月刊twitter文芸誌新年一月号特集 短編競作感想 常磐 誠 《五月の同行》  一読してすぐに思ったことは、純文ってこういうのなんだなぁ。という感覚。ワケ分からん、という感じがしつつも、きっと分かる人にはわかるのかなぁ。なんていうぼんやりした思い。  分かる部分と分からない部分とが散在していて、掴める! と感じたらすぐに掴めなくなる。そしてまた別の部分が掴めて、また手からこぼれていく。そんな感覚でした。  その感覚はひょっとしたら細部の細かい描写によるものなのかも。その感覚を覚えてしまうからこそ、何度も読み直しました。再読率高い! 作品でありました。光という存在が最初の段落で詳細に語られる部分は、その感覚が非常に面白く、語られているうちに本当にそういう風に感じられるようで、自分も運転をする時にそんな光を意識してハンドルを指先で何度も叩いてしまいました。  一方、同行者の存在が不透明すぎるように感じられました。掴めない。という感覚は主に同行者絡みの描写です。勿論、掴めないことこそが狙いなのだと思いますが、誰なのか、人間なのか。それも、主人公の妄想などではない、実在する存在なのか。その不透明さはプミ様のいう不愉快さなのでしょうか。どうにも気色悪い感覚でしたが、それが再読率を高める要素でもあるのならむしろ良いことなのか……。  ところで、3P上段八行目、『詮ない』とするべきところを、『栓ない』とされておりました。誤字脱字なしの完璧な原稿って難しいでしょうけれども、細かい部分の描写をきちんとされているプミさんですからこそ、気付いていただきたい部分ではあります。  どこかこう、描写の不親切さ、とでも言いますか、それが何度でも読み直したいという気持ちを喚起させる魅力ある作品にすると同時に、掴めずにスルりと抜けるような不透明で不愉快な感情も呼び起こされかねない作品であると感じました。 《スイッチ》  一読して感じたことは、考えさせられるなぁ。という感覚。そして直後に再読して考えながら読むけれど、結局わからない。結論でない。という状態に陥りました。  何故に冒頭を理論編で構築されたのだろう。こんなことを言うのが適切かどうかわからないのですが、衝撃が無い。痛みが無い。理論や説明が好きな常磐としては万々歳な出だしではあります。ありますが、この理論自体が特に目新しい訳でもなければ面白いわけでもなかったのです。これが常磐にとってはうーん、と思わざるを得なかったです。  プミ様が既に仰っていますが、やはり彼女の首筋のスイッチのシーンから始める方が衝撃があったように思います。性欲がどうのと言う前に既にその時点で「うわやっべぇ押してみてぇ!」と(個人的に)思います。引き込むつかみ、に関しては、それだけでも十分だったのでは?  そして、最後に亜夢がスイッチを押してからですが、彼は結局彼女と夜を過ごしたのか。それともまさか昼のスイッチ押した瞬間から組んず解れつ!? という部分は想像すべきところでしょうか。でも、性欲以外に答えはなかったのでしょうか? 実際、人の体にスイッチが!? というお話は色々なところでお目にかかれるお話ですし(私的で申し訳ないですが去年読んだ少女漫画にも……)、冒頭からオチまでが期待を裏切ってくれないありきたりで終始してしまうのが残念でならないです。  一方、私にとって読みやすい文体で、単純明快な単語ばかりで構築されていなくとも読みやすさを保っていらっしゃる文章の流れは素晴らしかったです。 《リセット》  一読して感じたことは、私が活動していた小説サイトで最も受け入れられやすい(形的に最も近い)作品だなー。ということです。  でも、リセットという制度自体に重点をおかず、ぼかしたようにして――主人公自身もその詳細を思い出せなかったり、語らなかったり――、あくまでもリセットを使用した僕と、リセットを(恐らく)使用せずに生きてきて、生きていく人々の心情に着目してキチッキチッと書かれた作品になっているところが、サイトで発表される作品と違う点だと思いますし、個人的に良いな、と思えるポイントでした。  一方、作品の中盤の記述、四十九日の前、外出先から帰る部分での記述が自分の中で気になりました。16P上段6行目、「お腹も空いた。帰りの電車に乗った。」何かこう、唐突な思考の流れだな、と思いました。いつも"僕"がそういう思考をしているのならともかく、こういうぶつ切りの思考はここでしか見られないように感じましたので。  作品全体を通して、しろくまさんの暖かさのようなものまで感じることができるようで、本当に安心して読める作品でした。 《明け方の焔》  一読して感じたことは、作品の流れが面白いなー。という単純な気持ちです。猟師に恐れ、意味がないとわかりつつも焔を絶やすことができない。  P21下段13行目、『専ら祖父であった』となるべき部分が『祖父で会った』となっていました。他にはP22下段8行目の『例の熊の男』という表現。プミさんが仰るに他にも絶句もののまずい表現や矛盾と誤字があるとのことですが、とにかく自分が気になったのはこの部分です。  語りたいことがかなり多いのですが、物語のプロローグ部分として読んでみると本当に面白い作品でした。(短編として読んでしまうと奥さんを主人公だと考える流れに持っていけなかったのですが……) 《いざ起て戦人よ》  一読して感じたことは、あれ? 個人的に好きなテーマだったのに何だか感動が薄い……。でした。他の方がもっときちっと言語化されていますが、どうにも四人の合唱の流れが私の中ではうまいこと感動という部分にまで繋がってこなかったです。  ラスト付近でも新登場人物に何だかスルーするには重ためな新事実(留年して自殺した先輩)が露見&登場しましたが、上手く響きあっていない気がしました。もっと四人に着目して、それらの感情、本音が入り混じって、合唱で響きあう部分とそれでも自己に拘る感情とのせめぎあうような描写があったら、もっと感動できたかもしれません。  また、P32下段12、15行目。「」の最後に"。"があります。他の「」内にはないので、統一した方が良いかと思います。  淡々とした語り口で、最小限(?)にも思える描写で登場人物たちの行動、感情を記しきる上手な距離感が良いなと思いました。 《目覚め》  一読して、おぉっ! これが二人称小説!! と感じました。ひょっとしたら私は初めて二人称を読んだかもしれません。という訳で私がこれから二人称を書く時の参考書(?)的存在になるかもしれないな、などと感じます。  目覚めてからの主人公の心や考えの揺れ動きが、"私"の視点からも明確に掴める感覚が良かったです。そしてスピーディさも好感が持てる感じでした。  一方でやはりオチが簡単に読める、シンプルすぎる内容。何だか二人称である以外に特色を持たない作品であるように思えてならないのが残念な気がします。  短い作品でぐわっ! と引き付けて読ませる作品で、面白かったです。 《オレンジの巣》  一読した際に感じたのは、これ詩? という一種の戸惑いにも似た感情でした。  詩の中に小説というか、会話だけで構成される章のような部分もあり、あぁ、そういう構成なんだなぁ。他の方々には見られない構成で面白いなぁと思いました。あんなさん以外に女性がほかにいらっしゃるかわからないのですが、女性ならではの視点というか、そういう構成は興味深かったです。  一方、詩のように感じた/の連続部分はともかく、小説的構造になっているはずのラストでも段落一字下げがなく、小説的に感じることが(初読時特に)難しかったです。更に他の方が仰っていますが最後の方で唐突に段落(章)分けが二行に増えたりするなど、どうにも細部の徹底が足りていないように感じました。二行が狙いだったとして、その根拠は? というのが気になりました。  女性の内と外を生々しく描写する感覚がある種艶かしくも感じられ魅力的でした。 《親子の敗走》  一読するのが最も辛かった作品です。作品がヘタとかいうんじゃなく、自分にとって"貧乏"というテーマが辛く、重いからでしょうか。そんな個人的なことはどうでも良いかもしれませんが。  細かく、というかきちんと描写された言葉の一つひとつが私の中で理解を助けるような感じで、そして文体でこういう作品世界をリアルに感じられるようにしているなと感じました。  一方、そのきちんきちんとした描写で語られる洋太の心の描写は、果たして本当に(リアルに)洋太が感じたものなのか? という感覚がずっと疑問点として心に張り付いていました。例えばP.53上段十三行目、「跪く百姓のそれと同じ」などは、伝えたいこともわかるし、矛盾もないし、本当にその通りなのだろうけども、でも何だか幼子の気持ちを表す上において妙に仰々しく感じられてうーん……という感覚を覚えました。  重い描写、ヘタな救いなど無い読後感がリアルさを感じさせました。 《出来そこないのマリア》  一読して、これがオチを飾るってのが流石twi文の競作……! などと感じました。偶然でしょうけれども。でも本当に読ませる作品でした。  狂おしい愛のやり取りは常磐にはよく分からないディープな世界だと感じさせますが、洋楽を交えた昭和(……ですよね?)の青春模様はリアルで、わからない世界での会話ややり取りもよく伝わったなぁと思いました。  一方、一箇所だけ気になったのはP.57上段最後の一行。「どこぞのアイドルの追っかけみたいに」という行。俺、という存在はアイドルに容易く惚れる存在なのでしょうか? 彼女の素敵さは十二分に伝わってきますが、どうにもこの一文は軽すぎる気がして不適な気がします。  また、P.56下段9行目。「また?というか……」の?の直後はスペースを空けるべきでしょうか。自分は空けるべきだと言われているのですが、純文学では違うのでしょうか。私は少しばかり違和感を覚えて引っかかりました。  色のない世界の中、それはまさしく最後の主人公が首に躊躇い傷を作った時に流れた血さえも明確な赤を見せない中で、彼女だけは明確な色を持ち、特に赤だけは鮮明に想起させる強い感覚を孕ませた魅力的な作品だと思います。