんて、「自分とはレベルが違う」って言ってる。そうだよ、おれはそんじょそこらの人とはレベルが違う。じゃあ先輩の書いたこのファッキン面白い小説はなんなんだ?

 

4.お前は中毒から抜け出せるか?

 20になっても受賞しなかった。サイトからはすっかり離れた。「やさしさ」の落とし穴を憎んでいた。けれど考えてみると自分も「やさしさ」を振りまいていたのだ。お互い様だ。「やさしさ」の奥では、顔の見えない誰かを見下している。本音の「牙」を隠して笑顔を見せることくらい簡単で、それはつまるところすべて自分のためだ。「下」だ「上」だと序列を楽しむ。形にあらわれる「上」を得て満たされる。

 麻薬のようなシステムのなかに、中毒患者がうろついている。少なくとも、やる気は向上する。決意も生まれる。だが中毒から抜け出すのには、相当の時間と、誰かの助けを必要とする。サイトから離れても、ある種の「心」のこもった評価たちによって培養された実力の伴わない自信だけは、今でも完全に消え去らない。それがどのように残酷な「心」であるのかは、プロを目指している人ならば、分かるだろう? 

 もちろん自分も顔の見えない誰かに、残酷な仕打ちをしてきた。誰かの言葉を信じていられればいいのかもしれない。だが純粋な心ばかり恃むのは、馬鹿げてるってもんだ

 飴をプレゼントし合うサイトばかりではない。「きびしさ」と「ただの罵倒」を吐きちがえた言葉で相手を愚弄する人のいるサイトも少なからず存在する。投稿されて一カ月経ってもよくて1つや2つのコメントしか返ってこないサイトも多い。

 プロになりたい人間にとって、的確な批評をもらうことのでき、技術を向上させることのできる投稿サイトはないものだろうか? 今や投稿サイトを離れてずいぶん経った。ないことはないだろう。部員の来歴を辿り、いくつか危ういバランスを維持しているように見えるサイトを発見した。お前はなんのために小説を書いているのか? この問いにどう答えるか。お前たちがお望みなら、投稿サイトは広大なWebのどこかに、口を開けて待っている。その結果どうなろうと、投稿サイトのせいではない。すべては自己責任、我らがデスクトップの向こう側に自由を得る代償だ。